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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.4 知らない人々
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魚のヒロイン(2)

 海辺のシーン。男が歩いている。海岸線。

 手に棒を持つ。樹皮が剥けすべすべとした木の枝を引き摺って歩く。薄汚れてくすんだ黒のジャケット。映画の中の男は想像よりも若く、薄汚れていてもどこか端正である。それが冒頭。

 語り手は若い女。原作にはいない人物。少女とも青年とも言い難いあいまいな年齢。キャストは全て日本人。舞台も日本。

 時期は春から夏にかけて。海辺の小さな町の喫茶店で、海岸線を歩く男の話を聞く。彼女は好奇心旺盛で、その男に会いに行く。堤防から男を眺める。北の方から男が来るのが見える。彼女は偶然を装って男に話しかける。「どこかでお会いしたことありませんか?」分からないと男は答える。男は口数がとても少ない。語れることが限られている。連れ添って、黙々と歩く。

 彼女は身寄りも頼れる者もないことを告白する。しばらくの間一緒に居させてほしいと言う。それについて男は答えない。

 男は不気味がられもしたし、興味をもたれもしたし、都市伝説のごとく扱われたりもした。施しを受けたりゴミを投げられたりしながら男は歩いた。男は防波堤にもたれて眠った。いつでも棒を手放しはしない。

 彼女の長髪は絶えず潮風に晒される。ある時伸ばしていた髪をばっさりと切った。

 漁師の老人の下りは原作通り。漁師は元船乗りだが今は孫と釣りをして暮らしている。老人と孫と男で、釣りの成果や今日の潮についての話を交わす。男は波の変化についてとても洞察深い。彼女は話題に着いて行けないが、少年の釣った魚を褒め、彼女と少年は打ち解ける。少年は男に、どうして歩くのかと尋ねる。男はそれに答えられない。老人は深く尋ねることをしない。ただ、これからどこへ行くつもりかと尋ねる。南へ行く。男はただ一言答える。そうして漁師たちと別れる。

 場面は冒頭の喫茶店に戻る。このシーンも知っている。棒を持って歩く男を尋ねて来たもう一人の男。サラリーマン風の出で立ち。冷徹で合理主義者。因縁があるらしい(作中唯一の事件らしきものが、この主人公ともう一人の男の諍いである)。行方を聞き、海岸線に沿って南に車を走らせる。カーラジオがかすれている。ロケ地は日本。

 再び海岸。海鳥の死骸が落ちている。灰色の翼の接写。とぼとぼと歩く二人。書いた傍から消える線を、男は時々振り返り見る。

 線は消えていいのかと彼女が尋ねる。男は答えない。殆どのことを答えようとしない男に彼女はいくらか苛立ちを見せる。

 いくつかの場面。中身の入ったガラス瓶。カモメ。にわか雨。波に濡れる靴。美しい光景。

 流れ着いた花束を見詰め男は足を止める。女が覗くと、彼は目に涙を浮かべている。これが小説に準拠しているのか分からない。過去を仄めかす会話。

 ふと隣に座るセレスタを見る。スクリーンの光に照らされる。その目はスクリーンを見つめている。光はちらつき、スピーカーから波音が聴こえる。もうひとりの男が主人公らに追いついた。視点を映画に戻す。

 女に対しもう一人の男が詰問する。暗示される過去。女は言う。ついていくことに理由はない。追って来た男はそれが許せない。当の男は関せず先へ行こうとする。追って来た方が制する。怒鳴るように言い聞かせる。戻れ。主人公は首を振る。どうしてもそれは出来ない。俯く男にもう一人が掴み掛かる。あいつはもういないんだ。……分かっている。……じゃあ、なぜ戻らない。……南に行かなくては。……行ってどうする。男は答えない。手にした棒を深く砂地に突き刺して黙り込む。このまま南へ線を引かなくてはいけない。……破綻している。そう言ってもう一人の男は去る。女が残った男に問う。男はただ一言、南へ行くと告げる。

 女が男の手を撮る。男は苦しげな表情を見せる。

 彼らはまた歩きだす。しかし男は疲弊している。本当は歩けないのではないか、朦朧とした足取りで男は歩く。歩けない時は堤防で眠る。二人で菓子パンを頬張る。男の手を女が取る。指を組み合い黙りこくる。潮騒とピアノ。

 女が男の唇を奪う。長く続く。注視するカメラワーク。

 気分が優れないのだと男は呟く。女が優しい声を掛ける。立ちあがる力のない時も、男は行かなくちゃと繰り返す。南へ。

 そういう信仰を邪魔してはいけないのだと思う。

 南に何があるの? 女が問う。

 とても大切な場所がある。男は重い口を開く。女が男の頭部を抱きかかえる。女の胸元で男が呟く。とても大切な思い出の場所なんだ。そこが本当に繋がっているのか確かめたかった。線を引いて繋ぎとめたかった。男は少し泣いた。女も少し泣いた。しかし線は風と波と足跡で消える。印としては通用しないとても脆いつながりだ。彼だって分かっていた筈だ。でもこれしか思い付かなかった。

 回想。男と、男がかつて愛していた女性。笑顔。思い出の浜。

 抱き合った現在の男と女は深い眠りに落ちる。

 女が目覚めると、男がいない。足跡も棒の筆跡も砂の中に消えている。女は南へ走る。しかしとても疲れている。倒れた所を、男を追うもう一人の男が発見する。女を車に乗せホテルに連れて、シャワーと満足な食事を与える。食事の席で、不信を抱く女に対し、自分はあの男の弟だと告げる。

 兄は思い出に囚われている。思い出の地に辿り着いても、もう兄の求めるものは何一つない。失われたことを認められないでいる。

 俺は兄を普通の世界に呼び戻したい。不毛だということを兄は受け入れようとしないんだ。

 あなたは兄を愛しているんだろう? 驚く女。弟は続ける。兄の幸せを願うのなら、あなたは兄を止めるべきだった。

 思い出に囚われているんだ。辿り着いても、求めているものは何一つない。失われたことを認められないでいる。

 弟の車で二人は兄を追う。南へ。雲行きが怪しい。雨が降り始める。波が荒れる。男は海岸線でうずくまっていた。

 雨の中を走る女。男を抱き寄せる。雨に打たれて泣く。男は答えない。女は語る。「もう帰ろう?」どこに? 一緒に暮らそう。新しい生活。どうしてそういうことをするのか分からない。とにかく、男は参っている。男の中で何かが事切れた。男は泣く。女と弟に支えられて車に運ばれる。後部座席に女と男が座り、男は女にもたれて眠る。

 女が運転席の弟に語りかける。「南って、何があったの?」

 もう無いんだ。バックミラー越しに弟が答える。埋め立てられたんだよ。兄貴もそれを知っていた。でも認められなかったんだ。

 その名残は無いのと女。少し躊躇って、見たくないのだと弟。変わってしまった。兄貴も全部分かっていたんだ。

 兄貴を任せられるかな? と弟。静かに決心する女。眠る男の頬を撫でる。車は南に発進する。

 音楽が流れる。

 スタッフロール。

 席を立つ人々の衣擦れの音。

 ため息。

 音楽は知らないロックバンド。延々とイントロが続くと思ったらどうやらボーカルのない曲らしい。スタッフロール。まず主演の名が流れる。そして端役の羅列。この映画の何処にこれだけの人数がいたのか分からない。


 でもそれは突然だった。

 高橋塔子。

 その名が役者の羅列の一番右下にあった。

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