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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.4 知らない人々
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魚のヒロイン(1)

 魚のモチーフのネクタイピンを貰った。銀色の精巧な魚のデザインで、箱に入っているのを、手紙と共に受け取った。


『着てほしい服をいろいろ考えましたが、

 やっぱりいつもどおりが一番にあうしかっこいいので

 ふたりでこれを選びました

 今日 これをつけてくれるとうれしいです(・ω・)』


 数日前に二人が選んでくれたという。誕生日でも何でもない。

 彼女は普段の学生服ではなく、余所行きの奇麗なワンピースを着ていた。深い紺色と白の二色で、膝丈のスカートが扇形に広がっている。襟元をよく見るとセーラー服の丸襟を模していて、それは外せないこだわりらしい。改めて身にまとうとどこかの令嬢のようで見違えた。他にも数着そういったワンピースを持っていて昨晩僕らは共に選んだ。「これ、いいんじゃないか」とザムザが差したのがその紺色で、着てみると彼女に確かに似合った。


「うん。いいね、そんなにフリルっぽくないからすごく落ち着いていて夜には丁度いい」

『かわいい?』

「かわいいよ。しかもガキっぽくない」


 彼女は微笑み、『かわいい』と書いた一ページを僕にも見せる。頷いたが、更に同じページを持って詰め寄るので、感想を求めているらしい。とても困って、令嬢に見違えたと発言したら二人は笑ったが、「いや、でも、本当にそうだよ」とザムザは笑いながら言葉を付け足す。「だってそのツーショット面白いもん。どっかのお嬢さんと黒スーツの付添人だよ? あんたらどこ行くの?」

 などと談話している時に、セレスタが隠し持っていたタイピンを僕にくれた。『ふたりで選んだ』と彼女は記す。二人の貯金で買ってくれた。驚いて返す言葉がなかったが、とにかく礼を言った。「でも、どうしてわざわざ」「だからお洒落してみようぜって」彼女は何も言わず笑っている。

 彼らの選んだタイピンを付ける。派手過ぎないので嫌味が無い。写真を撮って彼女は満足そうにしている。

 殆ど手荷物も無いし、暮れなずむ外の空気が心地良いから駅まで歩いて向かった。遠出。通りに人がいないのを見てザムザに語る。「大丈夫なんですか」

「電車で、壁際の空間を確保してくれたら嬉しい」

「時間に余裕があるので各停で行こうと思いました」

「各停?」

「皆特急に乗り換えるから空いています」

「それは嬉しいね」


 そういう話をぽつぽつとして、透明人間は無賃で、僕らは正規の方法で、丁度来た各駅停車の前方車両の運転席すぐ後ろに立った。セレスタがザムザの手を引いているらしい。僕がそれとなく彼らを庇うように立つ。交わす会話はない。過ぎていく駅名を目で追って数える。タイピンを指で確かめる。

 乗り換えの駅で急行を見送って、時計を見たら十九時を回ろうとする頃だった。夕食の心配をそれとなく考えながら、それでも語ることはなかった。僕は道案内に徹し、歩く時は歩速と通り道に注意した。「着いて来ていますか」一度小声で尋ねると頬を指で突かれた。セレスタが指差して笑った。頬が凹んだように見えたらしい。人々は誰も僕らを見なかった。そういうものなのかと何かが腑に落ちた。今ここで何かが起こっても誰も気に留めない気がした。僕が何をしなくても電車は走り続ける。流れに身を任せて行けばいい。流れの中で少しだけ方向を選ぶことは出来るらしい。得体の知れない僕の友人と今日は映画を見に行く。変わってはいるが、特別異常なことでもない。経過観察というのは特別異常ではないということだ。たとえ変わっていても物事は平然と流れる。だから何も起こらないと思った。僕らに限らず、車内、誰も喋っていない。そして何も起こらないというかすかな震えの上の機微を僕は好んでいるのだと知る。波に寄せる波のように、変わりはすれど変化のない光景を。

 電車は終点に達し、ぞろぞろと降りる人々の一番最後について歩いた。人波に阻まれぬように壁際を歩いた。駅を抜けて街に出て、はじめてザムザがため息をつく。セレスタがその方向を見る。僕は端末の地図で映画館の場所を確かめる。大通りをこのまままっすぐ行けばいいらしい。

「食事は」「どうする?」彼女は答えない。「……買って帰りましょうか」彼は外食出来ない。同意したので、そのまま真直ぐ行く。十九時を過ぎた通りはまだ店も開き活気を帯びている。少し湿度がある。湿った夜風が通りに満ち始めていた。深い紺色のワンピースが夜の空気の中で確かに似合っていた。妙な一行だと今一度思った。予定よりも早く映画館に着いた。

 立ち並ぶ店舗に馴染んだ佇まいで、活発な出入りはない。指差して、セレスタが尋ねる。ここがそうらしい。一階は別の店舗で、二階が劇場になっている。

「行くか?」尋ねられ、まあ頷くが、「喉渇きませんか?」向かいのコンビニで、セレスタはカフェオレを手に取ったが、僕はといえば、買う程何かを飲みたい訳でもないと気付く。肩を叩かれる。「ストロー系がいい」とザムザ。「おんなじカフェオレかな」「誰が払うんですか」「帰ったら返す」その金はどこで得たのか。「最初の一口飲んでいいよ」買って、外で飲んだ。思いのほか甘味が強い。彼に渡せないので僕が手に持つ。傾けずに飲む事が出来るから彼には都合が良いのだろう。二人が飲み終わるまで、時計や風景を眺めて待った。通り過ぎる人々の足元。姿の無い足元と、丸い爪先の革靴を履いた彼女の足元。自分の足元。流れる形。大したことではない。ただ眺めている。流れている。

「映画は好きなんだよ」と彼が秘かに語る。「見ていればちゃんと終わりがあるから好い。劇場に出向くのも好きだった」

「演劇は?」

 カフェオレが空になったらしい。

「好きだった」

 促されてゴミ箱に捨てる。セレスタに、急がなくていいと告げる。

「……高橋さんが演劇部でした。高校の時」

「映画じゃなかったっけ?」

「それは大学」

 ストローをくわえるセレスタが首を傾げる。ザムザが囁く。

「帆来くんの友達の話」

 果たして友達なのだろうか。口唇でセレスタが何かを語る。ザムザが息を漏らして笑う。内容は聞かないでおく。聞かなくてもいいことだろう。彼女がカフェオレを飲み終えたから、向かいの階段を上って劇場に入る。既に入場が始まっていたが、客入りはまばらで、チケットを二枚出して客席に入る。学内の講堂よりもせまく、椅子も少し頼りない。肘掛が申し訳程度のドリンクホルダーになっている。小劇場。他人の囁きが聞こえる。僕達は黙っている。隣のセレスタをちらと見ていると彼女の方も僕に視線を向けた。首を傾げて微笑まれた。何かを語り掛けてくるのだが、僕にはそれが分からない。僕らの座る列には僕らの他に客はなく、場内は閑散としている。まばらなひそひそ声。椅子の軋む音。

 やがてブザーが鳴り照明がゆっくりと落ちる。合図はそれだけだった。

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