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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.4 知らない人々
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住人

 わたしは、別に、音楽を聴かない方でしたが、VIIIIさんに勧められて、最近ちょっとずつ聴くようになりました。なにがいいとかこういうのがいいとか、そういう広いことや深いことは言えませんが、それでもVIIIIさんの知っている世界は知らない深さを湛えていて、わたしは新鮮な思いで音楽を聴いています。

 かれはこの街に住んでいる誰かで、きっと一度ぐらいどこかですれ違っているかもしれません。誰か一人の外側を知らず、内側の抽象部分だけを覗き見しているような気分です。同い年の誰かが、こんなに深く鮮やかな内面を秘めていることにわたしは感動しています。誰かの内側。内面世界。

 みんながここにいることを許してくれる。

 ノートに音楽の歌詞を写しています。歌詞ってコピペ出来ないので手書きで写すしかないのです。音楽を聴きながら歌詞を読み返します。歌は聴こえてきませんが、きっと今この辺かなと歌詞を追います。


“僕にとってこのバンドは特別なんです。僕がなんとなく思っていた理想の音楽に、こんなにすとんとおさまる曲は初めてでした。どの曲を聴いても好きなんです。こんなこと滅多にないんじゃないかって思います。

だから、傲慢だとは分かってますけど、はじめてDrive to Plutoを聴いたとき、これは僕のための歌なんじゃないか?って本気で思ったんです。歌詞も音も。”


 だからVIIIIさんのことを思い出しながら聴きます。

 みんながわたしにおしえてくれます。本や海や歌のこと。ソファに寝そべって目を瞑って、聴こえてくるものに思いを傾けます。わたしは何かを誰かにあげることが、まだ出来ません。

 部屋は、静かで、イヤホンからの音楽がすぐそばで聴こえます。


“ボーカルはもともと歌える人でした。でもあるときから、何でか知らないけど、急に歌うのを止めてしまったみたいです。

でもボーカルなりに歌っているみたいなんです。前に、夜中ひとりで聴いてたらブレスが聴こえました。

(もしかしてドラムやベースの人のブレスかもしれませんが)

息遣いが聴こえるのが何か感動的でした。歌っているんだなって。”


 だからわたしも耳を澄まします。すると確かに聴こえました。時々。息が聴こえます。もしかしてこの歌声は透明なのかもしれません。歌ったそばからすっと宙に拡がって、聴こえなくなってしまう歌があるとしたら。


 それで、わたしは、日が暮れても、部屋の明かりをつけませんでした。空が、だんだん青から黒に変わっていくのを、ソファに寝そべって眺めていました。耳元で吐息だけの音楽が囁き、ぴこぴこ鳴って、空が暗くなるのが、だんだん海底に沈んでいくみたいに、街に海が注がれていくみたいに、いろんなものが遠くなっていく気がする。声も手も届かない。そしたらわたし、一番の奥底に沈んでひとりぼっちみたい。

 なんて思ってたら扉が開いて、二人が帰ってきました。ちょうど曲が終わったので、イヤホンを外してソファから起きあがりました。ただいまと言ったザムザさんにいつものようにおかえりなさいを返しました。わたしのブレスは聴こえました。ただいまと帆来くんも言いました。コンビニに寄ってきたみたいで、お酒の缶とか、プリンとかを冷蔵庫に入れました。

「ジンジャーエール入れときますね」

 わたしの分も買ってくれました。ありがとうってわたしは頷きました。

 お夕飯食べてお風呂入ったりしてコンタクトはずして大方落ち着くと、ソファに座る帆来くんはなんだかもう眠そうでした。わたしは髪を乾かしながらすぐ隣に座りました。わたしが彼を覗きこむと、彼もわたしを見て、少しだけ頷きました。

「疲れてしまったんです、今日は」

 小さなため息をしてそう言いました。わたしは両手を伸ばしました。わたしもなんだか少し疲れてしまったみたいです。でも疲れてない日ってあるのかな?

 テーブルに、ザムザさんがお酒の缶を置きました。夜用のゆるいTシャツ姿。

「何、疲れてんの?」

 代わりに頷くと、「みんな疲れちゃったのか」と彼は呟きます。わたしはジンジャーエールを注いでもらって、大人二人がアルコール。かんまんに手を伸ばす眠たい動き。

「おおい、そんなにお疲れ?」

「別に、言う程ではありませんよ」帆来くんは少し意外そうに受け取ります。

「確かに疲れている感じはしますが、疲れを訴える程の原因は思い当たりません。漫然とした感じで、色々な事が重なって、それを今日はたまたま意識してしまったような……」

『おつかれ?』

「……やっぱり疲れているのでしょうか」

「原因を絞れるなら疲れないよ。原因をスッパリ切り離せば疲れないんだから」

『いろいろ』

「色々積み重なってるから、どこか一つを取り除いてもどうしようもない。土台を抜いたら余計崩れるみたいに、ややこしさ極まれりかも知れない」

『リラックス』

「そうだね、気分転換。

 で、どうする」

 肩を叩いたようです。

「どうって」

「どうでも」

「どうなのでしょう」

 彼は目を伏せます。自問。「どうなのだろう」

 たのしいことしようよってわたしは言いました。でも彼には見えていません。ちょっとさびしい。

 たのしいことはすぐに忘れてしまうから、毎日たのしくしていかないといけません。

 わたしにあげられるものがやっぱり見つからない。

 どうしよう?

 ペンを取って、ちょっと考える。どうしよう。物静かなひとは、何が一番たのしいのかな。

「音楽でも聴く?」とザムザさん。

「僕の部屋ですよ」ミニコンポがあります。

「時々借りてる」

「……」

「ごめん」

 ごめんって言いながらも結局使うのがザムザさんなのですが。でも何を聴いてるんだろう? わたしも聴けたらいいな。

 帆来くんは机に伏しています。重力に負けちゃったみたいに。疲れているのか考えて考え疲れてしまったみたい。やっぱり真面目なんだろうなあ。わたしは隣の席に移って彼のことを眺めました。腕に血管。こっちを向いてほしくて静脈を指でつつきます。顔を上げた彼にちょっと笑ってみせると、彼はよく分からないってふうにわたしを見ます。わたしは変なひと? わたしの喋ることは彼には聴こえない。わたしも別に、聴かれなくていい。そういうのは、会話とは言えない? みんな、何も言わない。疲れちゃったの? わたしはどうだろう。ペンを出して書きつけます。

『あそびにいこうよ こんど』

「……そうですね」

 帆来くんはそう言って頷く。でも、今度っていつだろう。いつでもいいって言ったけど、そしたら叶わないままずるずると時間に流されてしまいそうです。

 ザムザさんは静かに飲んでいて、考え事をしているようにも見えます。ザムザさんも疲れちゃったのかもしれません。『げんき?』「おれ?」頷きます。「どうだろうなあ」

『つかれてるなら 出かけない方がいい?』

「出掛け方によるんじゃないか」飲み干した缶を重ねます。「たのしい疲労ってあんじゃん」

「楽しい疲労」

「だからたのしいことしようってセレスタが」

 言われて、驚きましたが、わたしは頷きました。帆来くんも少し驚いたようでした。

「何が好いですか」と帆来くん。「僕に出来る事なら」

「君があそびに行きたいところじゃないのか?」

 あきれたみたいにザムザさんが言います。色んなところにとぼとぼ着いて行く帆来くんの姿を想像しました。真面目だからなあ。きっと。慰安旅行で疲れちゃうタイプだ。

『ほらいくん いきたいとこ』

 書いて、少し考えて、『どこもいかなくてもいー』と足します。家でも、近場でもあそべます。彼は考えます。ゆっくりと声に出します。

「映画?」

 映画!

 わたしは笑ってみせます。

「でも僕はまだ本を読み切っていない」

『まつ』

 待ちます。いつでも。

「でも、別に未読でも良い筈なんです。……そうですね。早く行かなくては」

 彼の喋り方はゆっくり思案しながら、慎重にぽつぽつと声に出す感じ。雨の降りはじめに似ているかもしれません。

『いつ?』

「一番早くて来週の水曜日か金曜日。あとは土日」

『水』

「水曜日」「……で、良いですか」

「いーよ、あんたが船長だ」

「水曜日」

 彼は呟きます。「水曜日」

『夜?』

「レイトショーです」……「だから夜」

『レイトショー』

 小劇場なんだって。わたしは言ったことがない。

『すごくたのしみ』

 紙に書いて見せます。帆来くんもかすかに頷いたみたいです。夜の電車に乗って映画に。

『おしゃれしてく』

『ちがうのきてく』

「おまえもちがうの着なよ、せっかくだし」

「……いや……」

「ものは試しだろ、ねえ?」

『みたい』!

「本当に、そんなに持っていないし……」

『えらぼ』『えらびます』

「そーだよ。いつ消えるか分かんねえだろ? 今のうちに楽しみなよ」

「……何ですかそれ」

「いや、だから、見えなくなっちゃうかもよ」

『なにそれこわい』

「ほんとだよ」……と、ザムザさんは少し、まじめな冷やかさを帯びて言います。

「明日にでも見えなくなっちゃうかもしれない。見えないどころか、跡形も無く消えるのかも知れない。それはおれにも分からない。つーかおれが分かってたらちゃんと逃げてるっつーの」

「逃げられるんですか」

「知らん」と言って、少し間があいて、帆来くんを小突いて、「君には早いけどな」

 わたしは?

「別に予言はできないんだけど。……まあ、ちゃんと、今、しっかりしてれば平気じゃねえの」

 そしてため息みたいなあくび。「酔った」と宣言して、空き缶たちを片付けました。

「帆来くんワイン好きかい」

「自分じゃ買いません」……「安くはないし」

「たまには安くないの飲もうよ」ってザムザさんは言う。けれどもふたりが飲むのはきっとずっと後になるんだろうなって思います。願い事は、ちゃんとあと何日か数えられる願い事しか叶わないんじゃないかと思ってしまいます。もしくは今日にでも叶うこととか。

 遅くなったから今夜はこっちの家に泊まります。最初からこうするつもりでしたが。

『あしたの夜は帰ってきますか』帆来くんに見せました。

『タンスチェック』

 それに合わせて、わたしも着ていきます。せっかくですから。帆来くんは困った風に見えます。

「本当に大したことはないんですよ」

『だいじょぶ』

 でもわたしは、帆来くんはいつもの白黒でも格好いいと思う。

『おやすみ』

「おやすみなさい」

 彼とは6時間のお別れ。ザムザさんは、今日はベッドで寝るそうです。結局ソファも使っています。ザムザさんなりに小さなルールを決めているんだと思います。わたしも今日は寝室で寝ます。

 リビングの電気を消して、暗くなる、眠りに就く家。短い一日は今日もおしまい。急になにかがざわついてさみしくなる気持ちがしました。今日できなかったことが悲鳴を上げているのかもしれない。眠りに就けば明日は来るけれども、名残惜しいのが離れない。

 毛布を整えて(自動ベッドメイキング)「おやすみ」って言ったザムザさんに、わたしは手を叩いて聴こえない声を掛けました。思考はまとまりません。けれども思いつく限り、今すぐ誰かに言いたかったんです。聴いてくれるだけでいいんです。彼ならきっと。

『どこかに行くとかなにかするとか、そういう約束をするのは、あしたがくるのを約束しているの? あしたはちゃんとくる? 数をかぞえてちゃんと待ってればたのしいことがあるって信じないとだめ? あしたもちゃんとわたしたちがいますようにって、消えちゃわないようにって。わたしたち、自分で決めた線に沿って前へ前へ進んでるみたいだし、たぶんまったく行くあてのないまっさらな未来が広すぎて怖いんだと思う。でもあしたにでもみんな消えちゃうかもしれないって……』

 彼はきっとまっすぐわたしを見ていました。

「……ごめん、長くて分からない」

 わたしは首を振ります。二度目はいらない。『ごめんね』

 ベッドに潜りこんで、部屋の明かりを落とします。丸くなる。暗闇の中ではわたしは何も語れない。

 ため息をひとつ置いて、消えてしまった人が話しかける。

「今度、教えてあげる。必ず。今度っていうのはね、機を見計らってだ。忘れたわけじゃないんだよ。誰も彼も」

 わたしは頷きます。ちゃんと見えたかな。

「だから、おやすみ」

『おやすみなさい』

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