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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.3 she/see/sea
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ブラックバード(1)

 さすがに一番風呂は家主に譲った。家主はかなりの長風呂だがおれは烏の行水が常だった。ただ今日の湯加減は素晴らしいものだったから珍しく長々と浸かったと思う。湯船の中、手で水をすくって遊んだ。

 夜間着に家主のジャージを借りた。背丈が近くて助かっている。彼はやわらかな綿のシャツにセットしていない髪型で、昼間よりずっとラフな格好だったけど、几帳面にも喉元まで第一ボタンを閉めていて、しかしこれが彼にとってのラフなのだろうから口出しすることは無い。入浴して機嫌を直したらしく、おれの姿を認めると彼は冷蔵庫からチューハイを二本取り出した。無言で一本差し出され、滞りなく受け取った。

「ありがとう」席に着き、おのおの適当にプルタブを開け適当に喉に流した。今日も長く短い一日だった。自分が帰宅したのはつい十二時間前だった。


 ちらちらと帆来くんの目線が刺さる。


「なに?」


 見返すと彼は思索の為に目をそらし、


「僕の服を着ていると、胴体の量感が見えるので……存在している、と思ったので」

「存在してないと思ってた? 幽霊みたいに、実体が無いって」


 冗談めかしながら顔を近づけると、相手は身を退き、惑いながら、


「嫌でも、存在していると思えます。人間の形があり、会話が出来て、触れることが出来ます。それ以上に僕だけでなく、セレスタさんも、過去の公園での出来事も、多数の人間が貴方を認識しています。だから貴方は確実に存在しています」


 ふうん。

 率直な意見というのはどうしてもくすぐったくて笑ってしまう。相手はいつでも真面目だから尚更だった。

 席を立ち、冷蔵庫の中で肴になりそうなものを探したが見つからなかった。プリンは三時のおやつだから却下、新たに一品拵えるのも面倒くさい。結局何も持たずに戻ってきた。


「じゃあ、認識は多数決原理なんだ?」


 彼の言葉は滑り出しこそ重いが、ある一点を越すと途端に流暢になる。会話が暫く流れた所でまた停滞する。また流れる。緩急を繰り返すリズムで、浮き沈みとも呼べた。


「普遍性が必要です。僕ひとりだけなら見間違いの可能性も否めませんが、人や他の生物も認識に加わっていれば、見ているものが本当に存在すると断定して良いのだと思います」

「でも、もしかしたら皆が嘘をついているかも知れないよ」


 と、おれが言ったとき、彼は丁度瞬きした。


「その時は、きっと、誰も信じられませんね」

「困ったねえ……」


 困ったと言いながらも本当はわらっていた。どこからどうやって何を話そうか考える。ちびりちびり呑んでいたらいつの間に呑み干してしまった。すっからかんになったアルミ缶を机に立てた。彼は缶に口を付けながらおれを透かして遠くを見ているらしかった。


 話を振っ掛けようとする時は、ある程度反応を予想するもので、予想と結果が一致するとなかなか楽しい。ふと思い浮かんだ一言をどう切り出せばいい反応を得られるか、いい反応とはどういうものか、一秒のうちに巡らせる。出し抜けに問い掛けた時、彼はチューハイを口に含む所だった。


「タカハシさんって、いい女?」


 成功。吹いた。

 昼間よりずっと愉快な動揺だった。もっと盛大な反応も期待していたのだが空咳数回で彼は落ち着いた。沈着な態度は失わないが、疑念でいっぱいの眼差しで、


「どこで、塔子さんのことを」

「タカハシ トウコ、っていうの?」

「そうですけど、それを、何処で」


 内面の動揺は静まりきっていないようだ。


「昼間、巡査が出してた名前だから、いい人なのかなあって」


 高田氏の名を挙げると帆来くんはまた塞ぎ込むかも知れなかったが。


「いや、おれさ。前にあのお巡りさんに会ったことがあって、というかかなり悪戯しちゃって。だから、あの人の顔と警察ってことは知ってるんだよね」

「悪戯?」

「ヒザカックン、しちゃった」


 ウインクを飛ばす必要も無かった。呆れと苦笑の入り混じった空気だった。


「よくやりましたね」

「あのときは気が立ってたから誰彼構わずやっちゃってたねえ」


 頬杖をつきしばしの沈黙。


「で、高橋さんは?」


 と、遠くを見ていた彼を呼び戻すと、彼はまた一口嘗めてから、静かで長い吐息と共に缶を置いた。

「塔子さんは」、と言いかけてから、いや、と訂正し、


「高橋さんは……高橋さんと僕の父親同士が親密な仲で、それで僕と高橋さんも付き合いが長いんです。高校、大学も同じでした」


 ゆえに名前で呼ぶ程の仲なのだと知る。


「で、どんなひと?」

「どんな人、と言われましても」

「きれい?」

「綺麗と言えば……綺麗なのでしょう。一般的には」


 本人不在で相手を語ることへの懸念がちらちらと伺えた。


「女優なんです。大学の映画サークルの作品で主演をつとめたり、劇団にも所属していたそうなのですが、詳しいお話は聞いていません」

「へえ……女優。どんな感じの」

「僕は映画も演劇も疎いので彼女の評判は分かりませんが……きっと巧いのだと思います」

「でも、俳優で食っている訳ではない」

「そうですね、それに今は活動していないそうです」

「成程ね」


 と、おれは考え込む振りをして、適当な間を空けてから、


「つき合ってんの?」

「は?」


 今度は吹き出すものも無い。疑問符だけ発音したらこうなるであろう腑抜けた返答。


「何を、いきなり」

「親しいんでしょ?」

「親しい、親しいのでしょうけど……」


 他人の動揺を目の当たりにするとどうしてもわらいを堪えきれない。これが醜悪な趣味であることは分かっているが、今となっては治す気も無い。


「昨日も後輩に同じことを尋ねられたんです。それに僕はそういう気は全く無かったので……」

「それ、盗られちゃうんじゃない?」

「盗られる?」

「皆、高橋さんはお前と付き合ってるから手え出せなかったけど、そうじゃないって分かったら人気殺到じゃないかなあ、って」


 見えないながら意地の悪い笑みを浮かべてやる。そして向かいの呑みかけの缶に手を伸ばし――


「空ですけど」

「あれ?」


 予期していた重さには全く足りないアルミ缶は、左右に振るとピチャピチャと安い波音をたてた。


「何故いつもいつもひとの分を呑もうとするのですか」

「貧乏癖が根付いてるのかな?

 あ、もしかしなくてもお前、回し飲みとか嫌いなタイプ?」

「不衛生じゃないですか」

「じゃあ、吊革触るのとか、鍋とか銭湯とか駄目だろ」

「別に、それは、平気です」

「え?」

「潔癖症ではないんです。他人が直接口を付けることに抵抗があるだけです」

「なんか、お前、面倒くさいな」

「そんな事を言われましても」

「まあまあまあまあ、では改めて、もう一杯……」


 などと管を巻く間にドアベルが鳴って、セレスタだろう、と返事をしながら玄関へ向かうおれを、


「ザムザ君!」


 家主は引き留めた。


「何だよ」

「貴方今、普通に出ようとしていましたけど、傍から見たら首の無いジャージ姿ですからね。忘れていたでしょう、透明だって」

「……ああ、うん、忘れてたねえ」


 だっておれにはおれが見えるから。そう言ったら呆れの吐息をつかれた。形勢逆転の気がしてくやしい。


「僕が出ます」

「どうせセレスタだろ? 大袈裟なあ」

「隣人に見られているかも知れないでしょう? いくら家の中とはいえ、貴方はもっと警戒して下さい」


 ピンポン、ピンポン、チャイムが連打される。あーあ、待たせている。悪意はないけど悪態をつく。


「分かったよ、ほら、待たせてんだから、さっさと出てこいよ、下僕」

「その呼び方は止めて頂きたい」


 不承不承彼は戸を開け、予想通りに現れたセレスタを招いた。彼女もかんたんな室内着だった。宣言通りに枕を抱いている。小さなかばんに携帯やノートをつめているらしい。なんとなくさっきまでと違う雰囲気なのは、


「あ、そっか。コンタクトなんだね」


 ジャージ姿のおれを見て、茶色い目でセレスタは頷いた。目配せのあと意味もなく誰からともなくハイタッチした。流れでセレスタは家主にもハイタッチした。更におれと家主もハイタッチした。すべて完璧なタイミングで成功した。このささやかな達成感はアルコールのせいだと思った。


「何だったんですか、今の」


 セレスタは親指立ててスマイルを見せた。自分にもよく分からないよとどこか困って諦めた笑い方だった。まあまあ、と適当に取り繕い、


「明日もお休みなんだし、まだ寝ないよ、な?」


 困って立ち惚けていた家主の肩をたたいた。


「何をしましょうか」

『トランプ?』

「ある?」

「あります。物置に」


 彼は書斎に探しに行き、おれはそれぞれの二本目の缶を出した。セレスタは無炭酸のただの蜜柑水をグラスに注いだ。持ってきたのは何の変哲もない、マジシャンが使うようなトランプだった。かんたんに、ばば抜きをしようということになった。


「不正していませんよね?」


 カードを配るおれに念押ししているらしい。


「不正するように見える?」

「僕の目に見えても見えなくても、貴方は不正しかねない質だと思ったので」

「まあ、でもそういうのって、袖や手にカードを隠すのが基本だから、逆に、今は出来ないよ」

『すける』

「そうそう。……と、順番どうする?」

『じゃんけん?』

「じゃあ、口頭で」


 二人はグーを出し、パーと言ったおれの勝ちで、帆来くんの方を引いた。帆来くんはセレスタを引いた。セレスタがおれを引いた。三人しかいないからカードの回りが早く、すぐにセレスタが抜けてしまった。そうしておれと彼でジョーカーの奪い合いになり、何周もの間サドンデスが続いた。


「二分の一の確率に負けていますね、僕達」


 互いに何度も二択を誤り続けた。相手の顔色やカードの並べ方のクセを読んだり、手札を覗いて笑っているセレスタを観察すれば正答は導かれる筈なのだが、この場にはそれほどトランプに真摯に取り組む者はいない。何よりもアルコールが進んでいた。


「ニケに嫌われてるんだよ」


 と心にもない台詞で返答しながらカードを引くと、やっぱりジョーカーの絵札で、尖った帽子のモノクロ道化師がにやついている。どうせ二分の一なのだから、札を伏せて、自分でもどちらか分からないようにシャッフルした。


「永久に続くような気もしてきました」


 彼は右のカードを取り、自分の一枚と見比べ、やはり札を伏せてカードを切る。


「このまま朝になっちゃったりして」


 引いたカードはやはりジョーカーで、また、分からないように混ぜる。セレスタは身を乗り出してジョーカーのラリーを眺めていた。

「どっちだと思う?」と尋ねてみる。

『ジョーカー?』

「うん」

 小首を傾げながらセレスタはおれから見て左を指した。なんとなくですよと言いたげな顔。家主も、どちらにせよ二分の一の確率なのだが、セレスタがジョーカーでないと言った方を、絵を伏せたまま手元に引いた。


「せえの、で見ようよ」


 その瞬間に決まるのだから。掛け声と一緒にカードをめくる。

 セレスタの予言は的中し、家主がクラブとダイヤの四を揃えて終わった。

 互いに気の抜けた声をもらした。負けたことより終わったことの方が重要だった。


「セレスタの勝ちだね」


 彼女はまたあいまいに笑った。


 そうしてばば抜き二セット大貧民二セットを終えたが、ばば抜きは再びサドンデスにもつれこみ、大貧民はそもそも大貧民か大富豪か話が折り合わず、ローカルルールの調停にも手間取った(『イレブンバック』「何それ」)。

 次第に遊びが尽きて缶も開け尽くして、飽きてソファによりかかって、身を預けて、結局今夜も何も変わらない。何もしない。並んで座っていた。

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