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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.3 she/see/sea
33/76

ブラックジョーク

 サンマがきれいに焼けた。セレスタは大根を摺り卸してくれた。昨日オムライスだったことを考慮してだし巻き玉子は止め、玉子とじのスープに替えた。


「帆来くんを、起こしてきて」


 セレスタに頼むと遠慮がちな目で


『じゃまじゃ、ないかな』

「起こして欲しいって言ってたし、あいつ寝起きいいし、もう起きてるかも知れないね。でも、目覚めの透明人間より、美少女の方がスッキリするじゃん?」


 冗談にセレスタは笑い、家主の部屋へ入っていった。お茶を淹れ少しした頃にセレスタは帆来くんを引き連れ戻ってきた。セレスタは含み笑いを浮かべながら。


「おはよう、帆来くん」


 呼びかける。


「おはようございます」


 返事がある。彼の瞼はまた少し腫れている。覚醒しきっていない面持ちでダイニングの椅子に腰を下ろした。


「食欲あるの? 食べられるか?」

「大丈夫です」

「体調は?」

「落ち着きました」


 目線はしっかりサンマを見据えている。


「セレスタが、大根おろしを作ってくれたよ」

「そうなんですか」


 彼の目はちらとセレスタを見た。セレスタは照れたようだった。


「魚、好きなの?」

「好きです。魚」


 そうか。

 少なめに装った飯、玉子とじのスープ、大根おろしを添えたサンマが一尾。手を合わせ、いただきますを言う。

 彼はサンマに箸をつけた。腹を開き、背骨を剥がし、骨と皮を避けながら黙々と可食部だけを口に運んだ。器用である。しかしそれ以上に丁寧だった。そうやってじれったい程にゆっくりと食すから、彼が汁物や白飯を食べ終えてもなお皿にサンマが残っていた。小骨を除き、身をほぐし、おろしを乗せ、口にする。自宅での食事にしてはひどく真面目に、淡々と、集中し、真剣に。

 飽きてしまう映像だった。おれ達はそこまで丁寧に食べることは出来ず、とっくに食べ終えて食器も流しに片付けていた。セレスタはソファに座り自分の携帯画面を見ていた。おれは飽きる方を選んだ。目の前で彼の挙動のすべてを窃視していた。その光景は味わっているというよりも、一口も残さず食べ尽くそうとする執拗な意志が見え、これは食事というよりこの男なりの儀式なのではないかとまで考えた。血合い肉も骨の周囲も食べられる所は全て食べ、大根おろしも無くなった。皿の隅に寄せられた骨と、全てをついばまれたサンマ。やっと彼は箸を置き、ごちそうさまと手を合わせた。彼は皿を持って流しに立った。茶碗を水に浸したのち、箸でサンマの頭と背骨を三角コーナーへ捨てた。それから小骨と皮を寄せて同じように袋へ放った。そして箸と皿を水につけた。これで儀式を完遂したらしい。ごちそうさまでしたと声が聞こえた。


 お茶を飲もう、と、緑茶を淹れた。セレスタをテーブルに呼び戻した。


「どう、体調は」

「悪くありません。今は良くなりました。魚もおいしかったですし」

「魚、好きなんだって」

「はい。食べるのも見るのも好きです」

「釣りは?」


 確か書斎に釣竿もあった筈だが。


「幼い頃にはよく連れていって貰ったのですが、今は、めっきり」

「魚、好きだけど食べるの?」

「それとこれとは分けて考えています」

「飼いはしないんだ、金魚とか」

「責任を負える気がしないので飼いません」


 成程。

 帆来くんの好みを聞くことは少ないからなかなか楽しい。素面で多弁な事も珍しい。先程塞ぎ込んでいたときの反動を考えればより。


「魚というより、水生生物が好きなんです。だから、貝や微生物や鯨も好きです。今思えば、無脊椎動物の方が好きなのかも知れません」


 セレスタをちらと見て、


「昨日、クラゲが好きというお話をしました」

「クラゲ?」

「佇まいがとても好きです。やわらかで不定形で、透明であるところとか、ただ存在として浮游するだけの生態が。

 僕はクラゲが好きで、……」


 唐突に彼は口籠もった。おれは嘔吐を心配したが、そうではなく、


「洗い物をしますね」


 と、どこか逃げるようにして、顔も上げずに台所に立った。おれはセレスタを見た。セレスタのノートとペンを借り、筆談を試みた。


『昨日 何かあった?』


 セレスタは少し考え込んだ。蛇口の音にかき消され、筆談の必要は無さそうだった。


『夜 魚とかくらげとか海 好きって、色んなことおはなししてもらいました』

『くらげの本を見せてくれて 今度いっしょに水族館いくって約束』

『手つないでいっしょにねました』

『いっしょに海いこうって約束 さそってくれました』


 言葉に詰まり筆を置いた。唇をかすかに震わせたが何を言おうとしたのか分からなかった。やっと顔を上げ、訴えることには、


『びょうき?』


「おれには、分からないよ」


 意地悪をする気はないから頭をなでてごまかした。やがて水流が止まり静かになった。彼が会話に勘付いているかは知らない。ただ、セレスタに目を向けない。


「浴室も洗ってきます」

「……いいよ、おれがやる」

「いいんです、洗い物、好きなので」


 固執しているのだろうか。「あっそ」とおれは適当に片付けた。


「僕は入浴したいので沸かしますけど……」

「好きにしろよ」


 黙っていたセレスタが、ふと口を開いた。帆来くんには分からなかった。


『わたし、かえる』


 そう言って立ち上がった。


「帰るの?」


 おれの声を聞き帆来くんも彼女を見た。セレスタも彼を見た。彼女は首を振った。苦笑混じりの笑顔を浮かべて、家主に対し語ったが、相手は読唇を心得ていない。


『おふろはいれないのでかえります。めいわくかけてすみません。わたし、じゃまですよね。ごめんなさい。ありがとうございます。おやすみなさい……』


「……セレスタさん?」


 伝わらず、呆気にとられる反応を分かっていながら、セレスタは荷物をまとめて玄関へ立とうとした。

 その手を、驚かれるとは分かっていたが、とっさに掴んで引き留めた。セレスタ、と名を呼んでいた。少女の手はおれの予想よりもずっと細く、だから少し痛かったかも知れない。おれは自分の手元が見えるけれども彼女は何をされているのか分かっていない。戸惑いおびえた目で見つめられるとさすがに良心が痛む気がした。――良心? プライドの間違いではないか。


「……別にいいよ、気遣わなくて。いいんだよ。こいつ、気付いてないから。遠慮なんていいんだよ。食事と召使い付きの別荘だと思って好きにしてやればいいんだ。ここでは楽しくていいんだから、こき使ってやろうよ。な?」


 ここは笑顔で抱擁するシーンなのに、伝えられなくてもどかしい。言葉にすることしか出来ない。手を離し、髪をなでた。セレスタは俯いていた。大きな青い目がこぼれ落ちそうだった。沈黙ののち顔をあげ、そこには新しい笑顔をつくり、明るい早口で、


『でもやっぱりおふろはわるいのでうちでシャワーあびます。コンタクトとかクレンジングとかあるし。ぜんぶおわったらまたこっちにかえってきます。じぶんのまくらもってきます。そしたらいっしょによふかししましょう』


 安心した。


「ごめんね。おれも気遣えなくて」


 セレスタはかまわないよと笑い、そしておどけた敬礼を見せ、今度こそあっという間に去っていった。把握していないのは家主のみである。何か言いかけては狼狽している。残念な奴。それでも紳士かよ。


「お前、彼女いないだろ」

「え……?」


 やはり呑み込めていないらしい。肩をすくめることは出来ないから代わりに大げさに呆れてみせる。


「セレスタはコンタクトのお手入れしたり化粧おとしたり諸々忙しいから帰るの。またこっち来て、こっちで寝るって。女の子なの。乙女は大変なの!」


 しかし何故おれが乙女を代弁しているのか。疑問は後回しにして続ける。


「でもあいつにとってお前がプレッシャーになってる。あの子は、ちゃんと頭がいいから、お前に遠慮しちゃってるの。お前の家に行ってご飯食べてくつろぐことにちょっと罪悪感があるんだよ。お前もお前で、今、セレスタに遠慮してただろ。

 昨日は仲良しだったんだろ? なら、今日も明日も仲良くなれよ」

「……でも」

「なに」


 家主は口ごもった。逆説だが、これでようやく対話が出来る。


「でも、昨日と今日は違うんです。昨日上手くいったとしても今日は勝手が違うんです。日付は連続しないんです。今日は、明日に繋がらないんです。上手くいかないんです。僕も、セレスタも、きっと違うんです」

「知ってるよ、そんな事」


 言うと、男はほんの一瞬だけ、驚きに目を見開いた。


「でも」

「知ってるっつうの。夜とか朝とか日付とかあんなもん当てになんねえよ。毎日毎日どこかでリセットされてんだろ。だから歩み寄るんだよ。昨日みたいに。改めて。何度でもさあ。今日また一から仲良くなればいいだろ」


 家主は黙り込みまた考えた。


「そう思いますか」

「ああ」

「昨日と今日が一緒じゃないって」

「思うよ、すごく」


 彼は床を見つめていた。


「僕だけだと思っていたんです。昨日と今日は本当は連続していないのに、そういう感想を口にすると、変な風に扱われるんです」

「皆本当は気付いてるんだよ。でも毎日が違うって認めたら生活が成立しないだろう。気付いていない振りをして、同じってことに決めてるんだ。不文律だよ。暗黙の了解ってだけ」


 感傷気味に俯いていた男は、ふう、と溜息を一つもらした。


「僕だけじゃ、ないんですね」


 この男はそんなことを気に病んでいたのか。


「そうだよ。特別でも異常でも何でもない。意識してもしなくても普通に生きていけることだし、お前が悩まなくても変わらない。

 ……分かったら早く風呂洗ってこい。この、下僕」

「……下僕?」


 言うや否や、男はキッと顔を上げ、心外だという目つきで見えない筈のおれを睨む。喜ばしいが、どうでもいい。おれは傍若無人の台詞を吐きながら見えない笑みで微笑み返す。台詞と表情と心情は必ずしも一致しない。


「そうだよ下僕。おれは自由に棲み着くって言ったんだからな。これは契約だぜ、忘れたとは言わせねえよ。分かったらさっさと働け下僕。風呂上がったら洗いざらい聞かせてもらうからな、下僕」


 家主は最後まで話を聞かなかった。何も言わず浴室へ向かい、バタン、と扉を荒々しく閉めた。人並みの自尊心を居候ごときに傷つけられれば人並みに羞恥心に憤るだろう。

 おれは、鼻で笑う。ソファに深くかけ、足を組み、浴室から聞こえる怒りのシャワー音に耳を傾ける。自然と口元がゆるんでいく。

 まったく。喜劇俳優も楽じゃない。

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