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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.3 she/see/sea
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ブラックワーム

 家に着くと帆来くんは「仮眠を取りたい」と言った。顔色はまだ蒼く見えたから「それが良い」と返した。


「夕飯時になったら起こそうか」

「ありがとうございます」

「食べられるか? 魚も焼いていい?」

「お願いします。あと、大根おろし……」

「分かってるよ。……お休み」

「……失礼します」


 そう言って家主は自室に閉じこもり、リビングにおれとセレスタが残された。

 食料品を冷蔵庫に移し替えていると、卵が幾つか割れていることに気が付いた。橋の下で吐いた時に袋をどこかにぶつけたのだろう。病人を責めても仕方がないから黙っておくことにした。

 セレスタはソファに座り俯いていた。ただ静かに座っているのが、患者の手術終了を待つ面会人のたたずまいに見えた。病院のヴィジョンが頭から離れない。


「大丈夫だよ」


 隣に座るとセレスタはおれに身を寄せた。


「ちょっと体調が悪いだけだよ。少し休めば落ち着くだろ」


 彼女は言葉に詰まって黙りこくった。でも、橋の上の件は知りたいと願っている筈。


「さっき、行きに会った人、帆来くんの古い友達らしい。公園の交番の巡査なんだって」


 目の前で見たことを最小限に伝えるに留めた。おれも事態を把握していないし、おれが見たものはいわば盗撮映像であり、この不正な身体で目撃した以上黙秘義務があると思っている。

 セレスタは何も言わなかった。


「持病があるみたいだけど、話を聞いていて、どういう病気かは分からなかった」


 不安げにスカートの裾を握りしめ目を伏せていた。目の前で人が嘔吐したら、誰だって彼の健康を案じる。腫れ物に触るような態度も取る。


「でも、本人に訊かなきゃ分からないね。今すぐ命に関わるような、深刻な状態ではなさそうだけど。

 一時的に気分が悪いんだろう。すぐに良くなるよ、きっと」


 一見は信憑性のある台詞だが、実の所、真実は本人しか知らないし、おれよりも巡査の方がこの件の理解は深いだろう。

 少なくとも過去に彼の体調を巡るいざこざがあり、巡査と、高橋という人物がその中心人物で、高田氏と帆来くんは長く決裂しているらしい。

 風邪でもなしにここまで不調を訴えるのはおれとセレスタが知る限りこれが初めてだった。慢性の病ではなく発作的なものではないかと思われる。医師にも説明つかないという。その時、患者と医者のどちらが病を理解しているのか。

 消化物も胃液も無い、純粋な水だけの嘔吐症状が存在するのか。


 セレスタは落ち着いたようだった。ソファを立ち、棚から紅茶を取り出した。


「おれの分も注いでくれる?」


 呼びかけるとこっちを向いてちょっと笑った。ケトルに水を汲んで沸騰を待った。


「ああ、そうだ、魚焼くときに、大根おろしを手伝ってくれないかな。あとフライパンの試しにだし巻き玉子でも作ってみない?」


 セレスタは全てに頷いた。


「じゃあ、お茶飲んだらご飯つくろう」


 他愛なく喋り他愛なく笑った。何でもない夕方の光景。

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