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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.3 she/see/sea
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ブラックボックス

 結局セレスタは繁華街まで辿り着いてしまっていて、花壇に座ってクレープを食べている所を発見した。さすが休日のC駅近辺は人出が多く、おれは身をかわすことに油断がならない。特に走り回る幼児などは行動が読めないから気を遣う。セレスタに近付き、隣に座り、帆来くんは傍に立っていた。セレスタは『いる?』と食べかけのクレープを帆来くんへ差し出した。彼は「いいえ」と物静かに否定した。


「じゃあ、一口貰っていい?」


 耳打ちするとセレスタはひそかに頷いた。ごく自然な風にクレープをおれの方に傾けた。丁度、前に立つ帆来くんが目隠しになり、道行く人からは目立たない。身を乗り出して少々無理な体勢で一口頂いた。定番のチョコバナナクレープだった。「ありがと」と礼を囁いた。

 座りなよ、とセレスタはおれの反対側に帆来くんを座らせた。彼は何も言わなかった。未だ考え込んでいると見える。いつにも増して沈んでいる。あの場を離れたセレスタもそれは感づいているようで、誰も、何も語らなかった。そんな中ふと思い立ったように「急がなくてもいいですよ」と帆来くんはセレスタに呟いた。道行く家族連れ、男女、学生達、それら幸福そうな人々を眺めながら、セレスタが食べ終わるのを待っていた。口の中にホイップクリームの白い甘みが残っている。クレープなんて久しく食べていなかったと気付く。娯楽を味わうことが無かった。


 本当は色々見て回りたかったが、家主が意気消沈の為、菜箸とフライパンと食料品だけを買って早く帰ることに決めた。服などはまた次回皆でゆっくり回ろうと思う。食べ終えたクレープの包みを折り畳むと、セレスタは家主の手を取り立ち上がり、励ますように笑みを見せた。家主はまるで表情無く、されるがままに立ち上がった。「行こう」と囁くとかすかに頷いた。『どこ?』とセレスタ。当初の目的だったデパートに入り、五階の家具雑貨店で台所用品を品定めした。フライパンや箸のほかにも、大概の食器と大概の家具、ベッドやソファやテーブルや鏡台が並んでいた。


「なんでもあるんだね」


 と、店内を見渡しているセレスタに囁いた。


『すめそう』

「ああ、確かに。……いけるな」


 そういえばウェルズの原作『透明人間』にもデパートに潜伏するシーンがあった。人の目を掻い潜れば衣食住には困らないだろう。公園よりもよっぽど良かったのかも知れない。

 冗談を囁く傍らで家主は相変わらず上の空といった風で、棚を見定めている振りをして実は心ここに在らずらしい。彼がぼんやりしている間にセレスタとフライパンを選んでしまった。菜箸は百均で買うことにした。セレスタは手にしたフライパンで帆来くんをつついて会計へ向かわせた。彼が荷物持ちにしてお財布にして最高責任者なのだから、しっかりして貰わなくてはならない。

 フライパンの柄がはみ出た袋を提げた家主を引っ張り、同階の百均で二本で105円の菜箸を買い、隣の棚にあった砥石も買った。その頃には彼も大分落ち着きを取り戻したらしいが、如何せん表情に乏しい為判別しがたいし、日頃から上の空な気もあるから確証は持てない。

 エスカレーター前の休憩ベンチに並んで座った。セレスタが携帯画面に


『どこか行きたいとこ ある?』


 と打ち込んだ。帆来くんは(かぶり)を振り、おれは無言で否定を表した。すると彼女はエスカレーターの上階を指さした。そこはワンフロアを占めた書店だったが、


「今日はいいです」


 家主は呟いた。


「寄りたい?」


 そっとセレスタに囁くと彼女もまた頭を振った。


「じゃあ、食料品買って、早く帰ろうか」


 そう言っておれはベンチを立つ。それは二人には見えなかった筈だが、


「貴方は、いいんですか」


 まさしく、引き留めるにふさわしいタイミングで、帆来くんは目を伏せ独白のように呟いた。


「おれに言ってんの?」


 答えは無かった。


「別に、おれは、用事なんて無いし、カフェで一服なんていかないから、君達に合わせようと思うけど。ていうか、おれは荷物持ちも出来ないだろ」


 だからおれのことは気遣わなくていいし、おれはお前の方が心配なんだ、とまでは発言しなかった。話し相手はフライパンと箸の袋を手に提げベンチを立ち、


「行きましょうか」


 とセレスタを誘導し、エスカレーターを下った。


 食料品はデパートの向かいの総合店で買う。自分でカゴを持つことや商品を手に取ることが出来ないから、いつも耳打ちで指示を出すか彼らの判断に任せている。何がいいかと尋ねると「何でも」と返される。それが一番困るというのに。

 適当に主菜を探して歩き回っていると、鮮魚売場で帆来くんは足を止めた。目線の先には、サンマがあった。言葉の代わりに脇を小突くと、彼は三尾を袋に詰めた。そしてぼそりと、「大根おろし」と呟いた。


「魚、好きなの?」


 彼はわずかに頷いて、野菜売場の方へ向かった。セレスタはキョロキョロとおれを捜し、おれは彼女に触れてそれに応じた。彼女は、口パクで一言、


『さかながすき』

「セレスタが?」


 そっと尋ねる。セレスタは小さくNOを示し、家主の方へ駆けて行った。昨晩おれが不在の間に彼らはちょっと仲良くなったらしい。

 セレスタは三つ入りのプリンをカゴに入れた。他にもパンとか卵だとかをいくつか買った。重くなった食料品の袋を帆来くんが持ち、フライパンをセレスタが持った。本当はおれが代わって持ちたかった。ここでは出来ない。目立つ訳にはいかない。来たときと同じように、駅前はまだ人出で賑わっていた。


 意識したことは少ないのだが、この近辺は丘陵地帯で高台が連なって一つの街になっており、巨大な橋が地上をシームレスに繋いでいる。マンションからC駅までは橋を二回渡り一回くぐり、一、二回また渡る。旧地区はというと、川沿いの平地の為平坦な街並みで、ビルとビルを渡す橋ぐらいしか無い。C駅街の通りや橋は全てレンガで統一され、突き当たりには屋内テーマパークがあり、お土産の大きな袋を抱えた家族連れと何度もすれ違った。彼らはレンガの道を通り駅へ向かうが、おれ達は駅を離れうちへ帰る。テーマパークの脇の橋をくぐる。橋の下でレンガは終わり、アスファルトの車道と歩道で、交差点まで下り坂になっている。この道はもう地元民しか通らない。人通りが減り、少し息苦しさが薄らいで、やすらかな気分になった気がした。


 そういう、ある種の油断だったのかもしれない。


 ガサ、

 ビニール袋が擦れる音がした。家主は買い物袋を手にしたまま、レンガの橋脚に手をつきもたれ、もう一方の手で口を塞いでいた。幾度か、堪えるように咳き込んで、彼は道路に背を向けた。声を掛ける間もなかった。荒い呼吸を衝き、沈黙ののち、微かなむせび声が聴こえ。

 彼は、橋の下に吐き出した。

 吐瀉物でも喀血でもなかった。唾液よりも粘性のない、透明な液体。どうやら、水のようだった。吐き出した水はサラサラと勾配に沿って道を流れた。

 日陰になった橋の下でも明瞭に分かる程、彼は蒼白な顔をして、口から滴る水をぬぐった。涙が一滴、頬を伝った。


「大丈夫か」


 彼は、自らの吐いた水を凝視したまま、


「見苦しい」


 と忌々しげに息衝いた。

 セレスタがそっとティッシュを差し出した。彼は一枚抜き取って口元を拭いた。


「……ありがとうございます」


 彼女は携帯画面を見せた。おれにその文字は見えなかったが、恐らくは体調を気遣う言葉が書かれていて、


「一応は……大丈夫です」


 しかし、どう聴いても、頼りない病人の発言だった。


「無理してたのか」

「……いいえ」

「バスを待とうか」

「平気です」

「荷物、持てるか」

「持てます」


 何を言っても譲る気はないらしい。


「……歩けるのか?」


 彼は襟に手を掛けて喉元を広げていたが、ボタンやネクタイを弛めることはしなかった。


「……ごめんなさい」


 水たまりを見つめ呟いた、彼の呼吸はまだ少し乱れていた。


「謝るくらいなら、はじめから無理するな」

「帰ったら、休みます」

「途中で、辛くなったら、言えよ」


 控えめながら彼は確かに頷いた。

 セレスタは彼の背に触れようとしたが、手を止め、水たまりに目を伏せた。

 吐いた水の脇を通り帰路を歩いた。水は下り坂を伝っておれたちと同じ方に流れた。互いに一言も口にしなかった。ただ、巡査の放った「病院」の二字を、おれは否が応でも反芻していた。

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