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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.3 she/see/sea
29/76

ブラックチェンバー

 事象は風のように前触れも痕跡も無く突発し終息する。しかしその認知は人によりけりで、一切が始まらない者も居れば、一切が片付かない者も居る。始まったと思っていたら終わっていたこと、終えていたつもりが始まりだったこと、いくつもある。齟齬。

 これは、そのような齟齬を来したひとびとの物語である。

 嘘。

 これは物語ではない。


  * * *


 朝のうちはじんわり濡れていたアスファルトももう乾き始めていて、日陰に水たまりが残り落葉の吹寄せになっていた。住宅地の遊歩道、前を歩く者のうち、ひとりは休日も学生服の女の子で、もうひとりは休日もブラックスーツの男。けったいな組み合わせだなあとそれを眺めている自分。C駅迄は徒歩だった。バスも出ているが路線が妙に遠回りで時間が掛かり、かつ透明人間はバス車内の立ち回りに苦労する。

 外へ出たおれ達は喋らない。セレスタは立ち止まらなければ発語しづらいし、おれは目立つ訳にはいかないし、家主も喋る必要がなければずっと黙っている。沈黙のまま歩く。時折セレスタは帆来くんを見たり、恐らくはおれを捜してキョロキョロと辺りを見回した。心配しなくてもちゃんと居るよ、と、伝えられずにそのままだった。彼らにはこの道がいつもの通学路だという。おれが居ても居なくてもこんな感じに殆ど無言に違いない。おれは、居ても居なくても変わらないような存在だが。

 感傷にひたりはじめていたせいでぼんやりとし、結果、前を歩いていた二人にぶつかりそうになる。帆来が立ち止まったのだ。何やってんだと発語しそうになり、口をつぐんだ。丁度橋を渡る所だった。下を広い車道が走るひらけた道路橋の上、向こうから来る若い男の姿があった。

 橋の中央、二人の男は、対峙するにふさわしい距離で立ち止まった。

 不測の事態。ひそやかな吃驚。

 セレスタも立ち止まり、男と帆来を交互に見た。

 場が硬直する。さて、唐突に何かしらの出来事が始まったらしい。誰も動けない。動こうとしない。当事者の男二人はともかくとして、セレスタは解放されていいだろう。雲行きの怪しさに圧され不安げに立ちすくんでいる少女にそっと忍び寄り、驚かせぬよう名を囁きながら両肩に手を添えた。かすかに目線が揺れたことを確認し、

 先に行ってろ

 と耳打ちした。当然、困惑の表情を浮かべたが、背中を押すとセレスタは一度振り向いて、すぐ足早に去っていった。おれは、追わない。二人の男を改めて見た。その頃にはもう相手の人物は第一声を発していた。きっとセレスタにも聴こえた。


「ひさしぶり、帆来くん」


 その声と顔立ちにようやく気付いたのだが、私服だから分からなかったのだが、彼は公園を訪れたあの若い巡査だった。彼は口角の上がった顔立ちの為、常に微笑しているように見え、若さも相俟ってけして印象は悪くない。


「……お久し振りです。高田君」


 対する帆来は愛想とは全く無縁の無表情で、友人関係にしてはあまりにも機械的な仕草で返した。


「本当にひさしぶりだね。もうかれこれ二、三年は、全く音沙汰無かったんじゃないか」

「そうでした」

「まだここに住んでいるとは思わなかったよ」

「ええ、僕もです」

「俺は××の派出所だから、ここを離れられないんだよ」

「そう、なんですか」


 両者のおおよそ中央に立ち、声音や表情を見比べた。おれが帆来の知人に出会うのはこれが初めてであり、しかも“偶然にも”おれは相手を知っていた。ということは相手、高田氏も公園の怪異としておれというものを知っている筈。成程この場には知り合いしか居ない。

 おれの思考に構わず高田巡査の台詞は続く。


「普通に、生きているんだね」


 帆来は声にも出さずかすかに頷いた。その反応に確信を覚えたらしく、更に彼は台詞を放つ。


「良かったよ。誰にも迷惑かけてないみたいで。ずうっと君のことを見なかったから、てっきりとうとう入院したかと思っていたけど?」

「……そうですね」

「通院はしているの? 薬は?」

「今は……ありません」


 巡査は、口角に笑みを浮かべたまま眉をひそめ、


「治ったの?」

「……いいえ」


 帆来はいつもの伏目で答えた。


「駄目じゃないか、それじゃあ、いつ、人に迷惑かけるか分からないだろ。もし普通に生きるのなら、君には努力義務があるはずだけど」

「守っています。ちゃんとしっかり生きられるように……」

「また病院に行けばいいじゃないか。治るまで。どうしてそうしないんだ?」

「……行きました、けど」

「けど?」

「……話が噛み合わないんです。僕が考えていたものとは全く違う病名で処方されて……薬ばかり溜まっていって……思った通りの話が出来ないし、行っても無駄なんじゃないかって……」

「それこそ患者の妄想なんだよ。ひとりの患者とひとりの医師の、どちらが正しく症状を知り、治療の方法を理解しているか、それぐらい分かるだろ?」

「でも、医師には説明がつかないことなのです。内科と精神科をたらい回しにされて……」

「高橋にまで迷惑かけるのか?」


 高橋という名が放たれた瞬間、帆来は、今までに見たことの無い、引き攣った表情で高田巡査を見た。恐れが伺えた。巡査は「高橋」という名の作用を熟知して発語したと見える。


「高橋が帰ってきたらまた甘えるの? またあいつの善意に漬け込んで、生かして貰うつもりなんだろ?」


 肯定も否定もせず、彼は俯いていた。顔色を伺い知ることは出来なかった。

 対する巡査もサディスティックに微笑むでもなく、苦々しい怒りを見せるでもなく、これでいて平常心を保っているらしい。まるで、何年もこのシーンの練習を積み重ねてきたかのように。

 反応無しという反応を確認して巡査は言う。


「まあ、高橋が帰って来たら、また二人水入らずで暮らせばいいよ。高橋もお前のことが好きなんだろ? 親同士も親友なんて全く恵まれた環境だと思うよ。技師は技師で仲良くやってればいいじゃないか。

 でも今日会えたことには驚いたな。連絡がなくなってから、入院してるか、もう死んでるかって思ってたから」


 そこで、帆来ははじめて、絞り出すように声を発した。


「……死ぬにも、お金が掛かりますので」

「そうだね、正論だ。おまけに余計な迷惑も掛かる」


 俯いた帆来はサイレントで何か発語したがおれには聞こえないし見えなかった。

 すたすたと巡査は帆来に歩み寄り(動線に立っていたおれは一歩退いて道を空けた)親しげに肩に手を乗せた。


「でも良かったよ。君はずっとここに居るんだろう? なら、俺はずっと、君を見届けることが出来る。君が治ろうが、塔子と結婚しようが、発狂しようが、自殺しようが、俺は最後まで見届けたいんだ。だから、また何かあったら連絡しろよ。

 俺は、君達を最後まで見届けるからね」


 手を離し後方へ歩み去る高田氏を帆来くんは振り返り見た。


「あ、そうだ」


 巡査も立ち止まり振り返った。また対峙する距離が保たれた。


「そういえばさ。最近、うちの派出所の傍の××公園に、怪奇現象と言うのかな。悪霊とか言われている奇妙な事件が起きてるんだけど……。君もけっこう近所だよね。まさか、さすがに君のせいだとは思ってないけど、何かそれに関する情報があったら教えてほしいな。公務って訳じゃないけど、一応、町の安全を守るために」


 帆来は静かに首を振った。


「そうか。なら良いんだ。じゃあ、また何かあったら連絡するように」


 そう言うと巡査は今度こそ振り返らずに去っていった。帆来くんは暫く巡査の背中を見つめ動かなかった。下の道の車通りはあるものの、橋を人が渡る気配は無い。おれはやっと沈黙を破る。勿論、とてもささやかに。


「……モテモテだな、全く。困っちゃうよ」


 帆来は隣に立つおれを気にも留めず、目を伏せることもなかった。ただ、巡査の去った向こう岸から目を離さず、


「……彼のせいではありませんよ」

「分かっているよ、そんな事」


 巡査が触れたのと同じように肩に手を置いた。帆来は答えない。


「誰も悪くないよ」

「貴方も……何も悪くない」


 その目線が何を見ているのか、おれには何も見えなかった。消失点を見つめ口を開きかけたのを、おれは「言うな」と制した。


「でも」

「いいから。つもる話はあとにしよう。今は、セレスタが待ってるよ」


 やっとそこから目を逸らし、彼はかすかに頷いた。言葉を選びながら、とつとつと、


「僕が思っていたことを、あまり、上手く伝えられなかったのが、かなしいんです」

「……そっか」


 向きを変え、彼は一歩、歩き始めた。おれはすぐ隣を歩く。存在が分かるように背中に触れる。


「練習をするといい。何度でもリハーサルを積んでおけ」

「……映画撮影みたいですね」

「フィクションは、みんなそうだ」


 そうして互いに口を閉ざした。それぞれ自らの思考の中に潜った。橋を渡り坂を下り交差点を渡る。


 誰のせいでもない。

 おれはそう言ったけれど、それは慰めの為についた嘘で、どう考えても帆来くんのせいだろうし、どう見ても巡査のせいだろう。つまるところ、全部、これを傍聴したおれのせいだ。

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