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これは物語ではない  作者: 山川 夜高
act.3 she/see/sea
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世紀末末

 という文面をcelestaに送った。僕が高田氏と出会って少し後のことだ。その件でむしゃくしゃしていた僕は、どういう話の流れだったのか、いいこととか悪いことが話題になった時、突発的にこの長文を送信したのである。というよりも下書き保存と送信を押し間違えた。こんな出来の悪い僕の空想にもcelestaは返信をくれた。それどころか、共感の一文まで添えられていた。面と向かって他人に言えるような内容じゃないのに、知らない相手には簡単に吐けるのだから、今更だが“他人”という関係はすごいと思う。

 僕はあなたの顔も名前も声も知らない。あなたも僕のことをどこかの高校生男子としか分からないはず。でも、ひょんなことから(「ひょん」って、何だ?)僕はあなたのことを少し多く知ってしまって、だからあなたを心配している。僕は実は、きっと困難にいるであろうあなたを元気付けたかった。あなたに幸福が起こりますように、起こりましたようにって、僕はひそかに祈っている。だからメールを送りました。


 なんて、言える訳がない。


 けれども……お世辞だろうと、共感されるのはとても嬉しい経験で、読み返す度にcelestaの一文がじんわりと胸に溶けるようにあたたかい。もらったメールは保護にした。それ以前にcelesta用の鍵付きフォルダがある。


 あなたの幸運を願っている僕にも、たった今、いいことの真っ最中。


 僕は某古本屋のCD棚の前にいる。一枚三〇〇円と値札がついている。僕が握りしめるそのアルバムはたしかに中古商品だが、少しジャケットに傷があるだけであとは何の不具合もなく、見ると歌詞カードもちゃんと入っている。もちろんディスクも入っている。裏面にめちゃくちゃに細かい字でひっそりと曲名リスト。そして一番最後に、僕の愛してやまない、その名が、


 Drive to Pluto


 ……僕の手は歓喜に震えている。物理的にガクガクいっている。膝が笑って仕方がない。顔も笑ってしまっている。ゆるんだ口から、まさに喜々と奇声を発しようとしていたその時


「ホズミん、あんた今不審者」


 丁度よく荻原の制止が入る。

 僕はパクパクと空呼吸するばかりで発声ができない。声が、どもる。目頭もちょっと熱い。

 絶望のなか一縷の妄想的希望を胸に、しらみ潰しに探した棚に、たった一枚だけ残っていた、このアルバム。


「デイドリーム! デイドリーム!!」


 ジャケットのひびを震える指でなぞりながら、そのタイトルをはじめて口に出す。


「ドライブ・トゥ・プルートの?」

「そう! ……セカンドアルバム! オレのDriveが! Day Dreamが! こんなクソ全国チェーン店にうもれていたなんて!!」

 はははは、物の価値を知らないアホ店員め。プレミア品を売っちまったあほ持ち主め。節穴のアホ客どもめ。これはもうオレの手中だからな。


「とりあえず会計済ませたら?」


と、荻原の冷水コメントに従い、どうしようもないシタリ顔のまま三〇〇円を支払う。はははは、安い。当時の価格二五〇〇円を考えると、ボロクソもボロクソに安い。

 店内の休憩ベンチで戦利品を物色する。すぐそばの自販機で荻原はチョコミントアイスを買った。荻原は、結局このアイス以外になにも買わなかった。特にめぼしいものがなかったと言う。

 それぞれ別の方向を向いていたが、やがて荻原が口を開いた。


「課題図書『変身』あったじゃん?」

「……ああ」


 あれは、はからずしも僕を非常事態に陥れた思い出の本だった。だから僕は辛くて彼女にメールして、そして今ジンクス通りに幸運が訪れている。

 結局荻原には本を貸せなかったのに、課題はしっかり提出していたのだ。


「あれ、著作権切れの本だから、ネットに全文載ってるんだよね」

「え、マジで」


 新品で買った僕っていったい。それが崖の上の件のそもそもの原因だ。……でもあの朝日はほんとうにきれいだった。それが嬉しくて、でも本を落としたからcelestaの話を聞くことになって、DriveのCDを買って、次にこの告白。ジンクス通りすぎて笑うしかない。


「というかネットとかそういう前に、ミナトさんも翻訳してたから、ミナトさん家行けばあったんじゃない?」

「……マジかよ」


 そういえば翻訳家だったことを思い出す。記憶の中のあの人はまるで仙人だった。


「……ミナトさん、元気?」


 荻原はあきれた横目で僕を見ながらアイスをほおばる。


「八月一日が全然来ないって、毎回毎回あたしに愚痴るんだから、本当だよどうせアイツ暇してるのにってあたしも愚痴るの」

「いや……オレ、一応バイトしてるけど」

 しかし耳が痛い。

「まあ、買い物の手伝いだからね。ホズミごとき居なくてもどうにでもなるっていうか」

「いやみだなあ……ていうか、荻原は連絡先知ってるんだ」

「公衆電話からかかってくるの」

「ふうん」

「ホズミんの携帯も教えとくね」


 また僕の知らないところで話が進むんだと思った。それは面倒くさいし、実はさびしかったりする。“それ”に出会ったcelestaは僕の知らない所にいるって思い出す。僕には手の届かないことが多すぎる。


 Day Dreamを取り出して見た。ジャケットは海辺の工場地帯。赤錆と海。古びた感じ。彼らはほとんど世間の目前に躍り出ることなく、あるメンバーの急逝により唐突な終わりを迎えた奇妙なスリーピースバンドだ。動画サイトを渡り歩いた僕は莫大なデータの深い底に沈んでいた彼らの音に偶然出会い、収集をはじめた。残されたわずかな音楽データと、わずかなPVと、そしてわずかなCD。プレミアがついているかといえばそうではない。誰も彼らを知らないから誰も価値を与えないのだ。

 歌詞カードには汚れも傷も折り目もなく新品同然だった。裏のレーベルを見て、復刻版なんだと理解した。ディスクが生きているかはここでは不明だけれど、きっと大丈夫な気がする。

 歌詞が、DriveのDriveたる最重要点と言われる。ほとんどベースが書いた、詩性とか文学性による、短編小説のような世界観。それがDriveのすべてでDriveの謎。謎のスリーピースバンド。どこかの批評サイトがそうインテリに語っていたけど、僕はDrive to Plutoがすごく好きというだけだ。はじめて手中に収めるフルアルバムに嬉しさを噛みしめている、それだけだった。


 荻原はとっくに食べ終えていた。僕も何か食べればよかった。


「ホズミん、すっごいにやついてるね」


 かくいう荻原も僕を見て笑いを浮かべている。


「いいだろ……好きなんだから」

「分かるよ。そんなの。見てわかる」


 見せて、と荻原に言われて差し出す。荻原は他人のものを本当に大切に扱う。


「Day Dream……洋楽じゃないよね?」

「邦楽。ジャンルはたぶんロックだと思うけど、エレクトロニカなのもある」

「……なんだっけ。インストじゃないんだよね」

「そう。ボーカルが死んでも歌わないバンド」

「なんでだろう? 話題づくりじゃないよね」

「多分ないだろ。ギタボなんだけど、その人は一貫してギターじゃなくてボーカルを名乗ってる。声が残ってないんだよね。男か女かも分からんし。

 もともと存在が都市伝説的っつーか、不透明なところが妙に多くって。ボーカルが歌わないってのもあるし、無告知無人ライヴをやったらしいって話だし(「何それ?」「ボーカルの気まぐれらしいよ」)、ベースが作詞してるんだけど歌詞が実は暗号だっていう噂もあるし。解散の時が一番……というかもう、伝説的すぎて」


 荻原は人の話にとても丁寧にあいづちを打つ。どんな話にも、うん、うん、といちいち答えてくれる。聞くのが上手いんだと思う。そして本人もけっこう喋る。“社交的”なようには見えないけれど、きっと人付き合いは上手いのだ。

 語り下手な癖に話が長い、と自覚している僕は話を続ける。


「調べた限りじゃあ、デビューから十年経たないうちに解散してる。ドラムの突然死。でも死因ってのが今でもイマイチ分かってないみたいで、いつ死んだのかも分からないし……死んだのが最後のアルバムの収録途中で、一部の曲はその人が叩いたんじゃないって噂もある。

 葬儀っていうのか、お通夜の日なんだけど、マネージャーかプロデューサーかが霊安室? に行ったんだよ。そしたら、その部屋、空っぽで、棺が無くなってて、メンバーもいなくて……

 部屋の壁に書き置きがあったらしい。ベースの筆致で、歌詞を書くときと同じような感じで、


“冥王星に葬ります”


 で、駐車場を見ると、ベースの車が無くなってた……!」

「それで、Drive to Plutoなんだね」

「いや、デビューした時から名前は変わってないから……このパフォーマンスがやりたいがためにドラム死亡はガセだったんじゃないかって、当時のファンの中では荒れたみたいだ。

 結局、ドラムもベースもボーカルも永久に見つからなかった。車の目撃情報もゼロ。謎のバンドとして、解散してから脚光を浴びるようになって、こんな感じに復刻版が出たりするようになったけど、それももう忘れ去られて、今はもう、誰にも知られないバンド」

「……なるほど」


 これを人に語るのは初めてだった。僕の収集した範囲だから、これが真実ではないはずだ。


「妄想なんだけど」


 僕は多分、妄想しか語れない。


「もうちょっと早く生まれてたらなーって、すごく思う」


 そしたら、Driveの無人ライブにも行けるし、当時の音源を聴いて、最期の劇的な葬儀に立ち会って。そして今の悪霊をめぐるわずらいからも解放されるのに。


「それはちょっと、分かるかもしれない」


 ジャケットをながめて荻原が言う。こいつもけっこう懐古趣味があり、ゴシック調の黒っぽい服を好んで着ている。男子でこれを知っているのは自分だけじゃないかと思う。


「あたしは20世紀に生まれたかった」

「ゼロ年代もけっこう良くね? というか、Driveがゼロ……いや、世紀末だったかなあ」


 そのあたりの音楽はかなり好みだった。一方荻原は別の意味で前世紀を愛していた。


「20世紀風の素敵な紳士はいないものだろうか」

「……まだ言ってんのかよ」

「なぜ大正時代は終わってしまったのか」

「代替わりだよ」

「どこかに20世紀初頭のロマンスグレーの老紳士は落ちてないかなあ」

「20世紀初頭に紳士だった人は今生きてねえだろ」


 言うと、ハア、とため息をつかれる。こいつがこういう意味で面食いなのを知っている人間はこの世に何人いるのだろう。

 とは言いつつも年上趣味なんてwebをあさればいくらでも居る訳で、荻原がさして孤立していることも無く、またDriveのコミュニティも細々と存続しているし、十年以上前のゲームのファンもなぜかあの掲示板に潜んでいた。互いに見えていないだけで、実は色んなものがありふれているんだと気付く。自分を少数派とか珍しいと思うのは、羞恥心だろうか、傲慢だろうか。僕は、はたして珍しいものなのか。……というより、僕は特別な、選ばれた人間なのか、否か。

 たぶん違う。自意識なんてきっと……どこかで見たことばを思い出した。と同時に口ずさんでいた。


「“臆病な自尊心と尊大な羞恥心”」

「……はい?」


 いぶかしむ荻原に、突然思い出したと弁明。嘘はついていない。


「山月記?」

「だよな?」

「うん」


 理由も無くため息をついて、僕たちは席を立った。


 店を出ると空はいつの間にか真っ暗に曇っていた。さっきまでは晴れ間が見えていたのに、日暮れのようにうすぐらく、厚く重い雲が広がっている。いつ降りだしてもおかしくないような空だ。


「寒い」と荻原が呟いた。シャツ一枚にベストだから無理はないし、

「アイス食ったからだろ」

「だよねえ」

「しかも、本当に冷えてきてるし」


 湿った、あきらかな水のにおいを感じた。今にも雨粒がこぼれ落ちそうなぐずついた空模様にせかされて、僕たちはそれぞれ自転車にまたがる。


「すごい雲」


 流れている。黒くおそろしい速さだった。生き物のように絶えず形を変えながら雲は湿気をはこぶ。風が強い。枝が音をたててゆれている。早く帰らなきゃ、と僕は呟く。


「でも、こういう雰囲気は嫌いじゃない」

「……うん」

「家の中での雨観賞はたのしいんですけどねえ」

「ですよねー」


 自転車をこぎだして、途中まで一緒の帰路を行く。この町は坂が多くてときどき嫌になる。

 併走する荻原が、ホズミ、と僕を呼ぶ。荻原はしっかりと前を向いて、僕と目が合わない。


「聴きおわったら、CD、貸してくれない?」


 僕は、二つ返事。

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