佐藤さんと鈴木君
俺の斜め前に座る佐藤優子はとても真面目な女子だ。
校則通りの床上30センチのスカートに、しっかりアイロンの掛かったセーラー服。
肩下までの髪も校則どおり地味な紺色のゴムで首の後ろでひと括りにしている。
更に真面目に見えるのは、その丸顔にあまり似合っていない黒いフレームのメガネのせいだ。
視力はかなり悪いらしく、視力検査の時に規定のラインから一歩二歩と前に出されているのを見たことがある。
一生懸命黒板の文字を追ってノートに書き込んでいる姿をチラリと目の端で見ながら、俺もノートを取る。
後ろから二列目という黒板から遠い席の為か、黒板の文字が見づらいらしく、少し顔をしかめて黒板を睨みつけている。
世界史の先生の文字は特に小さく、やたらと大量に黒板に書くから毎回苦労しているようだ。
そして、先に書いたものを消して、新たに書いたりするから……あぁ、書き写すのが間に合わなかったのか。
小さく唇を尖らせる彼女を見て、頬が緩んでしまう。
授業の終わりを知らせるベルが鳴り、社会科の教科担当の男子が号令を掛けるのに合わせ、起立し礼をする。
佐藤は授業中に書き取りきれなかった黒板の文字を、一生懸命書き写している。
無論、次の授業があるから、直ぐに日直に黒板を消されるわけで……ほら、また口を尖らせる。
まだ書いてる途中だと言えば消されないものを。
引っ込み思案なんだか知らないが、佐藤は諦めて肩を落とし机の上を片付け始めた。
俺は自分の机の上に乗ったノートと佐藤のしょんぼりした背中を見比べ、ノートを手に取ると、休み時間で教室の中が騒然としているのに乗じて、数歩前に居る佐藤の肩を叩いた。
ビクッ
小さな肩が跳ね上がり、こちらを振り向く。
「あ、鈴木君、何?」
少し裏返った声を出した佐藤に、彼女にも引かれてるのかと若干へこみながらも、彼女の机の上に今日写した所を開いて置く。
「……間に合わなかったんだろ。 貸してやる」
キョトンとした表情でノートを見、そして俺を見上げおずおずと笑った。
「本当? ありがとう、写すの間に合わなくてどうしようかと思ってたんだ」
普通の調子で礼を言われ、ホッとする。
「放課後まで借りててもいい? お昼休みに写しちゃうから」
「別に、急がなくてもいい」
次の授業までに返してもらえれば問題ない、テスト前じゃないから復習なんかしないし。
佐藤は嬉しそうにノートを見て、そっと俺の書いた文字を指先で撫でた。
「鈴木君って綺麗な字だね。 とっても見やすいし」
細い指先が文字の上を滑るのに気を取られて、佐藤の言葉に反応ができなかった。
佐藤の顔が上がり、視線が俺に向く。
ああ、しまった、気を悪くしただろうか。
「わたし、字が汚いから羨ましいな」
俺の態度は気にした様子もなく、恥ずかしそうに申告する佐藤の文字は、そういえば少し丸っこくて特徴的だったな。
どう反応していいものだかわからず……慰めればいいのか?
慰める、慰める……。
気が付けば、佐藤の頭をぽんぽんと撫でていた。
いや、丁度いい高さで! いや、そうじゃなくって!!
キョトンとした佐藤の視線が痛い。
丁度良く鳴った予鈴に背中を押され、踵を返して自分の席に戻り次の授業の準備をする。
ちらり、と顔を上げ伺った視線の先の佐藤と目が合い、思わずビクっと硬直する。
佐藤はノートを指差し口パクで”ありがとう”と言って微笑むと、前を向いて大急ぎで次の授業の準備を始めた。
俺が気づくのを見守ってたんだろうか。
多分…そう、なんだろうな。
照れ隠しにばたばたと教科書を出したりしてたよな、俺……うわぁ、かなりみっともないかも。
先生が来るまでの数分間、窓の外に顔を向けた僅かに火照った頬が、誰にもばれないことを祈った。