『呪』の起源
とっぷりと陽が落ちた古都京都。寺社仏閣以外に目にすることがめっきり少なくなった、洛内の日本家屋の庭を見渡す和室に陣取った男の身体にも、ねっとりとした暑さが絡みいている。
涼を取るためのエアコンは動いていない。開け放たれた窓から時折、思い出したようにふわりと申し訳程度に涼しい風が吹き込んでいた。
蝋燭色のLED常夜灯だけの薄暗い部屋の真ん中。屋敷の主、土屋明は大量の炭酸水と氷で薄めた洋酒の小ぶりの硝子のジョッキに食いついて喉を鳴らすと、ふっと目を細めた。
「なあ、明」
半端ない固定資産税が課せられていそうな邸宅の縁側で、多少なりとも涼を得ようと明の悪友、三原博が縁の外に足を投げ出してスマホを見つめていた。傍らには明と同じ様に硝子のジョッキが汗をかいているが、ジョッキの色は明のそれよりも濃く、また幾分大きい。有機液晶ディスプレイの照明で照らされた顔には、いつもの朴訥とした真面目さが浮かんでいた。
「どうした、博。何か面白い噂でもあったか?」
「うん…ネットが騒がしい。お前、『平将門の祟り』を知っているよな?」
博の問いに、明はジョッキをコトリと置きニヤリと笑った。
「知らん訳なかろう。怨霊のビッグネームだ。将門塚に手をかけると災いが起きるというやつだ…で、誰か『また』やらかしたのか?」
博は眉をひそめ、首を横に振った。
「いや、やらかしたのは間違いないんだが、『やらかした』ネットの配信者に向かって、ネット民が口々に『将門公の祟りだ』と書き込んでいるだけなんだが…」
「…ネット民か…ひょっとすると、厄介なことになるやもしれん…」
「やはりか…ここ数日の盛り上がりは異常だ。熱に浮かされたような書き込みが増えている。やはり将門公の祟りなのか?」
「呪だよ」
「呪?また呪か!俺はそれを聞くと頭が痛くなる」
「呪とはそれほど難しいものじゃない。呪とは、量子力学の『観測による波動関数の収縮』や、相対性理論における『世界線の確定』のようなものだ」
「いや、全然難しい!」
「無から有を産む。呪の原点であり最高到達点でもある。西洋では錬金術とも言う。これは難しい。というかそれを成した者を俺は知らん。『不在の主語』に連なる『使徒』とかいう奴らも石とか水とかの素材、触媒は必要だったみたいだ。錬金術なんかは悔し紛れに『錬金術は等価交換だ』とか抜かしてる」
「よくわからんが、ネット民が『呪』を発しているということか?ネットの配信動画を素材、あるいは媒体にして」
「そうだ。だが、一人ひとりが放つ『呪』なぞ、小虫が羽音を立てるよりもまだ小さい。しかし、それが何千、何万と集まると話は変わってくる。恐ろしいことに、その書き込まれた奇妙な網の目を見た他の者たちまでが、『あれ、あの配信者、なんだか危なくないか?』と思い始め、『呪』は加速度的に強化される」
博は深刻な顔になった。
「人々の恐れと疑念が集まれば集まるほど、その『呪』は強固になり、その配信者の身に災いをもたらすことになるということか?」
明はジョッキに口をつけると、涼やかな声で答えた。
「うん、面白いな。人の心とは。楽しいな『呪』というものは」
「おい、明、笑い事ではないぞ!」
「笑ってはいない。だが、本質は昔の百鬼夜行と何ら変わらん。人が噂をし、恐れをなし、姿形のないものに怯える。あの世の怨霊よりも、生きている人間の『集まった想い』のほうが、時に強烈な呪いになる。今は一人一人の『想い』は小さいが、ネットの世の中だ、昔と違って『呪』をかける分母が圧倒的に多い」
そう言って、明は庭を見渡した。視線はどこか遠くを見るようだった。
「何千、何万の者が同じ方向に心を向けたとき、ただの戯言が本物の禍へと変わる。…さて、画面の向こうの配信者は、その無数の視線と呪いの網から、うまく逃れることができるかな」
博は再び難しい顔をして腕を組んだ。
「明、何か手立てはないのか? 放っておけば、あの配信者、そのうち本当に…」
「さあな。『人の噂も』ということわざがある、遠野には『流行り神』という期間限定の神までいたらしい。一過性の『呪』なんぞ長続きなぞせん。ネット民が『呪』に飽いたら禍も消える。出自の弱い『呪』なんてそんなもんだ。まぁ…その配信者…逃げ切れるといいな…将門公が『本当に』お怒りでなければいいんだが…」
明は神妙な顔をして、ジョッキに口をつけた。
ホラーに挑戦(全然ホラーじゃないかも)
どっかの小説に似ているのは勘弁!




