コンプレックス野球
プロ野球のルールに「コンプレックス申告」が追加されて十年が経過しようとしていた。
選手が自らが劣等感を抱いていること、すなわちコンプレックスを申告し、その内容が会場内へアナウンスされることで、その回限定で能力が底上げされる制度だった。強化される能力は、吐露したコンプレックスの強さによって決まる。
自身の弱さを曝け出した対価に強さを手に入れられる。これによってプレーに華が出る興行的な側面と、野球の超エリートで高収入を得ている選手であってもコンプレックスを抱えているのだと知ることができるファン目線での親近感の湧きやすさから、支持を得ている制度であった。
とある日の一軍の試合。初めて一軍登録されたカズキは極度に緊張していた。年齢は二十八才。この年までずっと二軍でくすぶってきたところで、ようやくもらえたチャンスだった。
中学時代から付き合っていた彼女と、プロ野球選手になったことを機に結婚。昨年子どもが生まれて一児の父になっている。しかしプロ入り直後から高い一軍の壁に阻まれ、長い長い二軍暮らし。金銭的にも妻には苦労をかけていた。
そんなタイミングで回ってきた一軍の機会。これを棒に降振ったら契約解消になってもおかしくないような年齢。
カズキは、絶対にここで成果を残したかった。
二点差。ツーアウト満塁の場面。妻と子どもがいる座席に視線を送る。
代打で指名されると、同時に審判へコンプレックス申告を行った。申告用のマイクが手渡される。手にはじっとりとした汗が滲んでいた。
大きく息を吸い込み、カズキが言った。
「昔馴染みの妻がいて、昨年は子どもが生まれたと言ってきましたが!それは全て嘘です!幼い頃から嘘を吹聴してしまう悪癖があって…妻や子どもの写真はすべてAIで合成した偽物です。今日も周囲に妻や子どものために絶対に成果を残したいと言ってきましたが、そんな事実はありません。自分は、こんなどうしようもない性格が、コンプレックスです」
会場がしんと静まり、異様な雰囲気に包まれた。
妻や子どもが実在すると見せかけて振る舞っている人間などそうそういない。相手の投手も今まで出会ったことのない人種に、野球の技量とは異なるところで恐怖を覚え、完全に飲み込まれていた。
ミット目掛けて投げ込まれたストレートに力はなく、カズキが振り切ったバットは快音を鳴らしていった。
打球がスタンド大上段に放り込まれても、歓声は響いてこなかった。
この試合を契機に、コンプレックス申請を利用する選手は減少に転じたという。




