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失敗作を平らげ特にやることもなくくつろいでいる時誰かの訪問を知らせるベルの音が響いた。
普段ただでさえ人が来ることはないのにこんな時間に突然鳴ったベルの音に一瞬身を震わせながらも玄関へと向かって誰が来たのか警戒しながら確認してみるとそれは所長だった。
「どうしたんですか?」
「突然すまないな、ここにあいつは来てないか?」
所長の言うあいつとは助手のことだ。何でそんな事を聞いてくるのかと訝しみながらも答える。
「いえ、うちには来てませんけど。どうかしたんですか?」
それを聞いた所長は途端厳しい顔になる。
そして大きなため息を吐いてから理由を説明してくれた。
「あいつが戻ってきてないんだ。全く何処をほっつき歩いているのやら・・・」
やれやれと微かに首を振る所長の様子は焦っているようには見えない、それに比べアリアの心は穏やかではいられなかった。
こんな時間まで戻らないなんて何らかの問題に巻き込まれている可能性もあるからだ。
「だったらすぐに探さないと! 危険なことに巻き込まれてるかも!?」
必死で訴えるアリアを見て所長は一瞬驚いたように目を見開いてから笑った。
「心配してるのか?あいつにもそんな相手ができるとはな。だがその心配は不要だ、ああ見えて腕が立つ、それ故にあいつは常に問題を起こす側だ。小さな問題事が降りかかればそれを飲み込んで大きな厄介事に変える、あいつに絡んで余計な事をしようとすればそいつは自身の軽率な行動を嘆くことになるだろうな。だからこそ私が心配しているのはやり過ぎないかということだ、あいつの身の安全じゃ無い。お前もこちらのことは気にせず勉強して良い子は早く寝ることだ」
所長はそれだけ言い残して帰っていった。
アリアも助手のそんな一面を知っている。
一本のナイフで銃を持つ相手数人を圧倒するほどの非常識さを持っていることを。
だからきっと大丈夫、心配なんて必要無い‥‥‥‥本当にそれでいいのだろうか?
心配って必要かそうじゃ無いかでするしないを決めるものじゃ無い気がする、相手を思う気持ちがある以上勝手にしてしまうものだと思う。
所長だって気に掛けていないと口では言っていたがこうして探しにきているところを見ると少しは気にしているんだろう。
偶然や奇跡は善悪関係なく与えられる、もしそれが悪い人に都合よく働けばあの助手でももしかしたらがあるかもしれない。
そう思ったらいてもたってもいられず家を飛び出していた。
だけど飛び出したはいいものの当てなんかない。
手当たり次第探す他に方法は無いのだが、正直かなり無茶だったと今更ながらに反省している。
長期間の引きこもり生活の弊害で昼間の疲労も癒えてないし夜間とはいえまだ人の往来がある中でのひとりぼっちは心細い。すれ違う人の視線が全部こっちに向いてる気がしてまともに顔も上げられない。
そのせいでちゃんと顔を見てないから想像してしまう。
見下す様な目を、嘲笑う顔を赤の他人に勝手に上塗りして怖くなる。そして人目のない場所を探して逃げるように端っこに。
つくづく自分は社会から外れてしまっているんだと実感する。
「‥‥助手」
逃げ込んだ先の路地裏で蹲り助けを求める様に呟いた。
「あれ、どうかした?」
その声は求めていたのとは違う男性の声だった。しかし心配して声を掛けてくれたのならがっかりして返すのも失礼と顔を上げ務めて明るく返事をしようとして言葉に詰まる。
目に映ったのは複数の男性、それも派手めの服装をしていて正直苦手なタイプ。
「いえ、何でもありません」
返事だけして早くこの場を立ち去ろうとした。
「あの、通して欲しいんですけど」
路地裏から抜ける為の道を男達が占領してしまって通れない。
通してと言ってもにやにやと嫌な笑みを浮かべたままで動こうとしない。
「ちょっと俺らに付き合ってよ。楽しい事教えてあげるからさ」
そう言って伸びて来た手を咄嗟に振り払い必死に足を動かした。しかし暗い路地裏の更に奥へと向かう他に道はなくそうして逃げた先、そこで待ち受けていたものもそう変わらなかった。若い人の群れ、うっかり足を踏み入れた愚か者へと向けられる獲物を見る様な目が暗がりで嫌に輝いて見えた。
「あ、いたいた。いきなり走って行っちゃうんだもん驚いたよー」
足を止めてしまっていたアリアの後ろにはさっきの男達が。
前にも後ろにも進めない、ついさっきまで日常の中にいたのに少し道を間違えただけで光からも切り離された空間に閉じ込められた。
「そんな怖がらないでよ、君が寂しそうにしてたからちょっと元気付けてあげようと思っただけなのにさ〜」
「わ、私もう元気なので帰らせて下さい」
「元気じゃないでしょ? ずっと暗い表情して俯いてんじゃん。俺優しいからそういう子見たら放っておけないんだよね」
すると男の後ろから「嘘つけ」なんて言葉と笑いが上がる。
粘度の高い笑い声が耳から入って来て心を締め付け体を硬直させる。
唯一できた事は目から涙を溢すだけ。
「安心したら涙が出ちゃった? じゃあ涙を止める魔法の薬あげよっか」
男が取り出したのは袋に入った白い粉。
それが何なのか想像が付いて恐怖はより加速する。
知らない所で知らない誰かが使用する、自分の世界とは無関係だと思っていたもの。
そんなものが突然アリアの世界に入り込んできた、いや違う、それは元々世界に存在していてそこに私が不用意に足を踏み入れてしまったのだ。
薬物、そんなものが蔓延る闇の世界に。
「いりませんっ!」
振り絞った声、恐怖を押し殺した健気な勇気は路地裏の暗闇に吸い込まれてしまうだけでじりじりと詰め寄る男の耳には届いてない。
「助けて!」
塗り潰したような黒色が続く細い道の先には出口なんてないみたいに思えてくる。求めた助けの声も全て暗闇に呑み込まれるよう。
竦んで動かない足に伸びてくる手、しかしその手はアリアに触れることは無かった。
「ぎゃっ」という情けない声と共に男が地面を転がる。
「やめろ馬鹿!」
男を蹴り飛ばした声が響く。アリアはその声の透き通るような響きに驚かされた。
こんな事をしでかしたのがまさか助手でもなく男性でもなかったからだ。
助手も綺麗な声をしているがこんな感情的な声は出さないから。
「走れ!」
どこからともなく現れたその声の持ち主はアリアの手を取り駆け出した。
ちょっとした迷路のような路地裏を二人で息を荒げながら必死で走る、そうして辿り着いたのは行き止まり。
「くそっ!」
苛立たしげに壁を蹴って「引き返すぞ」と振り返ると追って来たであろう男達の姿。
私達にとっては入り組んだ迷宮でも彼らにとってはホーム、追いつかれても不思議じゃない。
「人のこと蹴飛ばしといて無事で帰れると思うなよ」
顔を真っ赤にして怒っている。
「あんたらが悪いんだろ。女一人に寄ってたかって」
「俺らは親切心で声を掛けてただけだ、それをお前が勘違いしたんだろうが」
「助けてって言ってるのが聞こえた。そんな言い訳通るわけないだろ」
「おいおい、お前もこっち側のくせしてなに正義ぶってんだよ。売人としてどれだけばら撒いた?薬で得た金で遊んでる奴が今更何言ってんだ」
「‥‥‥私は自分から欲しがってる奴にしか渡してない」
「だからって犯罪は犯罪だろ、お前も俺も同じ犯罪者なんだよ‥‥‥まあいいや。どっちにしろお前ら終わりだし」
行き止まりで前には複数の男、女性二人で突破するには無理がある状況。
助けてくれた女の人もそれを理解しているのか悔しそうに下唇を噛んでいる。
“終わり”という言葉が胸に深く突き刺さった。
両親に救われ助手に繋がれた命、そんな大切なものをこんな人達に奪われるなんて到底納得出来ない。
「‥‥ふざけないで」
悪意に晒され怯え嘆いて生きるなんてもううんざりだった。どうせ辛い目に遭うんだったら助手にしたみたいにとことん抗ってやろうと思った。
あの時の助手に比べたらこんな奴ら全然大した事ない。
落ちてる石ころを手に取り叫んだ。
「あんた達なんか助手の足元にも及ばない、全然怖くなんかないんだからっ!!」
その叫びは敵に対する威圧でもあり己に対する激励でもある。
隙あらばぶるぶる震えようとする足に言い聞かせしっかり二本足で立ち続ける。
「じゃあ試してみようか? その助手って奴と俺ら、どっちが怖いかさ」
「試してみるか?」
問いかけはアリア達でもなければ男達からでもなく頭上から降り注いだ。
路地裏の壁と壁にある足場を見つけては器用に飛び乗ってを繰り返し遥か頭上からさながら猫のような動きで瞬く間にアリアの目の前に降り立った。
ふかふかの毛並みにピンと立った耳、くりっとした目に自由な尻尾。
「にゃー」
それは猫のような友人が発したあざと可愛さではなくて本物の猫の鳴き声。
降り立った猫のような友人は抱えていた猫をアリアに押し付ける。
「ちょっと持っていろ」
そして振り返って助手は敵と対峙した。




