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『エッシャーの階段』②

「怪異と怪異じゃないものの違いって何なんですか?」

 ある日、俺は六花さんに尋ねた。

「実はその辺曖昧なんだよね」

 六花さんは、いつものように寝っ転がりながら答えた。

「怪異については初日に説明したとおりなんだけど、それと怪異以外の区別って付けるのが難しいんだ。

『何処にでも、何度でも現れる』っていうのが怪異の大きな特徴の一つなんだけどね、それが初めて出現し、観測されたものの場合、それがまた現れるのかって誰にもわからないだろう?」

「確かに」

「しかも怪異だったとしても出現周期はものによるからさ、『次に現れるのは百年後なんですが^ ^;』みたいな、ハレー彗星もびっくりの周期をしてることもある。だからこの書庫にも、『怪異かどうかはわかんないけどとりあえず妙ちきりんな現象に遭遇したので報告しときますね』みたいな報告書が山と積まれている。そして整理されていない」

「整理しましょう」

「やだ~……」



「怪異? 『エッシャーの階段』? って、何の話ですか?」

「怪異というのはね、わかりやすく言えば『科学、魔術等、僕等の知る技術では説明の付かない現象、物品、場所、生物』であり、『一定の条件を満たせば何処にでも、また何度でも現れるもの』を指すんだ」

 さっきより微妙に目を開いた女性、〈新月〉の六花さんという人は、数秒前のもにゃもにゃ加減からは想像も付かないほど明朗に答えた。その怜悧な顔には微かな微笑みまで湛えられている。

 「僕」? と一瞬思ったけど、ボーイッシュなしゃべり方が不思議と似合っていたので何も言わなかった。

「ーーああ、改めてになるけど。僕は六花。よろしく」

「あ、はい。カイといいます……」

 ベッドの上にあぐらをかいたまま、六花さんは軽く首を傾げて手を差し出した。

 その手をちょこちょこと握って上下に振る。柔らかい手に何だか色々な傷跡が残っているのが妙に目に付いた。

「それで、話の続きだけれど。例えば、佐藤さんというおばけちゃんがいたとして。その霊が生前関わりのあった人の元に現れ、ラップ音やポルターガイストといった超常現象を起こす。おばけちゃんを祓うと現象はぴたりと止んだ。これは怪異ではない。

次に、高橋さんというおばけちゃんがいたとして。その霊が別に生前関わりが無かった人の元に現れ、あっちこっちで超常現象を起こす。おばけちゃんを祓ってもまた現れて超常現象を起こした。これは怪異。まあ場合によるから全部が全部こういう区別の仕方が出来るわけではないけどね」

「おばけちゃん」

「とはいえ、おばけちゃんとは思いがたい現象を起こす怪異もいっぱいいるのだけれどもね。ーー今回の依頼、『エッシャーの階段』を例に挙げようか」

 そう言うと、六花さんは書類の一枚目を布団の上に置いた。

 多分文字は読めないと思うんですけど、と思いながら覗き込むと。

 ーーそこには、壁、床、天井から無秩序に階段が生え、天井にカーペットが、壁に机が、床に絵画が飾られている狭い部屋の絵が描かれていた。

「……斬新な内装ですね、って言いたいんですけど、多分そうじゃないんですよね?」

「その通り。この写真のここ、窓の外を見てもらえばわかるとおもうんだけど、空と雲は普通に映っているだろう? だからこれは普通に床ーー部屋が変化する前の床に当たる場所ーーに立って撮った写真なんだけど、部屋の中はがっちゃがちゃになってしまっている」

「……」

 改めて、部屋の絵を見る。

 本来そこにあるはずのない階段が現れ。机が壁に直立し。部屋にあった家具が好き勝手に移動する。

 少なくとも、俺の知るどんな魔術でも、現象でも、生き物でもこれは説明できない。

 ……これが、怪異。

「ただね。『エッシャーの階段』は本来、最短で一時間、最長でも二十四時間で消失する怪異なんだ。消失するときに内装は元に戻るし、死傷者が出たという事例も聞かない。比較的無害な部類の怪異なんだけどーー」

「この惨状がですか!?」

「ーーなんだけど、今回はかなり長期化しているらしい。何と三日も居座っている」

 六花さんは俺の叫びをガン無視しつつ、書類を集めてぱたぱたと自分の顔を仰いだ。

 暫くしてぴたりと止まり、ふっと微笑む。

「……うん。面白い。大分目が冴えてきた。

前回は幾つか検証を重ねたけど、この怪異の本質を掴む前に時間切れだったからね。長期化した原因がわかれば、原因、原理の解明に大いに役立つかもしれない」

 彼女は楽しそうにぶつぶつ呟いてから、突然すっくと立ち上がりーーふかふかのお布団に足を取られてよろめきながら、とにかく立ち上がった。

「よし、そうと決まれば出発だ。君も来るだろう?」

「は……えええ!?」

 後半は俺に向けられた六花さんの言葉に、慌ててぶんぶんと首を振る。

「いやいやいや! 俺は何というか、成り行きでここまで来ちゃったに等しいですし! 着いていってもお互いにメリットなんて無いと思うんですけど!」

「え!? 〈力〉さんの申しつけだっていうから、てっきり人手を寄越してくれたんだと思ってたんだけど、違うの!?」

「……そんな悲痛な声が漏れるほど人手足りないんですか?」

「ウン……怪異調査を専門にやってるのは僕と裕也だけ……」

「思ったより人手不足だった」

 切実すぎる訴えに、思わず裕也さんに視線を向ける。

 ……彼は凄く頭が痛い、みたいな感じで頭を抱えていた。

「と、とにかく俺は……」

 しょんぼりした顔の六花さんを見る。

「お、俺は……」

 今度は天を仰いでいる裕也さんを見る。

「おれは……ううう……」

 二人の顔を交互に見て。今までの怒濤過ぎてわけわからんな展開を思い出し。〈力〉さん、裕也さん、六花さんの言葉が脳内をぐるぐる駆け巡って。

 それから。



「……」

 俺は、結局裕也さんと六花さんと一緒に一階まで降りてきて、カウンターに並んでいる裕也さんの背中を屋台エリアからぼんやり眺めていた。

「あー、うん。何か、ごめんね」

 先程俺にも一本奢ってくれたしゅわしゅわする飲み物を片手に、壁にもたれながら六花さんが申し訳なさそうに言った。さっきまで着ていたゆったりした服は、流石にかっちりした上着とズボンに替わっている。それでも「仕事人」というよりは「研究者」っぽく見えるのが不思議だ。装飾品らしい装飾品は、後頭部を飾る、きらきらした三日月型の髪飾りのみ。それのみ。

「謝んないでください……流された俺が惨めになるので……」

「うー、そっかー」

 しゅわしゅわをぐっと飲んで、六花さんは気まずそうに黙り込んだ。エクストラマイペースみたいな人だと思っていたのだけれど、ずっとそうだというわけでもないらしい。

 天衣無縫、みたいな人でも会話に困ることがあるんだな、と俺も真似してしゅわしゅわをぐいっと飲もうとして。

「……ぐぎ」

 びりびりする舌を突き出す羽目になった。



「ーーお待たせ。もう行けるよ」

 そう言いながら戻ってきた裕也さんの手には、銀色の鍵が握られている。その形や装飾は〈力〉さんが持っていた金の鍵によく似ているのだけれど。

「……『3』?」

 握柄の部分には、大きく「3」と書かれている。

 宿屋の鍵かな、にしては派手だけど、と首を捻っていると、

「〈生命の樹(セフィロト)〉が使う鍵は空間を操る魔術がかけられていてね。鍵を適当な扉に近づけると、その鍵に対応した扉及びその先の空間を引っ張ってこられる、という特性があるんだ」

 あのように、と六花さんが指さした先では、まさに銀の鍵を持った少女がホールと廊下を隔てる扉に近づいていくところだった。

 少女が黒と金の扉に鍵を近づけると、豪華な扉は瞬く間に簡素な金属の扉に変化した。

 彼女が扉の中に入ってから暫くすると、鉄扉は即座に元の黒い扉に戻った。

「それで、『3』というのは『転移部屋三番』を指しているんだ。どういう原理なのかは……ちょっと〈魔術師〉に訊かないとわかんないけど、入って行きたい場所の情報を入力して、転移部屋の扉から出ると、もう行きたい場所に着いてる、っていう謎技術。……謎魔術?」

「……」

 もう何を言えば良いのかわからない。

 鍵から扉を引き寄せる? 術者がその場にいない転移魔術?

 はっきり言って、人知を越えすぎている。

 俺の知識と常識ががらがらと音を立てて崩れていく感覚に、ただ天を仰ぐ。しゃんでりあがとってもきれい。

「ーーおーい、行くよー」

 はっと気がつくと、二人は既に先程少女が「使った」扉の前に立っている。

 慌てて駆け寄ると、裕也さんは一つ頷いて鍵をそっと黒い扉に近づけた。

 次の瞬間、黒と金の扉は、シンプルな木の扉に変化した。木目とライトウッドが目に優しい。

 元はぐっと押し開けたりがっと引き開けたりするはずの扉だったのだが、裕也さんはあっさりと木の扉をスライドした。

 その中は、燦々と日の光が差し込むサンルームだった。

「……わーお」

 黒を基調とした陰鬱だが格調高い空間はどこへやら。木の枠組みにふんだんにガラスを使い、存分に日光を取り入れた部屋は、どんな重たい使命を背負った人でも思わずひなたぼっこがしたくなるような、穏やかな空間に仕上がっていた。

 六花さんなどは、芝生を思わせる若草色のカーペットの上に点在する、人をダメにしそうな大きなクッションに沈み込んでいる。まだ寝るのか。

 裕也さんは苦笑して、色とりどりのクッション群の前に進み出ると、その内の一つの中央をぐっと深く押し込んだ。

「えっと、だから、白、茶、濃いピンク、青、黄色、青……」

 ーーそうか。これが「行きたい場所の情報の入力」なのか。何をどうやって入力するのかと思っていたが、まさかクッションがトリガーだったとは……。

(……いや、クッションが入力方法って何なんだ)

 この方法を考えた人はさぞかし眠たかったに違いない……と見知らぬ魔術師に思いを馳せていると。

「……水色……。六花、どいて」

「んぐぐ……」

 最後に六花さんをごろんと転がして水色のクッションを押し込み、情報の入力が恐らく完了した。

 その証拠なのか、どこからともなくやってきた爽やかな風がさあっと部屋を駆け抜けた。

「……これで終わりですか?」

「うん。もう着いたはず。ーー六花、行くよ」

「あと……七……」

「七分?」

「七……時間……」

「駄目」



 木の扉をからりと引き開ける。

「本当に着いてる……」

 眼前に広がっていたのは、〈生命の樹〉の黒い廊下ではなく、市街地だった、

 石とレンガ組みの家。

 布の屋根を張った屋台で果物を売る商人。

 農夫のような簡素な布の服を纏った人。

 貴族のような豪奢なドレスを纏った人。

 剣や杖を携えた冒険者。

 犬耳の獣人に、尖った耳のエルフ。

 総じて、俺のよく知る「普通の」町なのだが。

「うーん、外にまで広がっているのは初めて見たな」

 六花さんの呟きの通り、家々の壁や石畳には、階段が「生えて」いた。

 一切実用には供していないだろうと断言できる、何処にも繋がっていない五~十段くらいの階段が、処理を怠った雑草の如くぴょこぴょこ伸びていた。

 殆どの住民はそれを鬱陶しそうに避けたりかがんだりしているが、子供達は一切気にしていないらしい。

 今俺の目の前でも、六歳くらいの少年がある家の壁に接している階段を駆け上がり、そのまま壁を走り始めた。

「壁……走れてしまうんですね……」

「室内だと天井も歩けるよ」

「試したくないです……」

「しかし屋外だと『天井行き』の階段は無いんだね。上に向かって落ちる人とか出てないようで何より」

「何がどう『何より』なんですか??」

「ーーあの」

 ぎゃあすか(俺が一方的に)言い合っているところに、遠慮がちな声がかかった。

 見ると、白を基調とした、神聖なシンボルっぽい紋章を刻んだローブに身を包んだ、大人しそうな少女が一人。

 騒ぎすぎたのかな、とちょっと反省していると、六花さんがすっと進み出た。

「うん、君が依頼人か」

「は、はい。〈生命の樹〉の皆さんとお見受けいたします。私はーー」

「ああ、名乗る必要は無いよ」

「そうでしたね……ええと、どうか『神官』とお呼びください」

 依頼をしたときに説明でも受けていたのか、神官さんは戸惑いつつもそう名乗り、ぺこりと頭を下げた。

「では早速で悪いけれど、この怪異の発生源か、この現象が一番酷い場所を知っていたら、そこに案内してほしい」

「はい、ご案内いたします。ど、どうぞこちらへ……」

 そう言って丸っこい眼鏡の傾きを直しつつ神官さんが示したのは。

「……城……?」

 天を衝く尖塔も立派な、白亜の城だった。



 神官さんに案内されて、ホールを通り抜け、廊下を延々歩き、階段(一階と二階、二階と三階を繋ぐ、壁や天井から唐突に生えてこないものを指す)を登り、あっちに曲がりこっちに曲がりした後、神官さんが足を止めたのは、

「こちらです。その、一番『現象』が酷いのは……」

 開けっぱなしの大きすぎる扉から正面に見える、立派な玉座も印象的な。

「……『玉座の間』、です」

 王様や女王様や家臣達が控えるはずの、所謂『玉座の間』だった。

 ただし、中には人っ子一人おらず。

 玉座は天井にくっついていたが。

「うわー……ここまで広いのは流石に初めてだよ」

 六花さんと裕也さんに続いて玉座の間の中に入ると、部屋の異常が否応なしに目に飛び込んできた。

 高価そうな白磁の花瓶が壁から生え。

 その中に収まっていた花が床を彩り。

 玉座まで続く長い長いカーペットは天井でとぐろを巻いている。

 そして、それらの間で脈絡無くぽこぽこと伸びている階段。

 資料にあったとおりの物理法則の狂った風景。

(これを解決するって? マジで言ってる??)

 と俺がビビり散らしている間に、

「発見したのは? 貴女ですか?」

「は、はい」

「城の他の部屋にこういった異常は?」

「ええと、ここほどではありませんが、階段が増えた部屋がいくつか……」

 裕也さんが神官さんに聞き込みをして、六花さんはその間に階段をこんこんと手の甲で叩いたり、つま先でつついたり、光る板を向けたりしていた。

「それ何ですか?」

「スマホ。現代人の第二の脳だよ」

「はあ……」

「15:21」

「はい?」

「覚えておいて」

「わかりました……?」

 とりあえず口の中で15、21と何度も復唱して頭に叩き込んでいると、

「壁に登っても?」

「え? はい、どうぞ……」

 許可を取った瞬間に、六花さんはすぽんと靴を脱ぎ、床と壁を繋いでいる階段に足をかけた。

 そのまま普通にとんとんと階段を上ると。途中で六花さんの体が傾いていき、しまいには壁面に直立した。

「それ、頭に血が上ったりしませんか……」

「全く。重力は壁、天井にもそれぞれ働いているよ。後で実演するね」

「じゅうりょく……」

 話しながらずんずん壁を歩いて行き、とうとう天井に到達した。

「天井高~い」

「すいませーん、もうちょっと大きな声でお願いしてもー?」

「天井が高いねーって言った」

「聞こえな……」

 六花さんは声が低めな上に小さいので離れていると声が聞こえにくい。天井に立つ六花さんの姿は、きらびやかなシャンデリアに比べるととても小さく見える。

「って、シャンデリアは天井にくっついたまんまなんですね?」

「そうだよ。天井、壁、床に固定されていたものは部屋が変化しても移動しない。しかし固定されていないものは、どれほど重かろうが、上に何が乗っていようがあっちこっちに動くんだ」

「もうちょっと大きな声で……」

『それじゃあ、毎度やっている実験をいくつかしようか』

 隣から六花さんの声が聞こえたのでぎょっとして振り向けば、裕也さんが例の光る板を掲げていて、そこから六花さんの声が出ているらしかった。光る板、便利だ。

 天井で、六花さんが光る板を片手に保持し、もう片方の手でポケットをがさごそしている。

『これはティッシュ。使い捨て出来る紙。これを小さく丸めてーー』

 言葉の通り、六花さんが何かをくしゃくしゃと丸め、右手(多分)に持った。

『ーー頑張って投げる』

 そして、それをぽーんと放り投げた。

 小さな球体は俺達の頭の上くらいまで落ちてーー否、飛び上がって、綺麗な放物線を描いて天井に落下した。

「……気が狂いそうです」

『気持ちはわかるよ』

 その後、今度は球体を壁に向かって投げたようだが、壁にぽてんと当たった紙屑はころころと天井に戻った。

『ーーと、まあ壁や天井……じゃなかった床に向かって物を投げたり、思いっきりジャンプしたりしても、そちらの重力に引っ張られることは無い。今立っている面の重力から逃れる方法は、他の面に続く階段を上るか……』

「上るか?」

『玉座の上に上がっても?』

「どうぞ……」

 突然向けられた言葉に、神官さんは戸惑いつつも頷いた。裕也さんが彼女の方をちらっと見たが、結局何も言わなかった。

 六花さんは金に緋色の布地がよく映える玉座にゆっくり乗った。そのまま座面の上に立ち、

『じゃあ裕也、着地は任せた』

 座面を蹴って大きく跳躍した。

 ーーというか、落ちてきた。

「「わあああああ!?」」

 俺と神官さんが同時に絶叫して風の魔術を発動させる。六花さんはふわっと一度減速し、ぽすんと裕也さんの腕に収まった。

「うん、ありがとう三人とも」

「ありがとうじゃないですよ!! 滅茶苦茶天井高いのに何やってるんですか!?」

「いや、いつもはこんなに天井高い部屋じゃないからなあ」

「ないからなあではなくてですね!!」

「ーー六花」

 裕也さんの低い声に六花さんは黙り込み、きゅっと口を閉じた。

「あんまりこういうことするな」

「……はあい」

 一気にしおらしくなった六花さんは、もそもそと裕也さんの腕から下りて、のそのそと靴を履き直した。

「……とまあ、何かの上に登って思いっきりジャンプすると自分のいる面の重力から離れ、反対の面の重力に引き寄せられる。ただ『何かの上』っていう条件はそこそこシビアで、例えば布や紙切れの上のような薄っぺらい物では駄目なんだ。目安としては四十~五十センチくらいのものの上じゃないと重力からは逃れられない」

「成程」

「……センチはわかるんだね……」

「? 何の話ですか?」

「いや、こっちの話」



 それから、俺達は様々な実験・検証を行った。

 天井に立った状態で手に持った物を離したらどうなるか。

 壁に生えた階段の上でジャンプするとどうなるのか。

 移動した花瓶や花を動かすことは出来るのか。

 増えた階段を動かしたり壊したりすることは出来るのか。

 その結果はーー

「うん。『天井に落ちる』、『階段の上に着地する』、『動かせない』、『どちらも不可能』、か。いつも通りだね」

「いつも通りなら何で同じ事をやるんですか……?」

「比較のためだよ。違う事象が起きていたらそこから解決の糸口が見つかるかもしれないだろう」

「なるほろ……」

 俺達はあっちに動いたりこっちに動いたりあれを試したりそれを試したりしたので、ぐったりして全員床の上に座り込んでいた。

 六花さんは光る板をかつかつと叩いて何事かを記録しており、裕也さんは紙にメモを取っている。俺と神官さんはそこまでの元気は無く、二人の様子をただぼんやりと眺めていた。

「……それで、解決の糸口とやらは見つかったんですか」

「全然?」

「……」

 もはや突っ込みを入れる気力も無い。本日何度目かのシャンデリアを見上げる時間。

「じゃあどうするっていうんですか……」

「どうもしないよ。どうもしなくてもいいから」

「は?」

 ぎょっとして神官さんと二人で六花さんを凝視すると、彼女は板をかつかつするのをやめ、その表面をじっと見詰めていた。

「16:18」

「はい?」

「頃合いだね」

 六花さんはすっと立ち上がり、俺達三人の前に進み出た。

 あたかも、神託を下す巫女のように。

 謎を解き明かさんとする探偵のように。

 〈新月〉が微笑んで言うことには。




「さて、僕は最初、『前回は本質を掴む前に時間切れだった』と言ったね。そして、この怪異の出現時間は最短で一時間、最長で二十四時間と言った」

 六花さんはひょいっと肩をすくめ、


「ーー結論から言おう。『エッシャーの階段』は『調査開始から一時間でいなくなる』んだよ」


「……はあ?」

「前々々回の遭遇の折。僕と裕也は何をしても解決出来そうにない、所謂手詰まりの状態に陥って、僕は天井に、裕也は床に座り込んでいた。そのまま十分ほど議論を交わしつつただ座っていたんだけれど、突然重力が元に戻り、僕は落っこちた。幸いにして天井は高くなかったから、裕也がきっちり受け止めてくれたとも。

しかし。僕等はただぼーっとしていただけなんだよ。『エッシャーの階段』の消失に繋がるような行動は何も取っていなかった。強いて言えば『何もしない』をしていたわけだけれど。

だから、『エッシャーの階段』消失のトリガーは、時間ではないかと考えた。そして、調査開始から消失まで、恐らくちょうど一時間が経過していた」

 六花さんは多分意味も無く、ゆっくりと俺達の周りを歩き回りながら、時計の針を示すように指をくるりと回した。

「前々回の遭遇。僕達は部屋の中に入り、調査をせずに一時間ほど雑談や読書をして時間を潰した。しかし、『エッシャーの階段』は消失しなかった。その後、普通に実験・検証を行うと、きっちり一時間で『エッシャーの階段』は消失した。

前回の遭遇。僕達は部屋の外で、やはり一時間雑談をして時間を潰した。しかし『エッシャーの階段』は消失しなかった。その後同様に部屋の中で一時間調査をすると、『エッシャーの階段』は消失した」

 六花さんは神官さんの前でぴたりと足を止め、彼女をじっと見下ろした。

「最長で二十四時間、と言ったね。あれは僕ではない他の魔術師が遭遇した事例でね。彼等は部屋の外から、ドアだけを開けて中の様子を監視していた。それが二十四時間に達した折、『エッシャーの階段』は消失した。『諦めて帰ったようだった』とは当該魔術師の報告だよ。

その感覚が本当なら、今回も『諦めて帰った』はずだ。

しかし、そうはならなかった。

何故かこのお城に三日も居座り、そして部屋一つに収まっていた筈の怪異は外に漏れ出している。

……この異常の原因とは?

そして、君も思っただろう。

この城、人がだぁれもいない。

玉座の間に入って、玉座にまで登り、壁や天井を歩き回ったのにおとがめ無しだよ。

何でだと思う?」

「ま……まさか」

 俺はこわごわと神官さんと名乗った少女に目を向けた。

 この城の唯一の住人。

 門や玉座の間の鍵を易々と開けることが出来、「玉座に登ってもいい」と言える人物。

 その表情は、眼鏡に光が反射して、窺い知ることが出来ない。

「彼女が……この異常の原因……?」

「いや彼女は多分全然関係ないけど」

「違うんかい!!!」

 神官さんの顔の角度が微妙に変わり、眼鏡の奥が見えるようになった。

 彼女は、凄く困ったような、泣きそうな顔をしていた。

「まあなんで人がいないことを全然説明してくれないのか、どうして身分を偽っていらっしゃるのかは後で訊くことにするけど。

ーー『エッシャーの階段』はね、多分『拗ねた』んだよ」

「拗ねたぁ!? この……異常現象がですか!?」

「怪異の感情が人のそれと同じかはわからないけれどね。人の感情に擬えるなら、の話だ。

いたずらっ子みたいな性格の子供を想像してみたまえ。

『彼』は人のいそうな場所に意気揚々と現れ、人に『構って』もらおうとした。

しかし城内には誰もいない。

城下町の人も驚くばかりで、真面目に調査してくれるそぶりがない。

怒って範囲を広げてみたが、やはり状況は変わらない。

唯一の人も、調査をしてくれそうにない。

……そして、そのまま数日が経ち。意地を張り続けるべきか帰るべきか悩んでいたところ、何人か人間達がやってきて、調査を始めた」

 六花さんは光る板を取り出して「16:21」と呟いた。

 次の瞬間。

 ごごご……と床から、天井から、壁から地響きのような鈍い音が響き始めた。

 恐らく、城下町からも。

 その音と共に、天井のカーペットが床に戻り。壁の花瓶が床や、あちこちに『飛び散って』いた台の上に戻り。花たちも花瓶の中へと戻り。

 玉座も、壁を滑りおりて数段高くなった床の上に着地した。

 ぽこぽこ生えていた階段も、ゆっくりと床に、壁に、天井に沈み込んでいく。

 何事も無かったかのように。

 子供が、散らかしたおもちゃを片付けるように。

 全てが元に戻ると、最後に、ぼこん、と今までで一番高い、二十段ほどの階段が六花さんの眼前に現れた。

 それが『エッシャーの階段』と呼ばれた怪異の「顔」であると、誰に言われるでもなく理解した。


「……満足したかい、『エッシャーの階段』?」


 六花さんは幼子に向けるような穏やかな笑みを浮かべて、『彼』に静かに語りかけた。

 『彼』は頷かなかった。

 微笑まなかった。

 何も言わなかった。

 けれど、静かに『顔』を揺らして、しゅっと地面に引っ込んだ。

 それで、全部終わりだった。



 『神官さん』の話を纏めると。

 この国の王様と王妃様が喧嘩した。

 原因は、王様の浮気だった。

 王妃様は自分に従う従者や兵士を連れて、盛大な「実家に帰らせていただきます!」をした。

 王様は自分に従う従者や兵士を連れて、彼女を追いかけた。

 後に残ったのは、どちらにも従うに従えなかった、女の子が一人。

「私は、どちらの味方にもなれませんでした。どちらの敵にもなれないのと同じように。

どうしたらいいのかと迷っていたときにこの……『エッシャーの階段』? が起きて。

僅かな伝手を頼って、〈生命の樹〉に依頼させていただきました」

 これが、無人の城の真相です、と彼女は自分の両親の醜聞を溜息交じりに纏めた。



「……怪異って、なんなんですかね」

 『エッシャーの階段』が消失した後。俺は玉座の間の大きな窓から城下町を見下ろしていた。

 日が傾いて夕暮れ色に染まった町に、怪現象消滅の歓喜と、もうすぐ王様達が帰って来るという安堵が満ちていた。

 町の人達は、出て行った王妃様と王様に呆れつつ、代わりにたった一人の王女様の面倒を見ていたのだという。

 なんだかんだ、愛されている王族達なのだろう。

 六花さんはというと、そんな俺の隣で窓の縁に腰掛け、足をゆらゆらさせながら、裕也さんと王女様の話し合いが終わるのを待っていた。報酬について色々話すことがあるらしい。「王家の秘宝とかもらえないからね……」とは六花さんの弁。

「それを考え続けるのが僕の仕事で、一生終わりは来ないのだろうな、と思っているよ。

『エッシャーの階段』は『時間』とかいう人間の尺度に合わせてくれているし、比較的話も通じる事が今回わかったから、まあ大分人間よりの怪異ではあるかな」

「あんな怪現象がですか……」

「そう。

彼等の『営み』や『生き方』は人間の常識からはかなり外れている。

僕等が息を吸って吐き、お腹が空いたらご飯を食べ、眠たくなったら寝るのと同じように、彼等は法則をねじ曲げたり、人を殺めたり、理由も無く階段を生やしたりする。

『そうである』、『そのようにある』としか言いようのないものが世界の間隙に確かにあるんだ。

君だって、『どうして人間やってるんですか?』って訊かれても困るだろう?」

「……まあ、確かに……」

「怪異にとっても同じだよ。彼等にとっては理不尽で不可解な現象こそが『普通』なんだ。人の理屈では、はかれない」

「……それでも、六花さんは」

「人の常識や普通に反していたとしても。怪異の法則を見つけ出し、調査し、記録する。これが僕の仕事。……『解決』は、出来ないこともあるけれどもね」

 裕也さんがこちらに向かって手を振る。六花さんは頬を緩めて、ぴょんと床に飛び降りた。

「……だからさ、君さえよければ、また手伝ってほしいな。勿論今回の件も含めて、報酬は支払う。

それに、僕はまあ、その、色々なやり方で検証・調査をするから。腕の立つ人は多ければ多いほどいい」

 ……六花さん、今回みたいな、いや今回以上の無茶を沢山重ねてきたんだろうな。手の傷跡はその証拠だった。

 そう思うと、何だか放っておけなかった。

「……手が、空いてたら」

 見え見えの背伸びに、彼女は穏やかな、眠たげな微笑で返した。



 王女と別れて、三人で城下町をぶらぶら歩く。

 勿論散策やお土産探しの為ではなく、帰るために使う適当な扉を探しているのだった。

 夜ご飯何にする? 鶏肉がいいな、とのんびり議論している六花さんに「あの」と声をかける。

「何かな?」

「……『これにて一件落着』的な空気出してるところ恐縮なんですけど。『エッシャーの階段』がどうやって階段を生やしているのかって」

「全くわかってないね」

「…………どうして壁や天井に立てるのかって」

「全くわかってないね!」

「わかってないことばっかりじゃないですか!?」

「まあ、次の何時間かで解き明かすよ」

 根拠の見えない自信たっぷりにきっぱりと言い切って、またふわふわと歩き出した彼女を、苦笑した裕也さんと顔を見合わせて追う。

 橙の光に照らされた町には。

 商人が売る物を農夫が買い。

 貴族と冒険者がすれ違い。

 獣人とエルフが酒を酌み交わす。

 この町の『普通』が満ちていた。

 その普通の中を、怪異調査専門の夫婦とかいう怪奇の権化が歩いて行く。

 夜ご飯と、明日の昼ご飯について話しながら。

 邪悪な竜を打ち倒した勇者みたいに称賛はされないけれど。

 それが何だか逆に誇らしくて、俺は一人で笑った。



「けど、王様と王妃様が喧嘩して家出したなんて一大事、俺は聞いたことないですよ。噂にもならないものなんですかね」

 そう呟くと、ハートフルコメディみたいなお喋りしていた二人がぴたりと足を止め、すんと真顔になって顔を見合わせる。

「え、な、何か言っちゃいけないこと言いました俺?」

「えーっと、カイ君。正直に言ってほしいんだけど」

「は、はい」

 二人の今まで見てきた中で一番真剣な表情に、思わず姿勢を正す。

「まず、〈力〉からどれくらいの説明を受けた?」

「殆ど何も……」

「あの脳筋……」

「六花さん??」

「えーっと、あと、『異世界』とかいう概念について聞き覚えは?」

「確か違う世界から勇者が来たとかなんとかいう眉唾ものな噂話なら。……え、ここがその『異世界』とか言いませんよね?」

 否定してほしくて二人の顔を交互に見ると、裕也さんは六花さんに縋るようにちらっと目を向け、六花さんが溜息を吐いてめんどくさそうに真面目な表情を作った。

「いいかい、一回しか言わないからよく聞くんだよ」

「はい……」


「あのねーー『世界』というのは、今や億兆ではきかないほどあるんだ」


「……?」

「〈生命の樹〉はその無数すぎる世界を中立の立場から観測し、その世界の人々ではどうにもならず、また多数の死傷者が出そうな場合にのみ介入する。介入しないこともある。最近は異世界転生とか流行ってるらしいけど。それらには基本関与しないし、してない」

「……」

「そして僕等は、その京垓ではきかない世界の『一定条件を満たせばどこにでも』発生する怪異を、あっちこっち回って調査するのが仕事」

「……」

「今回の『エッシャーの階段』なら……『部屋という概念が存在する世界ならどこにでも現れる』怪異なんだよ」

「……」

「それぐらい説明されてここにいるのだと……あれ、カイ君?」

「立ったまま気絶してる」

「うそん……」



エッシャーの階段


出現頻度:中

危険度:低


「ただ遊んでもらいたいだけなんじゃないかな」

   ーー〈新月〉


 天井、四方の壁、床が存在する空間に発生する怪異。

 だまし絵で有名な画家、エッシャーの絵画を思わせる階段と、重力変調が発生する。なお、エッシャー本人やその作品とは全く関係が無い。

 この怪異が発生すると、床、壁、天井から五~十段程度の階段が現れる。また床と壁、壁と天井に接している階段に限り、昇降することで別の面への移動が可能。

 部屋の内部に存在していた物品は、固定されていない物に限り、その重量、重なり方にかかわらず部屋中に移動する。動いた物品の破壊・移動は不可能。これらの物品は怪異消失時に元に戻る。

 他の面を繋ぐ階段を使用すること以外、自分が立っている面から他の面への移動は基本的には不可能だが、一部の高さのある物品の上に登り、跳躍・落下することにより、他の面への移動が可能。

 出現時間は最短で一時間、最長で二十四時間。

 「部屋の中に入って調査をすること」が消失のトリガーとなっており、一時間調査をすると消失する(途中で調査を止めると『タイマーが止まる』)。

 「時間」の認識と、こちらをある程度知覚しているかのような「振る舞い」から、人間由来の怪異か、人間に合わせて「遊んで」いる怪異であると推測されている。

 XXXX年XX月XX日、一つの町に三日以上出現し続け、また部屋の外にも拡大する事例が発生。〈月〉両名及び助手が調査に赴き、一時間の調査を経て消失を確認。

 これ以降同様の事例は確認されていない。


見たかった 死神

 ←お前エッシャー好きだからな…… 運命

 ←……なんですかこれ カイ

 ←備考欄ってか自由欄? 好き勝手書いて良いよ 新月

 ←あまり怪異を人っぽく解釈するのはいかがなものかと 星

 ←レアキャラだ! 戦車

 ←囲め! 新月

 ←堪えていませんねぇ……まあそういうところが可愛いのですけど 星

 ←貴女何か妙に気に入られていますよね 魔術師

 ←もっとレアキャラだ! 新月

 ←囲め! 戦車

 ←二人で囲まれても 魔術師

 ←全員で囲みます? 星

 ←カバディ? 死神

 ←多分違ぇよ 運命


『滝』が一番好き。

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