第9話 穀潰しにはなりたくないのです
ヴィンセント辺境伯領へと引っ越してから幾日が過ぎた。
ここ連日、フェリクス様はお仕事が忙しいらしい。朝の食事もとらず、お仕事場となる地下迷宮管理棟に籠られているため、顔を合わせない日々が続いている。
相変わらず、やりたいことが見つからない私としては、居心地の悪さを感じている。
だって、これでは穀潰しと同じだわ。
ブライアンさんは気にすることはないと言って下さるけど、屋敷の主がいない食堂で豪華な食事をいただくのはとても気がひけるわ。
「フェリクス様はちゃんとお食事をされているのでしょうか?」
「ご安心ください。主が食べないと、他の者も食べなくなりますから、きちんと召し上がるようにいっています」
食後、ブライアンさんに尋ねると、彼はこれから食事を管理棟にまで届けるのだと教えてくれた。
「毎日届けているのですか?」
「管理棟にも食堂はあるのですが、自分がいては部下の気が休まらないと申しまして、そちらを使わないのですよ」
「……では、お一人で食事を?」
「はい。よくあることなので、お気になさらず」
食後のお茶を差し出してくれたブライアンさんは、失礼しますといって頭を下げる。
「ブライアンさん! あの、お手伝いさせてくれませんか?」
顔を上げた彼は、きょとんとすると首を傾げた。
「朝食をフェリクス様にお届けするお手伝いを、させてください!」
言い直すと、目を見開いたブライアンさんは、嬉しそうに「主がお喜びになります」といった。そうして食後のお茶をいただいた後、厨房に案内してくださった。
賑やかな厨房には、恰幅の良い料理人さんの他に、若い子も何人かいた。彼らは私の姿に気付くと、一同、驚いた顔をして動きを止めた。
「主へのブランチを、アリスリーナ様がお届けくださるそうです。食後のお茶は、後ほど私がお届けいたします。それ以外をお願いしましょう」
ブライアンさんの話に、どよめきが上がる。その中で、もっとも年長だろう料理人さんが、心配そうに私へ視線を送ってきた。料理長さん、かしら。
「侍女にもたせりゃ良いだろう。お嬢様のすることじゃない」
「ボーン、せっかくのご好意をそう言うんじゃない。アリスリーナ様、お気になさらず。彼は少々口が悪いですが、悪気はございませんので」
「ふんっ、口が悪いは余計だ。しかし、そんな細腕で大丈夫か? 怪我でもしたら大変だろう」
「ご心配をおかけして、申し訳ありません。あの、フェリクス様はたくさんお召し上がりになるのでしょうか?」
「サンドイッチと果物くらいだから、それほどの量ではないけどな。しかしだ。もしも転んだりしたら──」
「では、転んだりしないよう、気をつけてお持ちします!」
「……お嬢様が怪我をしたりしたら大変だって言ってるんだが」
私も役に立ちたい。その気持ちは果たして通じたのだろうか。料理人たちは顔を見合わせて何かこそこそと言葉を交わしている。
もしかしたら、令嬢の気まぐれやワガママのように思われたのかもしれない。たとえそうだとしても、何もしないで美味しいご飯をただ食べる日々は、やっぱり気が引けるのよ。
いたたまれない思いで立っていると、とさっと音を立てて作業台に大きなバスケットが置かれた。
見れば、ふくよかな女性が料理人たちに鋭い眼差しを向けている。確か彼女はフェリクス様の乳母で、このお屋敷の侍女たちをまとめられているニネット夫人だわ。私の母より少し年上だろう彼女は、このお屋敷では年長者に当たるだろう。
「つべこべ言わず用意しなさい。何を心配しているのですか。バスケットを運ぶくらい子どもでも出来る仕事ですよ」
ニネット夫人がぴしゃりと言うと、料理人たちは何かもごもご言いながらも、用意していたサンドイッチの包みや果物の入った器をバスケットに入れ始めた。それを確認した夫人は私の方を振り返り、朗らかに微笑んだ。
「アリスリーナ様、ご気分を悪くされないでくださいね。今まで、ここにご令嬢が立ち入ることなんてなかったので、皆、驚いているだけですから」
「いいえ、そんな……外ものの私が出しゃばってしまい、申し訳ありません」
「何を仰いますか。フェリクス様も、ブライアンが届けるよりも、アリスリーナ様がお届けになった方が嬉しいに決まってますわ!」
「……そうでしょうか?」
「そうですとも。アリスリーナ様との食事を楽しみにされてましたから、きっと、お喜びになりますわ」
食事をつめたバスケットの中身を確認したニネット夫人は、何が入っているか一つ一つ説明してくれた。
「ありがとうございます。きちんとお届けします。あの、管理棟は──」
「三階の渡り廊下から参りましょう。私も、あちらでお茶の用意をしますので、ご案内します」
「よろしくお願いします」
少し重たいバスケットを持ち上げてブライアンさんに頭を下げると、ニネット夫人が彼の背中をぱしんっと叩いた。そうして「フェリクス様の邪魔はするんじゃないよ」と彼に忠告をする。
ブライアンさんの顔が少し引きつったようだったけど、邪魔って何のことだろう。そんなにお仕事が忙しいのかしら。だったら、私も食事を届けたらすぐに戻ってくることにしないといけないわね。
バスケットは想像以上に重かった。
朝摘みのサラダ菜と玉ねぎ、トマト、オムレツ、ベーコンを挟んだ具沢山のサンドイッチに、お水の入ったボトルと器に入ったプラム。プラムは皮付きのままだけど、皮を剥いてカットしなくていいのかしら。そんなことを考えながら、先導して下さるブライアンさんの後をついて行った。
渡り廊下の向こうにある大きな建物が、ダンジョンの管理棟と呼ばれる場所らしい。その奥にはさらに高い塔まであって、より砦の雰囲気を抱かせる造りをしている。
「ここで働く者の宿舎もありますし、食堂や訓練場もあります」
「訓練場?」
「ダンジョン内に向かうこともあるので、戦闘訓練は欠かせないのです」
「まるで、騎士団のようですね」
「私たちはダンジョンの修繕や調査も行っているので、彼らのようにお綺麗ではありませんが」
むしろ冒険者協会の方が近いですよといって笑うブライアンさんは、参りましょうといって長い渡り廊下を進み始めた。
その途中、ふと横に視線を向けた私は、ここからそう遠くないところに大きな森を見つけた。
山のすそ野に広がる、何てことはない森。もしかしたら、童話に書かれていた場所かもしれない。
冷たい風がその方角から吹き込み、ドレスの裾がばさりとはためかせ、髪をかき乱して通り過ぎていった。
見上げた空は少し前まで晴れていたのに、一雨来そうな分厚い雲が広がり始めていた。
「アリスリーナ様、風が強くなってまいりました。お急ぎ、こちらへ」
少し先に進んでいたブライアンさんを追って廊下を渡り終えると、遠くからごろごろと雷鳴が聞こえてきた。
ぶるりと背筋が震えた。
雷は苦手なのよね。近づいてこないと良いのだけど。
フェリクス様がいる執務室の前に到着すると、案内をしてくれたブライアンさんは、お茶の用意に行くと言って去ってしまった。
ぽつんと暗い廊下に取り残され、とたんに不安が押し寄せてきた。
ああ、カレンを連れてくればよかったわ。
でも、彼女にも朝のお仕事があるし、ニネット夫人が仰っていたように、バスケットを届けるなんて子どもでも出来る仕事よね。
何かお役に立ちたいって気持ちは嘘じゃないし、これくらい出来ないでどうするのよ。──扉の前で悶々と考えていると、その向こうから声が聞こえてきた。
フェリクス様は誰かとお話をしているみたい。これって中断して入って良いものかしら。
少し躊躇して耳をそばだててみるけど、会話までは聞き取れない。邪魔をしたくないし、ブライアンさんを待っていた方が良いのかも。そう悩んでいると、すぐ斜め後ろの窓がびかりと光った。
直後、ドドンッと激しい落雷の音が響き渡る。
「きゃあああっ──」
私は堪らず悲鳴を上げてしゃがみ込んでしまった。
心臓がバクバクと鳴って、冷や汗が背中を伝っていく。
きっと、また雷は落ちるわ。すぐ側に落ちるかしら。このお屋敷に落ちたりしないかしら。どうしよう、怖い。
耳を塞ぎ、ぎゅっと目を閉ざしたときだった。私の名を呼ぶ声がした。
「──リーナ、アリスリーナ。大丈夫か?」
「フェ……フェリクス様……」
「凄い声だったな。こんなところで、どうした?」
仰ぎ見ると、いつの間に開いたのだろう扉の向こうから、フェリクス様が近づいてきた。
ああ、見られてしまった。こんなみっともない格好、子どもみたいって思われたのかしら。
恐怖と緊張、それに羞恥心で声が震えた。
「あ、あの……フェリクス様に、お食事をお持ち──」
すっかり腰が抜けていた私は、しゃがんだまま真っ赤になってさらに鼓動を早くする。そうして何とか立ち上がろうと試みたけど、再び激しい雷鳴が轟き、反射的に悲鳴を上げるのを繰り返した。
さらに大きな雷鳴にうずくまたら、もう、どうするのが正解かを考える余裕もなくなった。
「雷が苦手とは、可愛いな」
「か、かわっ……雷が好きな人など、見たことがございません」
「俺は好きだぞ」
目の前にしゃがんだフェリクス様は私の顔を覗き込んで楽しそうに笑う。
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