第7話 ヴィンセント辺境伯家での快適な日常
ヴィンセント辺境伯家での生活は快適すぎた。
美味しい料理とスイーツが毎日のように出されるし、厳しい教育もダンスのレッスンもない穏やかな日々だ。もしかしたら少し太ったかもしれないわ。
「カレン……私、何をしに来たのかしら? これじゃ、まるで避暑に来た令嬢だわ」
鏡を覗き込んでお腹まわりを摩っていると、カレンは少し目を丸くしたけど、にこやかに、良いじゃないですかといった。
「アリスリーナ様は少々頑張りすぎだったんです。息抜きに来たと思えば良いじゃないですか」
「でも、こんなに至れり尽くせりだと、色々と心配だわ」
「ウエストがですか?」
「それもあるけど……」
勿論、それだけじゃない。
どんなに親切にされたって、私が魔女の烙印を捺されていることに変わりはない。そんな邪魔者を側に置いておくことに、何のメリットがあるというのか。私に尽くしたところで、レドモンド家から感謝されるわけでも、宰相様から恩赦がある訳でもないだろう。
「貴族が何のメリットもない家門を庇ったりしないわ」
「それは、そうかもしれませんが」
「魔女として公開処刑される方が、まだ、利用価値あると思わない?」
「どうしたら、そんな考えになるんですか!?」
「どうしたらって……民衆の不満の捌け口によく使われる手でしょ。だから私も、そうなるんじゃないかなって思ってたのよ」
ヴィンセント家の人たちはとても親切だ。わざわざ処刑するため連れてきた魔女に尽くすというのも、変な話だから、私を呼んだのは処刑するためではないって、早い段階で理解できたけど。
だったら何が目的なのか、考えてみてもさっぱり分からない。
フェリクス様は、やりたいことをすれば良いと仰られたけど、急にそんなことをいわれても困ってしまうわ。
「いつまでもお世話になってばかりはいけないと思うの」
「と、申しますと?」
「フェリクス様は、ヴィンセント家の一員にって言って下さったわ。それなら、何か役に立たなければいけないわよね」
「役に立つ、でございますか?」
首を傾げたカレンは、小さく「そういう意味じゃないと思うのですが」と呟いて困った顔をした。
「お庭のお手入れを手伝うのはどうかしら?」
「庭師のご夫婦の邪魔になると思いますよ」
「図書室のお掃除や、本の手入れは?」
「お嬢様、使用人のお仕事を奪ってはいけません」
「それじゃ、お部屋のお掃除……は、カレンの仕事を奪うのね」
宰相夫人になるべく学んできたことなんて、何一つ役に立たないものね。社交界に出なければ、何の価値もない。
小さくため息をつくと、カレンがそっと私の手を取った。
「今まで頑張ってきたんですから、今はお休みください」
「……でも、申し訳ないわ。こんなに素敵なドレスまで用意してもらって……」
「ドレスの試着は大変でしたね。それを思えば、着ない手はありませんよ」
私はスカートを少し摘まみ上げ、カレンと顔を見合った。そうして、どちらともなく笑い合う。
だって、フェリクス様が呼んだ仕立て屋さんったら、あまりにもこだわりの強い方で可笑しかったんですもの。
「地味な色を選んだら、修道女にでもおなりですか、って言われたのには驚いたわ」
「どなたかの葬儀でしょうかとも仰られてましたね」
「フェリクス様が派手な色を選んだら、派手であれば良い訳ではありませんって、ぴしゃり言われてたし」
「王都であんなこと言ったら、すぐにでも投獄さますよね」
「でも、ここではそんなことお構いなしというか……フェリクス様も、楽しそうだったわ」
採寸は肩幅、胸回り、胴回り、足の長さに腕の長さ──ミリ単位で事細かに行われ、さらに、色味を合わせたりレースやリボンを選んだ。
試着は、貴族子女なら誰だって心躍らす時間だわ。王都では貴族に気に入られようと見え透いたゴマをする仕立て屋ばかりで、それに優越感を感じる人も多いみたいだけど、私は少し苦手だった。
だけど、フェリクス様の呼ばれた仕立て屋さんは、そんな素振りが一ミリもなかった。仕事へのこだわりが強いことが伺えたけど、話を聞かない方でもなかった。それがとても新鮮だったし、すごく楽しい時間をすごしたのよね。
あんな試着なら、何度でもお願いしたいわ。時間はうんとかかったけど。
「そういえば明日、新しいドレスが届くと聞いております」
「また届くの?」
「仕立て屋とすれば良い商売でしょうし、ヴィンセント様が良いと言われるのですから、お受け取り下さい」
「……お世話になってるから、お断りは出来ないけど」
でも、私は社交界に出ない。
いくら素敵なドレスを仕立てても無駄になってしまうというのに、フェリクス様は無駄になどならないの一点張り。困ったものね。
「それなら、お茶会を開いてはいかがですか?」
「魔女のお茶会に、誰が来てくれるのよ」
「きっと、ヴィンセント様が喜んで参加されますよ」
「それじゃ、いつものお茶の時間と変わらないわ。……私なんかじゃなくて、他のご令嬢に贈ればいいのに」
こんなに素敵なドレスをもらったら、どんなご令嬢だって喜ぶわ。もしも私がジュリアン様から頂いたら──あれ?
そういえば、フェリクス様ってご結婚はされていないようだけど、婚約者はいないのかしら。
「アリスリーナ様?」
「ねえ、カレン……フェリクス様に婚約者はいらっしゃらないのかしら?」
「──ご存じなかったんですか!?」
「え、何を?」
お茶の用意をしてくれていたカレンの声がひっくり返った。
「ヴィンセント様は、その……バツ二にございます」
「バツ……に?」
「十年前に迎えられた初婚は、三年間、夫婦の関係が認められず、奥様は外の男を招き入れてご懐妊。その子を嫡子と偽ろうとしたことが知られて離婚されました」
「……まあ……それは、なんて言って良いのか」
「次の奥様とも夫婦の関係が認められず──」
「また、外に男の方を?」
「いいえ。その方は少々散財をされたようで、屋敷のものを勝手に売りへ出したことがバレて、離婚となっています」
なんてことだろう。まるで巷で流行っている小説のような不運が、立て続けに起きるなんて。それでは、ご結婚をされる気持ちだって失ってしまうだろう。
フェリクス様を不憫に思っていると、カレンは、まだ終わらないとばかりに話を続けた。
「どちらのご令嬢も『かまってもらえず寂しかった』といっているようです」
「寂しかったからといって、やって良いことではないわよね」
「ええ。でも、三年間も夫婦の営みがないとなれば……ヴィンセント様にも問題はあるかと」
ここには私とカレンしかいないとはいえ、あまり大きな声で言うのも憚れるのだろう。彼女は気持ち声を小さくする。
「それにヴィンセント様は、奥様を一度はダンジョンへ連れて行くそうです」
「ダンジョンに?」
「はい。お仕事を理解させるためだそうですが……」
フェリクス様のご結婚相手が、どこのご令嬢だったかは分からない。だけど貴族令嬢なら、華やかな社交界で輝くために自分を磨いてきただろう。そんな方が突然、泥と血にまみれるような場所へ連れて行かれたら──それは確かに、現実逃避したくもなるかもしれないわね。だからといって、不貞を働いて良いってことはないけど。
「ご令嬢はダンジョンで魔物に襲われたそうで、その……ヴィンセント様が、殺そうとしたと噂になっております」
「どうしてそんな話になるの!? そんなことをしても、フェリクス様にはメリットなんてないじゃない」
「そうですが、ご令嬢方は死ぬ思いをしたと言っていたそうです。ヴィンセント様は、血も涙もない魔王の血を引いているから結婚が失敗したと、もっぱらの噂ですよ」
「フェリクス様ではなく、嫁がれたご令嬢に問題があるのに?」
「噂とは、そういうものにございます。その……私も、坊ちゃまからヴィンセント様のお話を伺うまでは噂を信じておりました」
「カレンまで……」
「今は違います! ヴィンセント様は、お嬢様をとても大切にしてくださいますし、噂を真に受けたことを恥ずかしく思っています」
「それなら良いのだけど。──辺境伯を快く思わない宮廷貴族が大袈裟に触れ回ったのかしらね」
浮気をしたり家財を勝手に売りへ出す方が、人として問題だと思うんだけど。
魔物に襲われたと言っても、怪我をしていないのなら、それが事実かは分からないわ。それに、恐怖を感じたことを、死ぬ思いと表現しただけかもしれないじゃない。どうして、そういったことを考えないのかしら。
もやもやとしたものを感じていると、目の前にティーカップが置かれた。
「辺境の地を知らないから、悪く想像してしまうのかしら?」
「そうですね。王都ではどうやっても宮廷貴族の声が大きいですから、そちらを信じてしまうのかと」
「……フェリクス様を知ってもらえたら、変わるかしら?」
「どうでしょうか。そもそも、ヴィンセント様は王都にあまり顔を出さないので、ご存じない方も多いですし」
「そうね。私もそうだったわ」
だけど、彼と話をしたら噂が噂でしかないことだって分かると思うのよね。魔王だなんて、とんだ評価だわ。
長身で美しいお顔立ち、輝く銀髪と金色の瞳。王都に住まわれていたら、きっと若いご令嬢が放っておかないわ。噂なんて気にもしないどころか、むしろ、離婚された方々を笑い者にするんじゃないかしら。
考えたら怖い話だけど、女社会というのはそういうもので、そこで上手く立ち回らなければ生き残れない。──私はいち早くリタイアになった魔女だけど。
「……一泡吹かせたくもなるわね」
フェリクス様の言葉を、ふと思い出していた。
私のことはどうでも良いけど、あんなに優しい方が誤解されているのは、許せないわ。