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悪役系侯爵令嬢からの手紙


「もう、おやめなさい」


 美しい、かわいそうな娘は私の忠告を無視した。うつむきそうな顔を上げて涙がこぼれそうな瞳のまま笑みをつくる。


「出来ません。出来ないんです。だって、大切だから」


 王子のそばに侍る栄華を得ているとはとても思えない微笑みだった。

 一歩も引かない態度にため息がこぼれた。手遅れだったのだと知った。

 噂の時点で手を回しておけば良かった。

 新入生の娘に婚約者が執着していると。それ自体は珍しくもなく、飽きたら放り出すだろうと静観していた。家の都合というものとほかの誰かの安全のために、贄に捧げるようなものであることは自覚していた。彼らは何も持たない者を選ばない。必ず、大事で守るべきものがあるものに手を出す。断ることが本人以外に不利益がでると教えながら。


 私のため息を勘違いしたのか友人たちが彼女を詰り始めるのを止めなかった。望んでその境遇にいるのならば仕方ない。

 震えている姿には憐憫を覚えるが、公の立場としては何も出来ない。


 私は、婚約者を奪われそうなご令嬢という立場を崩せない。

 家のため、私自身の保身のため、彼女のため。


「難儀なものね」


 この世界は、かくも生きにくい。

 ほどほどの幸せすら遠い。


 しかし、そろそろ潮時だろう。


 私は、ずっと怒っているのだから。

 不甲斐ない自分が、いつまでもこうしているから誰かを傷つけている。


 ならば、私が。



■ □ ■ □


 覚えてるかしら?

 貴方が初めて私の前に立ったとき。

 泣き出しそうな顔で、震えていたとき。


 ああ、この子が大切なものは守ってあげなきゃと思ったの。

 この子を助けることはできないからせめてそれだけは。と。


 でも、もう出来ないことを一応謝罪しますわ。

 元々お約束していたことではないもの。謝罪はいらないと言うかも知れませんけど。いい訳くらいはさせていただきたいの。


 申し訳ないけれど、これまでのことが許せない、と言うことではないの。

 そのまま行かせることは国交上の問題になりそうだから。

 だってそうでしょう?


 彼女は潔癖すぎる。


■ □ ■ □


 私はため息をついて封をする。辺境の修道院に送られた彼女に確かに届けるためにはいくつかの手順を踏む必要がある。正規では届くことはないがそこは権力の使いどころだ。


 今、国内は少しざわざわしている。

 具体的に何が起こっているということはなく、ただ、少し、落ち着かない。

 少しずつ歯車がズレはじめたような、すぐに元に戻るような居心地の悪さ。

 良いことなのか悪いことなのかまだ誰にもわからない。


 きっかけはある辺境伯の娘が修道院に送られたこと。


 建前は大したことのない痴情のもつれだ。それくらい自分たちで処理してほしい話を公衆の面前で行った結果といえる。


 裏側と言えば、王子の火遊びが火遊びで済むうちに処理出来ずに、彼女の思惑にはまった、ということだろうか。

 辺境伯の娘は、望んで修道院に送られた。そこはもう安全だから。

 もう関わってはこないつもりの彼女の話はそれでおしまい。


 残されている私たちはこの何とも言えない空気というものに対処しなければならない。一応、侯爵令嬢とされているのだから一族や一門を守る立場というものがある。


 以前から火種はあった。身分差を由来とするそれはずっとくすぶっていた。

 しかし、貴族と王族が仲を違えるほどではなく、ただ、不満としてそこにあった。

 平民にはまだ力が足りない。遠い国のように王権を倒せる日は来ない。

 貴族でも団結力が足りない。新しいマシな王になれるものもまだいない。


 それなのに、小さく、確かに、国家の根幹が揺れ始めている。


 降り積もった嘆きが、小さくとも確実に国を揺らしている。


 女の子は、母親の嘆きを聞きながら育つ。

 力無きモノは、いいようにされるだけかと。

 父の振る舞いを。兄の、弟の変容を。

 その目に焼き付けて、ため息をついて、絶望を胸に嫁ぐ。


 賢しげに振る舞う娘は、堕とされる。

 立ち回りが悪い娘も同じ。

 愚かな娘は家を滅ぼす。


 従順に見せながらも計算高くなければ生きていけないのだ。


「ああ、本当に」


 苛立たしい。


 この国は、というよりもこの世界はまだまだ男の権力が強い。女はただの所有物でしかない。自分の意志など必要ない。ただ、笑っていればよいと男は言うが、それは違う。自分の機嫌を損ねず、利益がある限り、許容する。

 違うとなれば切り捨てる。


 幼い頃から異世界の記憶を持つ私には耐え難い世界。

 優しい母がよくも見放さずに育ててくれたものだ。


 私は、何故、従わねばならないのかと問い続ける愚かな娘。今では口にしないが、それでも忘れていない娘をただ、見守ってくれた。

 よくわからない無表情にも見える笑顔で。


 たまに、お母様は何もかもご存じで、放置しているのかと思う時もある。


 だから、こんなお茶会を開催する要望が通るとは思っても見なかった。断られたときの手はずすら考えていたのに、母がご機嫌に手配をしてくれたときには戦慄を覚えた。

 大変恐ろしい。


 修道院に送られた娘には姉がいた。彼女は対外的には婚約者を妹に寝取られ、婚約破棄された後に異国の王子に求婚された、ということになっている。


 中々の玉の輿っぷりだ。

 全然、羨ましくないけれど。残念ながら、私の婚約者は王子様なのだ。残念だ。本当に残念で、いらないんだけど。


 まあ、その娘を送るためのお茶会を開催する。

 だけど実際は釘を刺す目的だったりする。貴族の娘としてあり得ないくらいに無防備でちょっとどころではなく不安になる。


 妹の態度の急変をおかしいとも思わず、ただ苦言を呈していたと聞いたときには頭が痛かった。

 王族との隔絶した身分差を思えば、相手の機嫌を損ねるような態度を取れるわけがない。なぜ、全く接点のない自分の婚約者を寝取るとかいう暴挙に出たのかもちょっと考えて欲しい。

 ほぼ、会ったことは無かったと調べればわかったはずなのに。

 そうでなくても友人や知人が疑問を言わなかったのだろうか。いや、私も悪かったのだろう。そのあたりの話を彼女にしようとはしなかった。

 素直すぎて、すべて明らかにし、すべて殺してしまいそうだから。


 そんな素直すぎる彼女が他国の王子に見初められて婚姻する。

 彼女が学院で学んだのは、領地経営に偏っている。社交についてある程度つきあってもいれば、色々な噂と付き合いも出るだろうがそれをほっといてである。辺境であれば社交が不要と思われがちだが、何かあったときに味方をしてくれるようなものはいたほうがいい。

 その面を全く重視していないということは不安でしかなかった。


 だから、このお茶会で釘を刺すわけだ。

 そのような社交軽視が国交上の問題になるようでは困るのだと。

 この教育の欠落は、手落ちというよりわざとのように思えてならなかった。貴族の社交というのは、きれいごとだけでは済まない。

 しかし、彼女には綺麗でいて欲しかったように。

 彼女の問題はそれだけではなかった。


 母がお茶会を始める前に告げたことを思い出す。


「ねぇ、わきまえていない娘が、異国で、何を起こすか知っているかしら?」


 沈黙した私に笑顔で返答する。


「わがままと知らずに言ったことで国を乱すの」


「……ええ、まあ、そうなると思います。私も」


 わがままとは何か。そして、わがままを通すためにはどういう下準備が必要なのか。その認識を覚えてもらうところから始めておかねばならないのだろう。

 だから、大変気が重い。無駄に背負わされた責任が。


 若い娘だけでするのもイヤなのだが、お母様世代がすると洒落にならないことになるので、一応、配慮はした形だ。


 本人は全く訳がわからないと思う。

 かわいそうに。

 男親に甘やかされ、女の親族が近くにいないとああなるのかと納得もしたけど。

 女性の貴族としての立場を理解していない。継承権を持っても添え物として存在し、自分で何かをしようとすればたたき落とされる。

 男より優れているものは排除されるのが当たり前と知らない。


 優秀な娘は喜ばしいだろう。しかし、己を超えなければ、だ。幸いというべきか、彼女は家を出る前まではそれほど優秀ではなかったのだろう。少なくとも父を超える者とは思われていない。

 だから、領地を運営したいと言う願いをきいていたのだ。できないと思っていたから。本気になんてしていない。


 それは、婚約者でもそうだ。私は自分の婚約者のこともついでに思い出してしまった。小さい頃は仲が良かったと思っていた。

 しかし、あれは自分より下のものに対する許容でしかない。

 隣に立つほどに、と思った瞬間、冷たくなった。驚いたほどに。

 それからだ。気まぐれに誰かを誘っては遊ぶようになったのは。最初は止めたが、それどころでもなくなり今は静観しているしかなくなった。

 それでも私は、婚約者詣でもしなければならない。遊ぶことをやめるように苦言を呈するのも相手の自尊心を満たすため。


 王族の婚約者などと喜ぶ女がいるのだろうか。確かに優秀で美形で、地位も権力もある。多少の女遊びくらいは仕方がないかもしれない。そつなく処理して後腐れもない。ただ、少し、人のことをモノと思っているんじゃないかと思うほどに冷淡だ。平等にどうでも良い方の人間だ。


 少しは情のある下級貴族の方がマシだと思う。


 どこぞの町娘に本気で恋して血迷ってくれないだろうかと思ったが、残念ながら全くその気配はない。

 辺境伯の娘にはご執心で失敗はしてしまった。その結果が、彼女の辺境の修道院送りだ。

 あれでまともな方な処理だと思えるほうが問題だろう。


 今まで一番悪い使い方をされるのは不敬罪だ。


 一回で問われることはなくとも回数を重ね、注意を無視すればいくらでも使える。

 本人が気にするなと言い、側近も冗談めいた注意でいても、最終的にはダメなのだ。そして、相手の意向を無視して立場に添った態度をとっても王子の気分を害した時点で詰む。


 ……近寄ってはいけない。

 あれは本当にダメな生き物だ。この情報は女性の常識レベルになっている。


 何の因果か私婚約者なのだけど。ほんといらない。


 この状態で言い寄られたのならば、ああ、かわいそうに、以外の感想が出てこない。間違っても玉の輿に乗れるという発想もない。

 手助けなどをしたいのは山々だが、相手は王族。圧倒的に権力が違う。

 後ろで多少の手回しはできても、王子やその側近に気取られるわけにはいかない。そこから何の言いがかりをつけられるかわからないのだ。

 身を守るために見捨てることはある。それでも、罪悪感や後ろめたさはあった。


 特に今回修道院に送られた彼女はこの一年、一人で頑張った。王子たちの興味は移り気で最長半年、短ければ一週間、それも複数人を相手にすることもあるという事情を考えれば驚異的だ。


 学院にいた女の子たちは今頃ほっとしているだろう。

 自分が選ばれず、王子たちが卒業していったから。しばらくは平穏のはずだ。高位貴族の子息はあと数年は入学してこない。


 もっとも貴族間の身分差はほとんど存在しない。あるのは経済格差であり、名はあっても貧乏だったり、爵位が低いとされても金持ちもいる。

 それも圧倒的な王族との差と比べれば無きに等しい。


 王権の強さも良いことはある。求心力のある王の場合、国は富むし、戦時下には指令系統が統一される良さがある。平和な時でもそれなりに効果はある。


 残念ながら愚王は今のところいない。愚かしければさっさと首のすげ替えをしてしまう。今は臣籍降下で済ましているが過去には斬首だ。


 その意味では王族は王族で大変に大変だ。常に結果を求められる。ストレスがたまることもわかるが、それを人にぶつけないでいただきたい。


 我々は命がけどころか一族郎党の問題になるのだから。


 その意味では、彼女は、どれほどの悲劇を防いだか、ということはひしひしと感じている。みているのが辛いほどに彼女は疲弊し、ある日吹っ切れたのか奔放に振る舞うようになった。


 あまりの変容にちょっとついていけない感があったが結果的には良かった、のだろうか?

 側近間と王子との間に多少の確執をつくったという意味では、どうなのだろうか。


 個人的には、ざまぁみろ、ではある。


 彼らはいなくなった彼女の代わりを求める事はなくなった。

 ふさぎ込んでいるわけではないが、どことなく気落ちしている王子のご機嫌伺いに忙しい。親族からの突き上げもあるだろうから彼らも必死だ。


 ……まあ、一人はうちの従兄なのだが。没落フラグは立てて欲しくない。


「お嬢様、お揃いになりました」


 侍女がわたしを呼びに来る。お茶会の準備が整ったようだ。

 大変気が重いが、年若い娘の中では一番地位がある私がするしかないことがある。それも彼女が自分の婚約者に泣きつかない程度にしておくように厳命されているが、難しいところだ。


 だって、私は妹を見捨てた彼女が嫌いなのだから。


 壊れていくのを見ているしかなかった私が言う言葉ではないだろう。しかし、実姉ならば気がついて、支えてあげても良かったのではないだろうか。


 大変甘い考えではあるのだけど。

 そうして、潰れていった人も見てきたにもかかわらず、それでも、救いになってあげて欲しかったのだ。ただ一人の姉ならば。


「今、行くわ」


 手紙を鍵のかかる引き出しにしまい私は部屋を出た。


「ご武運を」


 侍女の言葉にひらひら手を振る。

 貴族の令嬢らしくないとは理解しているが、彼女には色々ばれているのだから良いだろう。それは絶対に外に漏れないと知っている。


 忠誠度合いが桁違いだ。

 彼女を平民から侍女まで育てあげたのだ。家族をまかなえるほどの給金を渡して。王子はもう彼女など忘れているだろうけど。


 しかし、された方は忘れない。

 王家に対して反旗を翻すことが出来ないならば、家族に受けた仕打ちを忘れたふりくらいするけれど。

 ふり、なのだから、いつか復讐することだってあるだろう。それはきっと最悪の時に露呈する。


 楽しみだ。


 王子様たちが、どうなるのかが。



 彼女は一緒に楽しんでくれるだろうか。

 巻き込まないでくださいと迷惑顔をするかもしれない。


 それでも、同志は一人でも多く欲しい。

 革命するほどの力はないかもしれない。

 次の世代にはよりよいものを残すための努力をやめるわけにはいかない。


 願わくば、いつか生まれる私の娘が幸せになりますように。



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