尽くしたがりと尽くされ苦手
この世は昔、様々な種族で溢れていたという。
獣人・エルフ・魔族……。しかし彼らは種の強い人族と混じることで段々と消えていった。
今この世界に残るのは人族と、古い種族の流れをくむ稀族だ。
稀族はほぼ人と同じだ。しかし、強い感情の変化やストレスがかかると祖先の血が刺激され、人と異なる姿に変わる。中には先祖の血に任せ、暴れ散らかす者もいる。
稀族はその性質から国民から差別されていた。
しかし、先代の王族に代替わりした時に稀人を保護する方が整備され、稀族たちは段々と平和を手に入れる。
私、アリシアはそんな稀族の一人だ。
私は異形に変身することを恐れ、感情を抑える様にして暮らしていた。稀族だと他の人々にバレないように、静かに暮らしていた。
だが、どんなに頑張ってもどんなに隠しても、どこからか私が稀族であることがバレてしまった。
「稀族が同じ学園にいるだなんて、けがわらしい」
「有能な平民を集めると言っても、こんなネズミも紛れるなら考えようものですわよね。貴族は貴族。平民は平民で学び舎は分けるべきですわ」
「ストレスがかかるだけで我を失うからと甘やかされて……、これだから私達のような真面目な人族がまっとうに評価されないのです」
「……」
暇なお人はどこにでもいる。でも、「ストレスがかかるだけで我を失うから甘やかされる」というのは何となく納得できる。私達稀族は真綿の檻で暮らしていくんだ。
私は耳から耳へ、彼女たちの囀りを流しながら、静かにその時が流れるのを待っていた。
「だいだい、この学園はーー」
「それは学園及び王家に対する侮辱か?」
私が顔を上げると、いつの間にか黒髪のガタイのいい男子生徒が、令嬢たちの後ろに仁王立ちしていた。
それはこの学園に通う第二王子殿下の護衛騎士である、フェリクス・ランド様だ。
「フェ、フェリクス様……」
「稀族の人権を保障し、過去の差別をなくすことが貴族の責務の一つだと思うが?」
「お、おっしゃる通りです」
「”おっしゃる通り”……ね」
フェリクス様は冷たい瞳で、私を取り囲んでいた令嬢たちを見つめていた。
その場の空気もどこか冷えていくようであった。
「も、申し訳ございませんでした。フェリクス様」
「何に対して謝ってんだ?」
「それは、その……」
「もういい。目障りだ。さっさとどっか行け」
令嬢たちは逃げる様に走り去り、フェリクス様もまた立ち去ろうとした。私はとっさにその手をつかみ、フェリクス様を引き留める。
「あ、ありがとうございます」
「別に、騎士として当然のことをしたまでだ」
「いや、でも、助かったので、ありがとうございます」
私はフェリクス様の腕を離し、そのまま深く頭を下げる。彼が立ち去るまで頭を下げておこうと思っていたが、立ち去る気配がない。おずおずと姿勢を元に戻すと、フェリクス様はポリポリと頭をかいて何かを考えていた。
「? あのーー」
「俺はカッとなりやすい。だから俺が稀族でさっきみたいなやつに絡まれたら、すぐ異形になって殴り返すだろう。……でも、お前は耐えた。偉いと思う」
「……」
「お前は誇り高き稀族だ」
ぶっきらぼうながらも優しい声色で、フェリクス様は私にそう告げる。少し口角を上げたその表情は、爽やかな色気があるように感じた。
私は今まで、稀族なんて世界の隅っこで死んでいくような存在と思っていた。絡まれてもめんどくさいと思っていた。でも、フェリクス様には誇りを守るために、私が黙っていると思ってくれた。
この時のこの言葉で、フェリクス様について行こうと決めたのだ。この人が見ているモノを共に見たい、大事にしているモノを大事にしたいと本気で思った。
この人に幸せになって欲しいと思った。
× × ×
「フェリクスの見合いのセッティングをしてもらいたい」
「は?」
学園を卒業した後、私はフェリクス様を追って、騎士団に入った。とはいっても運動なんてできないただの平民だし、事務員としての就職だったが。頭と要領だけは良かった私は、すぐに出世でき、フェリクス様の率いる蒼騎士団の事務員になることができた。
フェリクス様が私との出会いを覚えているかはわからないが、それなりに仕事仲間としてうまくやっていると思う。
そんな私は、騎士団総長の部屋に呼び出され、わけのわからない仕事を押し付けられようとしていた。
「ふふっ、驚いているね。騎士団総長はフェリクスの左腕ともいえる君に、フェリクスのお嫁さんを探してほしいと言っているんだよ」
金髪碧眼の美丈夫が楽しそうに笑う。かつて学園時代にフェリクス様が護衛していた第二王子殿下だ。今は王太子である兄の補佐をしながら、悠々自適に暮らしているらしい。
私が騎士団総長と第二王子殿下の顔を交互に見つめていると、2人は「これは本気だ」とばかりに何度もうなずいた。
「レティシアとの話が破談になってそろそろ3年だろ? そろそろフェリクスにも身を固めてもらいたくてね」
「あぁ、なるほど……。でも、なぜ私が? 同性でプライベートでも仲がいいお二人が言った方が、フェリクス様もよろしいのではないかと思いますが」
その私の言葉に二人は肩をすくめた。
「もうすでに何回か言っている。でもね、あいつは次男だから跡継ぎのことは良いだろって言って逃げ回っている」
「無理に結婚させるのもあれなんだが……レオナルド様のご結婚が決まっただろ? 隣国から来られる妃殿下の警護に着くとなるとな、既婚者の方が障りがいい」
「他の騎士団に任せたらいいとあいつは言うが、要人警護させたら一流だからね~。そもそもキミ達の所属する蒼騎士団は、トップのあいつこそ結婚していないけど、既婚率も高いしね」
フェリクス様は騎士団の中でも1・2を争うぐらいに強い。しかし彼が一番その強さを示すのは、要人警護の時である。守るものがある時、フェリクス様は恐ろしい程の力を見せる。
隣国の大事なお姫様、ひいては国母となるであろうお方を、フェリクス様に任せたいのは当然のことだ。
「頼む。……妃殿下の警護はともかく、俺はフェリクスに幸せになってもらいたいんだ。俺はフェリクスのことを弟のように思っている」
「僕からも頼むよ。この手の企画立案は、キミの得意な所でもあるでしょ?」
2人の視線が、私に突き刺さる。
フェリクス様の幸せを望むのは私だけではないと、このとき実感した。
つまり、私の答えは一つしかなかった。
「……わかりました。全力を尽くさせていただきます」
× × ×
レティシア・マクドナルド様。由緒ある伯爵家の令嬢で、フェリクス様の元婚約者だ。
同い年であるレティシア様とフェリクス様は、幼い頃からの婚約で、それはもう仲睦まじかった。家同士の政略結婚であったが、それを感じさせないほどの仲だった。
しかしそれが崩れたのは今から3年前。私が、蒼騎士団に配属された年の雨季の時期だった。
ランド家とマクドナル家の不幸が度重なり、レティシア様とフェリクス様の結婚は先延ばしにされていた。しかし、ようやく結婚できるとなった時。レティシア様が身ごもったことが発覚した。ランド家とマクドナル家、ひいては王家まで上を下への大騒ぎとなり、結果、2人の結婚はなかったことになった。
レティシア様の子はフェリクス様との子ではなかったからだ。
レティシア様に裏切られた形になったフェリクス様の落ち込みようはすさまじかった。仕事こそするが、仕事以外は何もせず、反応もどんどん鈍くなっていった。
私を始めとした蒼騎士団のメンバーは、フェリクス様を人間に戻すべく行動した。休みの日はご飯に連れ出し、書類仕事を減らし、部下の指導を増やした。
事件から一年経つぐらいになると、フェリクス様も段々人間らしい生活に戻り始めた。今では廃人だった先輩は、私が憧れた先輩に戻っている。
レティシア様との話が破談になってからフェリクス様に恋人はいない。だがそうか、もう、フェリクス様も次の恋を考える時期なのだ。
私がグッと伸びをすると、事務室の扉が音を立てて開き、一人の青年が入って来た。
「先輩、言われていた貴族子女のリスト集めてきましたよ」
「あぁ、ありがとう」
そう言って部屋に入ってきたのは、マティウスという後輩事務員だ。元々騎士としてフェリクス様の部下だった彼は、怪我をし、事務員になった。貴族であるが根っからの後輩気質で、平民である自分にもタメ口を求めてきた。
私はマティウスと共に、リストを選別し始める。30人分近くある資料から厳選し、数人にまで絞っていく。名門貴族の令嬢から商家出身の成り上がり男爵令嬢まで、候補は様々だ。見るからにやばそうな娘をはじいていく。
「でも、お見合いのセッティングって余計なおせっかいじゃあないですか?」
「そんなこと言っても、上からの命令……いや、王命みたいなものだしね」
ブスくれるマティウスは、フェリクス様信者な所があるため、彼の意思を無視した今回の話が許せないのだろう。頬をプくっとあざとく膨らませながら、私を伺っている。
彼の言い分もわかるが、仕事は仕事。マティウスをやる気にさせるため、ポジティブな話題を出す。
「まぁ、結婚がすべてじゃあないけど、結婚で得られる幸せはもちろんあるから」
「それはそうっすね~。家でお嫁さんや子供が待っているとなれば、幸せに幅ができますよね。騎士団総長も結婚してだいぶ柔らかくなりましたしね」
「そうだね。……私、フェリクス様には幸せになってもらいたいんだ。だからこのお見合いは絶対成功させる」
「献身的っすねー。いっそのこと先輩がお嫁さんになったらいいんじゃないですか?」
思わぬマティウスの発言に、私は思いっきり咳きこんだ。
「いや、私平民だし、稀族だし、外聞悪すぎでしょ。幸せとは程遠いよ」
「……まぁ、フェリクス団長は気にしないと思いますけど、貴族社会にはアレっすかね」
「そうそう。私、フェリクス様には誰にも祝福されるような完ぺきな結婚をして欲しいから」
「出た! 先輩の完ぺき主義。……騎士団イチの事務員が企画する結婚は、中々凄そうっすね~」
マティウスと何でもない話をつづけながら、厳選した貴族子女のリストを確認していく。
「ーーあっ、そういえば、レティシア様の話知ってるっすか?」
「レティシア様?」
「なんでも、今の旦那と別れるらしいですよ」
「は?」
思わぬ人物の、思わぬ内容に、思わず声が大きくなる。マティウスもその内容の”やばさ”は分かっているようで、途端に声を潜める。
「うーん。なんというか、やっぱり上手くいかなかったみたいっすよ? ……そもそもの話、どっちも結婚までの戯れみたいなもんだったらしいっすからね」
「子供ができる予定ではなかった、と」
「ハイっす。それで、3年経って、愛も冷めたみたいな?」
愛が冷めたって……と頭を抱えたくなったが、ぐっと堪えて話を続ける。
「それ、フェリクス様も知っているの?」
「いや、うちが旦那の方の家の親戚だから知っているだけなんで、まだ知らないと思います。……でも、ワンチャン、レティシア様との復縁もありなのかなーって。まぁ、浮気女との復縁なんてオレとしては嫌ですけど、フェリクス団長がいいなら、それもアリかなって」
「あー、うん。そうだね……」
私は適当に返事しながら、手元の資料に視線を落とす。
私は私の道を決めてくれたフェリクス様に、幸せになって欲しい。でも、どうすれば先輩が幸せになってくれるのかわからない。
新しい可愛いお嫁さんをもらう。浮気者でも、大好きだった人と一緒になる。……それとも、こんな命令を無視してひとり身を貫く。
「……どの道が、フェリクス様にとっての幸せなのかな」
「先輩?」
「ごめん。何でもない。じゃあ、さっそくーー」
ドクン
心配そうにこちらを伺うマティウスに対し、明るく振舞おうとした瞬間。体中の血が燃える様に熱くなった。
「ーー先輩? 先輩っ!」
遠くでマティウスの声がしたが、返事することは叶わず、私の意識は闇へと落ちていった。
× × ×
「先輩! 意識、戻りました?」
意識が覚醒すると、私の視界はマティウスの顔で埋まっていた。
近い近い、と声を出そうとするが。喉が鳴るだけで、意味を成した音にならない。
混乱しながらあたりを見渡すと、どうやら全体的に大きくなっているーー
「先輩、稀族としての姿に成っちゃいましたね~」
は?
手元に視線を落とすと、そこには肉球と黒く小さな爪があった。
マティウスは私を撫でながら、体を膝に下ろす。
「まぁ、通常業務に加え、お見合いのセッティングで疲れが溜まっていたんじゃないすっか? オレ、稀族化? 初めて見たんすけど、どうしたらいいっすかね? と言うか先輩、稀族なら教えといてくださいよ~。ビックリしたじゃあないですか。あーでも、知られたくないもんなんですか?」
「キャウ」
「そっかぁ。じゃあ仕方ないっすね」
マティウスに稀族差別の気が無くてよかった……じゃあない!
どうしようか、モフモフの背に嫌な汗が流れているように感じる。
マティウスも冷静を装っているようだったが、少しは焦っている様であった。
「とりあえず脱げた服は紙袋に纏めたっすけど、こういう時ってどうしたらーー」
「入るぞ。アリシア、マティウス。この書類をーー」
ノックと同時に入って来たのは、先ほどから話題に上がっているフェリクス様であった。
獣の私の目と翡翠のようなフェリクス様の目が、ぱっちりと合う。
まずい。フェリクス様に見られた……。
私自身、稀族化した自分の姿を2回ぐらいしか見たことが無いが、犬のような体に、蛇のような鱗で覆われた2本の尻尾を持つ。とても奇妙で気持ち悪い姿だ。
「稀族……?」
「いえっ! オレの飼っている犬です!」
「キャン⁉」
「カバンの中に入って、ついて来ちゃったみたいで」
頭上から告げられる言葉に、動揺する。マティウス君???
マティウスは私の耳に口を寄せ、囁く。
「先輩、稀族なこと隠してんでしょ? ここは俺に任せてください!」
「キャウ……」
マティウス……。いい奴だな。
私は感動しつつも、冷静に頭を回転させる。私が稀族と知らない相手ならごまかされてくれるかもしれないが、フェリクス様は知っているはずだ。そもそも、犬と言うにはおこがましい姿だ。意味が無い。
しかし、フェリクス様が追及することはなかった。
「……そうか」
「アリシア先輩は、騎士団総長に呼ばれて今ここにはいません!」
「わかった」
私はマティウスと共にホッとしつつ、脳内に「?」を浮かべる。
フェリクス様は、学園時代に私が稀族としてなじられていたことを忘れているのか? 確かに、忘れていてもおかしくはない程、些細なイベントだったが……
と言うか、書類には私が稀族だということが書かれているはずだ。
少しだけ残念に思う私を置いて、フェリクス様は一枚の書類を取り出した。
「マティウス、この書類の処理を頼む」
「はい!」
「……仕事中、この子はどうするんだ?」
「え? あ、あぁ。賢い子なのでここで待ってもらおうと思ってます」
「俺が面倒見ようか?」
「はいっ?」
フェリクス様は、マティウスから奪い取るようにして私を抱えると、その頭を撫でた。
「俺は午後から休みだ。とは言え、夜からは警護任務があるから仮眠でもしようと思っていたが、この子の面倒ぐらい見れる」
「え、いやいや、ちゃんと寝た方がいいですよ!」
マティウスの言葉に同意するよう、頭を縦に振った。しかしフェリクス様はその意思を変えないようで、黙れと言わんばかりに美しい笑みを浮かべた。
「蒼騎士団長命令だ。お前はその書類を頼む」
「……はい」
マティウス助けてくれ! そんな言葉は獣の言葉に変わり、私はそのままフェリクス様に連れられて、部屋を後にした。
× × ×
「……」
「……」
騎士団の中庭。フェリクス様は無言で私の頭を撫でていた。もう10分になる。
だんだんと虚無な気分になる私と反対に、外は快晴で心地よい風が吹いていた。
「なぁ、そのお前はーー」
「フェリクス様!」
やっと話を始めようとしたフェリクス様を遮るように、甲高い声が中庭に響いた。
かわいらしい水色のドレスを身にまとった彼女は、ひらりひらりと私たちの下までかけてくる。フェリクス様は私を下ろし、立ち上がろうとしたが、イース伯爵令嬢が手で制す。結果、私はフェリクス様の膝の上に居続けることになった。
「イース伯爵令嬢……。今日はどうされたんですか?」
「父の職場に、差し入れを届けに来ました。フェリクス様はいかがされたんですか?」
「……休み時間に犬を愛でていました」
「……犬?」
「犬です」
きょとんと目を丸くする彼女は、お人形さんのようにかわいらしいかった。
イース伯爵令嬢。それはお見合いリストにあった名前だ。黒騎士団団長、イース様の次女。
「フェリクス様は犬が好きなんですか?」
「えぇ、まぁ。小さくてかわいいものは癒されますよね」
「……それは女性も、ですか? す、すみません。忘れてください」
……どうやらフェリクス様にお熱のようだ。しかし、フェリクス様の方は線を引いているように感じる。これは脈なしとしてお見合い候補から外すか? 反対に、イース伯爵令嬢は乗り気だからセッティングしてみるか?
かわいらしいイース伯爵令嬢とフェリクス様。少し子供っぽいところもありそうだが、フェリクス様はそれを支える気概がある人だ。なかなかいいかもしれない。小さくてかわいい年下の女の子に振り回されるフェリクス様……。うん、いい。
私が考えこんでいるうちに、イース伯爵令嬢のアプローチは進んでいく。いつの間にか話は、最近の不審者騒ぎに変わっていた。
「最近、不審者騒ぎがあるじゃないですか。……私心配で」
「騎士団の方でも調査は進めています。お帰りの際はお父様の黒騎士団に声をかければ、誰か家まで護衛してくれるでしょう。声をかけてきますか?」
「い、いえ。お手数をおかけするわけには……フェリクス様はいつ帰られるのですか?」
「私は、まぁ、いつでも。でも夜からまた仕事なので、今日は帰る予定はないです」
この子は暗に「送ってくれ」と言っている。まぁ、フェリクス様には通じなかったようだが。
しかし、これはダメだ。騎士の嫁たるもの、守られるだけではいけないし、尽くしすぎるぐらいではないとダメなのである。
心の中のリストにバツをつけながら、フェリクス様とイース伯爵令嬢の会話を聞き流す。
「……もしよろしければ今度、我が家にーー」
「イース伯爵令嬢!」
「ドロシー様」
フェリクス様たちの会話に低めの女性の声が介入した。
切れ長の目と美しい黒髪を持つ女騎士の彼女は、ドロシー・ソーヴァ。フェリクス様の学園時代の同期で、黒騎士団の若きエースだ。
「団長からお送りするよう申し付かっています。行きましょう」
「! だ、大丈夫です。家の者も馬車で待っていますし、一人で大丈夫です! それではフェリクス様、ごきげんよう」
イース伯爵令嬢は淑女らしさを保ったまま、走るかのような勢いで去って行った。
私たちはそれを唖然としながら見送ったが、正気に戻ったドロシー様がフェリクス様に声をかける。
「お嬢様と会話してくれてありがとう」
「……お前が礼を言うことじゃあないだろう」
「うちの団長の娘さんだから、身内のようなものだ」
そう言ってカラッと笑う彼女は、シュっとした爽やかさがあり、正に皆が憧れる女騎士だ。
「その膝の上の生き物はーー」
「犬だ」
「……犬?」
ドロシー様は訝しげだったが「そうか」と1つ頷いて、フェリクス様の横に腰掛けた。
「フェリクスは最近どうなんだ?」
「どう、とは?」
「見合いを勧められていると聞いたぞ。騎士団の中では噂になっている」
「!」
私とフェリクス様は目を見開いた。私が騎士団総長達から見合いをセッティングするよう頼まれたのは今日の朝だが、実際話が動いていたのはもう少し前からだ。だとしても、噂になるほどだとは思っていなかった。
驚きを隠せないフェリクス様と私(犬もどき)をおいて行くように、ドロシー様は話を続ける。
「ついこの間まで学生だったのに、気が早いよな。まぁ、既婚であることの利点も理解できる」
「……そうだな」
「もし、フェリクスがよければ私と結婚しないか?」
「あ?」
突然の申し出に空気が固まるが、ドロシー様は「今日の晩御飯はステーキです」とでも言うぐらいに気軽な感じである。
「私も実家から早く結婚しろと責められていてね。周りから結婚しろと言われている者同士、どうかなって思ってね。……契約結婚だと思ってもらって構わない」
嘘だ。ドロシー様の耳は赤い。
契約結婚にかこつけて、好きだったフェリクス様と結婚しようということだろう。
……なるほど、契約結婚か。なかなかいい話かもしれない。ドロシー様はフェリクス様とも仲がいいし、騎士同士として分かり合えることも多いだろう。今、フェリクス様に恋心が無くても、結婚生活を送っていく中で愛が芽生えるだろう。
しかし共働きとなると、色々大変かもしれない。もし子供ができたなら……。いや、貴族ならその手の事を気にしなくてもいいのか。
自立した関係の騎士夫婦……。誰もが憧れる関係になるかもしれない。
ここでフェリクス様がドロシー様の提案に頷けば、私のお見合いのセッティングミッションは破棄される。
私はフェリクス様の決断を待つために小さな首を上げた。
「悪いが、俺は好きな奴と結婚したい」
「っ……」
「もちろん、ドロシーのことは同僚としていい奴だと思っている。だが、結婚は違うだろ。お前も、いい人が見つかるさ。焦ることはない」
きっぱりと断るフェリクス様に対し、ドロシー様は一瞬傷ついたような表情になった。
しかしすぐに表情を戻し、カラッと笑う。
「そっかぁ。フェリクスは運命の人と恋に落ちたいってことか……相変わらずのロマンチストだな」
「好きに言え」
フェリクス様はプイっとドロシー様から視線を逸らすと、再び私を撫で始めた。……ずっと撫でているけど、よく飽きないな。
ドロシー様は立ち上がり、去る前に私の頭を一撫でした。そして目を細め、口を開く。
「……実はね、キミに厄介なお客様がお待ちだよ。私はイース伯爵令嬢の迎えじゃなくて、そのお客様のことをフェリクスに伝えに来たんだ」
「厄介な客?」
フェリクス様は、私を抱えたまま立ち上がった。
ドロシー様は言いづらそうに顔をゆがめながら、俯く。
「レティシア・マクドナルド様がいらしている」
× × ×
ドロシー様が言ったように、騎士団の客室にレティシア様がやってきていた。私は流石に立ち去ろうとしたが、フェリクス様に「ついて来てくれるか」と問われ、渋々その後を追った。
本当に今日はいろんなことがある。フェリクス様の見合いのセッティングミッションがある私にとっては、情報収集ができていいともいえるが……
扉の先にはピンクゴールドの髪を持つ美しい令嬢、いや夫人が、険しい顔で小さな息子と共に座っていた。
入室したフェリクス様に気が付くと、その顔がパッと明るくなる。
「久しぶりね……フェリクス」
「お久しぶりです。マクドナルド夫人」
「そんな、止めてよ。幼馴染なんだから。……足元の子は? まさか稀族ーー」
「新種の犬だ」
「……犬?」
「あぁ」
「わんわん!」
レティシア様の息子が楽しそうに私の近くにやって来た。息子様を楽しませるよう気を付けながら、私はレティシア様とフェリクス様の会話に耳を立てる。
「……弟が寂しがっていたわ。めっきり家に遊びに来なくなったって」
「それは悪かったが、……しょうがないだろう」
「……私の所為ね」
何がしたいねんこの女、と私は吠えたくなったが、流石に幼子の前で吠え散らかすことはできない。
流石に、この女を私は認められない。
この女に婚約破棄されたせいで、フェリクス様は人間不信になり廃人一歩手前になったんだ。大変だったんだぞ。いなくなったと思ったら、雨に打たれて呆然としていたり、眠ることができなくなって、常に目にくまを浮かべていたり。当時はみんなで持ち回りでフェリクス様を連れ出し、人らしい生活を無理やり送らせるようにした。私はそのシフトを製作し、フェリクス様の書類仕事を肩代わりし、フェリクス様の好きそうな紅茶や菓子を買い集めて、そっと出した。段々と反応してくれるようになると、本当にうれしくてーー。いや。そんなことは今はどうでもいい。
……しかし、フェリクス様が大人になったこの女となら幸せになれると言うなら、認めざるを得ない。私を撫でまわすこの子供と、幼馴染でもあるレティシア様との生活は中々幸せになりそうだ。いやしかしーー
相反する感情で尻尾をぶんぶん振る私を置いて、会話は進みはじめる。
「私、離婚するの。……彼、好きな人ができたんですって。お父様も、もうこの子がいるから好きにすればいいって」
「……そうか」
「私、裏切られて初めて、貴方にしたことの非情さを知ったの」
レティシア様の目から、わっと涙がこぼれる。思わずフェリクス様はハンカチを差し出そうとしたが、その手を途中で止め、膝で握りこんだ。
「でも、ズタボロになった私の脳内に浮かんだのもあなただった」
「……」
「図々しいお願いだとはわかっている。……でも、助けて欲しいの。フェリクス」
そこには思わず守りたくなってしまうような、小さくて綺麗な貴族令嬢がいた。私は怒りを忘れてレティシア様に見とれてしまう。
そんな私の耳に、低く響く心地いい声が入って来た。
「俺は綺麗な器に愛を注いでいたんだと思っていた。でもその器は壊れていて愛は満たされていなかった」
抽象的なフェリクス様の言葉に、私もレティシア様も目を丸くする。その言葉が意味するのはきっと、レティシア様との婚約破棄の事だろう。婚約中の2人は穏やかな関係だったらしい。でも、その穏やかさに耐え切れず、レティシア様は今の旦那さんと浮気したと聞いている。……レティシア様はフェリクス様に愛されて尽くされるより、強引にでも情熱的に求められたかったのかもしれない。
「レティシアとの婚約を破棄して俺の器は砕けたんだ。でも周りの奴が、砕けた器を修繕して、愛を注ぎ直してくれた。……俺は俺の愛をちゃんと受け止めてくれる奴に、愛を捧げたい」
「わ、私、今度はちゃんと受け止める」
レティシア様は顔を赤らめて、フェリクス様の手を取ろうとする。しかし、フェリクス様はその手をひらりとかわしてまった。
「レティシアが受け止める愛は、俺のじゃない。……その子のだろ」
フェリクス様の視線の先にはレティシア様の息子さんがいた。今まで静かにしていたと思ったら、いつの間にか私の尻尾に興味を持ったようで、捕まえようとその小さな手を振っていた。
「レティシア……、もう、俺の前には現れないでくれ」
「な、んで」
「それが俺たちと、この子のためだ」
明確な拒絶は、レティシア様に弁明の余地を与えないほど、きっぱりとしたものだった。外野の私でさえ、終わりなんだということが分かった。
× × ×
部屋に戻ると、そこにはマティウスは居なかった。
フェリクス様は客用のソファーに座ると、再び、私の頭を撫で始めた。
しかし今日は色々なことがあった。フェリクス様の嫁探しは難航しそうだ。
今日の話を総合するにフェリクス様は
・小さいものが好き
・愛されるより、愛したい
・好きな人と結婚したい
あと、フェリクス様の初恋と言ってもよかったレティシア様は、ピンクゴールドのふわふわな髪を持っていて、童顔だ。そこら辺も考慮すべきかもしれない。
この条件なら、今日あったイース伯爵令嬢もなかなかいい感じだと思うのだが、好きな人と結婚したいというなら、中々難しい気がする。そもそもの話、今好きな人がいるのだろうか? 私はレティシア様の未練が残っているのではないかと思っていたが、今日の感じを見るとそうとも言えないだろう。
どうしたら、フェリクス様は幸せになってくれるんだろう。やはり、本人に直接話を聞く方がいいだろうか。……でも、それは少し怖い。フェリクス様に「オレの幸せや結婚相手をお前に助けてもらわなくてもいい」的なこと言われたら、自分の存在意義が揺らいでしまうかもしれない。想像するだけで、悲しい。
ふと、私を撫でる手が止まり、見上げる。そこには優しい顔をしたフェリクス様がいた。
「アリシア……何か辛いことがあったのか?」
「!」
やはりフェリクス様は、この犬もどきが私だと気が付いていたんだ。もしかすると、わかった上で私が稀族化した原因を取り除こうとしてくれていたのかもしれない。
中身は私だと分かっているのにフェリクス様は、体を撫でまわす。今の私はただの犬もどきだが、どこか照れ臭くなる。身をよじらせる私を抑える様に、フェリクス様は大きな手を頭に乗せた。
「と言っても、話せないからな……。戻ったらぜひ聞かせて欲しい。お前がいないとこの蒼騎士団は立ち行かないからな」
「キャウ!」
そんなことはないと言うために、私は声を上げる。しかしながらフェリクス様には伝わらず、フェリクス様はコロコロと笑った。
「蒼騎士団が、じゃあないな。俺がアリシアが居ないとダメなんだ」
「⁉」
告白とも聞こえる甘い言葉に、私は目を見開く。ど、どういうことだ?
「レティシアとのことがあって、俺がダメダメになっていた時、ずっとみんなが支えてくれた。……その中でもアリシアは、ずっと俺の幸せを考えてくれた。『ご飯は手短な幸せの形』……だっけか」
それはかつて私が言った言葉だった。まさか覚えているだなんて。
「いろんな愛があると思う。アリシアは俺に温かい愛をくれた。俺はアリシアがくれた愛を返したい。愛しているんだ」
体がどんどん熱くなる。まさかそんな、フェリクス様の視界に、世界に、私はいたんだ。嬉しい。今までの全てが報われるようだった。
「どうせ、俺の結婚話を進めるよう騎士団総長あたりから言われていたんじゃないか? ……アリシアがよければ俺を助けると思って結婚して欲しい。……俺に愛されながら、俺を好きになって欲しい」
「キャン……!」
一瞬視界が暗くなったと思うと、私の視界はフェリクス様の顔でいっぱいになっていた。混乱したままその視線を落とすと、私の体は元に戻っていた。
「キャー――――⁉」
× × ×
私の稀族化から、数日後。私は騎士団総長と第二王子殿下に呼び止められていた。
「フェリクスに『勝手に見合いなんてセッティングすんな』って怒られたんだが、アリシアさんは大丈夫だったか?」
「あ、あぁ、はい。大丈夫です」
「よかった。僕らが頼んだことだからね。君が怒られてたら後味悪い。……でも、どうするかなぁ」
「……妃殿下の警護の事ですか?」
難しい顔をした第二王子殿下に対し、おずおずと声をかける。
「うん。まぁ、他の人間を警護に着ければいいんだけどね」
「黒騎士団のイース団長に頼むかぁ」
「……その、実はーー」
「俺はアリシアと結婚するから問題ないだろ。王太子妃の警護でも何でもやるが?」
「「⁉」」
私の後ろに、いつの間にかフェリクス様が立っていた。フェリクス様は自然に私の腰に手を回すと、そのまま引き寄せ顔を覗き込んできた。ち、近い。
フェリクス様は整った眉を困ったようにひそめている。
「……違ったか?」
「い、いえ」
「なるほどねぇ」
「は? お前たちそういう仲だったのか?」
第二王子は肩をすくめ、騎士団総長は驚きながら頭をかいた。
稀族化が治った後、私はそのままフェリクス様から告白された。「……はい」と返事をしたとたんに、マティウスが戻って来て有耶無耶になり、その後ゆっくり話す時間が無く、どうなったのかと思ったが、告白は成立していたらしい。
「見合い騒ぎの後から付き合いめたから、言うのが遅れた」
「なんだ。はー、まぁ、そういうことなら心配事が減ってよかったよ」
ホッとした様子の騎士団総長と反対に、第二王子殿下は真剣な表情でフェリクス様を見据えた。
「……本気で結婚するなら、これからはアリシアさんに尽くさせてばかりじゃあいけないよ。使い勝手のいい部下を家族にするって心構えじゃあないだろうね?」
「あぁ。もちろんです」
フェリクス様は腰に回していた手を、私の頭の方にやり、そのまま優しく撫でた
「俺は恋人には尽くしたい方ですから。これまで部下として尽くしてくれた分、恋人として尽くし返します」
一瞬ポカンとした空気が流れた後、第二王子殿下と騎士団総長は涙が出るほど笑い、恥ずかしさに耐え切れなくなった私は音を立てて稀族化してしまった。
「キャン!」
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