兄と妹、もしくは奇妙な小包について(1)
双子の兄の話をしよう。
燕兄は、いわゆる不登校だ。
掛橋燕也、十五歳。趣味は読書とインターネット、それとバスケットボールを少しだけ。中学三年生への進級と十五歳の誕生日とをほとんど同時に迎えた兄は、けれどもその一年前、中学二年生への進級とほぼ同時に学校へ通わなくなった。
勉強についていけなくなった訳じゃない、と思う。学校に行かないのならせめてと、両親が契約してくれた通信教育の課題はせっせと提出しているし、私が勉強でわからないところがあった時、最初に頼るのは燕兄だ。私が持ち込む古文や現国の課題を見ても、悩むことはあっても放り出すようなことは今のところ一度もない。ちなみに兄は文系。理系なら私の方が得意だ。
私たち双子はこういう、細かいところが似ていない。
学校に燕兄を害する不届き者がいる訳ではない、と思いたい。昔からの友達は変わらずウチに遊びに来ているし、なんだったら私も誘われて一緒にゲームをすることもある。
遊びに来た兄の友人は、皆揃ってこんなふうに言う。
「燕也、お前さあ。そろそろ学校、来いよ。つまんねえよ、お前がいないと」
そんな時、燕兄が言うことは決まっている。
「うん、そのうちにな。今はなー、なんとなく行く気がしないんだよ。でも、心配してくれてサンキュな!」
対戦中のゲーム画面から顔を上げて、手を止めて。自分のキャラクターが負けてしまうのも構わずに、からりと笑ってそんなふうに言う。
そんなふうに言われてしまうと、兄の友だちはたいてい呆気に取られた顔をする。言い返す気力のなくなった、しょうがないなって顔で笑って、いつか絶対来いよ、約束だからなと念押ししてゲームの二戦目を始めて、また来るわと笑顔で帰っていく。
学校のクラス担任だという先生を含めて、学校へ引っ張って行こうとする人たちは毎回このパターンでやんわりと、けれどきっぱりと追い返される。
父さんも母さんも最近はもう諦めモードだ。もともと放任主義で自由な部分が強い人たちだから、勉強している分にはうるさく言わなかった。両親揃って仕事が忙しくて、長く家を空けるたびに燕兄と私の家事レベルがメキメキと上がっていくのをただ見ているしかなかった後ろめたさなんかも関係しているのかもしれない。
兄は誰かに何かを言われるたび「そのうち、そのうちにな」をパズルゲームのお邪魔ブロックみたいに積み重ねていって、気付けばそれが一年分も溜まっていた。
溜まって溜まって、大きくて高い壁みたいになってしまったそのブロックを眺めては、もうこのブロックが消えてなくなることは一生ないのかもしれない、と私が考え始めた頃、それは唐突にやってきた。
兄の——燕兄と私の運命を決定的に変えてしまうような、そんな出来事が。
知らず知らずのうちに、静かに迫ってきていたのだった。
始まりは、夕暮れ時に鳴らされた呼び鈴の音だった。
季節は春。五月の大型連休を目前に控えたその日も両親は仕事で長いこと家を空けていて、私と燕兄はいつものように二人で夕飯の支度をしていた。
食卓に食器を並べていた私と、台所で忙しなくフライパンを振っていた燕兄は思わず手を止めて、顔を見合わせた。
「誰だ、こんな時間に。すず、悪いけど俺は手が離せないから、見て来てくれるか?」
「うん、わかった」
素直に頷いて——この程度のことで無闇に逆らったり、言い合いをしたりするほど私と燕兄は子どもじゃないし、仲が悪くもない——玄関へと足早に向かった。
どこにでもあるファミリー向け賃貸マンションの廊下はそんなに長くないのに、玄関にたどり着くまでにもう一度呼び鈴が鳴らされる。ずいぶんとせっかちな人だなあ、と思ったけれど、その鳴らし方にちょっとだけ心当たりがあった。
親しい人って意味じゃなくて、結果的に顔見知りになってしまった人と言うか。行きつけのコンビニの店員さんの顔を気付いたら覚えてたみたいな。なんか、そんな感じの人。
「はいはい、すぐ出ますよー」
玄関のところでサンダルを突っかけてドアスコープを覗き込むと、そこには案の定、知った顔が段ボールを抱えて立っていた。私はさして気負うこともなくドアチェーンを外す。
「掛橋さん、お荷物です」
掛橋さん、とお荷物ですの間に、いつもの、という言葉が聞こえた気がした。