漁師達の奮起
格闘大会にホーストを応援しにきた男達が息を切らせながらも恐怖に呑まれて逃げていた。
自分達ではどうしようもないと、足を引っ張るだけだと、町は壊滅するのだと、無慈悲な現実を受け入れてしまっている。
しかしホーストの影が一瞬だけ頭に浮かび男達の足が止まる。
僅かな間のみ止められた足が再び動き出す。
今まで走っていた方向は町に一つしかない灯台。目的地は変わらないが少し寄り道する場所ができたとばかりに、男達は二手に分かれて行動し始めた。
灯台に向かった一人の男――シャオンは他の場所へと向かった者達の想いを無駄にしないため、灯台内へと足を踏み入れる。古い階段を走って上り、ようやく着いたのは応援にすら来なかった男達がいる部屋。
彼らが冷たいわけではない。動かない彼らもホーストのことを大切には思っている。海が一番近い広場へ向かう勇気が足りなかっただけだ。灯台に戻ってきたシャオンもそれは承知している。だが理解していても言いたいことが口から出る。
「聞いてくれ! ホーストさんがピンチなんだ、俺達で助けに行こう!」
暗い場所で暗い顔をしていた男達は声につられて顔を上げる。
「ホーストさんが……?」
「ピンチって、何があったんだ?」
「格闘大会はめちゃくちゃだ。ク……クラーケンが広場に現れた! だから!」
心に傷を負う男達に向かいシャオンと同じトラウマを言葉にするのは躊躇される。だが彼自身、怖くてたまらなくてもちっぽけな勇気が背中を押してくれた。
「な、なんで、なんでクラーケンが来るんだよ!」
「俺達は何もしてない、何もしてないのに……!」
「終わりじゃ、死ぬんじゃ、死ねば苦しみから解放される」
暗い顔が恐怖に染まり叫び出す。
シャオンも含め実際に目にした二人も、出来ればここにいる者達と同じで灯台に引き篭もっていたいと思っている。
それでも出来ないのは――。
「あの人が……ホーストさんが戦っているんだ!」
仕事を辞めてどこにも居場所がない自分達を庇う恩人のためだ。
「あの人だけは俺達の話を聞いてくれた。クラーケンが化け物だってことは、あの人も分かっているはずだ。それでもあの人は、ホーストさんは町の奴らを守るために立ち向かっているんだ! 今度は俺達が助ける番なんじゃないのか!?」
「無理だ。俺達が何をしても無駄だ」
「そうさ、何も出来ない。怖いんだよ。お前だって分かるだろ」
「恩人を見捨てるなんて酷いと思う。でもさ……」
しかしながらシャオンの想いはあと一歩届かない。
待つか、向かうか。信じるだけか、動くだけか。悩みにより瞳は揺れていたがやがて閉ざされる。
彼らの心のトラウマをなくすことは簡単ではない。同じトラウマを持つシャオンも一筋縄でいかないと分かっていたが、まさか誰も立ち上がらないとは思わなかった。
ホーストが危ないというだけでは足りない。だからシャオンは状況を伝えるよりも、今でさえ男達の中で大きな存在であるホーストをもっと大きくする方が確実であると即判断する。
「……ホーストさんが俺達のことでどれだけ苦労してたのか、お前らは知ってるのか」
もちろん彼らとて迷惑をかけているのは承知している。
成人した男達五十人以上も養うには莫大な費用がかかる。一か月の食費だけでも一人一人の収入を超えていた。その食費も、ノルドでは海の幸が安いのに、男達が海に関わる物が苦手ということから他の地域より高めの食材を購入していた。料理を提供してくれても残す、手をつけないことだってざらにあった。だが彼らが想像する苦労はほんの一部分でしかないことをすぐ知ることになる。
「あの人は俺達を養うために悪行にすら手を染めた。金が足りないから、格闘大会の賞金目当てで犯罪を企てていた」
涙を浮かべてシャオンは語る。
「大会出場者を脅したりして……。俺達のために……町の奴らからの人気を失いかねないのに、それどころか牢獄に送られるかもしれないのに、俺達のために全てを捨てたんだ……!」
耐えきれずにシャオンの目から涙が零れる。
「俺達を見捨てないでくれたのは誰だ。家族にすら見限られた俺達に居場所を与えてくれたのは誰だ。全部、全部――ホーストさんだろうが!」
心の想いを全て言葉に込めてシャオンは男達の心に届くことを祈り叫んだ。
元から切れていた息をさらに切らせたので、一度深く呼吸してから男達を見据える。
「だからもう一度言う。……今度は俺達が助ける番なんじゃないのか」
返答はない。期待はできないかと思ったその時、誰かが立ち上がる。
一人立ち上がればまた一人、二人三人と増えていき、まともに動ける男は全員立ち上がった。いつの間にか男達の絶望しかなかった暗い瞳には光が宿りはじめていた。
シャオンは目を丸くすると微笑んで灯台の階段を下りていく。その後ろには五十人以上の男達が続く。
灯台から出ると、シャオンとは別行動していた男二人が大量の槍を持って待っていた。男二人は状況を理解したので薄く笑みを浮かべる。
「どうやら説得できたみたいだな」
「ああ、お前達も武器を用意できたみたいだな」
「そういうこと。お前ら、これよりホーストさんに加勢する! 地上から攻める者は槍を持て! 漁師の意地を見せてやるんだ!」
漁をしていた頃。大物であれば網で捕獲し、できなければ槍で突き刺して捕らえるのが日常であった。灯台から出て来た男達は久しぶりに持つ槍の感触を確かめて、軽く振り出す者までいた。そして勢いよく約五十人の男達がシャオンと共に駆けていく。
灯台では海を照らす赤い炎が灯されていた。
――無事に帰るべき場所を示すために。
* * *
ノルド町奥の広場で暴れるクラーケンは静まる気配がない。より一層凶暴性が高まって、町を破壊しようと前へ進み始める。
長い足が叩きつけられれば当たった地面が砕け、建物に当たれば崩壊は免れない。町にある住宅地はスレイによりすでに死者が出ているが、クラーケンが進んでいけば町民は町を捨てて逃げなければいけなくなる。
足がレミの〈大炎剣〉によりほぼ焼き切られたとはいえ、再生にかかる時間は数秒ほど。海の王者クラーケンは想像以上に強く全員が追い詰められていた。再生も無限ではないだろうが厄介なのは変わりない。
追い詰められる原因はもう一つ。強襲を仕掛けてきたイレイザーにある。
「イレイザー!? くっ、何の真似だ!?」
金属製の左腕で殴りかかって来たのでエビルは剣で受け流し、追撃を躱し、またあっさりと敵へ戻った目前の男へ剣を振るう。
間一髪といったところで距離を取ったイレイザーに攻撃は躱された。
「何の真似だとオ? そんな驚くようなことかア? 俺は初めからお前以外なんざアウトオブ眼中、町もどうなったって構わねエ。せっかくあのバカでかいイカ野郎の攻撃が止んだんでよオ、お前との勝負を再開させなきゃもったいねえだろうがア」
「勝負ならクラーケンを倒した後でもいいだろう。僕の中にある優先順位だとあの魔物を放っておくことなんて出来ない。力を貸してくれとは言わないけど、せめて邪魔だけはしないでくれ」
「知ったこっちゃねえなア!」
再び距離を詰めようと走ったイレイザーに――炎が襲いかかる。
走るのを止めた彼は「あちちちっ!」と軽く悲鳴を上げて横へ回避する。
「無駄よエビル、こいつは言うことなんて聞かないでしょ。そんなことより一番単純明快なのはここでこいつを焼き尽くすことよ」
「焼き尽くすウ? ケケッ、お前には無理だぜ火の秘術使いイイィ。こんな火力じゃパワーアップした俺の体は燃えやしねえンだよオ! 所詮お前如きが全力出したところでこの程度ってのを貧相な胸に刻めエ!」
「アタシがいつ全力出したって? その慢心が敗北の理由よ」
先程の〈大炎剣〉は相当な火力があるが全力とは程遠い。今のレミの全力というなら青い炎を出している。その炎、蒼炎は体力や精神力の消費が激しいためあまり使用しない傾向にあるが今は別。通常の炎が効かないと言うのなら、より熱い炎で敵の身を焼けばいい。
真っ直ぐにイレイザーへと向けた手から蒼炎が噴射される。
青いものは見たことがなかったようで彼は「青い、炎!?」と驚愕していた。そして瞬く間に全身を蒼炎で包まれて焼かれる痛みで叫びを上げた。
エビルには分かる。彼の叫びは演技ではなく本当に焼き尽くされようとしている。必死に腕や足を振ったりして消そうとしているが全て無駄な足掻きにしかならない。
「ガアアアアアアアア! 何なんだよこの炎はアアア!?」
イレイザーが焼死する――かに思えたその時、再生が完了したらしいクラーケンの足一本が伸びてきてイレイザーの体に巻きつく。
「クソがああああア!」
クラーケンは長い足で締めながらイレイザーを空中へと持ち上げる。蒼炎に包まれているので足に燃え移ったが気にしない。
高く持ち上げられたイレイザーは手首を動かして熱線を放つ。うまく狙いを定められなかったそれはひし形の外套へ当たるが大きな傷にはならない。人間相手ならどこへ当たっても痛手だろうが巨体のクラーケンにとっては無視される程度であった。貫通もしなかった傷口からは紫の血液が流れるがすぐに再生する。
攻撃されたこと、いや蒼炎が目障りだったのかクラーケンはイレイザーを遥か遠くへと投擲する。彼は真っ青な海へと猛スピードで投げられたため悲鳴を上げた。
「ヌオオオオオ!? エビルウウ、火の秘術使いイイ、お前達はイイなアアアア! 次は負けねエ、絶対に、絶対にお前らを恐怖のどん底へ叩き落してやるウウウウウウ!」
「……ふん、次なんかあるわけないでしょ。これで終わりよ」
水面に衝突したとき、高さが十メートルほどなら安全に着水できる。しかしこの時イレイザーが投げ飛ばされた高さは七十メートルを超えていた。落ちれば決して助からない。
空中では満足に動けず、蒼炎によるダメージで手足の自由がきかない。彼は落下する運命をどうすることもできず回転しながら背中から降下し、大きな水飛沫を立てた。
「デュポン、みんな……仇は取ったわ」
自らの手で、とはいかなかったがイレイザーは死亡しただろう。
アランバート王国での犠牲者をレミは一人も忘れていない。少なからず憎いと思っていたイレイザーの死は彼女にとって一つの区切りとなる。
ただ、今はゆっくりと感傷に浸っていられる状況ではない。
蒼炎に触れた足は海で冷やしているクラーケンをエビル達は見据える。この魔物を打倒しなければノルド町に平和は訪れないのだ。
「――クラーケエエエエエン!」
討伐する決意をして再度武器を構えた時、大勢の男達の怒号が広場に響く。
エビル達が大声の聞こえた方向へ振り向いてみると、逃げだしたはずの、灯台にいたはずの男達が槍を手に走って来ていた。




