憎き敵
新たな敵が現れたと理解したのかクラーケンの足がホーストに向かう。
直線状の攻撃であるため避けるのは容易いが、速度があるため少しでも判断が遅れれば直撃は免れない。
憎い敵でも見るかのような目でホーストは殴りかかったものの、拳が命中したクラーケンの足にダメージと呼べるものはない。ただの拳では当たる面積が小さいのもあり衝撃が行き渡らないのだ。現状ダメージを与えるにはイレイザーやレミが熱で焼き切るか、エビルの剣で斬りつけるかの二通りの方法しかない。
「ぐうっ……! おおおおお……!」
無傷の足がホーストの胴体にめり込んで、ホーストは骨が折れるような嫌な音とともに石畳を転がる。
「ホーストさん、どうして逃げないんですか!」
痛みで蹲るホーストに迫る足を斬り捨てながらエビルは叫ぶ。それに答えるホーストは途中途中白目になりながらも心と体に鞭打って立ち上がる。
「お前だけに、託すわけには、いかない……! 俺に攻撃がくれば、その分お前が楽になるだろう……! 囮だとでも、思え……!」
「そんなのはダメだ、危険すぎる! ホーストさんが死んでしまったら元も子もないですよ! 灯台で待つ人達がいるじゃないですか!」
「あいつらなら、もう一人で生きていける……!」
「ダメだ! 待っている人達を裏切るのは……罪です!」
エビル達にも変わらず足が向かっている。足が十本あるので、ホーストが加わっても二本以上の足が一人に向かう。だが瀕死状態のホーストのことは取るに足らない相手だと考えたようで一本しか向かっていない。
一本だけとはいえ、立つだけでも辛いほどのダメージを受けているホーストは苦戦する。
躱すことだけを考えて動くも、本来の速さで動けない状態では長く持たない。ホーストはついに長い足に掴まって持ち上げられる。
「ぐっ、ぐああああ!」
「ホーストさん! くそっ、なんで足が減らないんだ。もう何度も斬って、切断したものまであるはずなのに!」
「再生してるからよ! これじゃあジリ貧!」
「このままじゃ、ホーストさんが死ぬ。なんとか、なんとかしないといけないのに……」
じりじりと殺さないようにホーストは締めつけられる。それでも全身がバラバラになるかのような締めつけ具合だ。
「ここまで、か……」
「ホーストさーん! 諦めたらダメだ、僕達が必ず……!」
もう誰も死なせたくない。エビルは常にそう考えている。
今まで旅の途中で寄った場所、メズール村を除く全ての場所で死者が出てしまっている。そしてノルド町でもすでに魔信教に殺された者がいる。
故郷の村の時点でエビルは死を感じていた。もう悲劇を繰り返さないためにも正義感を持ち他人の死を阻止しようとする。……だが現実は甘くない。状況を逆転させる力など発揮できなかった。じわりじわりとホーストが死に近付くのが感じ取れるため余計に無力さを感じる。
「ちょいと待てやクソイカヤロオオオオ!」
――ホーストを締めあげていた足が大鎌で切断された。
それをやったのはエビル達の誰でもない、たったいま現場に到着したセイムだ。遅れてサトリもやって来て石畳に落ちるホーストを受けとめる。
宿にいたはずの二人の登場にエビルとレミは名を叫ぶ。
「グウアアアアアアア!? 超いってええええ!?」
着地したセイムは立ったまま腰を折って悲鳴を上げた。
「だから言ったのです、私があなたを投げて距離を縮めるなど危険だと! ただでさえあなたは全身が痛いでしょうに!」
「……すまない。誰かは……知らないが、礼を言う」
「礼には及びません。窮地に陥った人々を助けるのも神官の務めです」
もう限界が近いホーストはサトリに下ろされた後、礼を言いつつまたクラーケンへ向かおうとしたが片膝をついてしまう。
「一気に決めるよ……大炎剣!」
そんな時、レミが周囲に炎を出し始めると右手に一点集中させる。
赤い炎は小さく丸い玉になってから一気に膨れ上がって剣を形作った。空に向かって伸ばした巨大な炎の剣を構えれば、高熱が空気を歪ませ、火の粉が空中に舞う。
大炎剣を持つレミは腕を横に動かして、エビル達の頭上にあったクラーケンの足を薙ぎ払う。十本の足は見事に焼き切れて、一時的にクラーケンの足は全てが切断された。
高火力の炎は一度攻撃が終わると霧散する。敵の攻撃が一時的になくなったのを確認してからレミはエビルの元へと駆け寄る。
「すごいじゃないかレミ!」
「えへへ、あんまり数を使えない大技だけどね」
「おかげで休む暇が生まれたよ。ふぅ、セイム、サトリ! 二人共、ホーストさんを見ておいてくれ! 余裕があったら広場端にいるカウターを打倒してくれ!」
クラーケンもそうだがカウターもどうにかしなければいけない敵の一人。エビルも何とか倒しに向かいたかったがクラーケン一体の相手で精一杯だ。一応イレイザーも勝手に戦ってくれているのだが、いつこちらに牙を剥くか分からない。
「余所見してんじゃねえぞオ、エビルウウウウウ!」
そんなことを思っているとイレイザーが歪んだ笑みを浮かべたまま疾走して来た。クラーケンのことなどお構いなしに彼はエビルへ牙を剥く。
* * *
魔物使いカウターは格闘大会景品であるブルーオーブを探していた。
景品は箱にしまわれているが広場の隅に放置されている。広場に下りたカウターはすぐに景品がある場所へと向かって箱を漁っていた。
「これがブルーオーブ……」
そして今、目当てのオーブを手に取っている。
景品が入っていた箱から取り出してカウターはオーブを観察する。海のように青く透き通った球体はやや大きめで、片手だけでは持つことができない。いや持てることには持てるが手が滑って落ちそうなので両手を使っている。
「グリーンオーブもそうだけど、綺麗なだけだねえ。いったいお頭はこれをどうするつもりなのやら……。まあそこはどうでもいいか、早いとこ撤退しないとね」
「そうは問屋が卸さないってな」
「ボウヤは……!」
もう町から出ようと歩き出した時、カウターの前に現れたのはセイムだ。
大鎌を担いで薄ら笑いを浮かべるセイムをカウターは鋭い目で睨む。しかしそれも少しすれば雰囲気が緩んでいく。
「ふふふ、あなた一人で止められると思う? すでにボロボロじゃない」
実際にセイムはボロボロな状態である。見た目からもだが、内部も昨日の〈デスドライブ〉により痛みが襲っている。詳細を知りはしないカウターだが戦えば自分が勝つことだけは確信している。
「レディーを攻撃するのはあんまり好きじゃないがね、やるときはやる男だぜ? だがその前に聞かせてくれよ。そのオーブ、いったい何の目的で集めているんだ?」
「さあね、そんなことはお頭に訊いてよ。私達は手足にすぎないんだから」
「じゃあもう一つ、魔物を使役するってどうやってるんだ?」
「魔物を使役するなんて普通はできない。でも私がしているアクセサリーが可能とするのよ、まあ今のボウヤに取られるほど間抜けじゃないけどねえ」
まじまじとセイムはカウターを凝視する。つけているアクセサリー類といえば首飾りくらいのものだ。
「へぇ、じゃあ」
「これで終わりですね」
「……は?」
いつの間にか背後にいたサトリがカウターの首飾りを素手で引き千切る。
気配すら悟らせない隠密行動により、カウターがセイムが話している間に回り込んだのだ。注意を目前の男に向けすぎたのがこの失態を生んだ。
「これでクラーケンとやらも」
視線をクラーケンに移すが止まる気配はない。
「……止まりませんね」
「ふ、ふは、はははは! 誰がその首飾りだといったの? 一つしか付けなかったらモロバレバレだからね、アクセサリーなら他にもつけているのよ。当然でしょう」
「関係ねえよ、道具は使用者がいなければ効果をなさない」
「ふ、あ?」
――大鎌が胸を貫通していることにカウターは遅れて気がついた。
サトリに目を向けた一瞬でセイムが大鎌を振っていたのだ。戦闘ではその一瞬が命取りになることもある。
「バカ、な……」
呆気ない最期だが戦闘の終わりは常に呆気ないものだ。たとえどんな人間だろうと心臓を貫かれれば呆気なくその命を散らす。
血を大量に地に零すカウターも例外ではなく、あっさりと地面に倒れ伏す。
「言っただろ。殺るときは殺るってな……」
本当は女性を殺したくなかったセイムだが殺さなければいけないときもある。死神という種族でなくても、誰かを殺さなければいけない場面というのはあるものだ。悲しげな表情でセイムは物言わぬ死体と成り果てた女性を見下ろす。
「さて、今度こそクラーケンが」
視線をクラーケンに移すサトリの目には、相も変わらず暴れるクラーケンの姿があった。
「……止まりませんね」
「まあ魔物だしな。元々気性が荒いこともあるし、暴れないなんてことはねえだろうな」
使役される前から漁船を沈めたりしている凶暴な魔物がクラーケンだ。
海の悪魔とすら呼ばれる魔物が温厚なわけがない。カウターの支配から解放されたことで、一層凶暴性が高まり暴れ回る結果となる。