町人の被害
二人の男女がノルド町内を歩く。
プラチナブロンドの長髪。豊満な胸部。青い線が入っている白を基調とした法衣を身に纏う女性、サトリは周囲を見渡しつつ口を開く。
「しかし……ひと気がありませんね。昨日はあれだけ騒がしかったのに」
「格闘大会が人を集めてるみてえだな。あの野郎がそっちに行ってなければいいんだが……不安だぜ。俺達も強くなったとはいえあの野郎も相当だったからな」
サトリに言葉を返したのは黒髪褐色肌の男、セイム。
大鎌を失った彼には黒いボディースーツとマントしかない。死神の一族は大鎌が近くにないと落ち着かないらしく彼もどこか焦っている。まあそれは別の要因も関係しているだろう。二人の目的は町に出没した殺人鬼、魔信教に所属しているスレイを捜索して討伐することなのだから。いつ被害者が出るか、それとも自分達の前に現れるのか気が気でない。
「ちっ、やっぱりいねえか。期待はしてなかったけどよ」
「殺人があったというのはこのあたりなのですか?」
「ああ、確かコルスって言ってたかな。早くあの野郎を見つけねえと被害者が増える一方だ……! 格闘大会やってる場所じゃ何にも起きてねえみてえだがよ……!」
町中はまるで深夜のようにどこか不気味で人影一つない。
格闘大会会場であるノルド町最奥の広場からは、離れているのに歓声が微かに聞こえてくる。逆にそれ以外の場所は音が全て広場の方に持ち去られているかのような静けさだ。広場で大会が順調に進んでいる証でもある。
二人がいるのは昨日殺人事件があった、セイムがスレイを見つけた場所だ。時間が経った今では遺体も野次馬もないので静かである。
――だからその静かな場所では悲鳴が強く響いた。
「きゃあああああああああああ!」
唐突に聞こえた女性の悲鳴に二人は反応して周囲を見渡す。
「見える場所には誰もいませんね。しかし今の悲鳴、ただごとではありませんよ」
「分かってる、でもどこから……」
さらに続いてガラスが割れる音がした。
「セイム、付いてきてください!」
「どこか分かるのか!?」
「ガラスが割れる音がしました。耳に意識を傾けていればそこそこ聴力はいいので、音の発生源も特定できます」
「……地獄耳か?」
ガラスが割れた音はほとんど聞こえなかったのでセイムは目を丸くして驚く。
それから音の発生源まで駆けた二人はとある民家の前で立ち止まる。もう何も音はしないが、セイムが「ここか?」と問いかけると「確かにここから聞こえました」とサトリが断言する。
民家の扉をノックしてみるが返答はない。二人は顔を見合わせ、いけないこととは分かっているがその扉を家主に無断で開ける。意外にも扉には鍵が掛かっておらずすんなりと開いた。
家主がいないなら鍵は掛かっているはずだ。ノックしても反応がないことから鍵が掛かっていれば外出しているのだと納得できたが、開いてしまえばそうも思っていられない。何かあったと思うのが自然だ。
勝手に家に入ることにサトリだけが罪悪感を覚えつつ、不自然なほど静かなことに警戒を強める。ここに敵がいてもおかしくないので二人は声と気配を出さずに進む。
注意しつつ足を進めて二人は一番近い扉を開ける。部屋に入るとそこは食卓と料理が置いてあり、食事部屋であることが推察される。しかし異常なことが一つ。食卓近くの椅子には女性が血を流しながら座っていた。体のあちこちに刃物で刺したような傷があることから、死んでいるとすぐに理解する。部屋にある小さな窓ガラスが割れていることから音の発生源はここで間違いないとセイムも判断した。
「死んでいますね……なんと無残な」
「クソッ、遅かったか!」
「恨みでもあるかのような殺し方ですね。犯人は窓ガラスを割ってから外に逃げたようですが……すれ違わなかったですし、裏路地でしょうか」
「この刺し傷、やっぱりあいつか……。サトリ、今すぐ追うぞ!」
「はい、犯人を早く捕まえなくては」
そう言うと二人は互いに逆方向へ走り出す。だがすぐに気付いたので振り向いて注意するように叫んだ。
「おいこの窓から出た方が手っ取り早いだろ! 急いでんだからこっちから出ようぜ! 犯人が逃げたのはこっちなんだからよ!」
「余所の家に勝手に入るのですらいけないというのに、最初と最後くらい玄関から出ていくのが常識だと思いますがね! 犯人が窓から逃げたという確証もないですし!」
それぞれの言い分を口にしたあと、サトリは割れている窓を一瞥する。
「それに……私では通れそうにないのです。私は玄関から出るので気にしないで、早く追跡した方がいいでしょうしあなたは窓から追ってください」
小さな窓は人が抜けられる程度の大きさがある。肩幅は女性であるサトリの方が狭いし、むしろ身長も体格も勝っているセイムの方が通りづらそうなのだが、この窓はセイムでも通れそうなのになぜ彼女が拒否するのか。
「はぁ? こんくらい俺達なら通れる……いや、まさか……おっぱいか!? おっぱいがでかすぎるから通れないってことか!?」
サトリが隠そうとしていた事実に察しがついてしまったセイムはつい叫ぶ。彼女は自分の大きな胸を腕で隠してセイムを睨みつける。
ここにいるのがレミなら問題なく通れただろう。しかしサトリの胸囲は服の上からでも平均以上なのが分かるほどに大きい。小さな窓を通れないのも仕方がなかった。
「……もう少し言い方があるでしょう。鼻の下が伸びていますよ」
「なっ、なわけないだろ!? クソッ、今は早く犯人を揉まなきゃいけねえんだ」
「追わなきゃいけない、の間違いでしょう? 動揺しすぎです。とにかく私は玄関から行きます。セイムは通れるなら窓から外に出てください」
「いやいいって、別に分かれて行動する意味なんてねえし俺も玄関から出るっての。玄関なら誰でも出れるからな」
結局二人は玄関から民家を出て犯人の捜索を再開した。
大通りには誰もいなかったことから、サトリの予想が合っているかどうかを確かめるべく裏路地に駆ける。大通りにいないのなら裏路地に居る可能性は確かに高い。窓があるなら割って入って奇襲も出来るし殺人鬼にはうってつけだろう。
迷路のように入り組んでいる場所もあれば、一本道で行き止まりな場所もある。見逃しがないように全ての裏路地を見て回ろうとしていた二人は奇妙な道を見つける。
その道は広範囲にわたって黒く焼け焦げていた。
燃えるような物も民家以外はないし、火事など起きれば民家もただではすまない。だというのにその一本道は燃えたというよりは全てが焦げついていた。
焦げていることからあまりいい臭いもしない。息を吸っただけで肺が汚れるような感覚さえある。この現象を起こした犯人がスレイであると察したセイムはあちこちを見渡す。
「これはあの野郎が持っていた魔剣の能力と同じだ、逃げる前に見たから間違いねえ。レミちゃんみたいに燃やすんじゃなくて焦がす力。確か魔剣の名前は……」
「――ダークフレイズ」
誰かが後ろから声を発したので二人が振り向くと、そこには黒いローブを着ている長髪の男がいた。両手に刀を持っているその男はセイムが戦った男と同一人物だ。ずっと捜していた相手を目にしたことでセイムの目は細まり表情は険しくなる。
「セイム、この男が?」
「ああ。魔信教の四罪、クソッたれの狂人だぜ」
「クックックック、これはまた逃がした獲物がやって来てくれたな。嬉しいぞ、ようやく死を受け入れようとしてくれているんだからなあ」
「へっ、死を受け入れてねえのはテメエの方だろうが。一度くたばったはずなのにしぶとく蘇って来やがって……! この町の人間ぶっ殺したのはテメエだな!?」
「そうそうそうそう、もう二十人は黄泉の国へと送らせてもらったんだよなあ。素晴らしきことなんだぞこれはあ、前回の死神の里ではあんまり送れなかったからなあ……!」
もうすでに被害者が出ているのは先程の女性で知っていたが二十人という多さに二人は衝撃を受ける。いや、セイムはそれくらい殺されていてもおかしくないと思っていたのでサトリより精神的ダメージが軽い。
押さえる人間がいなかったためにスレイがいるだけで殺人が起こる。考えられる最悪な状況はまさに今人々が集まっている広場に向かわせてしまうというものだ。広場にスレイが行ったとすれば広場は真っ赤な血の海になるだろう。格闘大会どころではない、町人全員が殺されてしまう。
「何ということを……! セイム、何としてもこの男はここで仕留めましょう! この男は生きているだけで害悪にしかなりません!」
「……サトリ、少しの間一人で耐えられるか?」
ようやく敵を前にしたというのにそんな問いをしてくるのでサトリは怪訝に思う。今すぐにでも殺したいはずなのになぜそんな質問をするのか。
「容易く負けるつもりはありませんが……どうしました? まさか今頃あの男に臆したわけではないでしょう?」
「へっ、なわけねえだろ。ただ冷静になってみるとやっぱり武器がねえと戦いづれえからな、ちょっくら回収してきたいんだよ。この場所はちょうど昨日大鎌を落とした所の近くっぽいしな」
「そういうことでしたか。いいでしょう、あなたが戻って来るまで私は一人で持ち堪えましょう。……いえ、もしかしたら一人で戦闘不能にまで持ち込んでしまうかもしれません。早めに拾ってきた方がいいですよ」
セイムは大鎌を使わないで戦ったことなど数える程しかない。素手でも並の人間に負けることはないが、スレイ程の実力者が相手ともなれば勝てる気がしない。仮に素手で加勢しても足手纏いになりかねない。
自分も戦うためにセイムは「サンキュ!」と走って大鎌を拾いに行った。