悪魔即殺は神官の常識
陽が落ちかけている頃、泊まる予定である宿屋へと帰っていたエビルは、偶然反対側から歩いて来たレミとサトリの二人とばったり会った。宿屋の入口前で合流した三人は口を開く。
「エビル、今帰ってきたのね」
「私達も今帰ってきたところです、奇遇ですね。観光は出来ましたか?」
「無駄な時間を過ごさずにはすんだよ。二人はどうだったの?」
そうエビルが問いかけるとレミは残念で悲しそうな表情になる。
「それがさあ、食べたい物はいっぱいあるのに食べられる店が少なかったのよねえ。なーんでアタシ達が来た時に限ってこうなるかなあ」
「営業している店舗が現在少ないようです。なんでも最近魚の捕獲量が減った、いえ漁師が減ったとも耳にしました」
漁師が減った原因ならエビルはホーストから聞いている。
海の悪魔と呼ばれる魔物を恐れているからだ。やはり影響はかなり出ていると実感しつつ「それなら僕も聞いたよ」と頷いておく。
「正直残念だったのは確かなんだけどさ」
レミが俯き、再び顔を上げた時には悲しみから怒りに表情が変化していた。
「ああもう苛つくわあの男! ねえ聞いてっ! サトリと一緒にお店に入ろうとした時にさ、丁度出て来た男がぶつかっといて謝りもせずにどっか行っちゃったのよ! 酷いと思わない!? 酷いと思うよね!?」
グイグイと顔同士を近付けて来るレミに対し、エビルは思わず背中を反らして顔を遠ざける。
まるで自分が怒鳴られているように感じるのでどう対処していいかも分からない。若干頬が引き攣ったのが自分でも分かる。
「あの体、絶対格闘大会の参加者よ。見つけたらボッコボコにしてやるわ!」
「程々にね……。ちょ、ちょっと離れてくれないかな」
ようやくレミが「あ、ごめん」と言って後ろへ下がった。それに応じてエビルの背中も元に戻り、安心からかため息が出てしまう。
ただ、格闘大会で狙われた件の男には同情する。
レミの実力は蒼炎を出せるようになってから飛躍的に向上した。以前は武器なしでなければセイムに勝てなかったが今では武器ありでもセイムに勝てる。サトリにはあと一歩というところで、エビルには攻撃を読まれてしまうため勝利はまだ遠いが確実に強くなっていた。
悲しいことに今はセイムが四人の中で最弱である。あの〈デスドライブ〉を使用すれば最弱から抜け出せるだろうが、素の力を向上させるのを目的としている特訓なので使用しない。
とにかくそんなに強くなっているレミが相手では件の男もただでは済まないだろう。まあまだその男が大会参加者かどうかも不明なので早とちりかもしれないが。
「エビル、私は不漁の方が気になります。古来より魚が獲れなくなる時期には災いが訪れると伝えられているそうです。何か不吉の兆しでなければよいのですが……」
「不漁の原因は分かってる。海の悪魔って呼ばれてる魔物が元凶らしいよ」
海の悪魔という言葉を聞いた二人の反応は大きく違っていた。
聞き慣れない単語に首を傾げているレミに対し、悪魔という単語に怒気を滲ませているサトリ。そのいきなり膨れ上がった怒気を感じ取ったエビルはどうしたのか疑問に思う。
「ど、どうしたのサトリ。なんだか怖いけど」
「ああいえすみません、悪魔などと言われると思い出してしまいましてね。神の一柱、カシェ様の教えによれば悪魔というのは極悪非道で生きる資格を持っていないとのことで。もしも出会ってしまったなら真っ先に退治すべきと教典に載っていますし。……もちろんエビルに死んでほしいわけではありませんよ?」
かなり物騒な教えにエビルは多少頬を引き攣らせる。
自分が悪魔と分かってしまったので仕方ない話だ。神にすら嫌われていると思うと気分も落ち込んでしまう。
「……意外と怖い神様なのね、通貨の名前にもなってるのに」
「もし会ったら殺されそうだよね僕」
神というくらいなら途轍もない強者であることは想像がつく。エビルなど抵抗も出来ず真っ先に殺されてしまうだろう。
「縁起でもないこと言わない。ていうか、もし神様に襲われたってアタシが守るからね。差別するような性格じゃアタシ神様とは友達になれなさそうだし、襲われたら反撃で殴っちゃうかも」
「なんと無礼な! カシェ様は偉大なるアストラル様が二番目に創造した神とも言われています。そんなお方を殴るなどとは非常に無礼千万です! いかに王族といえど許されませんよ!?」
神官ゆえにサトリの信仰心は相当なもの。殴るなどと言えば無礼と言われるのも仕方ない。
「サトリー、アンタはどっちの味方なわけ?」
「無論、私は神に仕える身。基本的には神の味方です……が、理由もなくエビルを殺すというのなら心苦しいですが多少の擁護は考えています」
何となくエビルは嬉しい気持ちになる。
最初は毛嫌いされていたのに、今では信仰している神を説得しようとするくらいには打ち解けた。そう思えば種族など関係なく誰とでも仲良くなれる証明にもなりそうだ。
「擁護なんてしたら神様が怒っちゃうかもね。罰当たりーなーんて」
「神が私を殺すというのなら仕方ありません。素直に死にましょう」
「いや抵抗しなさいよ。神官ってみんなこうなわけ?」
「……狂信者って言われても言い返せないんじゃないのかな」
抵抗すらしないのはさすがにエビルもどうかと思う。
身近な人間に襲われたとして無抵抗で殺されるのはエビルには無理だ。絶対に抵抗するし説得もする。狂信に一歩足を踏み入れているサトリの真似は出来ない。
「……えっと、それで何だっけ? 海の悪魔だっけ?」
話がズレたのでレミが本題へ戻す。
「ああうん、海の悪魔。漁船と同等の大きさで、船を沈めるほどの力を持っているイカのような生物だって聞いたよ。本当なら強力な魔物だよね」
「そんな奴がいるんだ……。確かにそれじゃ危なくて漁には出れないか」
「居場所も特定出来ていないのでは討伐に向かうことも難しいです。助けてあげたいところですが私達には海を移動する手段が今はありませんしね」
海を移動するには船が必要不可欠。しかしその船が今は出ていない。
他大陸からアスライフ大陸へ来るには港があるノルド町に船を止めるしかない。その船が来れないのだから海の悪魔は本当に迷惑な存在である。
立ち話を続けるのも疲れるので、話に区切りのついたエビル達は宿屋の中へと入る。
宿屋の中に三人で入ったエビル達を見て、宿屋の主人は不思議そうに眉を動かして口を開いた。
「あれ、お前ら三人か?」
「そうですけど、何か問題でも?」
「いや、さっきセイムだっけ? あの坊主が捜しに行ったんだけど……すれ違っちまったみたいだな」
サトリに気絶させられてから、セイムは宿屋の主人に部屋へと運ばれた。目覚めたのがほんの数分前で、起きたらいないエビル達を一人では暇だからという理由で捜しに出ていってしまったと主人は語る。
完全なすれ違いになってしまったが、そのうち帰って来るだろうと思ってエビル達は部屋に向かう。宿屋の主人には部屋で先に休むことを伝えるように言い残しておいたので、セイムが帰って来たならエビルが泊まる部屋へ勝手に入って来るだろう。
しかしそれから数時間が経過しても――セイムが帰ることはなかった。
* * *
仲間の一人が帰らないと嫌な予感がしてくるものだ。
レミはそのうち帰ってくると言っており、エビルは不安に思っているようだがまだ行動しない。それならと一人宿屋を出て行ったサトリは捜索に動き出す。
捜索といってもサトリにとっては簡単なことである。
手に持つ【導きの錫杖】は特殊な効力を秘めている。先端に付いている三つの金輪は、探したい何かを念じるとそれがある方向へ引っ張られるのだ。動く速度によって距離もおおよその見当がつく。これほど何かを探すのに適した道具は他にないだろう。
「まったく、あの男は……」
サトリが抱くセイムへの印象は今、女好きのバカとなっている。
男性の視線が集まる巨乳が実はコンプレックスなのもあり、女性の胸の話をするところは好意を抱けない。なぜエビルやレミが彼を仲間としているのか、一緒に旅をしてきても理解が及ばない。ただ、どこか揺るがない信念があるように感じられるので嫌いにはなれない。
魔信教討伐という目的を掲げる以上、旅は決して楽しいものにならないとサトリは思っていた。しかし蓋を開けてみれば全員が愉快に旅をしている。その愉快さを生み出しているのは紛れもなくレミとセイムだ。嫌いになれないのはそういった部分があるのも関係しているかもしれない。
「こっちですね。……こんな夜にどこをほっつき歩いているのやら。まさか女性と淫らな行為に及んでいるわけではないと思いますが……いえ、女好きな彼のことです、女性と話し込んでいるのも考えられますか」
妄想を膨らませていると次第に怒りが込み上げてくる。思わずため息を吐いて、建物に挟まれた細い路地に入る。夜なので暗いが多少は見えるので問題ない。
そして少し歩いていると【導きの錫杖】の金輪の動きが弱まっていく。距離が近い証拠だ、こんな狭い路地で何をしているのかと疑問に思いつつ進むと、地面に倒れている何者かが見えた。
黒いマントとボディースーツ、ついでに褐色肌は夜だと見えづらいがなんとか確認した。大鎌は近くにないが間違いなくセイムだと判断する。
「セイム……! 何があったのです!?」
慌てて問いかけると彼は辛そうに顔を上げる。
「ぐ、ぐうぅ、き、筋肉痛で動けねえ……」
「は? 筋肉痛?」
蓋を開けてみれば大したことのない理由であった。
心配をかけておいて何だその理由はと呆れたサトリは深く息を吐き出し、仕方ないとばかりにセイムを背負って宿屋へと引き返す。




