海の悪魔
海の敗北者。聞いたことはないエビルにも想像がついた。
この灯台にいる人間、海の怖さを知っている彼らが元漁師であるのは町人達との口論からも間違いない。味方であるはずのホーストからすら敗北者と呼ばれてしまうほど、この場所にいる元漁師達は酷いのかとエビルは思ってしまう。
「海に生きていた男達だったのにその海を怖がってしまったんだ。恐怖を克服するのは難しい。ここにいる連中は怖くて閉じこもるような奴らってことだ。まあ悪人ってわけじゃない、そこは勘違いしないでくれ」
「どうしてホーストさんは彼らのことを庇うんですか? ここの管理人なのに。ホーストさんだって漁師が漁に出ないと困る側の人なんじゃ」
「ははは、もっともな疑問だな。でもあいつらは帰る場所がもうないんだよ。海に出ない漁師なんて意味がないだろ? それを理由に女房や親に追い出されてしまったというわけさ。そんな奴らだからといって見捨てるのは元漁師としてできなかった」
薄暗いなか、階段を上りながらエビル達は話を続ける。
「ホーストさんも漁師だったんですか? それならどうして灯台の管理人に」
「別に大した話じゃない。俺の親は母親が灯台の管理人で、父親が漁師だったんだ。若い頃は親父に憧れて漁師として海に出ていたが、勇敢な親父が乗っていた船が沈んでしまってな。それで俺もここの奴らと同じく海という自然に恐怖しちまったんだ。以降、俺は母親がやっていた灯台の管理職を引き継いでなんとか働いているってわけさ」
「自分と似ている境遇だから助けているわけですか」
「そうだな、今は毎年開かれる格闘大会を三連覇して町じゃ有名人だが、俺もここの奴らのように無気力になっていてもおかしくなかった。だから、なんだろうな」
小さな足音を立てて登りきると階段が途切れて広い部屋に出る。
東西南北に一つずつある小さな窓からの日差しだけが部屋を照らしているので、小さな窓から入る日光だけでは部屋全体に明かりが行き渡らない。薄暗い場所が大半で、人々はまるで明るい場所を嫌うように暗い場所で固まっている。それを見たホーストは軽いため息を吐いて叱るような声を出す。
「おいお前達、こんな中にいたら鬱になるだけだと何回言わせるんだ。それに最上階の燭台に火をつける方法は教えただろう、いつまでも暗がりにいないでもっと炎で自分を照らせ」
灯台なので最上階には大きな燭台が存在し、そこに火を灯せば最上階一個下の元漁師が集まる部屋も明るくなる。明るくなるのはそこだけではなく夜になれば海も照らすことができる。漁師達はその炎を見て帰るべき方向を知ることができるのだ。
元漁師の男達は寝ていた状態からゆっくりと起き上がると、後頭部に手を当てて申し訳なさそうに言葉を返す。
「す、すいませんホーストさん。でも俺もうだいぶ鬱ですよ、外に出る気力もないんです」
「それは出る気がないだけだろう。一度外に出てみれば案外その次も出ようって気になるぞ。まあいい、俺は上の燭台に火を灯してくる。その間、お前達はこいつに海の怖さを話してやってくれ……命知らずの挑戦者にな」
そう言うとホーストは中央にある梯子を使い最上階へと上っていった。
残されたエビルは戸惑いながらも男達を見る。あまり食べていないのか痩せている者が多く、中には骨と皮だけのように見えるほどの者もいた。つい先程抗議していた男達数人は筋肉は衰えているとはいえまだマシな方だ。ほとんどの人間が怠そうにしており、寝たきりで動こうとしない者すらいる。それはまさに敗北者と言われてもおかしくない惨めな様だ。
「君、ホーストさんの知り合いか?」
エビルに話しかけてきた男は抗議していた者の一人だった。
服は上下破れている箇所がいくつもあり肌も汚れている。鼻から息を吸うと何日も洗われていないだろう体から漂う体臭が入りむせそうになる。思わず顔を顰めてしまうが、失礼であると分かっているので悪臭を根性で耐えて表情を真剣なものに戻す。
「まあ、ついさっきそこで会ったばかりですけど」
「あの人の言い分だと海に出たいのか? 止めておけ、まだ若いのに命を捨てる必要はないだろ」
「僕は世界を旅するのが目的なんです。その過程で海も渡らなきゃいけないんですけど……そこまで危険なんですか? あなた達だって以前は海に出ていたんでしょう?」
海から魚を獲り、町の主な料理にまで取り入れているほどの港町。そんな町の漁師がそこまで言うほどなのかとエビルは危機感よりも疑念を抱く。
「危険なんて言葉には収まらねえよあの場所は。真っ青なのも見間違いで実は真っ赤なんじゃないのかと思うくらいに、海ってのは殺伐としたヤバいところだ。前まではそんなことなかったんだがなあ……最近は特に酷いらしい」
「何が、あったんですか?」
問いかけると男は一瞬で顔を青ざめさせてガタガタと小刻みに震え出す。急に恐怖一色になり、呼吸も荒くなっている様はとても普通とは思えない。
「あれは、悪魔だ……海の悪魔だ。魔物の域に収まらないあくっひっ! く、来るなっ! 来るなああああああああ!」
説明は突然終わる。この場所には恐怖するものはないというのに男はいきなり怯えだした。誰が見ても尋常ではない怯えようで、それは話していた男だけではなく灯台にいた全員が同じ反応をしている。寝たきりの者ですら恐怖で顔を歪めている。
「悪魔悪魔悪魔……もう勘弁してくれ、俺達が悪かったんだ! もう海に生きる奴らに手は出さないから、もう魚様に手は出さないから、もう海には入らないから、もう許してくれええ……!」
その時、最上階にある燭台に火が灯され影が大きく床に映し出される。明るくなった部屋の床には、エビルが立っているすぐ後ろに暗闇が顕現していた。それがゆらゆらと動くことで周囲を震え上がらせている。
『酷い怯えようだ……。シャドウ、海の悪魔っていうのに心当たりは?』
『さあなあ、大方そこらのちょっと強いだけの魔物だろうが……悪魔なのは間違いないだろうな。こいつらが怯えている要因の一つは俺達にある。悪魔の波長を無意識に感じ取っているのさ』
今まで悪魔にこうも怯えた反応を見せる者とは会ったことがない。
男達の様子を眺めてみると改めて自分の存在を認識出来る。人間にとって悪魔は恐ろしい存在で、自分もその一人なのだと。同時にこうも怯えさせる海の悪魔に多少の怒りを抱く。
当たり前だった人々の生活を奪う存在を、人間だろうが魔物だろうがエビルは許せない。まだ未熟な風の勇者としても、色々な暮らしを見てきた旅人としても倒すべきだと思う。
「なんだどうした、お前達、何があった?」
最上階からホーストが梯子を使わず一気に降りてきた。
男達は小刻みに震え続けており、頼れるのはホーストだけだと地を這い近寄っていく。ホーストの足に縋りつく彼らは薄汚い見た目もあって物乞いのようだった。
恐怖に歪んだ顔からホーストも何かを察したらしく表情が険しくなる。
「ホーストさん、ホーストさん助けてくれ……! 悪魔だ、悪魔が俺達を殺しに来たんだよお……!」
「悪魔だ、人に化けているんだ……! 出ていけ、俺達の家から出ていけえ!」
「もうダメだみんな。殺されるんだよ、俺達は」
「怖い、怖いよお……助けてよお」
「分かった。お前達、分かったから落ち着け。エビル、自分から招き入れておいて悪いが外で話をしよう。急いでくれ、俺も後で向かう」
男達に群がられたホーストはすぐに状況を打開するのは無理だと判断したらしく、恐怖の対象とされているエビルを遠ざけることを選択した。
なぜと問い返す必要はない。悪魔だと思われている自分が去る方が、手っ取り早くこの場を収められるのはエビルも分かっている。
灯台から出たエビルは海を眺める。
青く綺麗な海のどこかにああも人を恐怖させる悪魔がいる。そんな事実を受け入れると、今まで全く知らずに旅をしてきた自分の無知さ加減が嫌になる。もっと早くに海の悪魔のことを知っていれば、少しでも早く着くよう急いでいた。……もっとも先を急いだところで状況が大して変わらないのはエビルも分かっているが。ああいった人間達を助けたいとエビルは強く思う。
「悪い、待たせたな」
海を眺めているとホーストが灯台から歩いて出て来た。
隣に並んで海を見つめる彼にエビルは視線を送る。
「ホーストさん。あの人達は……」
「問題ない、もうお前がいなくなったことで落ち着いたみたいだ。それにしても何があったんだ? あの怯えようは尋常じゃなかったぞ」
「分かりません。急に怯え出したので」
原因は理解していてもエビル自身が悪魔だと明かせば戦闘になりかねない。真に相談出来る仲間以外には決して話すことなど出来ない。
「……まあ気にするな。あいつらは精神状態が不安定なんだ、いつどうなってもおかしくない。しかし悪魔か……恐ろしい存在だというのは以前から聞いていたがとんでもないやつのようだな。あいつらの話だと、船と同等の大きさのイカのような生物らしい。全員乗っていた船を破壊されてしまったと言っていたよ。まあ俺はそれが悪魔だとは思わない、本物の悪魔になりうるのは人間さ。欲のためなら他人を蹴散らして前に進む」
「そんな人間ばかりじゃないですよ。少なくとも僕は真っ当な人間に会っていますから……ホーストさんもその一人です」
海に出るのを恐れた漁師達を灯台に匿って暮らさせているのは紛れもなく善行。感じられる想いも悪いものが一つもない。胸を張って善人だとエビルは証言出来る。
ホーストは驚いた顔をしてゆっくりとエビルの顔を見つめた。
「なるほど俺でもすぐに分かる……いいやつだな、お前は。だが気を付けろ、その性格が弱点になりえる。人には表と裏がある……お前はまだ、表しか見ていないかもしれないんだから。相手をいいやつだと判断するのは深い付き合いをしてからでも遅くない」
「善処します。お話、聞けてよかったです」
「そうか、それはよかった。じゃあ次は格闘大会で会おう。出ると言っていたもんな? 俺の連勝記録を止められるとは思うなよ?」
自信満々な笑みを浮かべるホーストにエビルも微笑みかえす。
「その連勝記録は僕と仲間で止めますよ。どうせ出るなら優勝したいですから」
「楽しみに待ってる。じゃあな、エビル」
「はい、また明日。大会で」
別れの挨拶をするとエビルは灯台に背を向けて去っていく。
ホーストはその後ろ姿を見て笑みを消し、灯台へと戻っていった。




