メズール村の人だかり
目指していたメズール村へとエビル達は辿り着いた。
湿原地帯に存在する場所だが村には大きな樹が存在していない。全て切り倒されているため全体が広いように感じられる。木造建築が主流のようでほとんどがそれだが、一つだけ石造りの建物が建っていた。まるで遺跡を模したようであり珍しいからか人だかりができている。
「ここがメズールです。しかし以前訪れた時と様子が……」
「確か、活気があまりないジメジメした村なんでしたっけ。それにしては人だかりがある場所は随分賑やかそうですね」
エビル達はサトリから予めメズール村のことを聞いていた。
人口は多くない湿原の端にある村で、これといった名産品や観光名所もないごく普通の村。しかし事前の情報と違うことにサトリは目を丸くしている。
「あの人数、村人だけではない。おそらく旅人も多くいます。ここ最近で何かあったのでしょうか……」
「湧き水でも掘り当てたとか?」
「いや、湧き水であんなに人が集まるかね? きっとあれだろ、何か変わった催しでも始めたんだろ。美女コンテストみたいな」
「それで喜ぶのアンタくらいなもんでしょ」
村で一番盛り上がっている場所が気になるのでエビル達も向かう。
遺跡を模した石造りの建物の傍にいる人達は、ガヤガヤと近くの者と話し合っているようで賑やかだ。人だかりに配慮しつつ肝心の建物へ出来るだけ近付いてみれば、大きさはそこまでではなく二部屋あるかといったところ。人々は列になってそこへ入るのを待っているらしい。
「遺跡……にしては小さい。真似ただけでしょうか」
「でも随分と関心を集めているみたいですね。中に入るのを並んで待ってるってことは中に何かあるのかも」
「――うん? なんだいアンタら、知らないで来たのか?」
丁度近くで並んでいた女性がエビル達へ話しかけてきた。
紫色のヴェールを被り、それと同色のローブを纏っている褐色肌の彼女と面識はない。興味本位か親切で教えてくれようとしているのを感じ取ったエビルが答える。
「はい、僕達ついさっき村に着いたばかりで。あれは観光名所ですか?」
「観光名所っていえばそうなんだろうね。あの建物には大昔の壁画があるんだってさ。つい最近発掘された物をこの村へ持ってきたらしいよ。娯楽のない村人や、通りかかった旅人がこんな風に群がってるってわけ」
「ははっ、お姉さん。俺からしたらどんな絵よりお姉さんの方が綺麗だと思いますよ。本当に価値あるものは実はあなただったというオチなわけで」
「……出会ってすぐに粉かけとこうってのかい?」
少々眉間にシワを寄せた女性は嫌そうな顔をしている。
「ええ、あなたには大人の魅力が詰まっています。どうです? その妖艶なる美貌は素晴らしい。俺が大人の階段を上る手助けをしてくれませんか?」
「アンタは懲りないわ、ね!」
ナンパするセイムの足をレミが蹴った。軽く悲鳴を上げたことでナンパは強制的に止まる。
サトリはといえばセイムと女性の間へ遮るように移動して頭を下げた。
「連れの者が迷惑を掛けてすみません。さあセイム、あなたにはキツイ罰が必要のようですね。いっそのことその煩悩だらけの頭を百回くらい叩いてみましょうか?」
女性は引き攣った笑みを浮かべながら顔を逸らす。彼女からすれば関わる必要がないのだから当然の反応かもしれない。
「ご、ごめんごめん。でも俺は全ての女性を愛する者、サトリさんのこともちゃんと愛しているわけで」
「あなたほど軽薄な人間には会ったことがありません。正座しなさい。今ここで、私が誠実さというものを叩き込んであげましょう」
セイムは「勘弁!」と言い放って逃走した。それを見てサトリも「待ちなさい!」とすぐ追いかける。二人の追走劇を止めなかったエビルとレミはその場で話を続ける。
「しかし壁画か、僕達が見てためになるようなものかな?」
「でも遺跡で見つかる物って珍しいわよ? その発見された地方の権力持ってる貴族とかが独占して、平民とかには見せてくれないこともあるんだから。謎が多いから調査隊ってのが組まれて、隅々まで調べるために一般人の見学はできないってことも珍しくないし」
王族として学んだ知識の一つを披露するレミにエビルは感心して頷く。
「うーん、貴重な物みたいだし。見れるなら明日見てみようか」
多くの人間が並んでいる行列に並んで待つのは時間がかかる。今日は村に着いたばかりで疲労も溜まっているし、いつでも見れるのなら明日の朝にでも見ようとエビル達は思う。
セイムとサトリはどこかへ行ってしまったし、二人を探し終わったら宿屋で一泊する予定を立てた。
* * *
メズール村にある一軒の宿屋にて。
「それでさー、エビルと話し合ったんだけど明日見に行こうよ。壁画なんてそうそう見れる代物じゃないでしょ?」
「確かにそうですね。常日頃から魔信教への復讐を考えていては疲れますし、気を紛らわすのは悪いことではないでしょう。思えばセイムの言動も苛立ちますが気が紛れていましたね」
サトリは同室であるレミと他愛ない話をして時を過ごしていた。
男女別の部屋をとっている理由はサトリの提案である。以前は野宿する時、寝袋で男女関係なく近くで過ごしていた。それを聞いて問題を感じたサトリが男女で多少距離を取るべきと宣言したのだ。
あくまで個人の価値観だが、基本的に距離が近い男女は何か間違いを起こす可能性が高い。男は狼なんて言葉はよく聞くだろう。仲間である彼ら二人が今まで間違いを起こしていないのは幸い、しかし今後も大丈夫という保障はない。日頃のセイムを見ていると大丈夫など言えない。
男女間の距離を開けるべきと提案したサトリが持ち出したのはテントだ。就寝時は二つのテントに男女別で入って過ごす。寝袋よりも遥かに居心地はいいので反対はされなかったし、むしろ全員に感謝された。正直セイムが文句を言わないのは意外だった。
まあそういった経緯で宿屋でも男女別として二部屋とっている。
「ねえサトリ。セイムのことさ、嫌いになんないであげてよ? あいつ女好きでバカだけどさ、結構いい奴だから。もちろんデリカシーない発言には怒っていいけどさ」
「嫌いというほどではありません。……今はまだ」
「仲間内で険悪になるのって嫌だなあ」
セイム。大鎌などという物騒な武器を持ち歩く褐色肌の少年。
はっきりとレミの前で言えないがよく分からない人物だ。彼の厭らしい発言は時折、わざとそうしているように感じられる。先程、彼の発言で気が紛れていると口に出したが、本人がそれを狙ってやっているとしたらどうだろう。
性的な視線に晒されることをサトリは多々経験している。しかし、セイムが自分に向ける目はそういった類のものに感じられない。もっとも完全に違うわけではないので、早朝の特訓時に動くことで揺れる胸へ視線が向くことはある。
本当に現状よく分からないの一言に尽きる。初対面の女性をナンパして軽薄な言葉を並べる男というのは分かっているが。
「さっきアタシとエビルがアンタ達を見つけた時さ、セイムの奴が魂抜けたみたいになってたじゃない。何したか知らないけど、やりすぎると関係が悪化するわよ」
「少々女性に対する扱いを説いただけです。過度なことは言っていません」
「ならいいんだけど……。サトリ、これだけは覚えておいて。もし今の関係が崩れるようなことしたらアタシはアンタを意地でも追い出す。二人が反対しても関係ない。アタシはこの場所が居心地いいのよ、壊されるのは困るわ」
レミは本気の目をしている。脅しだがハッタリではない。
確かに新参者であるサトリが加わったことで雰囲気も変化している。誰かがグループに入ったことで内側から崩壊するのはありえる話だ。復讐心から暴走する可能性だって低くはない。エビル達を地下牢へ閉じ込めた時のように目が曇ることもある。
「……心に留めておきましょう」
サトリは静かに席を立つ。レミに「どこ行くの?」と問われたので、素で接してくれる彼女へは素直に告げた。
向かうのは「彼がいる隣の部屋です。話したいことがあるので」と。
そんな経緯で部屋から出たサトリは隣の部屋の扉をノックする。
三回ノックすれば「はーい」と、これから話そうと思っている人物の声がした。彼は扉を開けてひょこっと顔を出す。
「あれ、サトリさん? こんな夜にどうしたんですか?」
白いマフラーを巻いている白髪の彼、エビル・アグレム。
「セイムはどんな状態ですか。一応、ついでに昼間言いすぎたことを謝っておきたいのですが」
「もう寝ちゃいましたよ。疲れていたみたいで」
「そうですか。ではあなたと話すのを先にしましょう、申し訳ありませんが宿の外へと共に参ってくれませんか」
彼は「いいですけど……」と不思議そうな顔をしながら呟く。
元より話したいことがあったのはエビルに対してだ。逢引のようにも見えるが決してそういった浮ついた話ではない。
宿の外に出れば満天の星。大きな月もあって暗くても十分視界を確保出来る。宿の裏へと移動したサトリは振り返り、後ろを付いてきたエビルと向き合う。
「いつ言おうか悩んでいました。でも早い内がいいと思ったため今言っておきます。……これは謝った方がいいのかもしれませんが」
思い出すのはあのプリエール神殿でのこと。
治療薬をイフサという商人から受け取り、怪我人の元へ届けようと通路を歩いていた時。若干開いていた扉から話し声が聞こえたから思わず立ち止まって。
「――私は神殿で偶然、あなたの正体を耳にしてしまいました」
知ってしまった。エビルが悪魔だということを。
シャドウが相対している今も体の中にいることを。
「正体……そうですか。じゃあサトリさんはもう知っているんですね」
「ええ、シャドウとの関係についても全て。盗み聞きのようになってしまったことは謝罪します。申し訳ありませんでした」
「あーいえいえ、気にしないでください。サトリさんにもいつか話さなくちゃいけないとは思っていたので。むしろ早い段階で情報共有出来たのはいいことですよ」
本当にそれはいいことなのだろうか。あの時の彼の声は震えていた。いくら仲間とはいえ衝撃の事実を打ち明けるのに勇気が必要だったはずだ。それを偶然とはいえ、まだ仲間でもなく、疑惑の目を向け続けていたサトリに知られてしまった。
エビルには風の秘術がある。神殿内の書物で秘術についてはおおよそ理解している。風の秘術には他者の思考や感情が分かるような能力があるという。それならエビルは今、サトリが何を言い出そうとしているのかも感じているのだろう。
「――私は、まだあなたを信じきれていません。もうシャドウの件は疑っていませんがあなたは悪魔です。低級の者でも狡猾で残虐、即刻駆除すべき種類の魔物。……正直なところ、神官としての常識が信頼の邪魔をしているのです」
彼は「仕方ありませんよ」と言って笑いかける。
どうして笑えるのかサトリには分からない。たった今、自分は彼を完全に信じられないと告げたのに。
「今あなたと旅をしていられるのは魔信教と戦ってくれた実績があるからです。私の中にある疑心がこの先消えてゆくのか、それとも深まるのかは分かりません。私はいずれあなたの敵に回るかもしれない。……ですので、暫くは同行してあなたという存在を見極めるつもりです」
「そうしてください。僕が道を踏み外す可能性がゼロではないんなら、サトリさん一人くらい常に疑ってくれていた方が丁度いい。普通、悪魔が人間に受け入れられるなんてありえないらしいですから、あなたは正常ですよ」
正常なのは間違いない。だがこれからサトリは人間としての正常から外れるかもしれない。もし現状の旅が続くようならエビルが危険という可能性をどんどん捨てていくだろう。神官として滅すべき悪魔に、仲間として当たり前に接せるなど神官云々の前に人間として異端だ。
「……でも、どうして僕に言ってくれたんですか? もし僕が正義を演じている邪悪な存在だとしたら警戒させてしまうだけでしょう」
それについてはなんとなくサトリの中で答えが出ていた。
「レミ様のせい……いえ、おかげと言った方がいいでしょうか。あの御方はあなたやセイムといることを居心地がいいと仰っていました。まだ私はあなた達と付き合いが浅いですが彼女のことは信頼しているつもりです。……ですので、私はまずレミ様経由で信じてみようと思います」
そして悪だと断定した場合、二人に代わって殺す役目を背負う。
口に出さずとも伝わってしまうのだろうが言葉にしたくなかった。レミと、ついでにセイムは良い人間だとサトリは思っている。そんな二人をエビルが裏切る時など来てほしくない。
「……分かりました。もう遅い時間ですしそろそろ戻りましょうか」
「ええ、睡眠は重要ですからね」
あまり遅いとレミも心配するだろう。サトリは心配をかけさせないため宿へと戻るため歩き出す。
「ああそうえいばもう一つ。あなたは私を呼ぶ時サトリさんと呼びますよね、私のことは呼び捨て構いませんよ。その方が仲間らしいでしょう」
それから無言で宿へ戻ったサトリは部屋の扉をノックして「どうぞ」と言われるのを待ってから入る。
中に入ってみれば、部屋で白いベッドに座っていたレミが口を開く。
「エビルと何を話してたの?」
「……なぜ彼だと? あの話の流れならセイムだと思いますが」
「窓から見えたのよ。それで何話してたの? セイムと話しているって思わせたかったってことは何かやましい話かしら。言っておくけどアタシは友達として気にしてるんだからね」
微妙に早口になっているレミへ正直に答えるつもりなど端からない。
サトリが話した内容は彼女にとって気持ちいいものではない。怒らせてしまうのを危惧して内容を誤魔化そうと考える。
「大した話ではありません。レミには関係のない話です」
「へ、へええ? 何、二人だけの秘密ってわけ? まさかアンタ、エビルのことが好きなのかしら?」
「今のところ多少好感は持っています。もっと好きになれるよう今は努力しているところです。彼と付き合うことは今後に活かせると思うので」
なるべくぼかして伝えたつもりだがレミの反応が少しおかしい。
目を丸くしているし頬も赤みを帯びている。そしてサトリを見据えて宣言した。
「ま、負けないからね……!」
宣言したレミは白いベッドに転がって布団をかける。
サトリは「え、あの……」とどういう意味か説明を求めようとしたのだが、彼女は余程眠かったのかすぐに寝息を立て始めた。
負けないとはどういうことか。レミはもう十分エビルに好感を抱いているはずなのに、何で負けたくないというのか。……と、そこまで思考してようやく理由に予想を立てられる。
「まさか、妙な勘違いをされたのでは……?」
早朝の特訓前にしっかり誤解を解いておこうとサトリは強く思った。
イフサはエビルの正体を知ったから同行しなかったわけじゃないです。いや、本当に。




