乗ホーシアン訓練
ホーシアンレースに、ジョウの代替として出場することになったエビル。
今まで乗ホーシアン――文字通りホーシアンという魔物に乗ったことがないエビルにとって、まず乗れるようにならなければ話は始まらない。
エビルも無茶なのは分かっている。だがやると言った以上、必ず乗りこなして優勝してみせると気合を入れる。
ジョウも一瞬弱気になっていたが熱い心を持ったエビルを応援している。現在二人は厩舎からジョウの愛ホーシアン――マシュマロを出して、乗ホーシアン出来るスペースに移動していた。
マシュマロは落ち着いているが当然ジョウの傍に寄っている。肝心のエビルの方には近寄りもしないがそれはジョウに懐いている証だ。
「ここなら自由に乗れる。一回乗ってみるか」
「そうですね、まずは試してみないと」
練習場はレース会場の隣に存在している。円状の建物で、内部には障害物が何もないただの砂地が広がる。そこならばレースに参加不参加関係なく自由に使用していいことになっている。
試しにとエビルはマシュマロの横へ移動して飛び乗った。そして暴れたマシュマロに二秒で振り落とされた。
「ふぶっ!? いったあ!」
その間抜けな光景を見ていたジョウ以外の人間は嘲笑う。
「なんだよあいつ! 乗ることも出来ないのか!」
「だっせええ! 素人の俺でさえ乗れるんだぜ!?」
「雑魚が練習したって雑魚のままだよお?」
周囲の反応に二人は何も言い返せない。醜態を披露してしまったのは確かであるのだから。
「気にするなエビル、最初は誰だってそんなもんさ。すぐに乗りこなして見返してやればいいさ」
地面を転がったエビルは衣服についた砂を叩き落としつつ立ち上がる。
痛む箇所がないことを体を動かすことで確認しながら「はい、そうですね」と告げる。最初でめげていても仕方ないのだ。エビルの目に宿る闘志はまだまだ弱まりはしない。
何度も、何度も、マシュマロの背に乗っては振り落とされる。
優しく乗っても、飛び乗っても、頭を撫でながら乗っても結果は同じだった。色々試してみたもののマシュマロは決して背に乗せてくれなかった。今も背中にある二個のコブに掴まってはいるものの引き摺られている。
「ジョウ、あの人レースに出すみたいだけど止めときなよ」
少し離れた場所で練習を見ていたジョウに声を掛ける女性が一人。
つり目で猫のような顔。腰までストレートに垂れた青髪。膨らんだ胸にはサラシを、腰回りに短い布を巻いており、陰部を隠すための白い布が前と後ろで垂れている。日焼けして褐色になった肌を多く露出する恰好の女性が隣に並んだので、横目で見たジョウは「ミサト」と名を口にする。
「ありゃただの素人だ。まあ、あのへっぽこにはお似合いだけどね」
「今回の出場者だって素人ばかりだ。優勝の可能性は低くない」
「アンタが出れば優勝出来たかもね。明日は出ないわけ?」
ミサトという女性はジョウにとってライバルとも言っていい存在だった。いや、今でもライバルだとジョウは思っているのだが、彼女は一足先に一勝してブロンズからシルバーへと昇格してしまった。どことなく寂しさを覚えたがもちろんジョウは祝福したものだ。
「急用が入っちまったんだよ」
「……アンタ、いい加減に止めたらどうだいその仕事」
「そんなわけにいかねえって。恩人の手伝いだし」
「あっそ。まあ残念だ、アンタが出るなら私も出ようかと思っていたのにさ。また勝負したかったからずっと待ってたんだよ。アンタ、前にリジャーへ帰って来た時も急な仕事でエントリーしなかったじゃないか」
基本的にジョウはリジャーに滞在しているのだが、彼に仕事の命令が来た時は離れることが多い。突発的に発生する仕事なので予定を立てにくいとはいえ、ホーシアンレースへはなるべく参加するようにしている。
以前ミサトと勝負したのはもう百五十日ほど前だったか。だいぶ期間が空いてしまったので明日のレースにはジョウも参加したいと思っていた。急な仕事で参加出来なくなったことを申し訳なく思い、隣の彼女へ「悪いな」と謝る。
「はぁ、次こそは勝負しな。もう待ちくたびれたんだから」
そう言ってミサトは身を翻して去っていく。
「……約束、しかねる」
悔しそうなジョウの声は誰にも届かなかった。
知り合いとの会話を終えたジョウは、またマシュマロから転げ落ちたエビルの元へと歩いて行く。
「エビル、お前乗る時にどう思ってる?」
上体を起こしたエビルは後頭部を擦りながら返答する。
「乗る時に? いや、特には何も……ただ乗れるようになりたいとしか」
「ダメだ、それじゃあダメなんだ。乗ホーシアンはホーシアンと人間、二体の生き物が息を、力を、心を合わせなきゃ無理なんだ。マシュマロの反応、表情、それらから読み取れ……なーんて無理か?」
いつもならそんなこと出来るわけがないと思うところだろう。
しかしエビルは信頼している。ジョウとマシュマロには切れない絆が確かにある。そんな彼からのアドバイスを無駄には出来ない。
エビルはまずマシュマロから降りて対面してみた。
「いや、何してんだお前」
「こうしてみれば気持ちが分かるかと思いまして」
「へえ、分かったのか?」
「いいえ、まだ時間がかかりそうです」
時が経つのは早いものでそのまま十分が経過した。
その十分の見つめ合いにより、エビルはマシュマロの気持ちが僅かに伝わってきたような気がした。風の秘術の感じ取る力なら魔物であっても感情があるなら感じ取れる。
(何となく分かる。恩があるジョウさんしか乗せたくないという義理堅い気持ち……。なら今度は僕の気持ちを伝えられれば……)
誰かの感情や気配を感じ取れるというのなら、その逆、伝えることも出来るのではないかとエビルは考えた。
両目を閉じて、マシュマロの顔に優しく手を伸ばして語りかける。
「乗せてくれるかい?」
マシュマロは少し鳴いてから顔を背中に一度向ける。
両目を開けたエビルはもう大丈夫だと思えた。それからそっと背に飛び乗って跨ってみれば、驚くことに今度は落とさず受け入れてくれた。
「マジか? これ」
ただ見つめ合っただけで乗るコツのようなものを掴んだのか、振り落とされることなく乗っているエビルにジョウは愕然とする。自分は月単位でかかったというのにエビルは半日もかかっていないのだ。才能といってしまえば簡単だが、エビルにはなにか他人とは違うものがあるのだと推測する。
「どうやったのか分からないが……乗れたな、エビル」
「僕の心が、ジョウさんの気持ちも加えて伝わったんじゃないですか? マシュマロだってこのレースに出たい筈なんです。ジョウさんと出たいという気持ちが伝わってきます」
「……そんなこと」
「もちろんマシュマロは喋らない、でも生きている。感情が伝わることだってありますよ。このレースにかけた思いが伝わったんですよ! お願いだマシュマロ……ジョウさんの想いのために、走ってくれ……!」
優しく頭を撫でながらエビルがそう語りかけると、マシュマロは足を進ませ、次第に速くなって走り始める。その速度は時速八十キロメートルを超える速度を出せるホーシアンの中では遅いが、エビルが落ちないようにしっかりと安定した走りを見せる。
その日、マシュマロと乗ホーシアン訓練を終えた頃には、もうジョウが認めるくらいに乗れるようになっていた。
マシュマロを厩舎へと預けに行く道中。ジョウは真剣な顔で告げる。
「エビル……明日のレース、途中までしか見れないけど応援してるぞ……証明してやれ。凡人、いや凡ホーシアンでも、努力すればちょっと強い奴らなんて超えられるってことを」
「はい、頑張ります」
たった一日、されど一日。一生懸命に努力した時間は裏切らない。
明日開催されるホーシアンレースで優勝してみせると、エビルは強く誓った。




