邪遠
「……ジジイ……仇はとったぜ」
満足気に笑ったセイムは暗黒の空を見上げる。
「ハハッ、やった……じゃない」
「凄い……これが〈デスドライブ〉の力。本当に凄い……」
レミやエビルは倒れながらも笑みを浮かべ感心する。
殺人を好む狂人スレイの命は消え、死神の里での戦いは終結した。
ようやく平和が戻って来た――かに思われた。
『いやあ〈デスドライブ〉ねえ、久々に見たがやっぱり中々の強化技だ。もしあのガキが死神の力を全解放出来るようになれば脅威になりえる。……何だ? 何かが来る。この気配……まさか!?』
感心していたものから急に焦った声がエビルの頭に響く。
シャドウだ。珍しくというか、こんなに慌てた彼の声をエビルは一度も聞いたことがない。スレイには何の変化も起きていないことを確認してから問う。
『どうしたんだ。何をそんなに慌てて……』
『奴が来る! 今すぐ逃げろ、全員死ぬぞ!』
走る音が聞こえたのでエビルは耳を澄ます。
秘術の反動を受けて動きが鈍い体を立ち上がらせて、再度風紋を発動させようとする。だが緑光が一瞬弱く光っただけで全身に激痛が奔る。
歯を食いしばり「ぐうっ」と苦痛の声を漏らしたエビルはセイムを見やる。
いかに強くなったとはいえセイムの体は疲労も傷も癒えていない。おまけに毒も全身に回っている状態でいつ死んでもおかしくないのだ。これ以上の戦闘行為を見逃すわけにはいかない。
おそらく新たな敵が来ていると知らせようと口を開いた時――エビルは気付く。
「――スレイを殺したのか。流石に強いな」
セイムの傍に男が佇んでいた。
黒いローブを着用し、フードを深く被っているうえ背を向けているので顔は見えない。そんなことよりも明らかに異質なのは側頭部に大きな二本の角が存在していることだ。羊の角のような形の黒い角は明らかに人間ではない証。
「誰だっ!?」
「どけ」
遅れて気付いたセイムが焦って大鎌を振るったが、それよりも早く男の鋭い蹴りが腹部に突き刺さる。恐ろしい速度の蹴撃はセイムを遠くの民家にまで吹き飛ばす。
民家の壁を突き破った彼が戻って来る気配をエビルは感じられない。
「全く、イレイザーは生き残ったというのに貴様が死ぬのか。死を広めるという狂った目的を持つ狂人の末路は意外にあっさりしているものだな」
恐ろしく濃密な強者の気配をエビルは男から感じられる。
呼吸が荒くなり、全身から汗が噴き出るほどの恐怖。両足が竦んで動かないがとりあえず剣だけは構える。
『シャドウ……! この男は、何なんだ!?』
『ああクソッ、お前はどこまでもツイてねえ奴だ! 奴の名は邪遠。魔信教内でいうなら教祖よりも強い、最強といっていい男だ! いいか、絶対に戦おうなんて思うんじゃねえぞ! もし敵意の欠片でも向ければその瞬間挽き肉になると思え!』
邪遠からは、何もしていなくてもシャドウ以上の脅威を感じ取れる。
善悪までは読めないが強大な戦闘力だけが恐怖として押し寄せてくる。
「後ろにいる人間、手出しはしない方が賢明だと思うが?」
視線を向けもしないで飛んできた忠告に、エビルは震える両手を静かに下ろしていく。そうしないと死ぬという事実を直感したのだ。
「賢明だ、死期が伸びたな」
邪遠は上半身と下半身で分かれているスレイを見下ろす。そして右手を軽く上げると――そこから出たどす黒い炎が周囲に広がっていく。
(黒い……炎……?)
炎といえばレミの火の秘術だが黒炎は出せない。
秘術の火は暖かく優しいが、逆に黒炎は恐ろしさしか放たない。広がる黒炎をエビルとレミは目を見開いて眺めていた。
黒くても炎に違いない。一応光源としての役割は果たすようで里は先程よりも明るくなった。
視界が良好になっていく中、エビルは邪遠の行動を確かに見た。
邪遠はスレイの上半身だけを雑に持ち上げて肩に担いだのだ。死んだ仲間を持ち帰って火葬でもする気なのか、それとも想像もつかない非道な目的があるのかは分からないが。
「チヨノミ・カイヘガイ・ケラヒ」
呪文が唱えられると邪遠の傍の空間に亀裂が入る。
死神の一族しか知らないはずの里へ出るための呪文だ。空間の亀裂は徐々に広がって、外の景色を映し出す楕円形の穴が出現する。
「今回は貴様らに用がない。だが次会う時が来ればおそらく貴様らを殺す」
楕円形の穴に邪遠は躊躇なく飛び込んで姿を消した。
荒い呼吸を短時間で整えたエビルは周囲を見渡す。
吹き飛んで見えなくなったセイム。放置されたスレイの下半身。なんとか起き上がろうとしているレミ。そして、血溜まりを作って倒れ伏しているシバルバ。相当な窮地に陥ったがなんとか今エビルは立って生きている。
黒炎は消えていき、エビルの視界も段々と暗くなっていく。
明かりが消えたからではない。視界が暗くなったのは重くなった瞼が開けられなくなったからだ。力も入りづらくなったエビルの体は地面へと倒れた。




