結界装置
「実は、この里に魔信教と名乗る者が現れたのです」
エビルとレミは「魔信教!?」と驚いて声を上げる。
二人は驚きながら互いの顔を見合わせて、真っ先に想像したのが少し前にアランバート王国を襲ったイレイザーであった。
「その男は剣を二本持っておりまして、訳の分からないことを言いながらこの里を襲撃してきたのです。本当に恐ろしい男でした」
エビルが「剣を二本?」と呟いて思考する。
少なくともイレイザーではないようだった。そもそも片腕を切断した以上、どこかで死んでしまっている可能性が高い。
「ん? でも待って待って、その男をどうやって里から追い出したの? 襲撃されたのに無事ってことは追い返したんでしょ?」
「それにここに入るには呪文が必要なのになぜ入れたんでしょうか」
シバルバや住人達は一見何の怪我もない健康体だ。襲撃されたにしては元気すぎる。
侵入できた理由も謎だ。部外者である男が呪文を知っているとも思えない。
「あの男が侵入して来た原因はおそらく所持していた剣でしょう。剣の中には特殊な力を持つ魔剣と呼ばれるものがありますし、空間を切り裂く能力を備えた魔剣があっても不思議ではありませぬ。……男をどう追い払ったかというのは単純ですじゃ。儂等は戦いました。この里の者ほぼ全員でその男と戦い追い払ったのです」
「ぜ、全員って……そりゃまともな奴なら逃げるわよね」
魔剣についてエビルには心当たりがある。
イレイザーとの戦闘時、シャドウが貸した黒剣は影から出てきたし、距離が空いてしまうと崩れて消え去るという特殊なものだった。本人の能力なのか剣の能力なのか分からないがそういう類のものと思っていいだろう。
「しかし一度追い返したとはいえ相手はまだ元気でした。男は夜目が利かなかったようなので、それが勝利のきっかけとなったものの攻撃はほとんど回避されました。それに比べこちらの怪我人は多く、今は住宅にて休養しています。近い内、また襲ってくるかもしれませぬ」
「そのための結界装置ですね」
「ええ、使用している装置の効果は森を発生させ、さらに森の木々が移動して里とヒマリ村への道を隠す役割がありますじゃ。お二人には申し訳ないことをしましたな」
「いえいえ、そんなことは」
全て里の民達を守るためだ。当然の対処だと二人は思う。
確かに進路を妨害されたのは事実だが責めるような理由ではない。
「……でも、それなら僕等はここから出るわけには行かないですかね」
結界装置で作られた森から脱出するためには一度結界装置の発動をなくさなくてはならない。そうなると外にいるかもしれない魔信教の男が死神の里を見つけてしまう恐れがある。
長く滞在するのも旅の目的が目的なのであまりよくない。魔信教を倒すならそう長く寛いでいるわけにもいかないのだ。休んでいる間にも魔信教は殺人を繰り返しているだろう。
目的を知らずともシバルバは申し訳なさそうな顔をした。
「……そうなりますな。その方がこちらはありがたい」
「いっそのことアタシ達が倒しちゃおうか? エビルならなんとかなるよね?」
「どうかな。相手がイレイザーより強い場合は大丈夫って言えないよ」
敵の強さは未知数。あのイレイザーが四罪という幹部の一人である以上、単純に考えて魔信教の中で強い部類なのだろうが魔信教は謎が多い。四罪でなくてもイレイザーより強い相手がいるかもしれない。または他の四罪のメンバーが全員イレイザーより強いかもしれない。実力が低くても特殊な武器を持っている可能性だってある。
いかにエビルが強くなっても上には上がいる。倒そうと向かって殺されては元も子もない。
「でも、倒しに行こう」
敵がどれほどのものか不明だが、ここで弱気になっていては新たな風の勇者になるという気持ちも消えてしまう。エビルは困っている者を助けるためならどんな相手だろうと戦ってみせると心で宣言した。
エビルならそう言うと思っていたレミは「だよね」と笑って肯定する。
「いえ、心配及びませぬ。さすがに数日もすれば諦めるでしょう。七日後には一度結界装置の力を解いて様子見するつもりなので、そのタイミングで先へ進んでくだされ」
「シバルバさんがそう言うなら……」
里長であるシバルバが決定しているなら何も言うことはない。
確かに数日探して見つからなければ魔信教の男も帰る可能性は高い。
「良かったじゃないエビル。戦わずに済むならそれに越したことはないわ」
「でも放っておくっていうのは……」
敵である男をみすみす逃がせば別の場所で被害が出るだろう。やはり今倒しておくべきなのではないかという意見をエビルが口から出そうとした時、レミは微笑んで問いを投げかけた。
「ねえ、エビルは人を殺すのが怖いんだよね」
思わぬ問いに虚を突かれたエビルは「えっ」と声を零す。
「殺し合いになった時、殺せなかった方は負ける。アタシもぶっちゃけ殺すのは怖いけど悪人には容赦しないつもりよ。……でも、エビルはもうちょっと心の準備しておかないとダメだと思う」
「……そう、なのかもね」
確実にトドメを刺せたはずのイレイザーを殺せなかったエビル。
シャドウにも散々甘いと言われている。だがどうしても、悪人とはいえ殺すことへの抵抗は消えてくれなかった。
「話は纏まったかの?」
「はい。とりあえず七日間この里に滞在させてもらいます。宿屋の場所を教えてもらってもよろしいですか?」
敵が帰るというのなら今は戦わないでいいとエビルは判断した。人を殺すための準備というのを自分なりに考えてみようと思う。
「この里には宿屋がないのですじゃ。客人など滅多に来ないものですしのう。以前来たのは確か百八十年くらい前のことじゃったか……」
異空間にある以上客が滅多に来ないのは当然だろう。住人には自宅があるし、客が来ないのなら宿屋も必要ない。
「じゃあ僕等はどこで寝泊まりをした方がいいでしょうか」
「儂の家に泊るとよい。二階右奥の部屋ならベッドが二つ空いているのです」
「本当ですか、それではお言葉に甘えて。泊めてくれてありがとうございます」
エビル達は出発を七日後に予定し、その日まで里長であるシバルバの家に泊めてもらうことにした。
早速二階右奥の部屋に向かった二人は今が夜遅い時間だということを思い出し、与えられた部屋でベッドに入れば驚くほど早く眠ることが出来た。
* * *
結界装置で作られている森の中。
鋭い刃物で切断したような断面の切り株に一人の男が座っており、その傍には刀身の黒い刀が二本置かれている。
「ああ、エレナエレナエレナエレナ……まだ足りない。もっと友達が欲しいよねえ。増やしてあげないと……俺が友達を増やしてあげないと……俺が俺が俺が俺が」
黒いローブを身に纏い、深く被ったフードの中からは黒い長髪が垂れている。縮れ毛であるその長髪を左手で弄っているその男はもう十時間以上座っていた。
そんな男の前に別の黒ローブを着た男がやって来る。
「スレイ様。本日も残念ながら発見に至りませんでした」
赤い瞳が新たに来た男に向けられる。
スレイと呼ばれた縮れ毛で長髪の男は傍に置いてあった黒刀を手に取り、男に赤い目を向けながら怠そうに立ち上がった。
「ほおほおほおほお、じゃあしょうがないよなあ。あの場所はまた明日探すしかないんだよなあ。ゆっくり眠ってくれってみんなにも伝えておいてくれよお」
男は「はっ、了解です」と言ってから身を翻し――心臓を刀で貫かれた。
胸から突き出た黒刀が持ち主の方へと引かれていく。傷口からは大量の鮮血が零れ、男は膝から崩れ落ちてしまう。
「あっ、しまったしまったしまったしまった。ここで殺したら誰がみんなに伝えに行くんだあ。結局俺自身が行かなくちゃあならないんだよなあ」
スレイがそう言ってどこかへ歩いて行く。その背を見つめている男の意識はもうじき消えてしまうだろう。
男が抱いたのは後悔か、無念か、悲しみか。否、男は幸福を覚えている。心臓を刺されたというのに男の表情は恍惚としたものであった。
「ああ……さすが……スレイ、様。……俺は……死ねるんだ」
人生に絶望していたのか男は死亡寸前までスレイに感謝していた。
「さすが……魔信教の……四罪」