死神の里
シャドウに助けを求めるのは諦めてエビルは眠ろうと目を閉じる。
そもそもシャドウに助けを求めるなどどうかしていたと思う。イレイザーとの戦いでは剣を貸してくれたりしたので味方だと勘違いしてしまったが、元々は故郷を滅ぼした敵なのだ。いくら絶望的な状況でも敵を頼るなど考えを改める必要がある。
そんなことをエビルが考えている時、レミの寝息が止まった。
両目を開けたレミは寝袋のマジックテープを剥がして上体を起こす。
「どうしたのさレミ」
彼女は少し黙った後で口を開く。
「聞こえる。刃物か何かで木を斬る音」
気になったエビルが聴覚を研ぎ澄ましてみると、小さいが確かに妙な音がすることに気がついた。昼間に自分が木を斬りつけた音の大きいバージョンだと何となく感じる。
「これは……。誰かいるのかもしれないね」
「ええ、行ってみましょう」
二人は寝袋から出て収納袋へしまう。
暗闇の中、夜目の利かない二人では歩きにくい。だがレミが秘術を使用して小さな火を手のひらの上に出したことで、狭い範囲だが十分な明かりと視界を確保出来た。
音のする方へと二人は慎重に歩いて行く。
段々と刃物を振るうような音に近付いており、遠くに人影を見つける。
「人がいる……。僕達以外にもいたのか、気付かなかった」
性別はまだ分からないがその人影は大鎌を振るっていた。なぜか大鎌で木を傷付けるのを繰り返している。
暗い森に火の明かりがあったせいか人影がエビル達に気付いた。
「ああ? 誰だ?」
男の声がした。男だと判明した人影は二人に近付いて来る。
「何だお前ら、見ねえ顔だな……」
近付いて来るとともに段々と男の姿が明らかになっていく。
黒髪。黒くて鋭い目。衣服は黒いマント、体のラインが浮き出るような黒のボディースーツのみ。六つに割れた腹筋がくっきりと見えている。一番特徴的と言えるのが肩に担ぐ黒い大鎌だろう。いや一番は身につけている物が全て黒一色ということかもしれない。
黒一色といってもシャドウとは違う。
彼の場合は肌の色まで黒かったが目前の男は褐色肌だ。
「えっと、僕達は怪しい者じゃないんです。ちょっと道に迷ってしまって」
「この森を抜けられないの。出る方法を知らない?」
初対面なのでエビルは丁寧な言葉遣いで話しかける。
レミに関しては元からフレンドリーな感じなので、人にもよるだろうが言葉遣いは変わらないだろうなとエビルは思っていた。
「随分と高めの声だなお前。顔も中性的だから女性と間違えちまうぜ。もし胸があったら可愛らしい女性なのにな」
「……それ、もしかしてアタシに言ってる?」
よりにもよって男はレミの性別を間違えてしまっていた。
確かに一般的な女性よりも短い赤髪であるし、胸はまな板と言われそうなくらいにないため間違えてもおかしくないのだが。
険しい目つきになったレミは右手を固く握っている。左手は火を出しているので何もしていないが、もしもう少しでも失礼なことを言ってしまえば容赦なく右拳が飛んでいくだろう。
ただでさえ貧乳を気にしていることをエビルは知っている。今ので殴らなかっただけでも精神の成長を喜びたいくらいである。
「おう。つうか一人称がアタシって……お前、まさかオカマってやつか?」
「アタシはれっきとした女よおおおお!」
残念なことにレミの右拳は容赦なく男の顔面へ叩き込まれた。
殴られた男は「ぐああああ!」と悲鳴を上げながら後方へ吹き飛んだ。
* * *
どれだけ歩いても抜けられず、同じ道をループしている迷いの森。
そこで出会った男はレミに殴られて赤く染まった左頬を擦り、目前のエビル達に向けて自己紹介する。
「……いやー、悪いね。俺の名前はセイム。性別間違えたことは許してくれ」
「僕はエビルです。……大丈夫ですか?」
「いや、滅茶苦茶痛えよ。これでも俺そこそこ鍛えてんだけどな」
レミは大人の男を軽々と殴り飛ばすくらいの怪力の持ち主。思いっきり殴られたセイムが気絶しなかったことにエビルは驚いた。以前殴られた盗賊は一撃で伸びていたというのに。
ちなみに殴った本人はまだ怒っているようでそっぽを向いている。
「ほらレミ、いつまでも怒ってないで自己紹介くらいしないと」
左手の上で燃えている炎が若干大きくなっている。怒りで大きくなったのかもしれない。
見るからに怒っているレミはエビルの方を向くとジト目で口を開く。
「い、や、よ。アタシもうこいつのこと嫌いだもん」
「いやいや、そんなこと言わないでさ」
指をさしてそう告げるレミをエビルは宥める。
一度誤解とはいえ『お子様体型』などと口に出してしまったエビルを嫌いになっていないのは、それだけ好感度が高かったということだろう。もしそれほど高くなければ恐ろしいほどに下がり、あの森の中で別れを告げられていたかもしれない。
「そうだぜレミちゃん。君みたいな可愛らしいお嬢さんに嫌われたまま、自己紹介もされないなんて俺どうにかなっちまうぜ」
「アンタもうアタシの名前知ってるじゃない! ああもう、エビルのせいでこんなやつに名前知られちゃったし。女だって分かったら態度変わりすぎだし、馴れ馴れしいし」
「女性は大切に扱うべきだからねえ。レミちゃん、どう? 今日俺の家に泊りに来ない? 今なら三食付くうえに俺の隣で寝れるサービス付きだよ」
「最後のはいらないわ。てかアンタの家なんか行かないし」
態度が軽々しくなったセイムがウインクしながら問いかけると、レミは再びジト目になってあっさり断る。それを承諾したらしたでエビルは何となく嫌だなと思ってしまう。
しかしレミが誘いに乗るのは嫌だと思いつつ、エビルは悪くない提案だとも思う。何せエビル達はこの迷いの森から出る術を持たないのだから。ずっと野宿というのも疲労が溜まるので、どこかの村や町に早く行きたいという気持ちが強い。
「ねえセイム、レミはこう言ってるけど僕達を連れていってくれないかな」
「えー、エビルは行きたいの?」
「彼の家に行きたいわけじゃなくて、この森から出たいんだよ。レミだっていつまでも野宿は嫌でしょ?」
「まあ……そうね……」
セイムの誘いだからか乗り気ではないレミだが、一先ず賛成してくれたので後は誘った本人の承諾を得るだけだ。……といっても一人から二人になったところで断るとは思えないが。
「野郎も来るのか。まあいいぜ、野郎は勝手に付いてきな」
歓迎はされていないようだがエビルは付いていくことにした。
暗い森の中、レミが左手から火を出し続けているおかげでエビル達はなんとか進める。セイムは元から夜目が利くようで、なんてことないように先頭を歩いている。
しばらく歩いていると足を進めながらセイムが口を開いた。
「なあ、そういやレミちゃんさあ」
嫌いだと宣言していたレミは「何よ」と答えるが、その顔は睨みつけるような険しい表情をしている。
「そんな怖い顔しないでくれよ……ってそうじゃなくて。ずっと左手から火を出してるけどもしかして秘術使いってやつ?」
「そうよ、それが何だってのよ」
「いやいや初めてみたから驚いてな。あれだろ? 秘術使いって体のどこかに紋章があるんだろ? ちょっと見せてくれねえ?」
レミは「嫌よ」と即答する。
断固として見せない雰囲気だがセイムは諦めず、口を尖らせて頼み続ける。
「えー、そんなケチケチする必要ないじゃんか。見せてくれよお」
「い、や、よ!」
「ふーん。もしかして……見せたくない場所にあるとか? 分かったぞ、おっぱいに紋章があるんだな!」
「んなわけないでしょバカじゃないの!?」
デリカシーの欠片もないセイムの発言にレミは顔を真っ赤にして反論する。
怒りのせいか左手の火の勢いが強くなっていく。
「いや、レミの胸に紋章はなかったよ」
ただ、そういった配慮が欠けていたのはセイムだけではなかった。
エビルがそんなことを言うとは予想していなかったレミはきょとんとして、さらに顔を赤くして大声で叫ぶ。
「……え。エビル? なんでそんなこと分かる……ああ! 前にアタシの裸見たことあったけどその時!? そんなにじっくり見てたわけ!?」
「マジか、二人はそういう関係?」
「違うからね!? そういう関係とやらでもないし。裸は……まあ不可抗力で見ちゃったことがあるけど。紋章がないことに気付いたのは偶々だし……」
あの時はエビルもレミが危ないと思って焦っていたし、何より異性の裸体を見たのは初めてだったので極度の緊張などでじっくり見る余裕はなかった。しかし秘術使いの紋章が見当たらなかったことだけは覚えている。
レミの火紋をエビルは一度も見たことがない。自分が右手の甲にあるためレミもそうかと思った時期があったが、アランバートに滞在していた時にそうでないことに気付いていた。それをずっと気にしていたため裸体を見た時に無意識に探してしまったのだ。
「あっ、もしかしてレミちゃんの紋章ってお尻にあるんじゃね」
エビルをジト目で見ていたレミがセイムの方へ勢いよく振り向く。
顔の赤みは消えていたのに、今度は俯いた後また急激に赤みを帯びていく。
先程のように叫んだりして怒りを露わにしないところを見ると、顔の赤みは怒りというより羞恥が原因だろうと二人は思う。
「……え、マジ? 適当だったんだけどマジで当たってた? レミちゃん、もしそうなら一生のお願いなんだが」
何を思ったかセイムは真剣な表情になる。
「秘術の紋章を見せてくれないか」
「アンタもう一回ぶん殴っていい?」
見せるとなれば紋章とは違うものまで見せることになる。だがこれでレミがあれほど嫌がった理由は明らかになった。尻にあるならエビルだって見せるのを躊躇する。
「あははは、あーごめんごめん。……ん、ちょい待ち」
笑いながら謝るセイムは進ませていた足を止める。
家に着いたのかと二人は思ったが辺りは森のままだ。家など視界には映らない。
「ちょっとアンタ、どうしたのよ? 疲れたわけ?」
「魔物はこの森に出ない。警戒するようなものは何も感じないけど」
立ち止まった原因として考えられるのは疲労や警戒。
ただ大鎌を軽々と担いで歩き続けていたセイムは疲れを見せていないし、この森には魔物など出ないので警戒する要素はない。
「チヨノミ・トヘサ・ケラヒ」
立ち止まったかと思えばセイムは謎の呪文を唱えた。
謎の行動に二人は顔を見合わせてきょとんとしていると、すぐ異常に気付く。
セイムの前方一メートルほどの場所。何もないその空中に亀裂が入り、徐々に広がっていく。その光景に二人は愕然としつつ身構える。
亀裂が広がって――空間が割れた。
楕円形の不気味な穴が出現し、セイムは戸惑わずにうんうんと頷く。
「それじゃあレミちゃん、エビル、こっちだぜ」
セイムは楕円形の不気味な穴に慣れた様子で入っていった。
案内人が飛び込んでしまったのでエビル達は取り残される。だがこのままここで止まっていても仕方ないので、二人も勇気を出して飛び込むことにした。
「こ、これは……」
「嘘……」
楕円形の穴の向こう側は二人を驚愕させる。
空は黒く、薄暗い場所だった。いったいどういう場所か知らないが住宅がいくつもあり、セイムと同じ服装をした男女が大鎌を担いで歩いていた。
さすがに薄暗いからか住宅の玄関には松明が飾られている。
「ようこそ、死神の里へ」




