ヒマリ村
岩壁に挟まれた草原にある小さな村――ヒマリ。
魔物から守るための木製の柵に囲われており、入口は荒野へと続くエビル達の目的の方向か、これから辿り着く小さな門の二か所のみだ。
「あれがヒマリ村……。僕がいた村と同じくらいの広さか」
「ようやく村に着くわね! 早くお風呂入りたいし着いたら宿屋へ直行よ!」
そう言って小さな木製の門の前に来た二人の前に、村の警備を担当しているであろうアランバートの兵士が立ち塞がった。
「止まれ、旅の者か……ってレミ様!? なぜここにレミ様が!?」
今まで国から出られなかったレミが現れれば誰だって驚く。冷静そうだった兵士は突如大声を上げて、目を見開いて驚愕する。
そんな彼にレミは「いやあ、それがね」と言って説明し出す。
アランバートで起きた事件も、外出を許されたレミの件も兵士は知らなかった。
連絡に頻繁に利用されるコミュバードという魔物での伝達はされていないということだ。わざわざ知らせるほどでもないとソラが判断したのかとレミは思う。
「……なるほど、そういうわけでしたか。それならばお通ししないわけにはいきませんね。アランバート城下町と比較すればかなり小さな場所ですが、ごゆっくりお休みください」
兵士に通されて入った村はアランバート城下町と比べれば賑わいに欠けている。それも人口数や店舗数が少ないからだろう。周囲を見渡しても城下町に多くあった食べ物を扱う店は一店もない。
木造の家は全て木造というわけではなく、屋根部分は大量の藁が束ねられて造られている。アランバートは煉瓦や石で造られていたので根本的に違うことをエビルは感じ取る。
とにもかくにも旅の疲労などから二人は宿屋へ直行した。
宿屋に入れば白いエプロン姿の中年女性が木製カウンター越しに挨拶してくる。
「いらっしゃいませー。本日は二名様かい?」
「はい、そうです」
「部屋は一つかい?」
「一つです」
エビルは「え、一つなの?」と驚愕する。
確かに旅の途中では近距離で寝ていたしほとんど一緒にいた。しかしだからといって女性と同じ部屋を使うというのは慣れていないものだ。外と中では意識が違う。
「旅の間はけっこう距離近かったし問題ないわよね。それに二部屋とるのは所持金的に勿体ないし、節約していかないと」
「そ、そうだね。僕も賛成」
本音を言えばエビルは慣れないため二部屋とりたかったがその分値段は高くなる。
二部屋なら二千カシェはするが一部屋なら半額の千カシェで済む。
ソラから貰った旅の資金にまだまだ余裕があるとはいえ、節約出来るところでしていかないと後に辛くなる時が来るだろう。早いところ金を稼ぐ手段を見つけようとエビルは一人考える。
案内された部屋に入ってみると白いベッドが二台存在していた。
(……ふぅ、よかった。ベッドは二台ある)
他には箪笥が壁際にポツンと一つ置いてあり、上には花の入った白い花瓶が飾られている。あとは小窓が一つあるくらいで目立ったものは特にない。
「はあっ、久しぶりのベッド!」
興奮した様子のレミは白いベッドに向かってダイブした。
柔らかい素材なので二回ほど弾んだ後に落ち着き、枕に顔を埋めて数秒後にレミは顔を上げる。
「なんか旅をしてると小さな村一つに足を踏み入れるだけで少し感動するわね」
「ベッドで寝るのは森の中とかじゃ無理だしね。固くて多少デコボコしている地面に用意した寝袋で寝るのも慣れたけど、やっぱりちゃんとした寝具で寝るのが一番だよね」
「まあベッドもいいけど一番はお風呂よ! 水浴びはしてたけど臭いとか心配だし……アタシ早速入って来るわ!」
寝転がったと思えば勢いよく起き上がり、レミは足早に部屋を出て行く。
「なんか、平和な旅って感じでいいなあ」
故郷が燃やされたり、魔信教という殺人宗教団体に襲われたりと最近は休めていなかった。エビルの旅はその後に始まったとはいえ、いや始まったからこそ平和というもののありがたさを実感出来る。
しみじみと呟いたエビルは「僕もお風呂入ろう」と言って部屋から出た。
それからは屋内生活を堪能するため一歩も外に出なかった。
昼食、夕食と食事をとってからはベッドに飛び込む。横になってからは柔らかな感触を味わいつつ一分もかかることなく熟睡した。
* * *
宿屋で熟睡した後は爽やかな朝の目覚めだ。疲労はすっかりなくなっている。
女将が作った朝食を食べている間、咀嚼を終えて食べ物を飲み込んだエビル達は次の目的地について話し合う。
「次に近いのは砂漠の国だっけ?」
「地図だとそうなるわね。とりあえずこの村から西に行くと荒野に繋がってて、段々砂漠になっていって砂漠の国リジャーがあるみたい」
「へえー、どんなところなんだろう」
一言で砂漠の国と言われてもエビルには想像がつかない。精々砂がいっぱいあるんだろうな程度だ。
「リジャーっていえばやっぱあれね。――ホーシアンレース」
聞き慣れない言葉にエビルは疑問符をつけて復唱する。
「ホーシアンってのはあの馬みたいな魔物よ。それに乗って競争するのがホーシアンレース。リジャーじゃ有名らしくてね、町から出たことのないアタシでも知ってるわ。何でも年に一度は各国のトップを集めるとかで姉様も行ったことあるらしいわよ」
「それって誰でも出られるのかな。もし出られるなら僕も一度くらい出てみたいなあ。運がよければ優勝しちゃったりして」
「いいわねそれ! アタシはエビルが優勝する姿見てみたいかも。他の奴等なんか、こう、ドーンと追い抜いてさ!」
笑みを浮かべ、両手を使って追い抜く様を表現するレミ。
「……じゃあちょっと、本気でやってみようか」
楽しそうな笑みを浮かべたエビルの目に闘志が宿っていく。
まだ見ぬレースに燃えていると――茶髪の女性が一人宿屋へと入って来た。
血相を変えて勢いよく扉を開けた女性は女将の元まで走り口を開く。
「あの、ヒイラギさん! デルテを見ませんでしたか!?」
「デルテ君かい? いや、今日は見てないけど……いったいどうしたってのさメル。まさに顔面蒼白って感じで、結婚式の翌日に結婚指輪失くしたみたいな顔してるよ」
女将は「水でも飲んで落ち着きな」と告げて、冷水の入ったケトルでコップに水を入れようとする。だがそんな優しさお構いなしに女性、メルは叫ぶ。
「それくらい大事なんです! デルテが、デルテが朝起きたらいなくて!」
「何だって? デルテ君がいない!?」
驚いて顔を上げたことでケトルから出た水が大幅にコップから逸れて零れる。すぐに気付いた女将はケトルを置き、軽く目を見開いて事情を訊こうとする。
そんな時、エビルとレミは立ち上がって二人に近付いていく。
「あの、何かあったんですか?」
メルという女性の慌てっぷりは尋常ではない。気になった二人は歩み寄りエビルが声を掛けた。
「ああ旅の方! 息子が、息子がいないんです……朝起きたらいなくなってて!? ゲホッ! ゴホッ!」
「ちょっ、大丈夫ですか!?」
慌てているメルは喋っている途中で咳込み座り込んでしまう。
咳込んで座り込むメルの背中をレミが擦り、エビルは女将の方を見やる。視線が飛んできた女将はすぐに意図を察して頷き、ケトルでコップに水を入れてエビルへと差し出す。
冷水の入ったコップを受け取ったエビルは視線をメルへと戻して口を開く。
「落ち着いて、ゆっくり水を飲んでください。息子さんがいなくなって慌てる気持ちは分かりますから今は落ち着いて、息を整えて」
「ゲフッ、コフッ! は、はい……」
メルは水を飲み、時間を使って息を整えた。
一度あれほど慌てたからか冷静になったメルにエビルが問いかける。
「落ち着いたみたいですね。それで、そのいなくなった息子さんというのは?」
「名前はデルテ、まだ五歳でとてもいい子なんです。それなのに今日朝起きたらどこにもいなくて……。心当たりのある場所は全て捜したんですけど見つからないんです。それで段々焦ってきて、あんな状態に……ご迷惑をおかけしました」
「なるほど、じゃあ村の中を僕達で手分けして捜しましょう。レミは?」
「もちろん捜すわよ。こんなの放っとけるわけないしね」
女将も「私も捜すよ」と告げた。人手は一気に四倍だ。
村の中から一人の子供を捜し出すのは難しいかもしれないが、四人なら多少時間はかかるがなんとかなるだろうとエビルは思う。
「いえ、それが村の中はほとんど捜して……あ、もしかすれば」
何かに気付いたメルは再び顔面蒼白になる。
「私は五頭ほど牛を飼育しているんです。でもその中の一頭が最近は体調が酷いので『薬が欲しい』とよく呟いていました。……もしかするとそれを聞かれたのかも」
「薬? でもこの村に薬屋はないわよね?」
ヒマリ村は小さい村だったので武器屋や薬屋などはない。精々あるのは生活に必要な衣服や靴などをアランバートから仕入れる店くらいなものだ。
「ええ、だから自分達で作るしかないのです。材料は村にいるなら子供でも知っているので、もしかすれば材料を取りに行ったのかも」
「その材料は?」
「近くの草原に黄色く小さい花が咲いているんです……その花の名はヒマリ。この村では昔からその花が良く効く薬の材料になると言われていて、村の名前の由来もそこかららしいです。……でも草原には」
エビルはメルが途切れさせた言葉の先の答えにすぐ辿り着く。
「草原には魔物がいる!」
力なくメルは「……はい」と頷く。
エビル達も通って来た岩壁に挟まれた草原だ。そこそこ広いので子供を捜すのは時間がかかるし、凶暴な魔物がいるため命も危ない。
「今すぐ行きましょう! 早くしないと危険だわ!」
「わ、私も……」
「メルさんはここにいてください。草原の方は僕とレミで捜します」
明らかに戦える人間ではないメルを連れていくのは危険だとエビルは判断した。たとえ我が子を捜すためだとしても、命の危険がある以上連れていくわけにはいかない。
「なら、私は村の中をまた捜します。草原に行っていない可能性もあるし、仮に行っていても既に帰って来ているかもしれません」
「確かにそうですね、お願いします。じゃあレミ、僕等は行こう」
まだ村にいる可能性も少なからずある。だがエビルは子供が外へ出た可能性が高いと判断する。メルがあれほどに息を切らせて駆け回ったのなら、もう見つかっていてもおかしくないのだから。
一人の子供を助けるため二人は草原へと駆けて行った。




