好きだから
木々の間から差し込む月光の下でリンシャンは目前の火を眺めていた。
ゆらゆら、ゆらゆら。冷たい夜風に吹かれて火は揺れている。
何度か消えそうになった火を見ていると心の闇が浮き彫りにされる。
(……消えてしまえばいいのに)
そう心の中で呟いた瞬間、ハッと目を見開く。
いったい何を考えていたのか理解して自分への怒りが湧く。
以前からあったのか不明だが自分の心の醜悪さに気付いたのだ。
「リンシャン、今、二人きりね」
傍の岩に座っているレミがそんなことを言う。
ロイズとエビルは野宿地点を離れているが、クレイアはまだいるので二人きりではない。もっとも寝てしまっているので、この場で起きているのは二人であるのだが。
「クレイアちゃんがいますよ」
「寝てる奴はいいのよ。ねえ、まだ眠くないでしょ? ちょっと話さない?」
「構いませんよ。クレイアちゃんは朝まで起きないでしょうし」
ギルド本部から同行しているレミも旅の仲間として随分馴染んだ。今ではリンシャンも自然と話せるし、レミ持ち前のコミュニケーション能力あってか昔からの友達のようだ。仲間同士での争いも特になく、ハイパー特訓のための旅は順調と言える。
「――リンシャンさ、エビルのこと男として好きでしょ」
リンシャンの頭が真っ白になる。
図星と取られるから沈黙はダメだ。
何か言葉を口から出さなくてはと搾り出す。
「……な、何を言っているんですか。そんなわけないじゃないですか。私、レミさんがエビル様のことを好きなの気付いているんですよ? エビル様がレミさんに並々ならぬ想いを抱いているのも分かります。二人はとてもお似合いです」
「お似合い? バカね、アタシの気持ちとか気にする必要ある? それにエビルがアタシに向けているのが恋愛感情か友情なのか、本人にすら分からないのよ? この場合、重要なのはアンタ自身の気持ちでしょうが」
「私の、気持ち……」
最初は憧れだった。
メイジョ協会で働くようになってから、リンシャンは自分の意思を貫き通すことも出来ない弱者。アドポギーニに反抗したとしても、結局丸め込まれて何も変えられない。全員の怪我や病気を治したいのに選別された者だけを治す日々。
もっと勇気があれば、強さがあればと何度思ったか分からない。
自分の弱さを自覚していたがゆえに強者のエビルに憧れた。
強大な敵に思えたアドポギーニをあっさり倒す強さ。
仲間のためにメイジョ協会へ乗り込もうとする勇気。
将来の理想を体現した彼と、冷静かつ迷いのない判断をするロイズに憧憬と尊敬の念を抱いた。
林の秘術使いとして二人と行動を共にしてからしばらく経った頃。
今まで男性と事務的な付き合いしかしてこなかったせいか、エビルに段々惹かれているのを自覚する。優しく、気遣いが出来て、共に悩んでくれる存在。恋愛経験のないリンシャンにとって、長く一緒なのに惚れるなという方が無理な話。
正確にいつからかは分からないが、いつの間にか恋する乙女となっていた。
「……好き……です」
顔が熱くなって赤くなるのがリンシャン自身でも分かる。
「私、エビル様のこと……一人の男性として愛しています」
「やっと本音ぶちまけたわね」
「分かりやすかったですか?」
「分かっちゃうものよ。エビルのことを考えている時のアタシと、たまに同じ顔している時あるからね。エビルだってもう気付いているはずよ。後はアンタの行動次第で結果が変わるわ」
「き、気付かれているんですか!? エビル様に!?」
先程より顔が熱くなり、恥ずかしくなったリンシャンは顔を手で隠す。
レミの話を聞くまでは寧ろ気持ちを伝えたいと思っていた。しかし、友人を語るにしては明らかな熱の籠もりようで気持ちを隠したくなった。エビルの友人以上の関係であろうレミがいないのをいいことに、彼の心を奪おうとする卑しい人間になりたくなかったのである。
「……レミさんは、私にどうしてほしいんですか」
熱が引いていく頭で冷静に考えたがレミの思惑が分からない。
「どうって、そんなのアンタが決めることでしょ。ただ、なーんか遠慮しているみたいだったからさ。自分の気持ちを必死に殺そうとしているように感じたの。だから余計な気を遣うなって言いたかっただけよ。他人が自分と同じ人を好きになったとしても、引き下がる理由にはならないでしょ」
心が彼女に見透かされている。
リンシャンはエビルが好きだが彼女と幸せになってほしいと思っていた。
急に湧いて出た女より、付き合いの長い彼女の方が相応しい。彼女の方が相応しいのだから自分は諦めるべきだと、最近は自分に言い聞かせている。それでも諦めきれない自分が嫌いになりかけていた。
自分の幸せなど二の次で、エビル達の幸せを願うからこそ諦めたい。
愛する者と生涯を歩んでいきたいと思うからこそ諦めたくない。
矛盾した二つの想いは、どちらも消えず膨らみ続けて心を傷付ける。
気持ちを抑えていたのはレミのためでもある。
そのレミから引き下がるなと言われたらもう……抑えられない。
「……レミさんは、エビル様を私に盗られてもいいんですか」
「いいわけないでしょバカじゃないのアンタ」
「なら、なぜ恋敵に遠慮するなとか、引き下がるなとか言うんですか」
「簡単な話よ。恋愛くらい、誰にも遠慮することなくやってほしいからね」
「私、本気でエビル様にアタックしちゃいますよ」
「上等じゃない。アンタにも、クレイアにも、誰にも渡さないわ」
「ふふ、私を本気にさせたこと、後悔しないでくださいね」
リンシャンは優しくレミに笑いかける。
もう遠慮することはない。心に迷いは存在しない。
何となく、抑圧されていた力が解放されたような気がした。
* * *
クランプ大森林を西に抜けたエビル達は目的地へ到着した。
水上国ウォルバド。元は水上都市であり、クランプ帝国の領土だったためウォルバドの領土は他国と比べて狭い。クランプ大森林のごく一部と水上都市のみが水上国ウォルバドの領土である。
水上国というだけあり都市は海上に存在していた。
浅瀬に柱を突き刺し、その柱を支えとして木製の橋や家が作られている。
橋と橋、家と家の間には青い海が見える。都市全体を上から見れば、大きな蜘蛛の巣のような形をしているだろう。
「ここがウォルバドか……」
アスライフ大陸を旅していた時にエビルが訪れなかった場所の一つ。
サミットで出会ったウィレインやアズライ、ストロウが元気か気になる。
「アタシ達も初めて来るわね。噂には聞いていたけど本当に海の上なんだ」
「綺麗ですけど足場が怖いですね。板を足が突き抜けたりしなければいいのですが」
クレイアが「足場、不安」と呟くとエビルの頭上まで跳ぶ。
彼女が何をするつもりなのか理解したエビルは、落ちてきた彼女をしっかり担ぐ。俗に言う肩車だ。完全に体重を預けてくる彼女は薄い笑みを浮かべていた。
「あああああ! ずるいわよクレイア下りなさい!」
「そうです、ずるいです! そんなにエビル様と密着するなんて!」
「私だけ、特等席」
「……えっと、二人共そんなに僕の肩に乗りたいの?」
どうもレミとリンシャンが先日からおかしい。
否、明確におかしくなったのはリンシャンだ。
クレイアが体を寄せてくると、リンシャンは引き離そうとしていたのだが先日から違う。引き離さないレミ同様羨ましがるだけである。クレイアが意地でも離れないのを知って諦めた可能性もあるが、先日からの違和感は消えない。




