材料
研究所の客室で休んでいたエビルの体調はかなり回復していた。
椅子に座って菓子や飲料を口にしていれば回復も早い。
「……しかし、今思い出しても気分が悪くなるな。死体とはいえ、人間が魔物と融合させられている光景を見るなんて。そもそもあの死体、どこから調達しているのだ」
ロイズがうんざりとした表情で呟く。
確かにあれ程の数の死体をどこから調達しているのかは謎だ。
国民を殺したらどこかで必ずバレて反発が起きるため、あの死体は国民のものではないはずだ。死体を引き取るにしても、魔物が嫌う薬品の効果により死傷者は毎年ほとんど出ていない。レーンに乗っていた死体の数を見る限り、犯罪者を利用しているにしては多すぎる。犯罪率が非常に高いならともかくそういった話は聞いたことがない。
「イストの兄、ウェストは自国と他国の死刑囚を利用していると言っていたな。死んでから持ってきたのか、殺して持ってきたのかは分からないがね。まあどちらにせよ死ぬ運命の人間を使っているわけだ」
「罪人だから殺していいってわけじゃないですよミトリアさん」
「分かっているさ。私だって無意味に殺したりしない。だが、このガーディアン計画は未来に生きる人類のための計画。話していて気分は悪くなるが、死刑囚を平和の礎とするのは有効活用と言えなくもない」
「……僕は今この施設を潰そうとは思いませんけど、全肯定しているわけじゃない。ここは一歩間違えれば悪に墜ちる者を生む危険な場所です」
死体とはいえ人間を生体兵器の材料とするのだから、人としての倫理観はいずれ崩れていく。制作過程を初見のエビル達は気分が悪くなり吐き気さえあったのに、イストは全く嫌悪していなかった。彼は慣れてしまったのだ。非人道的な実験を行いすぎて倫理観を一部欠いてしまっている。人として守るべきものを見失った者は、やがて悪と善の区別も分からなくなってしまう。
もし、実験のために人間を殺したり、生きたまま魔物と融合させたりした時にはもう手遅れ。仮に慣れてしまった場合、人間を殺すことに何も思わない怪物の誕生だ。そんな者は種族が人間でも心は魔物と変わらない。
「……そういえばリンシャンのやつ、遅いな」
重い話を切り替えるためかロイズが呟く。
リンシャンは四十分ほど前にトイレへ向かったきり戻って来ない。不審に思ったイストが様子を見に行ったのだが彼も戻らないのだ。もう研究所から出てもいいのだが仲間を置き去りにするわけにはいかない。
「心配はいらんだろう。生体兵器はガラスの牢屋から出ないとイストは言っていた。道に迷っている可能性はあるが身の危険はないはずさ」
「あれでドジなところがあるからな、道に迷っているのかもしれない。どうするエビル? イストが様子を見てくるとは言っていたが遅すぎる。捜すか?」
「うん、捜しに行こう」
エビルはイストを百パーセント信頼しているわけではない。
出会って二日しか経たない男を完全に信じるのは危険だ。
客室を出たエビル達三人はリンシャンを捜しに行く。
勝手に出歩くのは申し訳ないが仲間のためだ。何か計画に不利益をもたらすような真似をするつもりはないので、怒られたら謝って許してもらうつもりでいる。物を壊したりしなければイストも怒らないはずである。
「……ん? たぶんこっちだよ二人共」
研究所内を歩いていると、エビルは覚えがある風を感じた。
人間の気配を風として感じられる風の秘術はこういう人捜しにも便利だ。
「分かるのか?」
「風の秘術だな?」
「うん。この風、リンシャンの気配だと思う。風が吹く方にいるよ」
白い通路を走って風を辿る。
辿っていくと不思議なことに他の様々な感情も感じ取る。
怒り、悲しみ、絶望。どれもブルーパープルやグレーゾーンが抱いていたものだ。しかしイストの話では客室がある階層に生体兵器はいない。客人に万が一危害が加われば生体兵器の危険性が浮き彫りになるため当然と言える。
イストへの不信感が高まっていくなかエビルは急ぐ。
走り出したエビルにミトリアとロイズも続き、遂に風の発生源へと辿り着く。
「……これは」
「どういうことだ」
「まさか……」
なぜか研究所内に鉄格子の牢屋が存在しており、人間が閉じ込められている。
エビルが考えられる理由としては三つ。
一つ目。生体兵器の材料とする死刑囚が一番に思い当たったが絶対に違う。
牢屋に入れられている男女から悪の心を感じない。死刑囚なら当然犯罪者であり、誰一人悪の風を吹かせていないのはおかしい。よく見たら集団の中にリンシャンもいたので、死刑囚の集団という線は完全に否定出来る。
「リンシャン! どうなっている、なぜ君が牢屋に!?」
驚愕しているロイズが鉄格子に近寄ってから叫ぶ。
リンシャンは気絶しているようで指先一つ動かない。
理由として考えられる二つ目は研究員の中で悪事を働いたため。当然違う。
つまり残る三つ目。想像の中では最悪の理由。
何の罪もない人間を生体兵器の材料とするために拉致しているのだ。
「君達、この少女の知り合いなのか? だとしたらいけない、すぐ逃げろ」
捕まっている男の一人がそう告げる。
「俺はギルドのBランクに所属しているモンド。他の奴らもほとんどがギルドに所属しているらしい。君達がどこまで知っているか分からないがこの場所は危険だ。仲間を置いていくのに抵抗はあるだろうがこのままでは全員捕まるぞ」
「リンシャン! リンシャン起きろ! エビル、鉄格子を斬ってくれ!」
「分かっているよ。待っていてください、すぐ助けます」
ロイズに急かされたがエビルは抜剣して鉄格子に斬りかかる。
硬質な物同士が打ちつけられたため金属音が響く。
「硬い……」
今のエビルの技量なら鉄も斬れるのに、鉄格子は僅かに傷付いただけだ。やはり科学の国だけあって鉄格子もガラスと同じで超強化されているらしい。これでは〈暴風剣〉を使用しても斬れるか怪しい。
「無理だ止めておけ。俺達のことはいいから早く逃げるんだ」
「大丈夫、次は風も使った全力で斬ってみせます」
超強化鉄格子を斬るために〈暴風剣〉を使って剣を振るう。
結果、剣が若干食い込んだがそこまでだった。機械竜やグレーゾーンより遥かに硬い。何度も〈暴風剣〉で斬りつければ切断可能だろうが時間はかかりそうだ。格子の内一本を取り外すのに二カ所切断しなければならないし、最低五本分の隙間が空かないと抜けられない。
ミトリアに「斬れないのか」と訊かれたので時間があれば斬れることを伝える。
彼女の改造スナイパーライフルだと銃弾が跳ねて危ないし、ロイズの槍は円状の物体への突きが難しい。やはり鉄格子をどうにかするのにこの場で最適なのはエビルの剣技だ。
「――そこで何をしている真っ白君」
再び剣を振ろうとした時、知っている声が耳に届く。
声の方向に振り向いてみれば白衣を着た眼鏡男、イストが立っていた。
「イストさん、この人達は何ですか? リンシャンも中にいるんですが」
「彼女を牢屋に閉じ込めたのは貴様だなイスト!」
元から敵意を抱いていたのもあってロイズの敵意が普段以上に強い。
怒気を発しているし、言葉の一文字一文字に怒りが滲み出ている。
「すまなかったね。秘密保持のためについ、そこへ入れてしまったよ。どうだ取引しないか? 彼女を解放する代わり、ここで見たことは全て忘れるというのはどうだろう。君にそこの人間達を全員解放されると僕が困るんだよ」
「……答えてください。この捕らえられている人達は何なんですか?」
「君は優しい。聞かない方がいいんじゃないのかい?」
聞きたくないがエビルは聞かなければならない。
研究所の真実を、ガーディアン計画の真実を知らなければならない。
ブレない意思を示すために見つめ続けているとイストがため息を吐く。
「彼らはね、生体兵器の材料だよ。正確に言うならグレーゾーンの材料だ」
想定していた通りの説明が彼から告げられる。
死刑囚だけでなくギルドの人間を材料にするなどあってはならないことだ。信じたくはなかったが本人が言うのだから間違いない。これは拉致監禁だし、材料にされたら死んだも同然なので殺人の罪も追加される。確認しておかなければいけないのは、ギルドの人間を材料にしているのをテミス帝国が認めているのかどうかだ。仮に帝国のトップ、皇帝の指示であるのならテミス帝国は腐りきっている。
「……国からの指示ですか?」
「いいや独断さ。だから誰にも悟られないような場所に牢屋を作っていたのに、どういうわけか緑少女がやって来てしまってね。全くとんだ迷子もいたものだよ」
「分かりました。つまり、あなたを捕縛して然るべき場所へ連れて行けばいいんですね。回りくどいことをしないで、皇帝にあなたを引き渡せば全て終わるってことですよね」
「交渉決裂か。予想はしていた、よ!」
イストは突然後ろを向いて、急に素早く移動し始めた。
履いている靴の踵部分から風が出たことによる高速移動。
ミトリア曰く、彼が履いていた靴は最新技術が使われたもので、自分の体を動かすことなく超スピードで進むことが出来る優れ物。全速力なら追いつけるが、捕らわれているギルド職員にリンシャンの様子を見るのを頼んだため時間ロス。頼み終わった時にはもう視界から彼の姿が消えていた。




