兄妹
――作戦を立てた翌日の早朝。
リンシャンは予め作っておいたとある物を身に纏い、作戦を決行に移す。
鉄格子の隙間から細い腕を伸ばし、通路の地面から細長い樹木を生やす。
それを握って鍵穴に当て、形状変化させながら押し込んだら回して開錠。ガチャリと音を出して開いたのを確認してから通路へと出る。鍵を作るために生やした樹木は地面に引っ込めて証拠隠滅。
通路から自分の居た牢屋の中をリンシャンは見つめた。
中には腰まで伸びた緑髪の少女……を模した木製人形が置いてある。
リンシャンが着ていた黄緑色のドレスも人形に着せてあり、緑髪の部分は細長い葉で再現。光の少ない薄暗い場所で見れば人形だとはすぐにバレないだろう。念のため最奥に置いたので注視しない限り気付かれないはずだ。
一抹の不安を抱えながらリンシャンは隣の牢屋前へと歩く。
「イフサ様、イフサ様」
牢屋内に居るターバンを巻いた褐色肌の男性が起き上がる。
朝早い時間なので眠っていたのだろう、起こしたのは申し訳ない気持ちになる。
眠そうに目を擦る彼は「あーん?」と言いながらリンシャンを見ると目を丸くした。
「……な、何だその服装。着替えなんてあったのか?」
「実は私の力で生やした木を素材にして作ってみたんです。癒しの巫女として出歩いている服装だと目立ちますから。これなら町中で見られても正体はバレないと思うんです」
昨日着ていた黄緑色のドレスを着て行っては民衆にすぐバレてしまう。
なるべく地味で目立たない服装がベストであり、リンシャンはそれを自身の能力を駆使して作り上げた。布も革も用意出来ないが木ならいくらでも用意出来る。まずは生やした木を紙のように薄くして服の形状にすれば完成だ。手間もかからないし、意外と肌触りがいいので今後着ることがあるかもしれない。
誰も癒しの巫女がこんな服装で護衛もつけず出歩くなど思わないだろう。
服のついでに作っておいた木製帽子の位置を整え、くるりと一周回って見せびらかして「どうですか?」と感想を求めてみる。
「いいんじゃねえか。良案だよ」
「ふふっ、私も足りない知恵を振り絞ってみましたから」
異性から悪くない感想を貰えたリンシャンは嬉しくなり、自然と笑みが浮かぶ。
「巫女さんよ、時間がねえのは分かっている。だから可能ならでいいんだが俺の仲間に会えたら伝えてくれねえかな。お前さんらは俺のこと気にするな、目的のために動けってさ」
「仲間……エビル様とロイズ様でしたね。承知しました」
詳しい容姿はイフサ本人から昨日聞いている。
エビルは腰に剣を下げており、雪のように白い肌をした白髪の男性。
ロイズは槍を持っている桃色髪の凛々しく美しい女性。
捜すべきは兄であるマネンコッタだが二人のことも視界に入らないか気を付けておく。
「いってきます」
「おう、無事帰って来いよ」
地下牢の見張りを任されている職員は本当に床でぐっすり眠っていた。
職務怠慢な様子を見て、見張りを任されているのが信じられなくなる。過去、この地下牢が作られてから脱走しようとした者は誰一人としていない。見張りが退屈なのは分かるが重要な仕事だ。しっかり見張っていないと外部からの侵入者もそうだが、今日のように脱走者が出てしまう。
地下を出て一階に行くと早朝なので受付すらいない。
協会入口には鍵が掛かっているが牢と同じ方法で開錠出来る。
こっそりと協会を抜け出したリンシャンは聖王城を一瞥した後、目的の人物を捜すため走り去った。
出来るなら聖王の居る城へ入り、直接話をした方が手っ取り早い。
しかしアドポギーニが付近に見張りを置いているかもしれないため迂闊に近付けない。あれだけ自信満々だったのだ、リンシャンが行動した場合の対策もしているはずだ。もし聖王城付近に見張りが居たとして見つかったら即アウト。地下牢へと逆戻りどころか、警備が厳重にされて二度と動けなくなってしまう。
リンシャンが頼れる存在は聖王以外に居ないとアドポギーニは考えているはずである。助けを求めて確実に行動してくれるのが戦争嫌いの聖王一人と思っている。
この聖都モランにリンシャンの兄、マネンコッタが居るのはイレギュラー。アドポギーニが存在を把握していない以上対策を打たれることはない。安心して全てを話すことが出来る。
町の人々は早朝から外出している者も少なからずいるが、今のところ正体はバレていない。地味な木製衣装のおかげだ。もし黄緑色のドレスをそのまま着ていたら絶対に人捜しどころではなかったと思う。
「はあっ、はあっ、どこ? どこに居るのお兄様……」
息を切らしつつ必死に周囲を見渡しながら走る。
途中、曲がり角で男性とぶつかりそうになったのを回避したが怒られた。一生懸命に走りすぎて転んだ。懸命な走りを見た老婆が心配して声を掛けてくれたが勢いで「大丈夫です!」と返し、離れた老婆の舌打ちが聞こえた。
何があっても止まることなくリンシャンは走り続ける。
自分のためではない。この国に住む家族含めた国民、攻められようとしているギルドの人々を守るためにだ。普段走り慣れていないため疲労が溜まるのも早いが一生懸命に足と目を動かす。
「はあっ……はあっ……あ、あの髪」
必死に走っていると長い緑髪の男性が視界の隅に入る。
店と店の間にある細道へと入っていく男性の後ろ姿は既視感があった。
もう過去の記憶にしか残っていない兄の後ろ姿にそっくりだった。
「お兄様?」
捜し求めた兄だと信じて追いかけ、細道で男性の肩を掴む。
「お兄様!」
振り返った緑髪の男性は目を見開いて驚く。
「……リンシャン? なぜ、外に?」
「やはり……はあっ、はあっ、そうですよね。お兄様ですよね!?」
子供の頃の写真でしか見ることが叶わなかったマネンコッタの顔、リンシャンが忘れもしない尊敬する兄の顔だ。大人びた顔や、自分より遥かに高くなった身長など違う点はあるが間違いない。家族の姿を間違えるはずがない。
「お兄様……よかった、見つかってよかった……!」
「俺を捜していたのか。よく聖都にいると分かったな」
「イフサ様が教えてくれたんです。そんなことより大変なんです! 会長が、アドポギーニさんが戦争を企てて私に治療させてお金集めて武器を作って世界征服しようとしているんですよ!」
「落ち着け、何を言っているのか分からない。順序良くゆっくり話せ」
早く伝えたくて早口になってしまったのに気付いたリンシャンは反省する。
急がなければいけないのは分かっているが焦りは禁物。焦燥は全てを台無しにする。あくまで冷静に分かり易くマネンコッタに事の真相を伝えなければならない。
リンシャンは冷静にアドポギーニの思惑を全て暴露した。
「――というわけなんです」
「なるほど……あの豚が金に固執している理由がそれか」
全てを聞いたマネンコッタは額にシワを寄せてそう吐き捨てた。
「お願いですお兄様。どうか、このことを聖王様にお伝えください。謁見は長いですし私が行けばお父様やお母様の命が危ないのです。今、頼れるのはお兄様だけなのです!」
「お前の気持ちは分かった、覚悟もな。可愛い妹の頼みを聞いてやるのが、兄として今のお前にやってやれることだろう」
懇願が届いたのだとリンシャンは喜びを顔に表す。
マネンコッタならノーリスクで聖王に謁見出来るため、彼を頼るのがアドポギーニの野望を打ち砕く最善の手。これで戦争を回避出来ると思うと胸がいっぱいになる。
「――だが悪いな。俺は傭兵だ、仕事の規則として雇用主には逆らわん」
「え? 雇用主って……」
「俺の今の雇用主はイフサではない。……アドポギーニだ」
心に衝撃を受けた。今マネンコッタが何と言ったのか理解したくない。
「――そういうことだよリ~ン~シャ~ン」
畳みかけるように衝撃を受ける。聞こえたのは知っている声だ。
慌てて振り向くとスーツを着てサングラスを掛けた肥満体型の男性が居た。
「あ、アドポギーニさん……? どうしてここに……?」
「それはこちらの台詞だ。朝早くから協会を出て行くのを見て焦ったぞお? まあ城には監視を置いているしお前の兄は雇用済み。想定外の動きをされない限り問題などないのだがね」
つまりリンシャンの行動は全てアドポギーニに読まれていたのである。
知らないと思っていた兄の存在も知られていたうえ、雇用までされていた。兄なら仕事の規則を破ってでも助けてくれると思いたいたが……全てリンシャンの理想でしかない。動いてくれる保証などない。結果論だがこれならイフサの仲間二人を頼った方が希望は繋がった。
……もう何もかも遅い。後悔しても未来は変わらない。
「さて、分かっているな? 邪魔をした時にお前の家族がどうなるか」
急にアドポギーニの表情が急変して睨みつけてくる。
「あ……そ、それは」
「止めてやれ。結果として何も出来なかったんだから罰はナシでいいだろう? そもそも協会の警備体制が脆弱だからこんな事態になっているんだ。今回の件は全て協会の責任だと思え」
「むう、そう言われては言い返せんな」
庇ってくれたことにリンシャンは目を丸くした。
傭兵として雇われたといっても、マネンコッタは未だ妹であるリンシャンを気遣ってくれている。今は隠している優しさを感じ取れる。……だから余計に彼がなぜアドポギーニの味方をするのか分からない。全てを知った今、契約など一方的に破棄してしまえばいいのにと思う。
「……お兄様。どうして、どうしてアドポギーニさんの味方をするのですか?」
「俺は、俺に利益をもたらす者の味方だよ。例外はない」
どこか悲しそうに告げる兄を見ているとリンシャンの心も辛くなる。
胸が痛み、涙が目に浮かぶ。
「さあそろそろ戻るぞリンシャン。もう逃げられないと思えよ」
結局作戦は失敗に終わり何も成せなかった。
腕を掴まれたリンシャンは抵抗も虚しく地下牢へと連れ戻された。




