孤立の巫女
牢屋の中でリンシャンは膝を抱えて座り込み、壁に背を預ける。
職員達に両手を引っ張られて地下牢へ連れて来られた時、牢屋内に居る者達から驚きの交じった視線を感じた。それはそうだ、癒しの巫女として協会に貢献しているリンシャンが地下牢へ連行されたのだから、罪人達からすれば訳の分からない光景に思えただろう。
どうしてこうなってしまったのか必死に考える。今は考えることしか出来ない。
人間の欲望を知らずアドポギーニの手を取った過去の自分が悪いのか。
何かしらの欲を察しつつも人々を癒やし続けた今までの自分が悪いのか。
なけなしの勇気で会長の企みを阻止しようと動いた先程の自分が悪いのか。
自問自答を繰り返す。……いや、答えが出ないのだから自問のみだ。
「――失敗しちまったみてえだな巫女さんよ」
壁越しに声を掛けてきたのは隣の牢に入っている男。
「悪いな、俺が余計なことを言ったから牢屋に入れられちまったんだろう? にしたって、今まで汗水垂らして働いたお前さんにこの仕打ちはひっでえよな。会長さんは何を考えてんだか」
「いえ……あなたには感謝しています。お名前を教えてくれませんか?」
「イフサ。ただの行商人だよ」
リンシャンも自分の名前を告げてから想いを伝える。
「イフサ様、あなたの助言がなければ何も知らない小娘のままでした。……でも、明日も明後日も治療を待つ人々が居るんです。協会のために働くのはもう嫌ですけれど、怪我や病気で苦しむ人々を治せないのは辛いですね」
治癒の能力発動には体力を多く消耗してしまうため、一日に癒やせる人間には限りがある。明日も明後日もその翌日さえも、毎日のように治療のスケジュールがあるのは一日に十人しか治せないからだ。それでも子供の頃は一人癒やすだけで精一杯だったのを思うと順当に成長している。
協会へ治療の依頼をした者達は今も癒しの巫女が来るのを待っている。待ち人が来ない依頼者も辛いだろうが、人々を助けられないリンシャンも辛い。心が罪悪感や悲しみに蝕まれて悲鳴を上げている。
「……いや、おそらくお前さん抜きで暫く持たせるつもりだな。癒しの巫女は急病で動けないとでも言えば協会から出て来ないのは誤魔化せるし、依頼者にはちゃんと薬を投与すればいい。お前さんに頼りっきりだったといっても緊急時の為に薬は保管してあるはずだ。長くは持たないだろうけどな」
「本当ですか!? 良かった……」
薬ではリンシャンのように短時間で治せないが効果はある。怪我や病気で苦しむ人々が治らずに苦しみ続ける想像は一先ず杞憂に終わった。一気に心が軽くなった。……しかし不安の種はなくならない。
今リンシャンが抱く一番の不安は戦争で民が死んでいく国の未来なのだ。
「良かったか。お前さん余程のお人好しだな、あいつといい勝負だぜ」
「……でも問題はまだありまして」
「ああ? まだ何かあるってのか?」
「実は――」
話すか迷ったがリンシャンはアドポギーニの計画を語った。
入口近くにいる見張りの職員に聞こえないよう小声で話す。
イフサに話したのは個人的に彼を善人だと思ったからであり、相談に乗ってくれる人物だったからだ。知っている味方が一人増えるだけでもありがたい。彼に話したところで解決する問題でもないが気持ちが楽になるかもしれない。
「――というわけなんです。どうにかしてアドポギーニさんを止めたいんですが、家族を人質に取られているせいで動けません」
「マジかよおいおい……」
母も父も兄も健在なのは分かっているしハッタリとは考えづらい。
家族の命を犠牲にすれば確実に戦争を回避出来るだろう。だがリンシャンはどうしても家族を見捨てることが出来ない。動かねば多くの人間が傷付くと理解していながら足が動かない。
人間の命の価値は平等と言う者は居るが間違いだ。
正確に言うなら平等なのは原価であり、関わり合うことで付加価値が生まれる。自分と関わりのない他人より親しい人間の方が優先されるのは当然だ。家族の命はリンシャンにとって非常に重いもの。心の天秤は家族に傾いている。……とはいえ、見知らぬ誰かといえど見捨てるのは心が痛む。
リンシャンの夢は誰も傷付かない世界を作ること。
子供の絵空事だと理解していながら、どんな生命も苦しまないでほしいと思っている。家族と国民は当然として、戦争を起こそうとしているアドポギーニすら傷付いてほしくない。戦争は関わった全ての者が傷付くのでリンシャンが一番嫌うものだ。
「バカと天才は紙一重ってやつか? ギルドの戦士達と情報力を奪えばその後の戦争が楽になるのは間違いない。つまりギルドってのは一番の強敵ってことだ、いかにお前さんの力があっても勝ち目は薄い。俺ならまず他国を吸収してギルドは最後に回すね。……ってそうじゃねえ。止めるにはどうしたらいいかだよな」
イフサの言う通りギルドの戦力は計り知れない。
仮に戦争になってしまったとして、リンシャンの力を借りたモクトリア聖国が勝利出来る保障などありはしない。無限に戦えるとアドポギーニは言ったが治療は無限に行えるわけではないのだ。死人は治せないし、怪我人が増えれば対応が追いつかなくなる。
「一応の確認だがお前さんの家族はまだ生きているんだよな?」
「毎月コミュバードで手紙のやり取りをしています。つい最近も読みましたよ。筆跡も本人のものですので手紙を書いた日までは確実に生きているはずです。ハッタリの可能性はないかと」
メイジョ協会が設立されて以来家族とは顔を合わせていない。もはや両親や兄の顔も、部屋で大切に保存してある家族写真と大きく違っているだろう。会えない日々に胸を痛めながら今日まで仕事をやってこれたのは夢と手紙のおかげだ。両親とも兄とも手紙のやり取りをしている間は繋がりを感じられた。
「エビルでもロイズでもマネンコッタでもいい、誰かに伝えられれば……」
壁越しに聞こえたイフサの声にリンシャンは思わず「え」と声を漏らす。
「あの、今なんと?」
「うん? 誰かに伝えられれば、と」
「その前です」
「エビルでもロイズでもマネンコッタでもいい、と。ああ俺の仲間なんだが」
「マネンコッタさんという人は男性ですよね。もしかして緑髪で、二刀流の刀使いじゃありませんでしたか?」
「ああそうだが……お前さん、あの傭兵を知っているのか」
――信じられない奇跡。否、運命だ。
「知っているも何も、おそらくそれは私の兄です!」
イフサが「何だと!?」と驚きで声を上げる。
リンシャンも驚いている。手紙のやり取りでマネンコッタが傭兵をやっていることは知っていた。子供の頃の記憶では、二本の木刀で自分を魔物から助けてくれたこともある。順当に強くなっていれば傭兵なんて危ない仕事もこなせる。
大切な彼が傷付く可能性がある仕事は出来ればやってほしくないが、彼なら五体満足で続けていけるという確信もあった。なぜならリンシャンにとって兄の存在は物語のスーパーヒーローのようなものだからである。兄には魔物に限らず意地悪な人間からも助けてもらった。
「――あの巫女様、何かありましたか?」
コツコツと足音が聞こえて鉄格子の前で止まる。
兄の名前で興奮して叫んだせいで職員が様子を見に来てしまったのだ。
「……い、いえ、何でもありません。お隣の方とお話をしていたらテンションが上がってしまいまして、何も事件はないし起こらないので安心してください。私も逃げ出したりしませんからね」
「そうですか? じゃあ俺、持ち場に戻らせてもらいますね」
秘密の会話をしているのに大声を出すのはよくない。
大声を出した原因に職員は納得したようで入口へと戻って行く。
騒がしい声を出したことを反省したリンシャンは会話を再開させる。
「あの人が、お兄様がこの町にいらっしゃっているのですね?」
「俺と一緒に来たから間違いない。今も居ると思うが……」
「何とかお兄様に伝えられれば必ず力になってくれるはずです……! 後は見張りさえどうにか出来ればここから脱出出来るのに……!」
「待て待て、お前さん大事なこと忘れてんだろ。俺達は牢屋の中なんだぜ? 脱出するってんならまずは牢屋の鍵を手に入れなきゃ不可能だ。俺達は動けねえ、協力者が必要不可欠」
ここまで話していてリンシャンは自身の能力について説明を欠いていたのに気付く。
リンシャンは生まれた時から他人にはない力を扱えた。
植物を生やし、成長させ、エネルギーの吸収及び贈与が出来る。
植物は自由自在に変形出来るので鍵穴さえあればどんな扉も、牢屋すら開けられる。地面からしか生やせないが応用の利く能力なのだ。もっとも頻繁に使うのはエネルギー贈与なので形状変化は殆ど使用したことがない。
「いいえ、私なら牢屋の鍵を作れます。見張りにバレなければ脱出は簡単です」
「マジか……へっ、なら単純な方法でいけるぜ。地下牢の見張り役、どうも朝は弱いらしくて早朝は絶対に目が覚めない。朝早い時間なら起きている人間も少ないはずだし楽に脱出出来るはずだ。そして気付かれない内に牢屋へ戻れ」
「単純かつ強引な策ですね。私ではとても思いつきませんでした」
策を考えてはいたが何も思いついていなかったため、イフサの提案はありがたい。相談されてすぐに策を思いつくのは視野の広さが違うからだろう。商人として各地を回っている彼は色々な経験をしているはずだ。
何はともあれ作戦はできた。後はリンシャンが実行に移すのみである。




