引き出す勇気
戦争。世界を支配する。アドポギーニはそう言った。
冗談のような軽い雰囲気は扉越しでも感じられない。
本気だ、彼は本気で戦争をして勝つつもりでいる。勝ち続けて他国の領土を奪い、自らが支配する気だ。扉越しに聞こえる彼の笑い声が自信の表れである。
ここで聞かなかったことにするのは簡単だ。背を向けて今すぐ自室に帰ればいい、そうすれば立ち聞きしていたことはバレない。己の身を案ずるならそれが一番賢い選択だ。
……しかし、リンシャンの足は後ろへ動かない。
地下牢で話した名も知らない男性との会話を思い出す。
勇気は誰にでもある。一歩踏み出そうと思えば誰でも踏み出せる。
リンシャンは扉に手を添え、深呼吸を数回繰り返した後に開けた。
「リンシャン!? なぜここに……!」
「癒しの巫女様……?」
会長室のソファーに座っていたアドポギーニと協会職員の男は驚愕している。
リンシャンは治療の報告以外で会長室を訪れることがほとんどなかった。入る前にはノックも欠かさない。それが唐突に、内緒話をしている最中に侵入してくるなど想定外だったのだろう。
「私が協会内のどこを移動しようと勝手だと以前言いましたよね、アドポギーニさん。先程のお話、詳しく聞かせてくれますよね? 武器がどうとか、戦争がどうとか、支配がどうとか、私はそのようなお話を一度も耳にしたことがありません」
「……ふ、ふくくっ、ああ、ついにバレてしまったか」
「誤魔化さないのですね」
寧ろ清々しい態度かもしれない。邪悪な笑みを浮かべた彼は本性を曝け出したようだ。正直なところ、ここで変に誤魔化そうとされても彼への評価を落とすだけだ。十年以上の付き合いにもなる彼への失望をリンシャンはこれ以上味わいたくない。
「あの会長、もしかして癒しの巫女様に計画のこと……」
「話していないよ。話したところで反吐が出るほど善人気質の彼女が納得するわけないからなあ。だが知られてしまったのなら仕方ない。なあに安心したまえ、対策は既にしてあるさ」
未だ説明に入らないアドポギーニをリンシャンは精一杯睨む。
「……そんな目を向けるなリンシャン。全て話すさ、聞いた後でお前がどう思い決断するのかは知らんがね。結論から言うと、メイジョ協会は近いうちにギルド本部へと戦争を仕掛ける。そして勝利し、ギルドを乗っ取る」
「戦争なんて……どうして……なぜギルド本部を……」
ギルドといえばこの世界において魔物駆除を担う巨大組織。
そこで働く者達の活躍なければ、人類は溢れかえる魔物達を処理しきれず殺されていくと言われている。そんな平和のため尽力している組織と戦争をして、あまつさえ乗っ取るという宣言。平和を好むリンシャンとしては到底信じられない発言である。
「あそこは世界一情報が集まる場所であり、戦える人間で溢れている。掌握すれば俺達は全国の中で最高の情報と戦士を得られる。ギルドさえ取り込んでしまえば他国の侵略など楽に終われるわけさ」
「勝算のない戦いです。いえ、それ以前に戦争なんて愚かな者が考えること。この世に生きる人間同士、手と手を取り合って生きるという選択をなぜ取れないのですか?」
「今は勝つための武器を用意しているところさ。勝算がなければ俺だって戦争しようなんて考えなかった。……分からないか? 俺の言う勝算ってのはお前のことだぜリンシャン。治癒の力で兵士共を癒やせば無限に戦えるからなあ」
足元がふらつくような感覚を味わう。
ショックだった。アドポギーニが何かの欲を満たすためにスカウトしたのを現在は理解していたが、戦争に勝つための手段にするためだったのは想定外。いや、最初は金を得るための道具だったのだろう。癒しの巫女として働いて見せた力が彼の心をさらに歪めてしまったのだ。
「……協力するとでも思っているんですか。私の夢は、誰も傷付かなくて済む世界にすること。争いを起こすのは私の目的からもっとも掛け離れた行為です」
「お前は俺に従っていればいい。そうすりゃ全て上手くいく」
「嫌です。このことは……」
緊張しているリンシャンは一度深く呼吸する。
「このことは聖王様に報告させてもらいます!」
モクトリア聖国を治める聖王は争い嫌いで有名だ。
報告すればアドポギーニは失墜、下手すればメイジョ協会が解体される。しかし今の最善はそれ以外にないとリンシャンは思う。例え多くの人間が職を失おうとも、見て見ぬフリをすれば多くの人間の命が失われてしまう。
「それはいかんなあリンシャン。戦争を嫌う聖王様のことだ、報告したらメイジョ協会という収入源も潰されかねん。せっかく癒しの巫女として確立させたネームバリューも消失する。お前を金儲けした魔女と非難する連中も少なからず出るぞ」
「構いません! 私は、戦が起きるくらいなら責められた方がマシです。たとえ町の人達に冷ややかな視線を向けられても、どんな目に遭っても、戦争を始めさせるわけにはいきません!」
「――そうかそうか。じゃあお前の家族の命はねえなあ」
さらっと告げられた言葉を理解するのに時間が掛かる。
当然のようにアドポギーニは何と言ったのか。
リンシャンは己の耳を疑わずにいられない。
「な、何を言って……どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味さ。もし聖王様に密告しようってんなら、俺の部下がお前の両親を殺す。今までお前が得た収入のおかげで良い暮らし出来たんだ。寿命より早く死んでも文句ねえだろうさ」
「……そ、そんな」
「出鱈目だと思うか? なら密告しに行けばいい。話が終わる頃にはお前の両親が死体になっているだろうがな。……果たして、人が好いお前にそんな真似が出来るかな?」
固くした決意が脆くなる。
振り絞った勇気が失せていく。
目が泳ぎ、俯き、まともにアドポギーニを見ることさえ出来ない。
「まあこのまま放置して下手に動かれても面倒だ。悪いがリンシャン、お前は今日から地下牢で過ごしてもらうぞ。安心しろ。飯は三食用意するし、要望があれば可能な限り叶えてやろう」
その後、リンシャンは駆けつけた職員達に地下牢へと連行された。
彼等は戸惑いを隠せずにいたが会長であるアドポギーニの命令だ、逆らえはしない。小さく耳元で「申し訳ありません」と囁く声が聞こえた。理由が何であれ謝ってくれたのは嬉しいが、彼等が知っているのか気になってしまい謝罪を素直に受け取れない。
職員達への信頼が消え、リンシャンは協会内で孤立してしまった。




