リンシャン・ノブレイアーツ
メイジョ協会という高層の建物最上階へ向かう足取りは重い。
それでもリンシャン・ノブレイアーツがそこへ向かうのには理由があった。
リンシャンは現在、世間から癒しの巫女と呼ばれている。
メイジョ協会のというより、モクトリア聖国全ての医療を一人で負担しているが辛いと思ったことはない。ただ、協会の会長に報告しに行くことだけはいつも気が進まない。
エレベーターに乗り、最上階である三十階のボタンを押す。
こうして文明の利器に頼れば楽に行けるというのに心が重い。個人的に会長のことをあまり好いていないのが原因だ。なんせメイジョ協会を設立した会長、アドポギーニ・スプラトゥースは、リンシャンを家族から引き裂いた張本人なのだから。
リンシャンはエレベーター内にある鏡に映る自分を見ると家族を思い出す。
顔の作りは母譲り。髪色は父譲り。兄も髪色は自分と同じ緑であり、鏡で自分を見つめると家族と笑っていた日々を思い出せる。
幼い頃からリンシャンは不思議な力が使える。
自分の意のままに植物を生やし、操る力。
凄い力だと子供の頃は何も考えずに使っては使い過ぎでよく倒れていた。
不思議な力はリンシャンにとってはあって当たり前だったが他の誰も使えない。家族や友人はそんな自分を偏見の目で見ず、ただのリンシャンとして見てくれた。そんな優しい人達の力になりたいと思いながら力を使うと、肉体に出来てしまった傷を癒やせることに気付いた。
まずは近場の植物からエネルギーを借り、それを対象へ流し込むことで治癒能力を強化出来たのである。さらにそれは病魔すら滅ぼすことが出来る。
癒しの力のおかげで村では人気者。時が経つと噂が広まり出す。
グルディア村には他人の傷や病を治す奇跡を操る少女が居る、と。
そんな噂を聞きつけて村へやって来たのがアドポギーニ・スプラトゥースであった。当時は医療を心得る者の一人であり、純粋に噂の真相を確かめるべくやって来たそうだが……力を見せた瞬間に彼の目には欲望が交じり出した。
『君の力はもっと沢山の人を助けられる。どうだい、俺と一緒に傷付いた人々を癒やさないか? 君の力を必要とする人達がこの国には大勢いるんだよ』
まだ幼かったリンシャンは何も考えず、家族に相談して了承を得た。
実は当時、家族全員が人間の歪んだ悪意や欲望を知りもしなかったのである。
良く言えば底なしの善人、悪く言えば世間知らずの平和ボケ。
当時のリンシャンの選択がモクトリア聖国を大きく変貌させた。
そのせいで見捨てざるを得なかった命がある。
そのせいで話すら出来なくなった家族がいる。
ずっとリンシャンは当時の選択を後悔しているし、今後もし続けるのだろう。たとえ何があっても心に抱く罪悪感を消せはしない。
己の過去を思い出しているとエレベーターが目的の階へ到達した。
開いた扉から出て真っ直ぐに歩き、重厚感ある黒塗りの扉を開く。
足を踏み入れたのは赤い絨毯が敷かれているガラス張りの広い部屋だ。部屋にあるのは黒塗りの長机と豪華な椅子、観葉植物のみ。そして偉そうに椅子に座っている男こそメイジョ協会会長、アドポギーニ・スプラトゥース。
リンシャンを誑かした当時は平均的な体型だったが今では肥満体型だ。丸くなり弛みきった体にパツパツのスーツ。サングラスを掛けている彼は厭らしく笑う。
「おおリンシャン来たか。今日も治療ご苦労さん、仕事は順調にこなしているようで嬉しいよ。たまにはパアッと遊んだらどうだ? お前程の美貌と知名度だ、この国の男共なら喜んで相手してくれるだろうよ」
彼の言動に頬が赤く染まり、咄嗟に「破廉恥です!」と叫ぶ。
勧誘した当時から彼は随分と変わってしまった。いや、元から性格は隠していたのかもしれない。患者やその関係者に対する思いやりが欠如しているのだ。おまけに頭の中は金と女性で埋まっているため言動も酷い。
「……私はそういったことをするために癒しの巫女の仕事をしているのではありません。より多くの命を救うため、苦しむ人々を癒やすために働いているのです。……アドポギーニさんは羽目を外しすぎだと思いますけど」
「俺がやっているのは書類仕事だし部下に分担しているからいいんだよ。お前の方は他の誰にも出来ない。負担も多いだろうからこっちは心配してんだぜ? お前が倒れたり過労死しちまったら事業も破綻しちまうからなあ」
確かにリンシャンの奇跡の力は使う度に精神力を消費する。
使いすぎれば倒れるし、誰かを癒やすのは植物を操作するよりも遥かに疲れる。一日に十回使えれば調子が良い方というレベルだ。体調などが悪い時は精々五回程度しか使えない。
「お気遣いどうもありがとうございます。本日の報告をさせていただきますね」
リンシャンは今日治療した者達の情報を大まかに話す。
この報告は毎日していることだ。患者の名前や家族情報などなど、本当に必要かどうか分からないようなことまで報告しなければならない。それをなぜかと疑問に思うことはない。アドポギーニが必要だと言うから話すのだ。
「報告は以上です」
「うむ、よろしい。じゃあ自室に入って大人しくしているように」
「……あの、アドポギーニさん」
今報告した内容を紙に書いている彼は「何だね?」と答える。
「帰る際、傷だらけの子供を見ました」
七、八歳くらいと思われる男子だ。視認しただけでも七か所は傷口があり、大きく擦り剥いてしまっていたため完治には当分掛かるだろう。痛みで泣く姿は見ていられず、護衛の白い隊服を着た兵士達に治療したいと告げた。……だが誰一人として治療しましょうと賛同してくれなかった。規則ですからの一点張りで話にならない。
十日ほど前、同い年くらいの若い男女が話しかけてきた時も同じ。
規則だから話が出来ない、関われない。奇跡の力を狙う悪人から守るためだと説明されてはいるが到底納得できない。以前から不満に思っていたのが今日爆発した。
規則を定めた張本人、アドポギーニをリンシャンは見据える。
「なぜ痛みに苦しむ者を治療出来ないのでしょうか。治療費を払わせるのは……まあ、仕方ないのかもしれません。ですがあの子は今も苦しんでいるでしょう。体力的に余裕はありますし、護衛の方々に止められなければあの子を癒やしました。……多くの人を救うというメイジョ協会の理念に反していると思いませんか?」
「規則は規則。最初に言っただろ? お前の力は非常に珍しい、世界中捜したって同じ力を持つ奴は居ない。悪い奴が自分のものにしようって捕まえたり、目障りだからと命を狙ったりするかもしれない。だからお前に関与させてもいい人間かどうかを協会側で調べるのさ」
「子供が相手でもですか? あんなに小さな子が暗殺者だとでも?」
「誰だろうと例外はない」
彼はサングラスを上にずらして細く小さな目を露わにする。
「――お前は、俺に従っていればいいんだよ」
結局のところ、何も言い返せずに会長室を出てしまった。
逃げるように向かう先はメイジョ協会最下階。
嫌なことが合った時はいつも行く場所。
電気をつけずとも最初から部屋は僅かに明るい。
日光が入らないのに光源はどこにあるのか。それはこの最下階に植えられている巨大な樹木だ。植えたというよりリンシャンが生やしたのだが些細な違いである。
薄い緑光を纏う大樹へ近付き、両膝を床に付いて祈る。
両手の指同士を絡ませて目を瞑る姿は誰かから聖女のようだと言われた。冗談ではない、リンシャンは自分をそんな大きな存在だと思ったことは一度もない。苦しむ子供を見捨てた女が聖女なわけない。癒しの巫女という呼び名が恥ずかしいくらいだ。
今では聖樹と密かに呼ばれている目前の大樹が緑光を強くする。
光が強くなると同時に建物全体が揺れ動く。祈りによって成長した影響だ。
聖樹を成長させたからといってリンシャンに得があるわけではないし、役目があるわけでもない。ただ、祈りを捧げている間は嫌なことを忘れられる。心に燻る怒りや悲しみが自然と抑え込める。
「神様……どうか、私が手を伸ばせない方々に救いの手を」
今日も明日もリンシャンは祈り続ける。
自由に誰かを助けられない窮屈な役目から解放されるその時まで。




