モクトリア聖国
家が一軒建っている港で巨大な船が停止する。
港に向けて船の扉の一つが倒れたことで橋となり、乗船していた人々が次々と降りて行く。エビルもロイズと共に十五日にも及ぶ長い船旅を終えて陸に足を付ける。
アギス港と比べるとこの港は殺風景な場所だった。
アギス港は町となっていたが、この港にあるのは管理人が住む一軒家のみ。人々は下船してから家に見向きもせず各々の目的地へと歩いて行く。船も長居は無用とばかりに入口の扉を戻し、どこかへ出航していく。
ロイズが腰にある収納袋から地図を取り出したので、エビルも真横から一緒に見つめた。
世界地図を初めて見たからか世界の広さに感動する。今まで旅をしていたアスライフ大陸でさえ全体の一部でしかない。目的は置いておき、これから本当に世界を巡るのだと思うとワクワクが止まらない。
「今居るのがトリーノアの港。私達の目的地、ギルドはモクトリア聖国の先か」
モクトリア聖国領にあるトリーノアの港はゼンライフ大陸の最南端に位置する。シャドウから情報収集に適していると通達されたギルド本部はモクトリア聖国を抜けた先。世界地図にはどの部分までが国の領域なのか色分けされているがギルド本部周辺だけは無色。これはどの国にも属さないことを意味している。
「まずは港から一番近い村や町に行こう。ここからだと……フォノン村だね」
「――だったら俺達と一緒に行かないか?」
背後から声を掛けてきたのはイフサだ。傍に護衛のマネンコッタも居る。
「僕はいいですよ、旅は大人数の方が楽しいですし。ロイズは?」
「私も構わないが……遅いなら置いていくぞ」
「へへっ、なら問題ねえや。俺は逃げ足が速いからな」
「何が問題ないのかいまいち分かりかねるが……」
逃げ足が速いのはいいことだが自慢になるかは微妙なところだ。
ロイズが問題にしていたのは、戦えない人間を守りながら進むと進行速度が落ちることだろう。しかし魔物が蔓延るこの世界では各地を回る行商人も強さを求められる。不安な場合のみ傭兵などを雇って安全を守るものだ。イフサも自衛出来る程度の強さは持っているらしいので、自慢するならせめて腕っぷしにしてほしい。
「おい、護衛が俺だけでは不服ということか?」
エビル達の同行に不満気味なのが鋭い目を向けたマネンコッタだ。
彼の傭兵という立場的に実力不足と言われたも同然だったのかもしれない。
当然そんな意図を含めていなかったイフサは焦って弁解する。
「い、いやいや違う違う! お前さんの実力は疑ってねえさ。ただエビルとは個人的な交友関係があってだな、余程の理由がなければ一緒に居たいと思うのは当然だろ? お前さんだって親しい人間とは一緒に居てえと思うだろ?」
「……そいつらが活躍しようと護衛の料金は俺だけに払えよ」
「当ったり前よお! 例え魔物をエビル達が倒してもお前さんへの報酬とは無関係だ。あ、でもわざと手を抜くのはダメだからな。楽して金を得ようってんなら俺にも相応の考えってもんがある」
「報酬分の働きはするさ。イフサ、お前は安心して道を進めばいい」
マネンコッタの仕事熱心な一面も見れたし状況は丸く収まった。
彼の心意気は買うがエビルも手を抜くつもりはない。雇われてはいないもののイフサとは友人だ、友人を守るために魔物には迅速に対応しなければならない。それこそマネンコッタが反応する前に片付ける勢いで。
「それじゃあ短い間かもしれませんがよろしくお願いします。イフサさん、マネンコッタさん。二人はモクトリア聖国の聖都までですか?」
「おう。人の多い都市には商売の匂いがするからなあ」
こうして期限付きの四人パーティーが結成された。
チームワークに不安の種があれど、楽しい旅になりそうだとエビルは思う。
*
四人パーティーを結成して暫く経ち、ゼンライフ大陸最初の村が視界に入る。
旅をしている以上多少の困難は付き物だがエビルの想像通り楽しい旅路であった。
性格の違いからロイズとマネンコッタが衝突したり、料理の好みなど些細なことで気が合って仲直りしたりもした。因みに朝昼夜の三食全てイフサが料理を振る舞っており、それが町の料理店に匹敵する美味しさだったりもする。
旅の困難といえば魔物討伐だ。ロイズが細かな技術習得を模索して隙が生じてしまった。マネンコッタやエビルが援護してどうにか切り抜けたが、本人は未だ新たな戦い方を模索し続けているため危ない場面は何度かあった。しかし、他者の戦い方を眺めて何かを掴んだらしい。
「あそこがフォノン村……」
「ああ、進んできた方向と地図を照らし合わせても間違いない」
小さな集落のような場所を見つけたエビル達は歩いて近付く。
入口に立っている重鎧を纏う兵士にイフサが「おーいアンタ」と声を掛けた。
「すまねえが確認してえんだ。ここがフォノン村か?」
「……あ? ああそうだ。入りたいなら入っていいぞー」
許可も下りたのでエビル達は揃って村に足を踏み入れる。
草木が生い茂っている長閑な場所だ。しかし、村人達の中にはあまり元気のない者も居た。それが一人や二人なら気にすることもないが十人以上居ると心配になる。流行り病や、単純に貧しいなど色々な原因はあるだろう。
村を見渡していると老婆が転ぶのが見えた。
手に持っていた袋から赤い野菜が地面を転がり散らばった。付近に居た人達が老婆へと駆け寄って体を起こす間、エビルはといえば足下に転がってきた赤い野菜を拾う。
「大丈夫ですかお婆さん」
もう立っていた老婆へ近付き、赤い野菜を手渡す。
彼女の衣服は肘辺りが破れて血が滲んでいた。大したことはない怪我だが大小関係なく手当ては早い方がいい。彼女は高齢と思われるのでちょっとした怪我が命取りになる可能性もある。
「あら、ありがとうねえ旅のお人や」
「怪我してますね。ロイズ、確か治療用の道具持っていたよね」
「もちろんだ。怪我の手当ては早い方がいいし、道具は切らさないようにしている」
老婆は「手当て……?」と呟いて目を見開く。
原因不明だが彼女から強い焦りを感じる。何も焦ることなかったはずなのに。
「待ちな。怪我の手当てなんていいさね、この程度何てことないさ」
「いやいや小さい怪我でも舐めちゃいけねえぞ婆さん。傷口から菌は入るし、場合によっちゃ悪化しちまう。せめて応急処置くらいはしといた方が――」
「いいって言っているだろう!? あたしゃまだ走れるくらい元気だよ!」
手当てを受けなかった老婆は走り出し、イフサが「お、おい婆さん!」と引き留めようとするが遅かった。あっという間に走り去った彼女は近くの家に勢いよく入ってしまった。さすがにエビル達も他所の家に押しかけてまで手当てするつもりはない。
「……やはり何も変わっていないな、聖国は」
エビル達が呆然としているなか、唯一マネンコッタだけが冷たい声で零す。
彼は村に着いてから一言も発していなかった。なぜか心に不安を抱えており、老婆を見てからは苛立ちも増えた。彼は確実に先程の老婆について重大な何かを知っている。
「変わっていない? マネンコッタ、お前さん、何か知ってんのか?」
「モクトリア聖国領内では、聖都にあるメイジョ協会の許可なしの治療は禁止されている。誰であろうと、どんな方法だろうと、一切治療行為は行えない。民衆は回復道具を持つことさえ許されない。もし治療を行ったり、関係する道具を持っていればメイジョ協会から罰が下される」




