アギス港の観光
ホテル【ラフレシア】の入口でエビルはロイズと落ち合う。
彼女の服装は昨日までの麻のローブじゃない。
黒い薔薇が描かれた、腰から下の幅が広い白の上衣。太ももの三分の一程までしか裾がない紺の短パン。膝まである長めの白いブーツ。背中には昨日も背負っていた槍。整いすぎた顔立ちも合わせてエビルは見とれてしまう。
「おはようエビル、昨日はよく眠れたか?」
「……あ、ああうん。ベッドとか凄く柔らかかったし気持ちよかったよ」
初めてホテルへ宿泊してみたエビルだが想像以上に気持ちよく眠れた。
アスライフ大陸屈指の技術力を誇るクランプ帝国の高級宿【水銀の矛】に泊まったこともあったが、それより遥かに寝心地が良かった。使われている羽毛や技術が違うのか明らかにベッドの質が違う。
その他設備も信じられないものばかりである。
わざわざ井戸から水を汲まずとも冷たい水が出せて、松明などがなくてもスイッチ一つで明かりが付く。料理も見たことのないものばかりで極上の味。これまでエビルが生きてきた中で至福の一晩、発展した文明を堪能する一日を過ごせた。
「そうか、それはよかったな。今日の観光も楽しくなるだろう」
「楽しみにしているさ。ロイズ、今日はよろしく」
握手をしてからエビル達は観光を開始する。
ロイズの説明によると、石畳とは違う町の見慣れない地面はコンクリートと言うらしい。地面だけでなく家々にも使われているらしく、煉瓦製や木製のものより遥かに頑丈だ。是非ともアスライフ大陸に広めたい技術がアギス港には山ほど溢れている。
「そういえば、エビルはなぜアギス港に? 観光か?」
「知り合いに来いって言われたから来たんだ。どんな理由かは分からないんだけど……まあ会えば分かると思うし、今はそいつを待ってみるつもりだよ」
「理由を伝えず呼び出すとは、まともな感性をしているとは思えないな。……おっとすまない、君の友を愚弄するつもりではなかったんだが」
「構わないよ。友達じゃないし、あいつがまともじゃないのは本当だから」
シャドウが嫌いだから辛辣な言葉を並べたわけではない。ただの事実だ。
今後どう変化するかは不明だが今の彼は紛れもなく邪悪。彼をまともと呼んだら、本当にまともな人間に失礼というもの。今回呼び出した件も何か裏があるはずである。
彼について考えていると、どこからかゴーンゴーンと音が聞こえてきた。
「この音、昨日も聞こえたような……」
「ああ、展望台に設置された鐘の音さ」
ロイズが「あれを見ろ」と指さす方向に目をやると、港町の中心に聳え立つ大きな塔が目に入る。塔の上付近には丸い円盤が付いている。最初は城か何かかと思ったが展望台だと彼女は言う。
「展望台に設置された時計の長針が一周するごとに鐘が鳴る仕組みなんだ。あの場所は私も上ったが、中々いい眺めだったぞ。せっかくだし君も眺めてみるといい」
オススメされたのもありエビル達は展望台に行くことにした。
観光スポットだからか多くの人々が周囲に集まっており、奇妙な長方形の道具を向けたりしている。行列が出来ていたから入るのに時間が掛かったが問題ない。並んでいる間もロイズから町の話を聞いていたので退屈はしなかった。
展望台に入ってからは階段で上り、最上階へと到達する。
かなりの高所からの景色にエビルは「おお」と思わず感動の声を零す。
小さく見える家と人々。港には停泊している船から多くの人々が降りて来て、遠くには船が海を進んでどこかへ向かっているのが見える。普段地上で目にする景色とは一風違う。
町が見渡せるその景色は素晴らしいの一言に尽きる。高い所からの眺めは良いものだ、自分で飛ぶことが出来ない人間だからこそ良いと思えるのかもしれない。エビルは悪魔だが身体機能は人間と同じだ、こういった景色で感動も出来る。
満足したエビルはロイズと共に展望台を下りて町を歩く。
歩いているとロイズの腹からぐううううと大きな音が鳴った。
彼女は僅かに頬を赤く染め、腹部を押さえる。
「すまない、腹が減ったようだ。朝はしっかり食べたつもりなんだが」
「あはははは、ちょっと早いけど昼食にしようか。お店を探そう」
「いや、適当な露店で問題ない。私が奢ろう」
どこかの飲食店ではなく外で商売している露店にロイズが向かい、捻じれた棒のような食べ物を買って戻って来る。奢るという言葉通り、エビルの分まで買って来てくれた。悪い気持ちが強くなったため受け取りを遠慮したが彼女は引き下がらない。しぶしぶ受け取ったそれはやはりアスライフ大陸で見たことがない。
「これはドナストと言ってな、中々好きな菓子なんだ」
「いい匂い……本当に貰っていいの?」
「大した出費ではないさ。君にもこれの味を知ってほしいと思ったまでさ」
ロイズが食べるのを見てエビルも先端を一口齧る。
少々油分があるがとても甘い菓子だ。甘味は砂糖が主であり、砂糖の塊と思われる白いものが多く付着している。口の中が甘味で満たされる感覚は慣れず、少し口の中が気持ち悪い。
「……不満そうだな。甘い菓子は好きではなかったか」
「いや、物事には限度があるというか……これ甘すぎないかな」
「やりすぎなくらいの甘さが人気の商品だ。私は好きだが、口に合わない者にはとことん合わない。なに、無理して食べる必要はないぞ。元々私が勝手に買ってきたものだ、君の分も私が食べよう」
エビルが「え」と驚いている間に持っていたドナストが奪われる。
口に合わないといっても奢られた物だ、無理してでも食べる気でいたのだが彼女は有無を言わさない。
途轍もない決断の早さ、昨日の戦闘を見た時も思ったが彼女の行動には迷いがない。どうするかと悩む時間が常人より遥かに短いのだ。この優れた決断力は彼女の戦闘能力を大幅に上げている。……しかし欠点として、決定が早すぎるせいでコミュニケーションが取りづらい場合もある。
過程はともかく腹ごしらえを終えた彼女は「さあ、行こう」と告げて歩き出す。
それからエビル達も観光を続けた。主に見たこともない料理を食べたりがメインだったが、他にも船を眺めたり、土産屋を見て回ったりで楽しく過ごせた。
時間は過ぎ、日が傾いて徐々に赤みを帯びていく。
「おっと、もうこんな時間か。私は用があるためこれ以上付き合えないんだが……」
「大丈夫、観光に付き合ってくれてありがとう」
「すまないな。よければ明日も共に行かないか?」
「もちろんいいさ。是非お願いするよ」
寧ろエビルの方からお願いしたかった。
ロイズの説明はとても分かり易く丁寧だったため、これからも旅の途中で分からないことがあったら説明してほしい。彼女にも事情があるため無理に誘うわけにはいかないが、そう思ってしまうくらい素晴らしい説明だったのである。
一時の別れを惜しみつつエビルは彼女の背中を見送った。
* * *
白髪の少年エビルと別れたロイズは港を訪れていた。
港へ来る前に裏路地に居た情報屋を訊ねたが、サイデモン・キルシュタインについての情報は一切なかった。喋るほど知能の高い上級悪魔の情報も全くない。本当に存在しているのかと疑惑の目を向けられたがロイズは知っている、この目で見ている。記憶に焼き付いた男は決して幻などではない。
情報屋といっても町の裏路地にいるような怪しい奴だ。
当てになるかも分からないが藁にも縋る思いで訊ねている。
そもそも情報収集なら本命の場所がある。ゼンライフ大陸に存在しているというギルド本部には、ありとあらゆる世界中の情報が集まると言われている。ロイズの目的地はそこであり、アギス港で見つけた情報屋はついででしかない。
この港に留まっている理由もゼンライフ大陸行きの船を待っているだけだ。
「……あと三日か。それまではエビルの観光に付き合えるな」
船が来るのは三日後。それまで出来ることといえば情報収集と、偶然出会った実力者の少年の観光に付き合うことのみ。急いでも何も変わらないとはいえ思わずため息を零す。
「まあいい、ホテルへ戻ろう」
ホテルへ戻るため歩いていると黒いローブで身を包む男が通り過ぎた。
強者の気配を感じて、男の凄まじい強さに若干感心する。エビルといい彼といいナディンのように強い者は尊敬出来るが、同時に羨ましくも思ってしまう。
「あーくそっシャドウといいヴァンといいムカつく奴ばっかだぜ……! 勇者ってのもどこに居んだか。あの野郎、出まかせ言ったんじゃねえだろうな……! くそ、七魔将でまともなのはサイデモンのジジイくらいかよ……!」
「サイデモン……だと?」
今、通り過ぎた男が聞き流せない名前を呟いた。




