滅国の槍使い
被っていた麻のフードを捲った彼女の素顔が露わになる。
桃色のポニーテールを揺らす彼女は、エビルが今まで見た中で一番美しい顔をしていた。男達もあまりの美顔に一瞬動揺して闘志を失くす。
「誰かを害するだけの目的で人間に武器を振るうなど戦士としては三流だ」
「くっくっく、はっはっはっはっは! 面白い女だ。俺達に楯突ける奴がまだ居たとはなあ、しかも驚くほど美人ときたもんだ。俺達に喧嘩売ってタダで済むと思ってねえよなあ?」
集団のリーダーと思われる、無精髭の生えた大柄の男が席から立ち上がる。
消えた闘志も戻ったようでガラの悪い男達全員が立って剣を構えた。それに眉一つ動かさない女性客は槍を構えて、大柄の男を見据える。所作全てが絵になる彼女は絵画から飛び出したのではないかと思えた。
「くだらないことばかり言わないでとっとと掛かって来い。時間の無駄だ」
「……上等だ。やっちまえ野郎共! 後で遊ぶんだから生かしとけよ!」
ついに本格的な戦いが始まった。酒場の中で乱闘が繰り広げられる。
狭い場所で集団を相手にするのは実力者でも厳しい。いくら彼女でも……と思ったエビルだが心配は杞憂に終わる。予想を上回る実力を秘めていた女性客はピンチになることなく戦闘を続けていた。自分より体格の大きな男相手に上手く立ち回り、槍の一撃で気絶させている。
一人、また一人と男達を殺さず無力化していく。
決して相手を殺さない彼女の戦い方にエビルは感服した。
当時のエビルのように殺せないのではない、確かな意思を持って殺さないのだ。店内で殺してしまえば店主の迷惑になってしまうし、ガラの悪い連中だからとすぐに殺さないのは好感が持てる。
「ば、バカな、こんなに強い女がいるなんて……」
残りはリーダー含めて二人。
自分が出なくても大丈夫そうだとエビルが思い背を向けた途端、嫌な予感がした。急に風の流れが変化したのだ。勝利の風に若干敗北が混じり始めた。
「おらあ! そこまでだ女ああ!」
一人の男が短剣を誰かの首に当てているのがエビルから見える。
ガラの悪い連中の一人が人質にしているのは、今まで視界には映っていなかった店主だ。乱闘が始まってから隠れたのだろうが見つかったらしい。仮にも利用する店の店主を人質にするなど、人として酷すぎる所業。エビルと女性客の怒りは高まっていく。
「へっへっへっへ、よくやった」
「……人質か。卑劣な真似をする」
「何とでも言え。勝負に卑劣も何もねえ、勝った奴だけがその場を制する!」
リーダー格の大柄な男が笑いながら女性客へ近付く。
槍を下ろしたことから彼女は降参するつもりだ。無理もない、正義感の強い人間ほど人質は有効な手段となる。少しでも動けば人質を殺すと理解したら中々動けない。
「――やれやれ、手を出す必要はないと思ったんだけどね」
さすがに見ているだけというわけにはいかなくなった。
素早く人質をとった男に接近したエビルは、背負っていた木剣を振って男を殴り飛ばす。一瞬で人質を解放してから女性客へとアイコンタクトする。それが通じたのか、彼女は槍を構え直す。
「なっ、誰だテメエ!?」
「敵から目を離すなど戦士として失格だ」
彼女の一撃が大柄な男へと突き刺さって壁に激突させた。
力強い攻撃で最後の一人が気絶したため店内での乱闘は終了する。
戦いが終わった後の店内は酷いものだった。テーブルや椅子は倒れ、酒の入ったグラスが割れてガラスが散乱しているのを見て店主が嘆く。
放置して店を出るのは良心が痛むため、エビルや女性客も片付けの手伝いをする。ガラの悪い集団については店主が呼んだ国の兵士に身柄を渡しておく。お礼として無料で飲んでいいと言われたエビル達は店主の言葉に甘えた。
カウンター席に座った二人は軽く会釈して、挨拶を済ませた。
「先程の加勢、感謝する。私の名はロイズ・ヴェルセイユ。君は?」
「僕はエビル・アグレムです。よろしくお願いします」
「敬語はなくして構わない。君は店主を助けた、誰かの為に己の力を振るえてこそ私が尊敬する戦士というもの。……私一人では助けることが出来なかった。己の力不足を痛感するよ」
「いや、彼等と真っ向から戦えば君が勝っていたさ。十分だと思うよ」
ロイズと名乗った彼女の実力は先程の戦闘で把握している。
日々鍛錬を積んだ国の兵士以上の力量、兵士長クラスと見ていい。動きからも日々の努力の積み重ねが見て取れるし、心構えもいい。悪人に厳しいが素晴らしい戦士だと殆どの人間が言うだろう。
「ふ、君程の戦士からそう言われて悪い気はしないな。私は決して警戒を解いていなかったが、君の動きに気付けたのは人質を解放した後だった。……君の強さが羨ましい。私に君程の力があればいいのだが」
憧れが向けられているのには先程から気付いていた。
もう十分強いのに憧れを抱くのは強さに執着している証。
「何か強くなりたい理由でもあるの?」
「……そうだな。君は善人だし隠す理由もないか。私は遥か北に存在したバラティア王国の生き残りだ」
悲し気に語る彼女の言葉に疑問を持ったエビルは「生き残り?」と呟く。
「知らないのか? オルライフ大陸の人間なら殆どの人が知っていると思ったが、別の大陸出身だったのか。……私の故郷であるバラティアは滅ぼされたんだ。槍を教えてくれた師も、友も、何もかもがたった一人の悪魔に蹂躙された。私は今、復讐のために旅をしている。サイデモン・キルシュタインという男を捜しているんだが知らないか?」
「ごめん、僕はアスライフ大陸から来たばかりだから何も知らなくて」
正直、エビルは自分の考えが甘かったと痛感した。
魔信教や盗賊団ブルーズなどを壊滅させたからといって、完全な平和なんて簡単にやって来ない。そもそもアスライフ大陸だけの問題だったのだ。世界的に見れば多くいる悪が少し減ったに過ぎない。例え一部が平和になっても悲劇が起きる場所は多くあるのだ。
楽観的な考えは捨てなければならない。
平和なんてものは遥か遠いのだと自覚しなければならない。
――勇者としての仕事はまだまだ残っている。
「アスライフ? まさか、復活した魔王が倒されたというあの? そうか、交流が絶たれていたあの大陸出身なら知らなくて当然だよ。……しかし、それなら君は魔王を倒した勇者を見たことがあるか?」
「え、あ……どうしてそんなこと聞くの?」
「子供の頃には憧れた存在だったからな。誰もが一度は勇者や姫に憧れを抱くんじゃないか? 今はそれほどでもないが知ってみたいんだ。かの偉業を成し遂げた勇者はどんな人物なのかを」
目の前に居ますと言えたらどんなに楽なことか。
残念ながら恥ずかしさは消えず、未だ自分を勇者だと知らない者にはわざわざ名乗らない。故郷の滅亡について語っている際感じた悪魔への激しい憎悪も気がかりだ。仮に正体を明かしても、その後に悪魔だと知ったら殺し合いに発展しかねない。
ロイズの勇者への憧れは完全に消えていないのを感じた。
もし憧れた者が憎き種族だと知ったら勇者自体を嫌う可能性が高い。エビル自身勇者という存在を大事にしているため、嫌う者を増やすのは阻止したいのだ。あらゆる可能性を考慮してみて、やはり自分が勇者だと明かすのは危険と判断する。
「……物語に出て来るような完璧な存在じゃないさ。完璧になるために足掻き理想を追求する男、かな。……きっと、困っている人を見かけたら駆けつけるような……そう、君みたいに優しさを持っていると思う」
「む、優しい夢追い男か。なるほど、存外普通なのだな」
エビル・アグレムは自分が特別な存在だと自覚している。
先代勇者の生まれ変わり。強大な悪魔の分裂した片割れ。世界で四人しかいない秘術使いの一人。これだけ並べて自分が特別じゃないなんて言えるわけがない。
それでもロイズの感想は腑に落ちた。
特別なのは肩書であって中身じゃない。外側を特別という言葉でコーティングされただけであり、エビルをエビルたらしめる中身は特別などではない。
初めて作れた友達に喜び、故郷を滅ぼした男を憎み、自分の気持ちに悩む。
至って普通。そこらにいる人々とエビルの中身に大した差はない。違ったとしても意思の強弱くらいなものだろう。
何となくエビルは自分自身のことを理解出来た気がした。




