ソラとエビル
王城三階にある赤い扉の部屋。王女であるソラ・アランバートの自室であり、そこに呼ばれたエビルは若干緊張しつつドアノブに手をかける。
緊張が若干程度で済んでいるのはレミの姉という情報があるからだ。レミが王族でありながら気さくで親しみやすい人間だったことから、姉であるソラも話しやすい人物である可能性が高い。どんな人なのか楽しみな気持ちも抱きながらエビルは扉を開ける。
赤い絨毯が敷かれている部屋は一人用だからかあまり広くない。隅には観葉植物があり、壁際には石製箪笥などの家具が設置されている。中央にはティーポットが置いてある小さな白いテーブルがあり、凝った作りの白椅子に座っている女性がいた。
背中まで伸びている長髪はレミと同じ赤色。顔立ちはレミと似ているが穏やかで優し気な雰囲気が強い。ドレスを着ているその女性こそ女王ソラなのだとエビルはすぐ理解する。その斜め後ろにはヤコンやドランと同じ軽鎧を纏う兵士だろう筋骨隆々な男性もいる。
エビルが入室したことに気付いたソラは持っていたティーカップをテーブルに置き、優しい笑みを向けて「来ましたね」と呟いた。
「……デュポンさんから呼ばれて来ました。エビル・アグレムです。本日はお招きいただき誠にありがとうございます」
「どうも、ソラ・アランバートです。そう畏まらないでください、今の私はレミの姉としてあなたの前にいるのですから。ああ、後ろにいる男性はタイタン。アランバート兵士団の第一部隊隊長を務めている国一番の実力者です。彼は護衛としているだけであり、今からする話について口外も禁じています。どうかお気になさらないでください」
タイタンと呼ばれた彼は黙ったまま会釈した。
『へぇ、こいつ人間にしては強いな。今のお前じゃどう足掻いても敵わない相手だ』
『別に戦う気はないんだからどうでもよくないかな。それにお前に言われなくてもあの人が強いことくらい分かるさ。たぶんヤコンさんでも相手にならないくらいに強い』
第一部隊隊長、国一番の実力者と呼ばれるのは伊達じゃない。シャドウに強いと言わせるくらいの実力を持つとなれば相当だ。黙っていてもエビルに覇気が伝わってくる。
「ずっと立っていないで、どうぞそちらにお座りください」
ソラはテーブルを挟んだ向かい側にあるもう一つの椅子に座るよう告げる。手で促されたエビルは「失礼します」と言いながら椅子まで歩いて腰を下ろす。
向かい合う状況になってからエビルは思う。ソラはレミと似ている部分があるとはいえ、王族という部分の個性が強く出ている女性だ。レミがおしとやかになったような人という説明が一番分かりやすい。
「そうですわ、少々お待ちください」
ソラは立ち上がり、壁際にある食器棚から新しいティーカップを取り出した。そして戻って来るとその白いティーカップに、テーブル上に置いてあるティーポットで茶色に近い液体を注ぐ。
「こちらはロスティア、火で炙って湿り気をなくした茶葉で入れたお茶になります。客人にお飲み物をお出ししないというもの失礼ですし、どうぞご自由にお飲みください」
せっかくなので「ありがとうございます」と礼を言ってからエビルはロスティアを口に入れる。ほろ苦い味は慣れないため多少眉を顰めてしまうが不味いわけではない。素直に苦いことと独特な美味しさがあったことをエビルは伝える。
「苦いですけど、確かな旨味がありますね」
「そうでしょう。私は今では一日にこれを一杯以上飲まないと落ち着かないのです」
「なるほど、分かる気がします。……あの、今日はどうして僕を呼んだんでしょうか。やはり風紋の件なんでしょうか?」
女王に呼ばれるような心当たりがエビルにはあまりない。一番高い可能性として考えられるのが秘術関連だったので自分から切り出す。
「そちらの報告は受けました。どうやらまだ自由に発動する領域には届いていらっしゃらないとのこと。発現した時期が遅かったとも聞いています。まだまだ秘術は我々の知らないことだらけということですね。別大陸の国々ならもしかしたら理由も分かるのかもしれませんが」
「秘術に詳しい国でも存在しているんですか?」
「……と、いうよりはこの大陸、アスライフ大陸の文明などが未発達なのです。かつて三百年ほど前に魔王のいた地であるこの大陸は他の大陸よりも被害が酷く、長い年月が経った現在でも、他の大陸の技術や知識に全く追いつけていませんので」
魔王の侵攻は世界中に影響していたとはいえ根城があったのはアスライフ大陸。一番に征服されてしまった哀れな地であり、今では復興しているといっても他の大陸の文明とはかなり差が出てしまっている。エビルはそんなことも知らず生きてきたので、文明の発達した他の大陸に興味が湧いてきた。
(他の大陸かあ、いつか行ってみたいな。文明の発達した場所なんて見て楽しいものがいっぱいあるんだろうな)
『ククッ、無知ってのは哀れだねぇ』
『うるさいな。何を楽しみにしようと人の勝手だろ』
悪態をついてくるシャドウにエビルも普段より荒い言葉を返す。
少しの沈黙が降りてからソラは再び口を開く。
「……今日お越しいただいたのは風紋の件ではなく、妹、レミの件です。初めて出来たレミの友達というのがどういった人物なのか話してみたいと思いまして」
やっぱりそうかとエビルは思う。風紋でないのなら残る心当たりはそれくらいである。
レミに相応しくないと罵られるか、もう関わるなと命令されるか、とてもそういった雰囲気ではないためエビルはまだ落ち着いていた。ソラは純粋に見極めるつもりなのだと自然と理解出来る。
「どんな風に出会ったのか、レミをどう想っているのか、可能であればお聞かせ願えないでしょうか。ある程度はレミから聞いているのですがあなたからも聞きたいのです」
「そうですね、出会ったのは……」
エビルは語る。盗賊団に襲われたところを助けられた形になったこと。目当ての焼き菓子を売る露店にまで案内し、奢ってくれたうえついでに城下町の案内までしてくれたこと。今まで友達がいなかったこと。再び会ったらまた国内を案内してくれると約束したこと。全てを思い出しながら語っていく。
途中レミが盗賊を殴ったと聞いた時ソラは頭を抱え、強引なところを聞いた時はため息を吐いたりなど二転三転と仕草が変わっていた。
「なるほど……あの子視点とは色々違うようです。妹は色々大事なところを省いていたようですね、話してくれてありがとうございます。では続けてください」
「あーはい、僕がレミのことをどう想っているかでしたよね。ありきたりかもしれませんが大事な友達だと思っています。僕にとっても初めての友達ですし、困っている人を助けようとする優しい彼女だからこそ仲良くなろうと思えました。この城に来てからも僕の事情を知って気遣ってくれていたり、ちょっと強引なところもありますけど基本的に良い人ですよ」
ロスティアを一口飲んでソラは何度も頷く。
「そうですね、妹は基本的に良い子です。お転婆なところに目を瞑れば可愛げもあります。発育が悪いのも欠点ですけれど……」
なぜ妹自慢になったのか分からずエビルはロスティアを飲み出すが――
「どうです? あの子を嫁にしてみませんか?」
ほろ苦い味を堪能する暇なく「ぶふっ!?」とカップ内に噴き出してしまった。いきなりの提案に動揺してむせてしまい、何度も咳込むのが治ってからジト目で口を開く。
「……いったい何を言いだしているんですか? レミは王族で、あなたの妹で、この国になくてはならない秘術使いなんでしょう? 僕はただの平凡な村人ですよ」
「王族がただの村人に嫁ぐ前例がないわけではありませんよ」
「前例があるかどうかじゃなくレミの気持ちはどうなんですか。まあでもどの道僕じゃ無理ですよ。僕は明日からこの国を出て旅に出発しますし」
唐突というのもあるがレミをそういった対象に見たことなどエビルは一度もない。もっともそれは現時点で恋愛感情が未熟なだけで、共に過ごしていくうちに自然と恋愛感情も発達するかもしれない。だがエビルにとって今のレミは大切な友達だ。何より旅に出る以上レミと別れるのは決定している。
「ではお願いがあります。――あの子を旅に同行させてくれませんか」
今まで無言で微動だにしていなかったタイタンもその発言には目を軽く見開いた。もっとも見開いた目はすぐに戻り、口を開いて意見するということはなかったが。
「あなたまでそんなことを言うんですか……。ついさっきレミからも言われたばかりですよ。摸擬戦で勝ったら旅に連れていけって強引に決められました。しかも負けました」
「なら問題ないですね。連れて行ってください」
「問題はありますよ。デュポンさんや他の人が納得してくれるとは到底思えません。……というか、どうしてそんなにレミを僕に連れ出してほしいんですか?」
まるで追い出したいかのようにソラは引き下がらない。姉妹仲が悪いとは噂にも聞かないが真相は不仲なのか、厄介に思っているから厄介払いしたいのか、そんな風には見えないのでエビルは困惑している。
「あの子が城下町より外に出られないというのは知っていますか」
「本人から聞いています。かなり不満に思っているようですし、僕もその気持ちは分かるつもりです。でも秘術使いは悪人から狙われる可能性があるから許可しないんですよね」
エビルも村から外に出たいとずっと思っていた。実際におつかいとはいえ外に出れたことに喜びを味わったものだ。しかしレミの場合はどうしようもない事情がある。身内などが守ろうとする善意で縛られている。
「悪人から狙われる可能性は確かにありますが滅多にないでしょう。もし秘術使いの外出が禁止なら私はあなたにも外へ出るなと命令します。……ただ亡くなったお父様や、大臣のデュポンさんは相当レミのことを可愛がっていましたから。魔物や盗賊、近頃は魔信教など様々な危険がある外へは出したくなかったのでしょう。もはや私ではこの現状をどうすることも出来ないのです」
「だから僕に連れて行けと……?」
「レミは外に出たがっている。私はその願いを叶えてあげたいのです。たとえ人生の苦難が待ち受けていたとしてもあの子なら乗り越える、と私は信じています」
ソラの言う通り外には魔物などの危険が山ほどある。ただ秘術を嫌う反抗期のような思想で格闘技術を高めているレミなら、並の魔物や盗賊と遭遇しても撃退するくらいの力はあるだろう。絶対に守らないといけないほどレミはか弱い存在ではない。苦難を乗り越えると断言するソラの気持ちもエビルは多少理解出来る。
「でもやっぱり立場というものが」
「難しく考える必要はありませんよ、単純でいいのです。レミと一緒に居たいかだけを考えてください」
「……それは、できるなら一緒に居たいですけど」
ソラが引き下がる雰囲気はない。エビルとしてもレミと旅が出来るなら嬉しい。ほぼ選択肢のない状況で結論を出そうとしたそんな時――部屋の扉がいきなり雑に開かれた。
「ソラ様、敵襲です! お逃げください!」




