バラティア王国 後編
「おや?」
人外の老人はロイズ達に気付いた。
我が物顔で庭園に足を踏み入れ、ナディンを「あなた」と呼び指をさす。
「かなーりお強いですねえ。意外な大物にでも出くわしてしまいましたかな」
「魔物、か? 喋る魔物とは珍しい」
「魔物? いけませんねえ、そのような低俗な連中と一緒にされては。私はともかく他の者達が怒ってしまう。認識を改めてもらいましょうか。私は上級悪魔のサイデモン・キルシュタイン。ここへ来たのは単なる暇潰しです」
「名もあるのか……。人間と同程度の知性がある悪魔、危険だな」
悪魔も魔物も同じだが、人と変わらぬ知性を持っているからかプライドが高い。要は知恵を得た動物が他の動物とは違うと言っているようなものだ。いくら知性があっても種族は変えられない……とはいえ、人語を完璧に理解して喋る魔物となれば対応が変わるのは事実。知恵を身に着けた魔物は種類によって危険度がグンと跳ね上がる。
全世界で手紙を届けているコミュバードも賢い部類だが、余程嫌われていなければ攻撃しない温厚な性格。しかし悪魔は残忍かつ狡猾、人間を罠に嵌めて殺す。人類の敵とも言える彼らが人類以上の知性を持てばとんでもないことになる。すぐにでも各国から討伐隊が組まれて駆除が始まるだろう。
「貴様……先程、何と言った?」
――だがロイズにはそんなことどうでもよかった。
「先程? 私の名をもう一度聞きたいのですか?」
「違う! 貴様、暇潰しと言っただろう。そこの侍女を殺したのが暇潰しだと言っただろう! 私はこのバラティア王国国王の長女ロイズ・ヴェルセイユ! 貴様のような外道を許すわけにはいかない、私が貴様の心臓を貫く!」
言ったことが本当なら王城に攻めて来たのが暇潰しということになる。
バラティア王国の王族に生まれた以上、ロイズは国民の平和を守らなければならない。次期女王となるため勉学には励んだし、槍の扱いや身体能力の向上も真剣に取り組んでいる。全ては立派な女王となって自分が国を守るためだ。それを、その守ろうとした平和を、今ただの暇潰しで崩す輩がいると知って苛烈な怒りを抱く。
怒っていてもロイズの頭は冷静だ。
槍を持って特攻しつつ相手の動きを予想する。
危険なのは侍女を斬り殺した剣とも槍とも言える武器。一番の脅威、宙を漂っているそれの動きを注視しておく。サイデモン本人の方も動きがあると困るので視界には入れるが優先度は低い。攻撃する対象が彼でも実際に動くのは宙に浮かぶ不思議な武器だ、まずそちらに対処出来なければ侍女と同じ末路を辿ってしまう。
予想通り、本人ではなく不思議な武器が向かって来た。
動きは捉えられるし反応も出来る。針に糸を通すような集中力により、槍の先端で相手の武器を思いっきり突く。これで吹き飛んだ武器はサイデモンの傍を離れ無防備になる……そう確信していた。
実際には渾身の一撃でも全く手応えがないことに愕然した。
狙いは逸れていない。昔から狙いは正確でナディンに褒められていたくらいだ、この重要な一撃で外すわけがない。ロイズの目にもちゃんと当たっているように見える。それなのに二又の武器は後ろに回転しただけで、回転を利用した斬撃で槍を弾き飛ばす。
手元の武器を失ったらもう戦う術がない。
無手でも戦えなくはないが目前の男に通用するとは思えない。
丸くなった目でロイズは直進してくる二又の武器を見つめる。人間よりも大きな武器だ、貫かれれば助かる見込みはない。自分の力が全く通用しないことにに呆然としていると――横から槍が現れて二又の武器を吹き飛ばす。武器はサイデモンの傍へと戻って行く。
「――ロイズ、下がっていろ。今のお前では勝てん」
純然たる事実を突きつけられて「くっ……!」と歯を食いしばり俯く。
助けてくれたナディンの言う通り、今のロイズでは足手纏いにしかならない。現実を受け入れてネリと同じくらいに離れる。
「今のを防ぐとは……中々良い動きですねえ」
「サイデモン・キルシュタイン。今からお前はその、中々良い動きをする奴に殺されるのだ。俺の名はナディン・クリオウネ。俺の故郷に、俺の弟子に手を出したこと、後悔してもらう」
今度はナディンが駆け、槍を突き出す。そう認識出来たのは一連の動作の後。
初めて見た師の本気は凄まじかった。摸擬戦の際は手加減されていると理解していたが、これ程まで実力が離れているとは思っていなかった。あのサイデモンが目を見開き、武器が動くよりも早く回避したくらいに身体機能が違いすぎる。
二又の武器が動いてからもナディンが押していた。
弾く、もしくは躱してから距離を詰め、高速の突き技を繰り出す。
サイデモンはといえば防戦一方で逃げの一手。誰が見ても勝敗は明らかだ。
「やはり師は凄い……! あんな奴など敵ではない!」
逃げ回っていたサイデモンにナディンの放った槍技が掠り出し、暫く同じ流れが続くと遂に薄緑の悪魔の肩を貫いた。傷口から紫の血液が飛び散った。
戦闘において大きな傷は致命的。
動きは鈍るし、場所によっては力も入らなくなる。
これでまた師の勝利に一歩近付く。
「ふふふ、まさかここまで浮遊曲剣による攻撃を防ぎ、あまつさえ私にダメージを与えるとは……予想以上の強さです。一撃貰ってしまったのはヴァンの特訓に付き合った以来でしたかねえ」
真上から降って来た二又の武器、浮遊曲剣と言うらしいそれをナディンは後方へ跳んで躱す。
「十年振りですね。わざわざ剣を握って戦うのは」
たった今、サイデモンが初めて浮遊曲剣の柄を握って持ち上げる。
「……剣を振って戦えるのか?」
「ふふ、寧ろ、こちらの方が実力を発揮出来ますのでねえ」
そこからは流れが変わった。
今までナディンが優勢だったのに攻め切れない時間が続く。
薄緑の悪魔が告げたのはハッタリではなかった。武器だけが動くより、本人の手で攻撃した方が明らかに速い。互角の勝負を繰り広げているので、手に汗握る戦いの決着は予想より長引くだろう。
「一つ、頼みがある」
「はい?」
「弟子を先に逃がしてくれないか」
「……まあ、一人くらいならいいでしょう。あなたの強さに免じて一人だけ逃がして差し上げますよ」
「感謝する。……ロイズ、今すぐこの場を離れろ」
一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。
理解出来ても納得は出来ない。
援護ならともかく、逃走しろと言われるのは全く想定していなかった。足手纏いなのは認めるが、勝負の行く末を見ないでこの場を去るなどロイズにとってありえない。疑わない師の勝利をこの目で見るまで去るつもりはない。
「嫌です! 師の戦いを、最後までこの目に焼きつけさせてください!」
「弟子は師の言うことを聞くものだ」
「師よ、あなたもバラティア王国の民の一人。私は、戦う民を無視して逃げる女王にはなりたくありません! 自分の身は自分で守ります、だから!」
「……仕方ないな」
居残ることを認めてくれたと思い笑みを零した時。
――尊敬している師が急接近して来て、ロイズの腹部に強い衝撃が奔る。
「な、なぜ……私……を」
重い一撃のせいで視界が霞んで庭園に倒れてしまう。
「ネリだったか、馬鹿弟子を連れて町の外へ出て行け」
「……しかし」
「いいから行け。俺のことは気にしなくていい」
必死に意識を保とうとしていたが限界は近い。力も入らない。
何やらナディンとネリが話して会話内容はほとんど聞こえず、訳も分からないままネリに背負われる。彼女が走り出すと師の背が遠ざかっていく。偉大で大きく見えていた背がどんどん遠くに行ってしまう。
遂に限界が訪れ、ロイズは意識を手放した。
* * *
バラティア王国の王族、ロイズ・ヴェルセイユの侍女をネリ・アムリタが務めてもう五年。今の仕事を天職とすら思っていたネリだが、初めて侍女をやっていて後悔する出来事が起きた。
唐突な悪魔の襲撃だ。国一番の強さを誇るナディン・クリオウネが対峙し、彼からロイズのことを託されて逃走したのが現状。初めての挫折にしてはあまりに酷い。
ナディンから言われた通りバラティア城下町を出たネリは休憩している。……より正確に言うなら、悪魔と戦っている彼を待っている。
最後、城の庭園を去る際、彼に告げたのだ。
一旦逃走を選択しますが外で待っていますと。
「……はあ、この先どうしたもんかなあ」
庭園から逃げたから知ってしまった事実がある。
もう、バラティア王国は終わる。城下町は酷い有様であった。
あちこちにあった遺体と血溜まりに加え、民家は約七割が倒壊してしまっている。信じられないことに悪魔は一人で城下町を壊滅させたのだ。……それでも、最強と名高いナディンならばと信じて今待っている。
国が破壊された以上ネリに行く当てなどない。
残された道は彼に付いて行くのみ。
適当に路銀を稼ぎ、適当な場所に定住する。もしくは望み薄だが彼と恋仲になって寄生ルート。ついさっきまでは王族に仕える侍女として働き、全く生活に困っていなかったというのに、今では酷い選択肢しかない状況に溜め息が出る。
「――おやあ? わざわざ待ってくれていたのですか?」
膝を抱えて大地に座っていたネリは勢いよく立つ。
声がした方向に目をやれば抱いていた希望は一瞬で打ち砕かれた。
所々破れた黒いスーツを纏う薄緑の老人が紫の血を流しながら立っていた。最後に見た際は肩にしか傷はなかったはずだが、新しく腹部と脚に傷があるということはナディンが付けたのだろう。……しかし、手に持つ二又の剣からは人間の血が滴っている。そもそもこの場に悪魔が来るのなら彼の結末は想像がつく。
「彼は、死んだんですか」
「あなたと会うことは二度とないでしょうね」
「……私達を、殺しますか」
「何やら誤解されているようですので訂正しておきましょう。殺すのはあなた一人ですよ、そちらに寝ているお嬢さんは彼の強さに免じて見逃します。言ったはずですよ? 一人なら見逃してもいいと」
死ぬ運命はもう変えられない。
奇跡でも起きなければネリは助からない。
……だから、最期まで神に奇跡を起こしてくれるよう願い続けた。




