バラティア王国 前編
第二部開始。プロローグ的な話なんですが、ちょっと長くなったので二話に分けました。第一部を読んで面白かった方なら第二部も面白い……はず……はず、ですよ。
オルライフ大陸の北部に位置するバラティア王国。
立派に栄えた国は国土も広く大陸一とすら言われている。
この国は薔薇という真っ赤な花がシンボルだ。城下町にはいくつもの薔薇の彫刻が飾られており、城の頂上では巨大な薔薇が数百年に渡って育てられてきた。町の人々は一輪の花のように美しく綺麗な者を好む。醜悪な外見の者は親から追放され、常に美しき者達が民として生きてきた。成り行きはともかくバラティアの民達は他国の民より美しい。
そんなバラティアの城の庭園にて王女、ロイズ・ヴェルセイユは日課の鍛錬に勤しむ。動きやすいタンクトップとスカート姿で手に持つ槍を何度も突き出すのだ。
手入れを欠かさない桃色のポニーテールと、体に対して大きすぎず小さすぎず形の整った乳房が揺れ動く。どこかから自分を眺める目……特に胸部だが、厭らしい視線を無視して毎日素振りを行っている。当然そんな視線ばかりではなく、後方にいる侍女のように尊敬の眼差しを向けてくる者もいる。
「――ロイズ様。ナディン様が会いに来られるそうです」
後方の侍女から声を掛けられて素振りを止めた。
「そうか、師が」
「替えの服は既にご用意しておりますがどうなさいますか?」
「師の前で着飾る必要はない。仮に着替えてもすぐ汚れる」
侍女は「かしこまりました」と告げ、周囲を見渡す。
厭らしい視線も他の視線も全て消えた。彼女に顔でも憶えられれば色々と報告されてしまうからだ。仕事をクビになったり、立場が危うくなるのは誰だって避けたいものだろう。
「困った者ですね。ロイズ様に魅了された方々は」
「視線に耐えるのは精神的な修行にもなる。それより我が師はすぐ来るのか? いつもならお父様とのお話が済んでからだったが」
「――先程終了したぞ」
よく知る男性の声が後方から聞こえたので振り返る。
一本に纏められた青い長髪で、槍を背負った着物姿の男性が歩いて来る。ロイズは今年一番の笑顔で「お久し振りです師よ!」と駆け寄った。
「半年振りだなロイズ。見ない間にまた強くなった」
「ふ、そんな言葉を鵜呑みにはしません。努力を積み重ねて多少マシになったかもしれませんが私はまだ未熟。どうか、この未熟な私の力がどれ程のものか確かめさせていただきたい」
「いいだろう。俺は元々、そのつもりで帰って来たのだから」
ナディン・クリオウネ。
バラティア出身の彼は国に認められた一番の槍使い。
今まで強大な魔物駆除や悪党捕縛など数々の功績があり、ロイズの実父であるヴェルセイユ王にも気に入られている。そのため娘のロイズは幼い頃より槍術の手解きを受けてきた。残念ながら彼は多忙なので関われる時間はあまりないが基礎は全て学び、戦いの術は全て彼から学び強くなった。しかし、今年でロイズは十八歳になるが一度も彼に勝てた試しがない。
距離を取ってから互いに槍を構える。
念のため侍女が離れてから摸擬戦を開始。
先手必勝とばかりにロイズは素早く突きを繰り出すがあっさりと防がれる。
予めこれくらい想像していたので動揺はしない。
初手を防がれても諦めず、何度も何度も渾身の突きを繰り出す。
「ふむ、やはり強くなった。一突き一突きが以前よりも鋭く、素早く、力強い」
毎度言われる褒め言葉に感じる嬉しさは言われる度に増え続ける。
激しく槍の刺突を連続で行いながら「ありがとうございます!」と礼を言う。
そろそろだ。毎度のことだが、そろそろロイズの猛攻は強制的に止められる。
予感の通りナディンの防御が攻撃に移り変わって防戦一方になっていく。実はいつも摸擬戦はこの流れなのだ。この後はいつも防御を崩され、槍を弾き飛ばされて終わる。今回はそうなってたまるかと必死に攻撃を防ぐが――やはり今回も同じ結果に終わった。
ただ、一つだけ違った。ナディンの槍がロイズの首元に向けられているのだ。
「……参りました。私の負けです」
「落ち込むことはない、差は確実に縮まっている」
師の言葉にロイズは小さな笑みを浮かべる。
「な、ナディン様! ロイズ様から槍をお下ろしください! いくら手合わせといえどそのように武器を首元へ向けるなど、誤解される方も出てしまいます!」
「慌てるな、師が攻撃したのは私じゃない。下をよく見てみろ」
侍女は「下、ですか?」と呟いてロイズの足元を見つめる。
庭園の芝生で見づらいだろうが彼女は気付くことが出来た。ハッと息を呑み、目を見開き、震える指で落ちていたものへ指す。
「む、虫……ですか?」
彼女の言う通り、芝生の上に落ちているのは血を吸う小さな虫。
ロイズの血を吸おうとしたのか近付いてきた時、最後の一突きで殺されたのだ。羽虫を槍で突いて殺すなんてどんなに難しいことか。神業とも言える超人的な技術だ。少なくとも今のロイズには出来る気がしない。
とりあえず、慌てていた侍女は落ち着きを取り戻す。
「大変失礼致しました。まさかラドを駆除してくれただけとは」
「構わぬ。あれに刺されると痒くなるからな、害虫を駆除したまでのこと」
一年間いつでも空中を飛んでいるラドは人間の血液を好む。長い針状の口で皮膚を刺し、血を吸い上げる。生きていることで何の恩恵もない害虫だ。
「さすがです師よ。こんなに小さな虫を突き殺すなんて」
「ロイズ、お前の槍は確かに力強い。……だが戦いには力以外に技も必要。基礎でお前に敵うものはあまりいないだろうが、これからは繊細な技術も身に着けなければ成長は難しい。……東のアスライフ大陸では新時代の勇者が魔王を討伐したそうだ。その勇者も噂によれば神業レベルの剣術を習得しているらしい。強者は皆、相応の技術を身に着けているものだ」
「はい、これからも精進します」
まだまだ師に及ばない実力だがロイズは自分の可能性を感じた。
成長し、いつかナディンに追いつけるのが夢見て笑みを浮かべる。
「あの、この後はまだお時間ありますか? 是非、もう一度摸擬戦を」
「摸擬戦か、いいだろう。ギルドからの依頼も一段落ついたし、まだ時間は……」
――遠くで誰かの悲鳴が聞こえた。
ナディンは「何だ?」と周囲を見渡し、ロイズも警戒心を強める。
先程の摸擬戦で弾き飛ばされた槍を拾い上げたロイズは重心を下げる。腰を深く落としたことで駈け出しやすくなり、槍で突く速度も上がる。戦闘準備はこれで終了。
「今の悲鳴……誰かが皿でも落としたのでしょうか?」
「ネリ、あなたは私の近くに」
先程から近くに居た侍女のネリに注意を促し、もっと傍に来るよう告げる。
槍のリーチは長いため他の武器と比べて守れる範囲が若干広い。だが傍に居てもらった方が守る側としては守りやすい。彼女は「はい」と頷いて距離を詰めてくる。
「濃い血の匂い……負傷者がいるな。ここまで強いと皿を割って怪我したとは考えにくい。気を抜くなロイズ、何者かが王城内に侵入しているのかもしれん。兵士達を退けたのならかなりの手練れ。一瞬の油断が死に繋がると思え」
緊張を隠すロイズの耳に「きゃああああああああ!?」という絶叫が聞こえた。
「今の声、近いぞ。やはり侵入者か」
ナディンに続き最大限警戒すると誰かの走る音が聞こえた。
そして庭園への入口の一つから、ネリとは違う侍女の姿が見えた。
白黒の給仕服をに身纏う彼女は慌てて走っている。やけに後ろを気にしていたが、ロイズ達に気付くと希望を見つけたように笑う。
「お助けくださ――」
今、この瞬間ほど、ロイズが目にした光景を疑ったことはなかった。
突如として飛来した武器。剣身の途中までは町でよく見る剣だが、上から半分は二又になって曲線を描いている不思議な武器。剣なのか槍なのか区別付かないそれが侍女を切断した。信じられない切れ味で縦に真っ二つにされた侍女の体は力を失い、前と後ろへ倒れる。
あまりに無惨な殺され方だ。大量の血液が城内の床を侵食していく。
次に現れたのは明らかに人間ではない男。
シワの多い薄緑色の肌。毛量の多い緑髪、長い髭。黒いスーツを着ている様は意外と似合う老人。そして――先程侍女を殺害した武器は彼の周囲を一定速度で周っていた。
異質すぎる老人がロイズ達の前に現れたのである。




