悪魔の勇者
浅黒い肌の巨人、魔王は遥か上空。
背に生えた四対の黒翼で宙に浮かび続けている。
絶え間なく赤い光球を生み出し続けているが、今のところ彼の攻撃手段は一つ。光球を相手に放ち爆破する攻撃のみ。
基本人間は飛べない。跳躍力を鍛えても魔王の居る高度には届かない。
それを理解しているからこそ彼は空中戦を選んでいる。闇に包まれていて見えない顔は笑みが浮かんでいるだろう。嘲り、喜び、優越感をエビルは感じ取った。
「剣を持ったところでよお、どう当てるつもりだよ。空でも飛ぶのか」
「そうだね、飛ぶのさ。今なら飛べる気がする」
「は? 羽もねえ、魔術も使えねえお前がどうやって?」
空を飛ぶ相手に対抗するにはどうすればいいのか、答えは二つ。
一つはシャドウが行ったように遠距離攻撃。もう一つはこちらも飛ぶこと。
赤い光球が降って来た時エビルは脚力で瞬時に跳ぶ。だがこれだけではただのジャンプ。自由自在に飛ぶには秘術の力が必要不可欠であり、新たな紋章である風火紋なら容易く行える。両足から風と火の同時放出を行えば推進力となって飛べる。
襲い掛かる赤い光球を、風と火の放出具合と向きをコントロールすることで躱す。飛べるのが証明出来た今、エビルは光球を躱しながら魔王の下へと突き進む。
しかし初めてのフライトは想像以上に難しい。
たまにふらつくし、ましてや攻撃を避けながらだ。
飛行経験の足りないエビルでは避けきれずに一発喰らってしまった。
光球が爆発し、爆炎と爆風が襲う。防御技の〈風鎧〉を使用していても貫通する。威力は軽減されたのにあまりの熱量で上衣が燃え尽きる。
一度喰らったエビルはあることに気付く。
魔王の攻撃はあくまで威力の高い爆撃。爆発とは風と火のエネルギーが主であり、風火紋を扱う自分にはあまりダメージがない。それどころか風と火を操ることが出来れば光球は味方に出来る。
飛行にある程度慣れたらあっという間に魔王の高さに到達した。
「……其方は、悪魔だろう」
初めて聞いた魔王の声は年寄りのような渋さがあった。
若干戸惑いつつも「ああ」と肯定する。
「何故其方が私と戦う? 悪魔王の命令か?」
「いいや、僕は自分の意思でここにいる。悪いが勇者としてお前を倒す」
「勇者? 悪魔の勇者? 笑えぬ冗談だ。それは真似事でやっていいものではない」
「確かに、最初は憧れから真似たかった。ビュートさんのような風の勇者になるんだってずっと思っていた。……でも今は違う。旅を通して、色んな人の意見を聞いて、僕は昔と比べて少し成長したんだ」
魔王である彼からすればふざけていると憤る気持ちも分かる。
彼はそれなりに勇者という存在を尊敬しているらしい。本来人類と敵対すべき悪魔が勇者を名乗るなど烏滸がましい、冗談だと思わせてしまうだろう。
エビルだってこれまで悩んだ。旅を通して悩み続け、答えを得たのだ。
「――僕は今代の勇者! エビル・アグレムだ!」
浅黒く巨大な手が伸ばされ、赤い光球が容赦なく襲い掛かる。
赤い光球を紙一重で躱しながらエビルは空を翔け、魔王の手に着地と同時に黒傷剣を突き刺す。濁った紫の血液が噴出して魔王に確かな痛みを与える。それで終わらず、剣を刺したまま伸びた腕を駆けた。手首から肩にかけて大きな切り込みを入れてみせた。
シャドウとの戦闘時に折れていても黒傷剣は十分な威力を発揮してくれた。
魔王が悲鳴を上げるのも構わずエビルは剣を引き抜き、首へと振りかぶる。
ただ彼は黙ってやられてくれる相手ではない。
新たに空中で生成された光球が一つ迫って来る。
「爆発は効かな――」
風と炎のダメージは少ないため強引に突破しようと思ったその時。
エビルは気付いた。光球の色が赤ではなく黄であり、感じ取った効果は爆発ではなく――雷撃であったのだ。
電気が激しく迸ってエビルの体を感電させる。
体中に衝撃が奔り、痺れ、意識が朦朧としてしまう。
段々と視界が暗くなって見えなくなるまでそう時間はかからなかった。
不思議なことに暗闇の中でも意識は消えない。
遠くで微かな光が生まれ、仲間の声援が一人ずつ聞こえてくる。
本当はあるはずないのに背中を仲間達が押してくれた気さえした。
視界は開き、折れている黒傷剣を魔王の肩へと突き刺す。
「な、なにい!? 電撃を耐えた……そ、その右手は何だ! 何故風紋と火紋が同じ体に宿っている!? そもそも何故悪魔に秘術の紋章が宿っているのだ!? 秘術を扱う悪魔など世界の理から外れておるぞ!」
悪魔でさえ即死級の威力だったのは間違いない。たとえシャドウや邪遠などの上級悪魔でも戦闘不能になるだろうし、エビルだって体の痛みが酷い。それでも未だ戦えるのは仲間達から……大陸中にいる者達の感情が流れ込んで力となったからだ。
今も変わらず日常を過ごしている者達の感謝、幸福、怒り、苦悩、愛情。
嫌な雰囲気を感じた者達の不安、困惑、驚愕、興奮、焦燥、恐怖。
今の状況を理解した者達の後悔、諦念、絶望、期待、勇気、希望。
その他諸々ありとあらゆる全ての感情がエビルの中へ流れ込んでいる。
流れ込む感情の数だけ生きる者がいる。そう考えると負けられないという想いがさらに強くなり、意思の強さによって死の手前で踏み止まったのだ。この大陸に生きる人々の想いがエビルに戦い抜く力をくれた。
「悍ましい……何なのだ其方はああああ!」
本気の困惑と恐怖を抱いた魔王の右手がエビルへと伸びる。
届いてしまえば握り潰され捨てられる……が、浅黒い右手は届かない。
真下から純白のドラゴンが魔王の右肘に噛みついたのだ。牙が食い込み、引っ張られたことで右手の進みは完全に止められた。
「――人間のために戦う、悪魔の勇者さ」
エビルは黒傷剣を魔王の首へ突き刺し、柄を持ったまま首を一周する。
勢い余ったエビルは彼の首と共に地上へと落ちていく。彼の顔を覆う闇は最期まで晴れることなく、敗北からか苦痛と悲しみが感じられた。彼が地上を支配しようとしなければ話し合うくらい出来たかもしれないが既に遅い。
何はともあれ、これで魔信教の企みは完全に阻止出来た。魔王による恐怖の芽も摘み取ったので、アスライフ大陸には再び平和な時代が訪れるはずだ。
結果に満足したエビルは目を閉じ、今度こそ意識を失った。




