魔王復活
「……終わったんだな」
魔信教教祖が死亡したので確かに魔信教の脅威は消え去った。
平和を掴み取った、と言いたいが未だ魔王は存在している。これから復活するという難敵を打破しなければアスライフ大陸に平和な未来などやって来ない。倒さないと寧ろ悪化しかねない。
「まだでしょう。魔王を倒さなければ」
「そうね、にしてもいったいどっから来るのかしら」
「俺も分からん。封印されたものは誰の目にも見えん」
「……感じる。魔王の気配がこれなら、下から来る!」
濃密な気配が突如下階に出現して動き出す。
凄まじい強さが目にしなくても分かる。レミ達もエビルと同じく感じ取り、どこから攻撃が来てもいいよう警戒態勢に入って構える。
警戒をして正解だと悟ったのはすぐだった。
魔王と思わしき気配が途轍もない速度で動き、エビル達が今居る玉座の間へと下階の天井を突き破って来たのだ。粉塵と煙が舞って姿は不明瞭だが大きさは成人男性と変わらないように見える。やがて煙が晴れ、強大な気配の正体が視界に映り出す。
白髪の男性。瞳は赤く、エビル達を睨んでいる。
「あ、あれが魔王だってのか? でもあれ、人間じゃねえの?」
「わっかんないわよ。姿を真似てるとか、色々あるでしょ可能性は」
「仮にそうだとすれば急所は我々と同じ。寧ろやりやすいかもしれませんね」
セイム、レミ、サトリはやる気になって警戒を強めた。
白竜含めた四人と違ってエビルはごっそりとやる気を削がれた。
知っているのだ、あの白髪の男性を。瞳の色や気配が違っても大切な相手だったから分かる。彼は、彼の正体は……。
「――そ、村長?」
「――チョウソン、か」
まだ赤子だったエビルを拾い育ててくれた恩人であり、父親といって差し支えない男。どこかで生きていると小さな希望があっても死んだと認識してしまった相手、名もなき村の村長。白竜の言う通りチョウソンという彼は先代勇者一行の一人にして、リトゥアールと同じく不老の存在。
全く予想だにしなかった男の登場にエビルだけ混乱してしまう。
「え、あれ? どうして村長が……何でここに? 魔王はどこだ、化けている? でも見間違えるはずない。生きていた? なら何で……いや、何だ、何が起きてるんだ? 夢でも、見せられてるのか?」
「しっかりしろ! 来たぞ!」
白竜の喝で目が覚め、意識が正常に戻った。
隙だらけなのを見て仕掛けてきた魔王の拳を剣の腹で受け止める。しかし、咄嗟に動いたこと、あまりにも強大なパワーだったために壁まで殴り飛ばされた。壁に激しい亀裂が奔ったのが威力の証明。一応〈神衣〉使用状態のリトゥアールには及ばない程度だが強敵である。
どこかの内臓が破裂してエビルは「ごぶっ……」と吐血した。
揺らいだ視界にて、魔王はといえば白竜の殴打を華麗に躱して反撃。現在の仲間内で一番強い彼でさえ歯が立たずに殴り飛ばされる。エビルの傍に激突した彼は一瞬白目を剥いたがしっかりと立つ。
「……弱体化はしているが、この程度しか弱ってないのか」
「分からない。どうして村長が魔王なんだ。ねえ白竜、君は何か、知ってるのか」
彼はリトゥアールとも知り合いらしいし、チョウソンとも知り合いである可能性が高い。魔王の強さを把握していることからも決戦に参加したと考えるのが自然。実際に三百年以上生きている彼ならば何か知っているはずだ。
「ふ、信じられんが想像はつく。リトゥアールは封印に干渉してチョウソンと同調させたんだ。奴を器として扱い、中身に魔王を注ぎ込む。……意味はあるぞ。弱者を器にすれば魔王の強さをある程度は抑えられる。現に今の奴は〈神衣〉を使用したリトゥアールよりも若干弱い。……まさか封印に干渉出来るほど神の領域に足を踏み入れていたとは」
「生きてるの?」
「いくら中身が生きてても死体は動かせん」
その言葉を聞いた瞬間、エビルの中にあった迷いは晴れる。
生存を願っていた村長が生きているなら救いたい、救うために戦うことも厭わない。魔王から解放して共に日常を過ごすのを夢に描く。
育ててくれた彼に、旅に出るのを咎めた彼に、話したいことが山ほどあるのだ。
まずはどんなに無理難題でも挑戦しなければ始まらない。救済方法を知っているだろう者なら分かる、すぐにでも連絡が取れるため非常にありがたい。天井で見えないが空の方向を向いて叫ぶ。
「カシェ様! 村長を助けたいんです、何か方法はありませんか!?」
全てを見聞きしている神なら何かしら知識があるはずだ。
返答を待ち、異変に気付く。いつまで経っても返答が来ない。
「……返事がない。まさか、魔王が復活した影響なのか?」
「かもしれんな。仕方ない、チョウソンを救うのは諦めろ。奴もあの状態は不本意だろう、リトゥアールと同じように殺して救済すればいい。疲弊した今では、器から魔王を出すと勝ち目がない。大切な者を全て失うぞ」
「失いたくない……でも、何も失わないように足掻くのは悪いのかな? 僕にとって村長は家族なんだ。血は繋がっていないけど、種族も違うけど、それでも大切な家族なんだ。……僕は、諦めきれない」
「……そうか。貴様にとっての奴は、俺にとってのカシェ様のようなものか」
エビルが白竜と話していると何かが近くに飛来して壁にぶつかる。
猛スピードで飛んで来たそれらはレミ達三人だ。魔王を倒すつもりで攻撃していたが結果は返り討ち、三人纏めて吹き飛ばされたというわけだ。
「げほっ、きょ、協力すんぜエビル。何か方法があんならよお」
「家族を失う痛みは耐え難いものです。私も出来ることをやりましょう」
「アタシだって……! ちょっと白竜、何か方法はないわけ!?」
具体的な方法が明らかになっていなくても三人は協力する姿勢だ。
かけがえのない仲間達の想いに胸を打たれ、嬉しくなったエビルは「みんな……」と思わず声を零す。
「もう一度言う。器を助ければ今より魔王が本来の力を取り戻す、勝率が限りなくゼロになる。それでもいいのか? 俺達が敗北すれば世界平和は完全に消滅するんだぞ?」
魔王に敗北すればアスライフ大陸は闇に包まれる。
三百年ほど前の絶望的な状態に逆戻りする。
現状でも確実に勝てると言えない以上、抑えられた魔王を解放するのは愚か者のやることだ。万全のリトゥアールを超える実力を発揮されれば絶体絶命。世界平和が懸かった戦いで分の悪い賭けを行うなど正気ではない。
頭ではどちらが賢明な判断か分かっている。
分かっていて選べないのは、今立っているのが勇者ではなくただのエビルだからだ。勇者として相応しい判断が出来ないなら勇者の資格はない。今だけはただのエビルとして、名もなき村の一員として村長を救いたいと強く思ってしまう。
「上等! 要は負けなきゃいいんでしょうが!」
「……誰もが現実より、理想を追いかけるもの。可能性があるなら賭けてもいいかと」
「育ての親を失う痛みを俺は知ってる。一度でも辛えんだ、エビルにあの想いを二度も味わってほしくねえ。……安心しろ、どんな手使っても俺達が勝ってやる! 生かして救えるんなら救ってやろうぜ!」
「貴様等、正真正銘のバカだな。……迷う必要などない、か」
ため息を吐いた白竜は目を瞑る。彼の中で葛藤が強くなるのを感じた。
時間的猶予はあまりない。じっくり考えている暇がないため、彼が答えを出すのも当然の如く早かった。開眼した彼は全員の顔を見渡してから口を開く。
「――認めたくないことに俺もバカらしい。もし、俺が同じ立場なら迷わず生かして助けていた。その後がどうなろうとも、まずは大切な者の命を優先していた。……話そう、俺の知る対処法を」
神の従者である彼でさえ賢明ではない判断を選ぶ。
きっと誰だって大切で譲れないものがある。例え選択を間違えたとしても、果てしない苦難が待っていたとしても手放せない何かがあるのだ。誰もがその選択の時だけ愚者になる。
「秘術だ。魔を滅する力を持つ秘術なら、絶対ではないが器と魔王の繋がりに干渉して追い出せる。エビル、貴様なら干渉を感じることが出来るだろう。……だがな、そのためには奴の体に短時間だが触れなければならない。一度も失敗出来ない危険な賭けだ。失敗すれば命はないと思え」
圧倒的な実力を持つ魔王に触れなければ救えない。
失敗は死を意味するため一度しかチャンスがない。
「それでも、やるさ。やってみせる!」
怖気づいたりはしない。村長を救うためにエビルは迷わない。
「そうこなくちゃね! アタシ達はサポートに徹するわ!」
「……待ってください。魔王の動きが止まっています、なぜ?」
サトリの言う通り、戦闘において致命的なまでの時間を会話に費やしたのに魔王は動かなかった。普通の敵なら隙を突いて仕掛けてくるはずなのに全く動かない。言われて気付いたエビルはジッと魔王を見つめて、内面を感じ取ろうとする。
魔王の感情を調べようとしたが何故かチョウソンのものが流れてきた。
彼の心は怒りと苦しみ、焦りで満ちている。
体の支配権をかけて彼も精一杯戦っているのだ。
「村長も戦っているんだ。まだ魔王は村長の体を扱いきれていない、チャンスは今しかない。完全にコントロールを奪われる前に魔王を追い出そう!」
「貴様は好機まで準備して待機していろ。奴は俺達四人で抑え込む」
魔王が再び支配権を取り戻したため動き出す。
衝突する勢いでレミ達が向かっていき、エビルは言われた通りに全力疾走で近付く準備をしておく。万が一狙われて触れ続ける体力すら残らないほど追い詰められるのを避けるためだ。理解しているが傷付き続ける仲間達を見て心が痛む。
四人掛かりでも魔王と戦うのが精一杯で動きを止めるのは難しい。
何度も殴打や蹴りで吹き飛ばされては諦めずに立ち向かうレミ達。四人の援護をしたい衝動に駆られるが、援護の為に動けば覚悟を台無しにしてしまう。エビルはただ眺めてジッと耐えるしかなかった。
魔王の右手から赤い光球が生成される。
瞬間、エビルはそれがどんな性質を持つのかを瞬時に感じ取った。
頭の中でイメージが湧き上がり、脅威を伝えるために慌てて叫ぶ。
「それは爆発するぞ!」
「任せろ。〈白の咆哮〉!」
大きく開かれた白竜の口から純白の閃光が放射される。
極太の閃光は魔王へ到達する前に、赤い光球の爆発に阻まれた。爆発の炎が壁となり激しくぶつかり合う。強力な〈白の咆哮〉が押していると思ったのも束の間、爆炎が押し返して全方位へ広がる。エビルからは魔王の姿が視認出来なくなってしまった。
「今だ!」
「来てエビル!」
爆炎が晴れた先には驚きの光景が待っていた。
魔王の左腕を白竜とセイム、右腕をレミとサトリが押さえつけている。鬱陶しそうにした魔王が腕を動かそうとするが四人の拘束で上手く動かせていない。
待ちに待った好機。これを逃すわけにはいかない。
エビルは自身の出せる全速力で魔王との距離を縮めていく。
追い風などを利用した走行速度は音速を僅かに超える。圧倒的な速さだ、魔王へ触れるまで一秒もかからない。仲間がくれた好機を無駄にしないためにも全神経を研ぎ澄ます。
――そんな時、魔王が力尽くで拘束を抜けた。
両腕を力一杯に振って四人を左右へ吹き飛ばしたのだ。
次に両手を前に出して再び赤い光球を作り出す。凄まじい速度で生成されていくそれはエビルが近付く前に完成するだろう。仕方ないので迎撃に移ろうかとも思ったが……後ろから知っている風が吹いたため直進を続ける。
「――〈影の束縛〉」
赤い光球が作られたことで真下に影も作られた。
そこから細い縄状に影が伸び、魔王の両腕を締めつけて真上へ引っ張る。赤い光球も同じ方向へ動いたため危険は遠ざかる。
後ろを見る余裕はないが誰が来たかくらい分かった。なぜ手助けしてくれたのか不明だが今は考えても雑念にしかならない。チョウソンを救う方法以外を思考から切り離す。
エビルは無我夢中で走り、チョウソンへ抱きついた。
何とか魔王へ干渉しようと我武者羅に挑戦する。やり方など全く分からないので手探りだ。真上から降り注いぐ赤い光に照らされながら色々と試しているうちに、右手の甲にある竜巻のような紋章が放つ緑光が力強くなっていく。
「村長、帰りましょうよ……! みんなのところへ……!」
秘術とは魔を滅する力だが、魔王ほどに強大な存在だと滅ぼすことは難しい。
追い出すイメージで風の力をチョウソンへと流し込み続ける。今、彼の体内では秘術のエネルギーが絶え間なく駆け巡っているはずだ。拘束も長く続かないのを理解しているため焦りが強くなる。
「帰りましょうよ、一緒に! 話したいこと、いっぱい、あるんです!」
チョウソン内部での抵抗が激しくなるのを感じる。彼も必死に魔王を追い出そうとしているのだ、気持ちでエビルが負けるわけにはいかない。
アランバート王国へのおつかい前日までの村で過ごしてきた日々を思い出す。
怒られた時、笑い合った時、彼との生活で何も知らなかったエビルの心は育まれた。彼が拾って育ててくれたからこそ今の自分がいるのだ。
「……ねえ、まだ僕、ただいまって言えてないんだよ」
影の拘束にヒビが入り、砕け散った。
解放された両腕がエビルの背に回される。
こんな至近距離にいれば魔王に数秒もかからず殺されてしまう。早く離れなければいけなかったのに、チョウソンから溢れた安堵の感情で心が満たされる。不思議な安心が芽生えて大きくなっていく。
「――ありがとうエビル。そして、おかえり」
「それは、こっちの台詞だよ。村長」
途轍もない大きさのエネルギーがチョウソンから抜けた。
魔王は無事彼から追い出せた。先程まで感じられたものより段違いに強いため、倒すにはかつてないほどのパワーが必要だろう。涙を流して抱き合っている場合じゃないのに、不思議と手が離れることはなかった。
祝福とは違う赤い光が強くなる。
強く、眩ゆい光は徐々に拡大して魔王城を呑み込む。
抑えつけられていた膨大なエネルギーが自由になり暴れ狂う。
――途轍もない爆発が起きて魔王城は崩壊した。




