レミと邪遠
黒炎を纏う拳と、時折虹色に光る赤い炎を纏う拳がぶつかり合う。衝突の際、二種の炎は混ざり合って弾ける。水晶の紫光に照らされる部屋で火の粉が激しく飛び交う。
拳だけでなく蹴りも織り交ぜて、レミは同室にいる灰色の肌をした男と激闘を繰り広げる。何度も何度も高速の攻防を重ねる。拳がいなされ、カウンターで殴り飛ばされても諦めず、必死に強敵へ食らいついた。
渾身の一撃を男の分厚い胸筋にめり込ませて殴り飛ばす。
既に彼が着ていた黒ローブは焼失している。誰かからのプレゼントか、首に下げられた四角い銀色のお守りは不思議なことに燃えない。火の粉が何かに阻まれて触れられもしない。
「強いのは分かってたけど……自信失くしそうだわ」
全力の拳を叩き込んでも男は戦闘不能にならず立ち続けている。
そう、強者なのは今までで誰よりも理解している。側頭部から伸びている捻じれた角、聖火を受けても火傷一つない灰色の肌、人間離れした彼は種族的な意味で人間ではない。彼の正体は悪魔であり、エビルや白竜の話によれば先代勇者一行の一員。当時は人間だったらしいが今は悪魔で、人間の敵。
強さで言えば今までに戦闘した中で誰よりも強い。
特訓の際、白竜が手加減していたのは気付いているが、それを踏まえてもどちらが強いか分からない。少なくとも今のレミより肉体強度が高いことは覆せない事実だ。
「邪遠、こんだけの力があって何で人間のために使わないの!? 悪魔に生まれ変わったから、なんてつまんない理由ならぶん殴るわよ! あ、もう殴ったっけ。じゃあ――」
話を聞かずに邪遠が急接近してレミを殴り飛ばす。
両腕でガードしたものの重い一撃だった。堪えるつもりだったのに軽々と吹き飛んでしまった。壁に激突する勢いなので両手を後ろに下げ、聖火を放出することで速度を減少させ続けて止まる。話中での攻撃に文句を言いたかったが、すぐさま接近して拳を振りかぶってきたので回避に集中する。
灰色の壁は邪遠の拳を受けて三メートルほどのクレーターを作った。
信じられないことに彼は魔王城の壁を凹ませたのだ。材質不明だが強度は折り紙付き。炎で加速したレミの拳でもクレーターを作れるかどうかといったところ、作れたとしても精々拳サイズだろう。単純なパワーだと確実に押し負けるに違いない。
「今日は随分と無視決め込むじゃない! いつもはこっちが頼んでもないのにペラペラ喋るくせに、アタシの話無視してんじゃないわよ! 悪魔だろうが人間だろうが人の話はちゃんと聞きなさい!」
怒りのままにレミは聖火を放射する。
ただ、邪遠に炎系の攻撃はほぼ効かないのは確信している。単純に熱量が足りないのだ、聖火になってもまだ足りない。火力は以前より遥かに向上しているが彼の肉体に火傷一つ負わせられない。悪魔としての彼の肉体は超強力な熱耐性を宿しているのだ。しかしダメージはなくとも視界を遮ることは出来る。
聖火で視界を遮っているうちに駆けて邪遠へ拳を叩き込む。
「……あれ、あっさり殴れた? ちょっと気抜きすぎじゃないの?」
殴れたどころか容易に壁まで吹き飛ばせた。
今までよりあっさりと受けすぎて何かの作戦かと思ってしまうくらいに。
「……眩しい」
ダメージはありそうだが軽いものだ、邪遠は平然と立ち上がる。
「聖火か、眩しいな。俺にとっては、太陽よりも……」
「今日は初めて喋ったじゃない。だんまりは止めたの?」
「……ああ、目が覚めた。一応礼は言っておこうか」
僅かな沈黙の後に出た解答の意味はよく分からないものだった。嫌いな相手に礼を言われても嬉しくないので、レミは「いらないわ」と冷たく告げる。
「俺は洗脳されていた。が、貴様の聖火が洗脳を打ち消した。神性エネルギーとはいえ微弱なものだったのだろう。聖火でエネルギーが焼かれたのは予想外だったが」
「洗脳、ね。アンタ、それ自分の罪から逃げようって話じゃないわよね? ハイエンド王国の王族を皆殺しにしたのはアンタでしょ? サリーのこともあるし、洗脳されてたからって許されることじゃないわ」
ハイエンドの王族達の件はともかく、プリエール神殿にてサリーを殺したのをレミは直に見ている。操られていましただけで済む問題ではない。そもそも証拠がない以上認識は敵から変わらない。
「逃げる? いいや、逃げたことも、これから逃げるつもりもない。ハイエンドの王族達は裁くべき対象だからこそ裁いただけのこと。奴等は思考力を落とすうえ中毒性の高い薬物を製造し、ばら撒こうとしていたからな。俺が殺すのはそんな悪人ばかりだ」
「サリーも悪人だったって言うの?」
ハイエンド王国の詳細を今確かめる術はない。魔信教の一件を片付けてから、ハイエンド城内などを徹底的に探索すれば手掛かりは残っているかもしれない。だから今はそれを信じるとしても、彼の言う通りならサリーも同等に悪だったことになるのが気に入らない。
サトリの妹であるサリーは確かに魔信教に味方した。
姉に歯向かい、殺そうとしたのは消せない事実。だが結局最後は改心して闇から抜け出せたはずだ。今後は闇に堕ちず神官として正しく生きられたはずだ。これから未来を生きようとした彼女をサトリの目前で殺したのは、どう正しいと説明されても納得しないと断言出来る。
「……あの女か、あれは……悪かったと思っている。後悔したさ、悪夢を見るくらいに。……だが、奴が心臓の代わりにレッドオーブを使用していたから殺すしかなかった。大方リトゥアールが取り替えたんだろうが、力を望んだのは奴自身。あの結末に文句を言わんだろう」
「あっそ、じゃあしょうがないなんて言わないわよ。何言おうとアンタはぶっ倒す」
後方に手を伸ばして聖火放出により移動。あっという間に間合いへ入ったレミは回転蹴りを放つも、邪遠は涼しい顔をして躱す。距離を取られる前に殴打と蹴りで連撃を放つがそれも躱される。
「強くなったな、レミ・アランバート」
「アンタみたいな奴をぶん殴るためにねえ!」
聖火の放出で体の動きをコントロール。空中で回転して再び回し蹴り。
腕でガードされたが、遠心力により威力を高めたおかげで邪遠を蹴り飛ばせた。
「俺はエビルや貴様のように強くなれる秘術使いの誕生を待っていた。俺に協力しろ、レミ・アランバート。世界の平和を守るためなら文句はないだろう」
それから邪遠は計画を語り出した。
悪魔王や七魔将といった悪の存在。神性エネルギーが打倒に必須なので秘術使いの力が欲しく、行ける範囲で捜し回っていること。そして力及ばず成長の見込みがない者は殺し、新たに秘術使いを生まれさせること。必要な人材が集まるまでそれを続けること。
語られた内容はレミを納得させることなく、苛立ちが増すばかり。
拒否の意を込めて「大有りよ!」と叫びながら彼を殴り飛ばす。
「アタシ、平和を誰と守るかは決めてんのよ。夢物語かもしれないけど、愛する人となら全部守ってみせるわ。魔信教だろうが魔王だろうが悪魔王だろうが全部アタシ達が倒す! そのために強くなったんだから、意地でもやるわ」
「夢物語と理解していながら何故頑張る? 何故俺と協力しない?」
「アンタのやり方が気に入らないの! 犠牲を必要として手段を選ばない、もっと良い方法を探りもしない。……エビルのやり方は甘いけど最善を尽くしてる。アタシはアンタよりエビルのやり方が好きだから」
「……どうしてもか?」
再度確認されるがレミの答えは変わらない。
意思が固いことを思い知ったようで邪遠は肩を落とす。
「残念だ。せっかく見つけたというのに……また、殺す羽目にはるとは」




