神官として
魔王城三階の広間にてサトリは離れて立つ女性を睨みつけている。
グラデーションの綺麗な青紫の長髪は同じ女性として手入れが完璧だと分かった。肌も、何もかも一級品。黒い神官服を着た彼女こそが魔信教教祖を務めているリトゥアール。彼女の話をエビルに聞いた時から胸中で怒りが燻っていた。
「あなたとは初めましてになりますね。魔信教教祖をやっているリトゥアールです。私は一方的にあなたをプリエール神殿で見かけたことがありますが、わざわざ話すほどではないと思いスルーしました。ああ、妹さんのお悩みは聞いて差し上げましたけどね」
話を聞くに彼女はプリエール神殿に一度訪れている。
目前の巨悪の存在に気付けなかった自分にも腹が立つ。
「……そうですか。なぜ妹が魔信教に味方しようとしたのかずっと引っかかっていましたが謎は解けました。邪遠が妹を殺したのはあなたの指示ですか? だとしたら私は、仲間に止められても殺しますよ」
「妹さんの件は残念です。あれは彼女が欲張ったから起きた悲劇。いえ、それだけではありませんね、迎えに邪遠を送ったのが間違いだったのかもしれません。彼女の状況は彼にとって毒だったでしょうから。そこを踏まえれば私が間接的に殺したとも言えます。生きてさえいれば使ってあげられたのに」
「使う? 妹は、サリーは道具じゃない。あなたにとって魔信教の者達は道具なのですか? 彼ら彼女らだって意思がある人間。組織の上がそんな考えでは今日滅ばずとも長く続かなかったでしょう」
今聞かされた妹の件も怒りの燃料にはなる。ただ怒りの元は妹の件と関係ない。
魔信教の構成員達に対する扱いや思いに怒りは抱かない。どれだけ言い繕っても異常者の集まりだ、憐れむことすら難しい。同情するのはエビルのように甘く優しい者だけだろう。
「今日で滅ぶ? ああ、ええ、魔信教は滅びるかもしれません」
大した感情も込められていない言葉でサトリは呆気に取られる。
「……随分とあっさり言いますね」
「ですが私は滅びませんよ。私の目的は聞いていたんじゃありませんか? 魔王を復活させて人々に平等な苦しみを強いる。誰一人楽は出来ず、他人を助けられない。そんな世界を創った後は魔信教など不要な手駒ですよ」
「救いのない世界ですね」
「有象無象にとっては、ね。本当に救われるべき人間はこの世に生まれ利用され続ける英雄達。彼らが救うのではなく、救われる。人々の善意悪意から解放される。とても素晴らしい世界にこれより生まれ変わるのです」
人間の善意と悪意についてはサトリも思うところがある。
先代風の勇者など過去の英雄達は実際に見て触れただろう底知れぬ善悪。
悪意は当然として、実は善意も誰かを傷付ける刃物となり得てしまう。さらに言ってしまえば真の善意を持つものなど少なく、裏のある偽善がこの世で一番多い。きっと英雄達はそういった人心にショックを受けたはずだ。
リトゥアールの創ろうとしている世界はそれらが排されたもの。
正確に言うのなら誰もが他人に干渉する気も起きない苦に塗れた世界。
いっそ黄泉に行った方がマシだ。もしかすれば意思弱き者から自殺していくかもしれない。ちゃんとそこまで考えているのか内面を知らないサトリは分からないが、これだけは分かる。リトゥアールの渇望した世界は存続せず滅亡する。
人間への復讐を掲げる彼女からすれば願ったり叶ったりだろうが。
「私は怒っています。何故か分かりますか?」
「はい? はあ、まあ、意見の違いが原因なのでは?」
「違います。意見の食い違いなどよくあること、私と仲間ですらすれ違うことがある。……私が怒っているのは、あなたが神官という立場にありながらこのようなことをしているからです。神に仕える我々が悪以外を殺すなどあってはならない」
そう、サトリの怒りの原因はそこだ。
リトゥアールが神官だという事実を聞いてからずっと怒りを燃やしている。
「私は今も昔も神官があまり好きになれませんが、この仕事に誇りを持っています。悪を挫き、弱き者を手助けする。秩序と平和を守る重要な仕事。……なのにあなたは真逆のことをしている、それが許せない。昔はともかく今のあなたの有様は神への反逆者と言ってもいい。どの神を信仰する宗派か知りませんが、自身が信仰する神に申し訳ないと思わないのですか?」
過去、奴隷商へと売られそうになってから神官は憎い。今でも憎い。
件の神官を反面教師として、内部から改革するため大神官にまでなった。周囲の者達をあまり好いておらずとも仕事内容は段々好きになる。ゆえに特に嫌う対象は仕事に不真面目な者達であった。
水上都市ウォルバドで会ったアズライも当初嫌っていた。
しかし彼女はやる気がないように見えて仕事はわりとしっかりやる。普段の生活態度はクズの一言に尽きるが、嫌わなくなった要因は彼女の仕事の成果だ。意外とあれで困っている者には手を差し伸べる性格なのである。
リトゥアールはどうだろうか。考えるまでもなく最低だ。
過去がどうであれ現在の彼女は人類の敵と言っていい存在。神官の風上にも置けない犯罪者。何の神を信仰するにせよ神々は彼女の生き方を嘆いているだろう。
「神、神ですか……。私も以前はあなたのように純粋にカシェ様を信仰していました。でも今は、分かりませんか? 今の信仰対象は組織の名前が物語っているでしょう」
「魔王を信仰する宗教、魔信教ですね。カシェ様が悲しみますよ」
「これからの世界は魔王が神同然なのでね。知っていると思いますが既存の神は人類を手助けなどしてくれません、あくまで己の利益のみで動く利己的な存在。居ても居なくても……いえ寧ろ消えてくれた方が有難いくらいです。ああ、それとあの御方は我々がどうなろうが悲しまないでしょう。離れて見えるものも意外とあります」
「神への侮辱は仕える神官の侮辱も同じ。私は神官として、巨悪と成り果てたあなたを討ちましょう。そして魔王もいずれ我々が打倒してみせる! 今日が魔信教終焉の日です!」
灰色の柱が何十本もある広い部屋をサトリが疾走する。
錫杖を構え、同じく構えたリトゥアールへと振り下ろす。
さすが数々の強者を従えているだけあって彼女は強い。腕力に自信があったサトリよりも遥かに力が強い。力比べが無駄だと悟ったので何度も何度も錫杖を振るう。
振るっては防がれるの繰り返し。全力で攻撃しているにもかかわらず、防御に徹している邪神官からは余裕が伝わって来る。涼しい顔をして防ぎ続けられると力の差がはっきりと分かってしまう。
諦めずに猛攻を続けていると、攻撃と攻撃の間にある一瞬の隙を突かれて錫杖で殴り飛ばされた。強力な反撃によって壁付近まで吹き飛んだサトリは静かに着地して、殴られた脇腹を擦りながら苦痛に顔を歪めた。
「今の攻防で実力差は理解しましたか? あなたでは私に勝てませんね」
「……ええ、確かに今の私では分が悪い。でも、これならどうです」
両目を閉じて静かに祈りを捧げる。
自然と一体化するような祈りはサトリに変化をもたらす。
青と白を基調とした神官服の上に、襟の長い純白のコートのような衣服が出現した。さらに彼女の周囲数センチ程度がぼやけていた。開眼した両目は変色して黄金になり、神々しい光が宿っている。
「〈神衣〉。覚悟しなさい、これが神の御力!」
先程よりも素早く接近して錫杖を振るい――再び殴り飛ばされて壁にめり込んだ。
肺の空気を吐き出してしまうなか、何とか冷静さを保ちリトゥアールを見やる。
彼女の服装は襟が長い純黒のコートへと変化していた。さらに周囲数センチ程度がサトリと同じくぼやけていた。
両目は闇が絶え間なく蠢いているような暗色。全てを呑み込む闇そのもの。
「言ったはずです。あなたでは、私に勝てないと」
変質しているが彼女は紛れもなく〈神衣〉を使用していた。
神性エネルギーを鎧のように身に纏う〈神衣〉はカシェから教えられたもの。誰でも出来るわけではなく、神性エネルギーはカシェ本人が与えてくれるので認めてもらう必要がある。そう、少なくとも目前の邪神官に使えるはずがない。信じられない気持ちから「バカな……なぜ……?」と声が漏れ出る。
「驚くことはありません。私も過去、あの御方から神性エネルギーを頂戴した身ですから、扱えても不思議はないでしょう。まあ少しエネルギーが変質していますがこれも〈神衣〉です。……これで条件は同じ、あなたの勝機は皆無」
「カシェ様が、あなたのような者に与えたと言うのですか?」
「昔は私も勇者の仲間でしたから。あの御方も人の変化まで予想出来ません。あるいは、予想していたうえでこの力を渡したのか……。ふふ、どちらでしょうね」
めり込んでいた壁から床へ下りたサトリは動揺したものの、まだ〈神衣〉が解除される程の感情が動いたわけではない。一度〈神衣〉が解けてしまえば、再使用までリトゥアールは待たないだろう。激しい実力差がさらに広がるのは敗北確定のようなものだ。心の揺らぎで解除されるなど絶対あってはいけない。
現況でも実力差は相当なものだがサトリはめげずに立ち向かっていく。
必死の猛攻もあしらわれる。反撃を受ければ一撃で意識が飛びそうになる。それでも何度も何度も貪欲に勝利を求めて攻撃を仕掛ける。
数十、数百と積み重ねた攻防の末。ついにサトリは膝をついてしまう。
激しく息を乱し、ぼやける視界でリトゥアールが歩み寄るのを確認した。
「終わりです」
冷たい声を発した彼女の錫杖が振り上げられる。
純粋な暴力。間違いなくその一撃を受ければ命は散るだろう。
死を目前にして恐怖で目を閉じるのはよくあるが、命の危機に瀕したサトリは真っ直ぐに見つめていた。
もちろん死は怖い、恐れの感情が欠如しているわけではない。
ただそれよりも怖いのが元凶を討てなかったせいで誰かが苦しむ未来。自分に出来る最善は尽くしたが世界にとっての最善は程遠い。何も残せず殺される無力感が嫌と言う程に現実を突きつける。
しかし最後の最後までサトリは諦めない。
死ぬのならその前に一撃でも入れてやりましょう、と瞳に覚悟を宿す。
「――終わらせねえよ」
錫杖が振り下ろされた瞬間、見覚えのある大鎌が邪魔をした。
リトゥアールが視線をサトリの後ろへと向ける。
「……死神の末裔。……それに」
「〈白の咆哮〉!」
純白の閃光がリトゥアールへ直撃。
白光が徐々に消えると、遥か後方へと吹き飛ばされた彼女の姿があった。
仲間が駆けつけてくれたのは大鎌が見えた時点で理解している。一対一では到底敵わないが三人掛かりなら勝敗は分からない。勝負はこれからだ、サトリだけ休んでいるわけにはいかない。心強い仲間が来てくれたのをきっかけに深く呼吸し、もう一度足に力を入れて立ち上がる。
「おやおや、これはこれはお久振りですね。白竜」
「黙れ。貴様、カシェ様から頂いた御力を不気味なものにしやがって。且つての勇者一行とはいえ容赦せんぞ、万死に値する。黄泉で己の愚行を悔いるがいい」
「三対一。これは、本気を出さなければいけませんか」
不利になったと思えない強気な声が再開の合図。
サトリ達が同時に駆け出して再び激闘が幕を開けた。




