突入、魔王城
第一部 最終章
魔王城二階。研究室。
卵のような形をした大きな容器の中に人間が浮かんでいる。
容器内は赤い液体で満たされており、白髪の男性は呼吸をしていない。
「もうじき、エビルが仲間と共にやって来るでしょう。結果的にあなたを騙すことになってしまいましたね。死んだと思い込んでいたため悪気はなかったんです、本当ですよ?」
黒い神官服を着た女性が容器に手を触れてそれを眺めていた。
容器に入っている男性の生命活動は停止していない、意識がないだけでちゃんと生きている。そもそも死なれると彼女の計画に利用出来ないので困る。
「彼は世間一般に言えば立派に育ちましたね。悪事を許さず、他者を思いやり、しっかりと自分を持っている。……あなたもビュートが悪魔に改造された子供の面倒など見たくなかったでしょう。よくあそこまで育てられたものです、感心しますよ」
ピクリと、白髪の男性の指が動く。
「おや、無意識でも会いたいのでしょうか? ですが私が求める新時代に彼のような者は不必要。安心なさい、彼を黄泉へと送った後、あなたも速やかに送られるでしょう。その肉体は今日より魔王のものとなるのですから」
白髪の彼は器。魔王の魂の入れ物にすぎない。
一つの肉体に二つの魂を宿せば壮絶な奪い合いが起きる。だが彼に魔王から肉体を守る力などありはしない、それは共に旅をしたことがある女性が一番分かっている。最後の最後まで戦闘力という点では遥かに劣っていたのだから。
「偽りの親子生活は黄泉でごゆっくりご堪能ください。では、よい夢を」
時間だ。黒い神官服を着た女性は研究室を後にした。
* * *
ライゼルシア山脈の上を白きドラゴンが飛んでいる。
背に乗るのは勇者一行。今代の勇者エビル・アグレムは白いマフラーを口元まで上げて「寒い……」と呟く。それもその筈、ライゼルシア山脈は降雪が非常に多く気温が低い。いくら環境の変化に対応力がある悪魔でもそれなりに影響を及ぼすのだ。
「……中々、厳しい気温ですね。徒歩だったらどうなっていたことか」
一番後ろに乗っている白と青を基調とした神官服を着た女性が呟く。
プラチナブロンドの長髪は若干凍っている箇所もあり、錫杖を持つ手も震えている。ドラゴンの背に乗る四人の中で唯一耐性がないため一番辛いのは彼女、サトリだろう。
「おいおい、俺が人肌で温めてやろうか? 密着すれば温まるぜ?」
黒髪褐色肌の少年、セイムが首を捻ってそんなことを言う。
衣服は黒いボディースーツとマントだけなので寒そうだが問題ない。彼は昔存在していたとされる死神の末裔、人間ではない。種族の違いか平気そうなのはそれが理由だ。
「アンタじゃ身の危険を感じちゃうでしょうが。密着するならアタシにしなよサトリ、体温とか自在に調整出来るから温かいよ。何なら火でも出してあげよっか」
赤い短髪の少女、レミが心配そうに告げる。
袖がなく脇まで見えている上衣に加え、下はミニスカートなので彼女の方が寒そうだ。しかし人間とはいえ火の秘術使い。火を操る能力を持っている彼女は気温変化に強いので平然としている。
サトリが「ありがとうございます」と礼を言って本当に密着した。レミが両手から出している火に手を翳して身を温めているのを、セイムは羨ましそうな目で見ていた。
三人のやり取りを聞いて笑みを浮かべたエビルは前方の建物に気付く。
「……あれが、魔王城」
山脈に存在している窪み。大きなクレーターの中心に聳え立つ建物、それは灰色のブロックが積み上げられて造られている城だ。
頂上には破れた旗が掲げられている。旗に描かれている、太陽を両手で包み隠すような絵はどこか見覚えがある気がしたがすぐに頭に出て来ない。過去、幼い頃に見た記憶は確かにあるのに、あれが何だったのかまで奥底から引っ張りだせない。
「あの旗に描かれている模様。あれは魔王軍の印ですね」
「そうか魔王軍の! どこかで見た記憶があったけど、子供の頃に絵本で見たんだ。風の勇者の活躍を記した絵本。懐かしいけど何だか複雑な気分だな」
サトリの言葉でエビルはいつ見たのかをようやく思い出せた。
今、風の勇者が訪れた決戦の地に実際に訪れようとしている。平和を掴んだはずの場所は再び悪の根城となり、今一度平和を掴むために。
魔信教教祖は人が愚かだと言った。ならば、手にした平和を放棄する教祖も愚かなのではないか。あの発現は自分含めてのものだったのかもしれない。もっともエビルからすれば愚かなのは人だけではない、全ての種族が欲を持ち、愚かさを持つと思っている。教祖に会えたらそれを伝えるつもりだ。愚者とは人間だけを指すのではない。
「城の前に降りるぞ。しっかりとしがみついておけ!」
白きドラゴン、白竜が灰色の城付近へと降下していく。
巨大なクレーターに降り立った彼は白光に包まれ、徐々に人型へと変化する。本人にそのつもりがあったのかは不明だが落ちたエビル達は冷静に着地した。ズザッと音はしたが微々たるものだ。
山脈の不自然な窪みはいったい何が原因で作られたのか。同じ疑問を持ったらしいサトリが、長く生きているという理由で白竜へ問いかける。彼の話によれば魔王と風の勇者の戦闘が原因だという。上から見下ろしたところ五キロメートル以上ある巨大な窪みだ、いったいどれほどの力が衝突すれば作られるのか考えたくもない。
そんな話をしていた頃、魔王城からぞろぞろと人間が百人近く出て来た。
黒いフード付きローブに身を包む者達は魔信教の構成員だろう。すでに臨戦態勢に入っており、各々武器を構えている。一人一人が手練れだ、ヤコンに近い実力を持つのがエビルには分かる。
「へっ、客の歓待ってか? 随分と準備いいじゃねえか」
「嫌な歓待もあったものですね。無人機械竜には遥かに劣りますが人数が多い、厄介なことに変わりありません。残る強敵相手に力は温存したいところですが……」
「なら貴様等は先に進め。道なら俺が切り開いてやる」
エビルは「白竜?」と彼の名を呼ぶ。
彼の協力は魔王城到達までだったはずだ。カシェの命令なのか、それとも自分の意思なのか彼は戦闘に参戦しようとしている。予想外だったのは全員だったらしく視線が集中する。
「意外そうな目をするな、俺だって命令なしに動くことはある。いいか、シャドウ、邪遠、リトゥアールの三人は今の貴様等でも勝てるかどうか分からん。体力を残しておかなければ死ぬことになるぞ。ついでに魔王復活にも気を配らなければならんから死者はなるべく出すなよ」
「……うん、そうだね。面倒な役をやらせてしまってすまない、ありがとう」
「安心しろ。雑魚共を蹴散らした後はそちらの応援に行く」
百人以上の魔信教構成員が武器を持ったまま駆けて来る。
白竜は大きく息を吸い込み、体を仰け反らせてから勢いよく顔を前方に突き出す。人間と変わらない大きさの口から閃光が放射された。細い閃光が瞬く間に極太へと成長して構成員達を呑み込み、魔王城入口から内部へ侵入して魔王城一階を白光で照らした。
「これが俺の〈白の咆哮〉。死人はおそらく出ていない」
白光が収まると何十人という人数が一瞬で地に伏せていた。
城は無傷だが、地面には直線状の抉れた跡が残っている。倒れている者達の生命反応は僅かに残っているように感じられるので確かに生存している。具体的な強さを知らなかったエビルは白竜に驚きの目を向ける。
凄いなと内心で感嘆した後、笑みを浮かべて前を向く。
「行こう、最後の決戦へ!」
エビル達が疾風のように駆ける。構成員が攻撃しようと武器を振るうが、それは全て白竜一人に阻止されて殴り飛ばされている。魔王城入口まで辿り着いたらエビル達はそのまま侵入して、白竜だけは立ち止まって外の敵へと振り返る。
「まさかあいつが協力するとはね。神様からの命令なら納得出来るんだけど」
「何にせよありがたいじゃないか。彼の実力なら安心して任せられる」
魔王城の広い一階を駆け抜けて二階へと上る。
階段を上りきるまで敵なんてものはいなかった。外で白竜と対峙しているのが構成員のほとんどだったのだろう。だが全くいないわけではなく、三階へと上がるための階段の横に老人が一人待ち構えていた。
「ようこそ、魔信教本拠地へ」
「……ガクガン」




