レミの苦悩
レミ・アランバート。その名前を付けられた瞬間に王家の血筋としての道が出来上がり、それ以外の道は途絶えた。
レミは幼い頃から政治、魔物、歴史などの様々な知識を教えられたがそれしかない日々に退屈していた。自分で決めることは出来ずに親に決められる人生、将来おそらくは別の国の権力者と結婚して国の架け橋にでもされる運命。次女であるがゆえ女王のスペア――本来ならそうなるはずだった。
この世界には神から与えられたと言われる力、秘術というものがある。
風の勇者だけ知名度が高いが秘術というのは風、林、火、山の四種類が存在している。その内レミが生まれつき持っていたのは火属性の秘術。
火の秘術は炎を無から生み出すことが出来る危険な力であり、同時に聖火をシンボルとするアランバート王国では素晴らしいと絶賛される。しかしレミにとってそんなもの何の価値もない。
秘術使いは世界に四人。その力を悪用しようと企む者達がいないとは言い切れず、先代アランバート王の命令で城から出ることを禁じられてしまう。
そう、秘術はむしろレミの枷となってしまった。どこかに嫁ぐ心配がなくなったとはいえ、本当の自由は全て秘術に奪われてしまったのだ。
束縛の言葉を吐いた父は一年前に他界し、現在はレミの姉であるソラ・アランバートが女王として国を治めている。それを機に自由になるかと思いきや、国の経済や政治を支えるデュポンを筆頭とする大臣達が外に出ることを認めなかった。レミがデュポンを毛嫌いする理由はそこにある。ソラの計らいで城下町には護衛付きで行けるようになったが、根本的なところは何も変わっていない。
檻と化した国からは出ることなど出来ず、王族としての役目も果たせず、置物と化したレミは火の秘術を持ってしまった自分に凄まじい嫌悪感を抱いている。そして現状を作り出した父やデュポン達に多少の恨みを募らせている。
「あーもうっ、ムカつくムカつくムカつく……!」
王城の三階。謁見の間の近くにはレミとソラの部屋がある。苛つきを露わにしているレミはそこを目指し、メイドなどの使用人達に避けられながらソラの部屋へ向かっていた。そして辿り着くとノックも躊躇もなしに扉を開けて足を踏み入れる。
「姉様! あいつムカつく!」
「ひゅいっ!? ちょっ、ちょっとレミ、ノックしてから入ってって何回言えばいいの。ああ、乱暴に扉閉めて……また壊れちゃうわよ扉……あいつって、デュポン大臣のこと?」
中にいたのは当然レミの姉であるソラだ。
苛ついている妹の事情を大雑把に察したソラは困り顔で問いかける。
「そうよ! アタシを持ち上げてエビルのこと見下すし、ほんっと余計なことしかしないんだから! なんであんな奴が大臣なのよ……!」
「あの人はお父様が王だった頃から大臣だったからね。まあ、私もまだまだ一国を治める者として未熟だから、大臣達のサポートには色々助かってるのだけど」
乱暴に向かい側の椅子に腰を下ろすレミは、ソラから一応ささやかながらデュポンの援護をされるが心境に変化はない。むしろ怒りが増すばかりで収まる気配がない。
足を組み、小型テーブルに頬杖をつきながらレミは愚痴を零す。
「あいつが城下町より外へ出るの許してくれないから、アタシこの十七年間ずうっと景色を眺めることしか出来なかったのよ。あのデブ、変な髭、デブ、肥満」
「まあまあ、デュポン大臣だって色々考えがあるんですよ。彼はこの国のためにずっと動いてきた人なんですから、そんな幼稚な陰口を言わないであげてください。お父様がお隠れになってからレミは城下町に出られるようになったんです。きっといつか自由になれる日が来ますよ」
テーブルに置いてあったお茶を一口飲んでソラは告げる。
なぜ姉がデュポンを援護するのか理由はとっくに分かりきっている。レミだって彼が父に仕えていた時から国のために一生懸命働いているのは知っているのだ。冷静に考えれば彼は何も間違ったことを言っていない。
火の秘術使いであるレミが外出すればどんな危険があるだろうか。
怪我して保護されただけの村人が王族に敬語も使わず話してもいいのか。
彼は正しい。そんなことはレミだって分かっているのだ。とはいえ正しいことだけ言っていれば良い結果になるというわけではない。誰かのことを傷付ける可能性だって大いにあるのだ。
「その自由が、いったいいつ来るのかって話でしょ」
「確かに長いかもしれません。ですがレミ、今のあなたの状態だってかなり自由に近いと思いますよ。言葉遣いも、兵士に交ざって訓練しているのも、本来なら許されるわけがないのですから」
「そりゃそうだけど……」
ソラの言うことも事実。レミの現状は王族というよりも秘術使いとして扱われる。
丁寧な言葉遣いをしなくてもいい。強くなるため兵士の訓練に参加してもいい。服装も美しいドレスなどではなく、平民が着るような平凡な衣服を着用していい。護衛付きとはいえ城下町に出掛けていい。
確かにある程度の自由はある。本来なら王族の立場があるので今の生活を続けていられるはずがない。それにいい顔をしていないが黙認してくれていることにはレミだって感謝している。
「でもさ、アタシだって他所の国とか行ってみたいんだよ。砂漠の国のホーシアンレースとか、荒野にあるプリエール神殿とか、水上都市ウォルバドの綺麗な風景とか……知識として知ってても実際に見に行けないじゃん。姉様は王族だけど、秘術使いじゃないから外出出来る。外交とかだとしても、他の国の権力者との食事会や会談だとしても、色んな場所に行ける姉様が羨ましい……」
「……王の立場というのも窮屈なものです。私からすればレミの現状でも羨ましく思えますよ。結局私達は、互いに出来ないことが出来る立場に憧れているだけなんです。……とはいえ、レミの現状をよしとはしていません。私だって姉妹で他国へ赴いたりしたいものですから」
「ほんと、いつか行けるといいよね。あー、二人でもいいけど、ヤコンとかエビルも誘いたいかなあ。みんなでっていうか、多い人数行ければ楽しそうだもんね」
「ふぅーん、噂のエビル君ね」
にやにやと見てくるソラにレミは顔を赤くしたうえ慌てて叫ぶ。
「ちょっ違うからね! 友達だから誘おうと思ったのよ、友達だから!」
今まで友達が出来なかったからか、初の友達が異性だったからかソラは過剰に反応している。ヤコンや兵士団の男達と仲良くするのとは違う対等な関係。そのうえ異性なのだから勘違いする気持ちもレミは分からないわけではない。
「分かっていますよ、まだ友達ですもんね。レミが仲良くなれた特別扱いしないエビル君。私も一度話をしてみたいと思っているので今度紹介してくれませんか?」
「こ、今度ね。明後日辺り紹介してあげるわよ」
「あら、今日は城の案内をしていたと聞いたから仕方ないけど、明日ではダメなの? 何か先約でも?」
「まあそんなとこよ。明日は一緒に体を動かそうって約束してるから」
今日は中途半端で終わってしまったが明日は違うとレミは自分に言い聞かせる。
庭に出た時にした訓練場で体を動かす約束。出来れば全力で戦いたいと思っているので終われば疲れきっているだろう。早くから行うので開始前は時間的に厳しいし、その後は体力の限界なのでエビルにも酷だろう。もちろんレミの想像通り息切れするまでやればの話だが。
「では明後日を楽しみにしておきましょう。まあもしかしたら自分から会いに行くかもしれませんけど、一応はレミからの紹介を待っています」
「むぅーちゃんと待っててよね姉様」
姉妹の話はそれから盛り上がりを見せ、世間話を始めては長引く。
立場が違う者同士の仲良し姉妹による談笑は夜、就寝するまで続いた。
* * *
王城一階の休憩室。怪我人などを運び休養させるのを目的としたその部屋にエビルはいる。
レミが案内を強制終了した後、エビルはひと悶着あったドランを探して城内を回った。だが避けられているかと思うくらいに見つからず、諦めた現在白いベッドに寝転がっている。
「シャドウ、起きてるか」
『睡眠なんざしねえからな。いっそ拷問染みた時間だぜここでの日々は』
「そいつは良かったよ、お前は村で殺したみんなの分苦しむべきだ。まあそれは置いておいてお前はいつ僕の中から出ていく?」
回復のためだとシャドウは告げていた。ならいつか完治して、また戦う時が絶対に来る。早く出て行ってほしいとも思うが早すぎても勝ち目がない。胸の中がモヤモヤとする気持ちはエビルの感情に波紋を広げている。
『ククッ、いつになるかな。なにせお前が真っ二つにぶった斬ってくれたもんだから、思いの外再生に時間がかかっててな。この分じゃ当分先だろうよ。なんだ、俺をそんなにぶちのめしたいか』
「当たり前だろ。……でも反面、殺したくないと思う自分もいる」
煮え切らない態度が癇に障ったのかシャドウは『は?』と呟く。
目覚めて自分だけが助かったのを知った時、エビルはどうしても彼を許せない程の怒りを抱いた。しかし今、落ち着いてくると復讐するにあたって殺すことに正義を感じない。怒りは収まっていないはずなのに、彼にも何か事情があったのではと無駄なことを考えてしまう。
子供の頃からエビルは少し他人と違っていた。
お気に入りの玩具を壊されても相手を憎まず、やり返そうという気持ちすら湧いてこない。何をされても言われても結果は同じ。怒りや敵意はあっても、それに身を任せて攻撃しようと思った相手は彼が初めてである。
『はっ、おいおい、俺に事情があったらとか考えるなよ。俺達は敵同士、互いに殺し合う仲じゃあねえか』
「そうだね、敵同士だ。でもお前に事情があるというなら今後は分からない。僕は捨て子なんだ。記憶だって朧気な部分が多い。そんな僕や、会ったこともない親が何かした可能性だって否定は出来ない。もしも僕を恨む正当な理由があるというのなら構わず言ってほしいんだよ」
『気持ち悪いことをほざいてんじゃねえぞ搾りカスが!』
突然の罵倒にエビルは「なっ」と驚く。
『何だ何なんだお前は! 大切な人間を殺されて故郷燃やされて、俺に吐く言葉がそれか!? 信じられねえ、思考回路がイカれてんのか!? やっぱり実際に会って話したら不愉快な奴だよ。お前なんざ、あの時迷わずに殺しておきゃよかったぜ』
思考回路がおかしいと彼にだけは言われたくなかった。エビルだって怒っているし憎んでいるつもりだ。今はあまり表に出せていないだけで、内心ではちゃんと彼への敵意が残っている。
『ちっ……お前は俺から全てを奪った。それだけだ』
まだ眠くないため正常な思考だが当然エビルに心当たりなどない。だが悲痛に感じる声はどこか同情してしまいそうで、ソル達の敵という側面から来る怒りとぶつかり合う。
「……そうだよね、僕達が無関係なわけがない。だから教えてくれ、僕とお前の関係性を。そうやって憎む具体的な理由を」
『憎しみ? 違うね、俺の感情はそんな程度の言葉で言い表せるようなもんじゃない。強いて口にするなら邪悪ってのが一番的確さ。それにな、今教えても面白くねえんだよ。人間のフリしたサイコ野郎のお前に教えてもよ』
ベッドに横になったままエビルは目を閉じる。
いつまで待っただろうか。眠気も、シャドウが過去を教えてくれる時間も、どれだけ待ってもやってこない。
気温が低くなり冷える夜。エビルはいつまでも待ち続けた。




