ウォルバドの神官
帝国の街並みを歩く男女が二人。
二人は普段通りに観光を進めている、ように傍からは見えるだろう。しかし両者の心に観光の文字はない。代わりにあるのは返事の文字だ。
男、セイムはずっと待っている。
高所からの落下中にしてしまった勢い任せの告白の返事を。
女、サトリはずっと見計らっている。
されてしまった告白の返事をするタイミングを。
時折ソワソワした様子を二人共見せるが観光中なら誤魔化せる。何か言われても適当に、店に並ぶ商品で欲しいものがあっただとかで言い訳出来る。こうもじれったくなるのは恋愛経験がほぼない二人なので仕方ないことだった。結果として空気が気まずい。
「おっ、何だありゃ」
少しでも気まずい空気を変えたくてセイムがとある店を指さす。
開けた店であり、看板には【しゃてき】と書かれている。店主らしき中年男性が椅子に座っており、その奥にある棚には色々な道具が乗っている。見たこともない店なのでサトリは首を傾げて「さあ」と不思議そうに呟く。
「なあおいオッチャン、ここ、何の店なんだ? 道具屋か?」
「お前達、余所者か。ここは射的屋だ。銃ってもんを使って後ろの物を倒せば倒した品を貰えるって仕組みさ。一回百カシェ、やってみるか?」
「あー、おお、じゃあやってみるわ」
店主から受け取った長い銃を見ていると既視感があった。
二人はすぐに思い出す。帝国の兵士が持っていたものと全く同じに見える。あの時、よく見ていなかったがこれと全く同じ武器を使って人間の頭部に穴を空けたと認識していた。そんな危険物と瓜二つのものを渡されたことでセイムは慌てる。
「おう、サンキューってこれこの国の兵士が持ってたヤバい武器じゃねえか!? こんなんで狙えってのか!? 景品にも風穴空くぞ!」
「あ? あー、お前達余所者なら知らなくても仕方ねえ。この銃は兵士が持ってるやつじゃないさ。形が似ているだけの偽物、玩具だ。発射される弾丸は柔らかいから人に当たっても大丈夫だぞ、当たればそりゃ痛いけどな」
「銃、ですか……。あの、このような武器は以前からあったのでしょうか? 随分と強力なもののようですが、数年前に近辺を訪れた際は噂すら聞きませんでした」
「最近……つっても実際に皇帝が手に入れたのはもう少し前かもしれんが。余所者の……なんつったか、科学者? 発明家? まあそんな感じのやつが来て売り込んだものらしい。今じゃ玩具の偽物が一般的な武器さ」
「ほおーん、ま、なら安心だな!」
店主が銃の使い方を教えてくれるので二人は耳を傾ける。
使い方といっても単純だ。指の腹で押すスイッチのようなものがあり、そこを押せば中身の弾丸が発射されるというもの。慣れれば子供でも扱える。知識がまるでなかったセイムも同様に一発目をすんなりと放てた。
「おっと、狙いが逸れたか。でもま、安心して見てなサトリ。お前どれが欲しい? 次でそれを取ってプレゼントしてやるよ」
「大丈夫ですか? ではその、右端にあるリングを」
彼が「任せときな」と告げて二発目、三発目と発射するが当たらない。
店の奥にある数多くの景品の間を通りすぎてしまう。右端にある目当てのリング、神の加護が付与されていると説明文が書かれているそれには掠りもしていない。箱に入っているわけでもなく、かなり小さいので初心者には厳しいだろう。自分で言っておいてサトリは申し訳なく思ってしまう。
「……あと、一発しかねえ」
「自分で言っておいてなんですが、あの、別にリングに拘る必要はありませんよ。ほら、あなた自身が欲しいものはないんですか? なるべく初心者でも取りやすそうなものがいいと思いますよ?」
「へっへっへ、今さら逃げて何が残るってんだ。俺にもよ、プライドってもんがあんだよ。安っぽいけど譲れねえもんがあるんだよ。自分の意思捻じ曲げてまで勝ちてえとは思わねえ! 俺は俺の意思で、プライドにかけて、あのリングを手に入れるって決めたんだ! もう一発しかねえんじゃねえ、あと一発も残ってんだ。一発ありゃあ勝ちを拾うのに十分すぎんだろうが!」
片手で銃を持ったままセイムは最後の弾丸を放つ。
彼自身のプライドをかけて、全精神を集中させて放った弾丸は見事に――リングの中を通り抜けた。ある意味当てるよりも高難易度なことをやってのけてしまった。もちろんそれでリングが貰えるわけもなく、彼は「チクショウ……」と呟きながら膝をつく。
「全弾はずれだな。おつかれさん」
「……ムズすぎんだろこれ、マジでさ」
「あー、その、誰でも失敗くらいするでしょう。あまり気を落としすぎないようにしてください。初心者なんですから当然ですよ。もうちょっと私も欲しがる景品を考えるべきでした、これは私にも非がありますね」
手を伸ばしやすい位置に移動したセイムの背中をサトリが擦る。
肌触りのいいマントの感触がサトリに伝わる。死神の末裔だからか、その里で作られている物は高品質なのかもしれない。今も担いでいる大鎌だってよく見れば刃こぼれ一つない、新品状態。激しい戦いで血に染まったものとはとても思えない輝きを放っている。
落ち込んでいる、しょんぼりとした顔は見えないが新鮮だ。
いつも賑やかな彼にしては珍しい本気の落ち込み。そんな姿もサトリは好ましく思える。弱みを見せてくれているからか、信頼してくれているように感じられるからだ。好きな女性だからか仲間だからかは残念なことに判断がつかない。
「――おやおやあ? そこにいるのはサトリ大神官様では?」
唐突に、サトリは聞き覚えのある声を耳にした。
記憶の中を「この声は、もしや……」と呟きながら探索する。いや、言い訳染みているが憶えているフリではない。ちゃんと聞いた覚えはあるのだ。しかし、よく耳にする声ではなかった。プリエール神殿にいた誰かなら即座に口から名前を出せる自信があるので、プリエール神殿以外の場所で会っているはずだ。それもエビル達に同行するかなり前に。
情報が声だけでは足りない。
出来ることなら即座に反応したかったが仕方ないですねと思う。諦めて振り向き、その甘ったるい声の持ち主の容姿を視界に入れる。
白と桃色を基調とした神官服を身に纏っていることから神官。
桃色の長髪は枝毛もないため、よく手入れされているのが分かる。垂れ目で猫のような口は保護欲を誘う。そして彼女を見る者全員の視線が一度はそこへ行くだろう胸部。サトリも男性の視線を集めるほどの巨乳ではあるが彼女はそれを超えている。乳の暴力と言ってもいいくらいの爆乳であった。
セイムの目線もいつの間にか彼女の爆乳へ持っていかれている。くだらない勝負、というか自分だけがそう思っているのかもしれないがサトリは戦わずして敗北感を味わう。それと同時に彼女のことをようやく記憶から引っ張り出すことが出来た。
「その胸……あなたは、ウォルバドの」
「お久し振りですねえ。……あれ今胸で思い出しました?」
失言だったが思わず口に出てしまったものはどうしようもない。確かに大きすぎる胸で思い出したのは事実だが、サトリはそんなこと知らないとばかりに目を逸らす。
「なんつー暴力的なまでのおっぱいだ、視線が逸らせねえ。サトリの知り合いか?」
「気持ちは分かりますが見るのを止めなさい」
そう告げるとセイムはサトリの胸へ視線を移したので「私の胸を見るのも止めなさい」と言っておく。ソラの時とは違う。苛つくが、見てしまう気持ちは分かる。何せ同性ですら気を抜けば目が吸い寄せられてしまうのだから。
「初めまして。アズライと申しまーす、見ての通り神官でぇーす」
「ふっ、俺の名はセイム、ただの旅人さ。サトリとは旅の仲間なんですよ」
勢いよく立ち上がったセイムは自己紹介する。
サトリが怒った影響なのか、ソラの時と違って最初以外は不埒な視線を送っていない。全身をじっくり見るようなこともない。今までならこの次に口説いていただろうが何も言い出さない。ソラの時に口説かなかったのは仲間の身内だったからだろうが、アズライに対して配慮する理由は彼にないはずだ。口説きに行かないだけでも十分な進歩だとサトリは思う。もっとも告白した相手が傍に居る状況だからかもしれないが。
「旅? あれあれ? 大神官様ともあろう人が神殿を離れていいんですかね」
「心配いりません。既にその座は別の者に委ねています。今の私は彼と同じくただの旅人、旅の神官といったところです。仲間達と旅をするというのも中々楽しいものですよ」
「ほっほーう、つまり立場は私と同じ。もう私を叱る権利はあなたにないってことですね!?」
「叱る? サトリ、この人って何か怒られるようなことしたのか?」
サトリは「ええ、まあ」と歯切れが悪く呟く。
アズライは色々と緩いのだ。神官だというのに規律にも緩い。
二人が出会ったのは神殿に勤める神官同士で親睦会を行った時だ。主催者はアズライの上司、ウォタシャ神殿大神官であったため、遥々各地から参加したい者だけが水上都市ウォルバドへと集った。クランプ帝国にもその時に少し寄っている。
ウォルバドへ到着して親睦会会場である神殿へ向かう時、サトリは見てしまった。神官服を纏った胸の大きな女性が男性の腕を抱き、胸の谷間に入れて色っぽく笑っているのを。
娼婦が神官の服装を真似るなど神への侮辱。
怒りのままに後を追い、歓楽街にある風俗店に入ろうとしたところで呼び止めた。怒涛の説教をかました結果その女性はウォルバドの神官だったことが判明。親睦会には傍に居る男性と体を交えてから行くつもりだったと証言したことで追加の説教。そして埒が明かないので長く叱りながら神殿へと引き摺っていったのである。
後から聞くところ、彼女はウォタシャ神殿にいる神官の中でも一番の問題児であったという。すぐに男性を誘惑する彼女に大神官も困り果てているとも聞いた。追い出すことを提案したが実力者なので追い出せない、それを理解しているからこそ大胆に遊んでいるのだ。水上都市ウォルバドは傭兵と神官が兵士の役割をはたしているため実力者は手放せない。
そこで親睦会にもかかわらずサトリは彼女へ一日中説教し続けたのだ。
理由を話せばセイムは「マジかよ、男遊びが激しいって……」と引き気味になる。サトリからすればアズライより若干マシという程度で彼も大差ないと思っているのだが。
「それよりアズライ、あなたがどうして帝国に? まさかとうとう追い出されたのですか? 行き場を失ってこの町に……」
「違いますう、私を追い出したら魔物の処理に手間取るんだから追い出せませーん。私がここへ来ている理由は簡単ですよー。ウォルバドの町長もサミットに呼ばれたので護衛を任されたんです」




