久方振りの再会
「くそっ、やるっきゃねえか……!」
強面の男が一層強い焦りを見せてズボンのポケットに手を突っ込む。
ヤコンは「お下がりください」とソラに告げて一歩下げさせて、自身の腰にある長剣を抜いて構える。その判断は正しい。男が素手ならわざわざ武器を構える必要などなかったかもしれないが、今ポケットから男が取り出したのは人を殺すのに十分すぎる短剣。鎧を着ているといっても油断は禁物だ。
もっともエビルはほとんど心配していなかった。
ヤコンという青年の実力はある程度理解している。目前の男に後れを取るような醜態は晒さないだろう。
男が駆けて短剣を振りかぶり、真上から一閃。
対するヤコンは長剣を横にして頭上で受け止める。
アランバートの剣術は力の剣。相手の力を全て受け止めてから反撃する完全な力押しだ。さすがと言うべきかヤコンの剣は微動だにしない。
「この殺意……。君、一般市民じゃないな。数は不明だが人を殺したことがないとこの殺気は出せない。剣を振るうのにも迷いがないし、何者だ?」
その言葉を拾ったソラは「皆さん逃げてください! この者は人殺しです!」と周囲の人々に言い放つ。野次馬達もさすがに人殺しを前に見物する根性はないのか悲鳴を上げて逃走していく。残されたのはエビル達のみで、人混みが解消されて一気に路地が広くなる。
戦いは続く。力押しでは崩せないと察した男はステップを踏んで下がり、横に移動してから鋭い突きを放つ。しかしヤコンは動きを完全に捉えているため反応は容易い。迫る短剣に長剣の平たい面を当てて弾き飛ばした。
「ぐうあっ!? く、くそお!」
武器を手から離してしまった男は焦る。
焦って、焦って、迷った挙句に素手で殴りかかり――倒れた。
大きな音がした。パアンという甲高い聞き慣れないものだ。その音がした瞬間に男のこめかみに穴が空き、血が噴き出ていた。戦っていたヤコンも見ていたエビル達も全員が困惑している。少なくともこの場にいる人間の仕業ではない。
全員が動けないでいると帽子を被った男女数人が駆け寄って来る。
帽子は奇妙な色をしていた。濃緑、濃紺、茶色の三色で模様が描かれた見たこともない柄だ。彼ら彼女らは全員がL字型の長い筒を持っている。
おそらくリーダーだろう中心にいる女性がヤコンに話しかけた。
「アランバート王国兵士長ヤコンさんですね。罪人確保の協力感謝します」
「止してくれ、俺はまだ仮の兵士長さ。君達は帝国の?」
「ええ、はい。我々は偉大なるクランプ帝国の兵士です。第五兵団長、ネオンと申します。以後お見知りおきを」
ネオンと名乗った女は部下に「さあ、遺体を運べ」と指示した。
部下の男達は速やかに死体を皮袋に包んで担ぎ上げて運び出す。城の方へ走って行ったのでそちらで火葬でもするのだろう。
正直なところ、エビル達はあまり納得がいかなかった。
罪人に厳しいという情報は知っている。だが容赦なく、反省の機会を与えることもなく殺すのは想定以上であったのだ。罪に厳しいプリエール神殿でも牢屋に入れるというのに帝国は即殺。あまりに救いがない。
納得していないのはヤコンも同じようで眉を顰めている。
「なあ、他国の方針に口を出したいわけじゃないんだが、あんなすぐ殺す必要はあったのか?」
「規則ですので。上からの指示がなければ我々は射殺する以外の権限を持てません。指示なく罪人を生かすことは罪となります。以前、反省させればいいと罪人を生かしたまま捕らえた兵士もいましたが、彼女はその場で言い訳も出来ずに射殺されました。規則を乱す者は全てを乱す。皇帝は大変規律に厳しいお方なのです」
「まあ言い分は理解出来るが……」
「それでは私はこれにて失礼します。如何なる理由があろうと早く戻らねば私も殺されてしまいますので。ヤコン兵士長、ソラ様、どうか明日のサミットまで怪我のないようにお気をつけください。一応この厳しさもあって犯罪発生率は少ないですが、何かありましたらすぐに城で兵士にご相談ください」
言いたいことだけ言ってネオンは身を翻して走り去った。
浮かない顔をしていたヤコンだがハッとして、すぐに「ソラ様、お怪我は」と確認の声を掛ける。ソラは「大丈夫です」と至って健康体なことを告げる。
「あら……? もしや……エビルさんでは?」
出て行くタイミングを見失っていたがソラが気付いてくれた。
戦闘を助けに入る必要はなかったので、男を倒した時点で声を掛けようとエビルは思っていたのだ。手出ししようとしたセイムとサトリにも伝えて止めていた。しかし想定外の帝国兵士の介入もあり、厳しさに戸惑っている間にタイミングを見失っていた。正直エビルは声を掛けてくれてホッとしている。
「エビル君! 君も帝国に来ていたのか」
「お久振りですソラさん、ヤコンさんも」
「レミは……寝ているのですか?」
「はい、疲れが溜まっているみたいで。しばらく起きないかと」
自然と三人に笑みが戻って空気が弛緩した。友人同士が会話する和みある空気だ。
話しているとソラがエビルの若干後ろにいる二人に視線を送る。面識があるサトリはともかく、セイムについては誰なのかすら分からないだろう。一応彼はアランバート王国領内に存在している里出身なのだが仕方ない。女王といっても自国民全員を把握は出来ないし、ましてや死神の里は隠蔽されていたのだから。
「そちらはプリエール神殿の、大神官様、でしたか?」
「お久し振りです、サトリと申します」
深く頭を下げたサトリはソラを見つめる。
「誤解はなくなったようですね。しかし何故あなたもここへ?」
「その節は大変ご迷惑をお掛けしました。今ではエビルのことは全く疑っておりませんし、彼らのことをかけがえのない仲間だと思っています。今は私も魔信教討伐を目的として共に旅をしております。それと敬称など畏れ多いのでお止めください。今は大神官の立場を退いた特別なものは何もない神官ですから」
プリエール神殿でサトリはエビルを魔信教の手の者と勘違いしており、その時にコミュバードでソラとも連絡を取っていた。一応彼女はプリエール神殿の一件後にコミュバードで手紙を出して報告をしたと旅の途中で語っている。レミも「姉様なら許してくれるでしょ」と軽く言っていたが、どうやらその通りらしくソラの中に怒りが微塵もない。エビルだから分かることでサトリからしたら不安なままだろうが。
「あなたが協力するというのなら心強いですね。では、そちらの彼もお仲間の一人ですか? その肌……日焼けしているようですしリジャーの民でしょうか」
「ふっ、俺は死神の里出身、死神の末裔セイムって言います」
「……ユニークなお仲間ですね」
「あれ!? 信じられてなくね俺!?」
死神は空想上の存在だと認識している者が多い。大半の人間は信じないだろう、名乗っても変人扱いされるのは目に見えている。今までに彼が名乗った相手も心の底では信じていなかったのかもしれない。
「あはは、セイム、残念だったね」
「いや、そうでもない」
落ち込むかと思いきやセイムはやけにいつも通りだ。
彼は視線をソラの足元にやり、そこから徐々に上へ上へと眺めていく。一度綺麗なお椀型の胸で止まったが顔まで見きって「ふむ、なるほど」と呟く。
「レミちゃんにも希望はありそうだな」
「いったいどこを見てそう思ったのか詳しく教えてもらいましょうか」
背筋が凍るような冷たい声がサトリから出て、セイムはビクッと身を震わせる。
それから耳を掴まれて引っ張られた彼は「いででででで!」と悲鳴を上げる。こればかりは誰もフォロー出来る気がしないので止められない。
「王族の方、女王様なのですよ? さっきみたいに舐め回すような気持ち悪い視線を送るのは止めなさい、一緒にいる私まで恥ずかしいです。……私にあんなことを言っておいて」
「悪い悪い本当に俺が悪かった! いや本当にごめん、女王様もごめん!」
「ごめんなさい、でしょう?」
「ごめんなさい!」
かなり強く引っ張られてセイムは泣きそうになっている。
「……い、いえ、別に構いませんよ。気にしていませんから。それよりその、やりすぎでは? もう解放してよいのではないでしょうか。彼、苦しそうですし」
「苦しめなければ懲りません、こういう輩は」
軽く、とはいえゴスッとサトリは錫杖で彼の腹部を叩く。目を回したかと思えばゆっくりと体が左右に揺れる。その度に倒れそうになっては倒れないようにバランスをとっている。
「モウシマセン、ユルシテクダサイ。オレハサイテイノオトコデシタ」
セイムの声が震えているし目の焦点も合っていない。
「これくらいやらなければまたやるのです。こういう男を放っておいた末路が性犯罪者の増加に繋がるのだと私は思います。もうやらないと誓いなさい、次に露骨に不埒な視線を他の女性へ向けようものならしばきますよ。……どうか私に返事を考え直させないでください」
「オレハモウ、サトリイガイノジョセイニ、メヲムケマセン。オレガアイシテイルノハサトリダケデス」
「別に私に向けてほしいわけじゃ……まあいいでしょう」
解放されたセイムはよろよろと前後に歩く。
少し過剰すぎたかもしれないが自業自得。エビルも心配はするがそういったところは直ればいいと思っている。彼らしさといえばそうなのだが欠点に近い。
再びソラへ目を向けた彼に不埒な感情は一切ない。というより何も感じていないのがエビルには分かる。彼の中で何か、重要な何かに鍵を掛けてしまったように感じる。
「ふっ、すげえや、女王様を見ても何も感じねえ。これが悟りってやつか。こりゃあいい、生まれ変わった気分だ。新生セイム爆誕ってか? サトリを見ても何も感じねえ」
「ええ!? あっ……やりすぎ、ましたかね」
「おいおい、随分と賑やかな仲間だなエビル君。退屈しなさそうだ」
ヤコンが笑ってそう告げたのでエビルは頷く。
思えば四人でいる時は暇だと思ったことがない。旅をするのは新鮮で心が躍ったが、やはりセイム達がいなければここまで楽しくなかったのかもしれない。
「そうです、エビルさん。宿泊場所はもうお決まりですか?」
「いえ、まだ着いたばかりで何も」
「でしたら我々の泊まっている宿はどうです? 値は張りますが、私が払いましょう。ゆっくりとお話もしたいですし……どうですか?」
凄くありがたい提案ではある。ただ、申し訳ない気持ちがある。
女王であるソラが高値だというのだ。どう考えても庶民が泊まれるような宿じゃない。しかしせっかくの厚意を断るのも悪いと思ってしまう。
「遠慮はしないでくださいね。断るのなら理由も付けてください」
「いいじゃねえかエビル、女王様もこう言ってるし甘えようぜ。それにレミちゃんだって身内と同じ宿に泊まってた方が嬉しいんじゃねえか? ほら、同じ宿なら互いの部屋に行きやすいしさ。家族の時間ってやつ? 作れるなら作ってやろうぜ?」
「はぁ、こういう時はまともなのに。……エビル、セイムの言葉にも一理あると思います。資金の問題もありますし、今後のことも考えるとありがたい申し出ではないですか」
「……そうだね。なら、ソラさん、お言葉に甘えさせてもらいます」
ソラは「ふふ、では行きましょう」と優しく笑う。
家族の時間。四人の中でレミだけはまだ家族がいる。旅をしている都合上あまり会えないのだから、こういった時に話でも出来れば嬉しいだろう。エビルは早く彼女が目覚めるのを祈ってソラの後を付いて行く。




